うっとうしい梅雨の時期に時折、太陽が顔を見せることがあります。昔は、その時を待っていたとばかりに物干し竿に洗濯物が並んだものでした。その有様を人々は満艦飾と呼んでいました。しかし、ネット検索すると、そういう意味での満艦飾はもはや死語になりつつあるとあります。満艦飾とは、もともと軍艦が祝祭日などのおめでたい日に、祝意を表すために艦首から艦尾まで信号旗などの旗を連ねて掲揚した有様を指しています。家々に洗濯物が色とりどりに干される様子が、艦首から艦尾まで旗をひらめかす軍艦の姿に似ていることから、これを満艦飾と表現するようになったとされています。
戦時下で戦闘機や軍艦に興味を持っていた少年時代の私は、満艦飾という言葉を聞くと、旗を翻しながら海上を走る勇壮な軍艦を想像して心が躍ったものでした。しかし戦争が終わると、平和な時代が訪れ、経済が発展し、生活は格段に豊かになりました。特に産業の振興に伴い、日常生活はきわめて便利になりました。乾燥機が普及し、外で物を干す必要がなくなりました。つまり、満艦飾という光景もあまり見られなくなりました。満艦飾という言葉も居場所を失い、死語となってきたと言われるのは当然なのでしょう。それでも時折、今でも満艦飾と表現すべき光景を目にすることがあります。
私の書斎からマンションのベランダがいくつか見渡せます。その中に大変日当たりのよい広々としたベランダがあります。普段は人の姿を見かけませんが、梅雨の晴れ間のある日、そのベランダに洗濯物が盛大に並んでいたのです。大きな布団とその敷物らしきものやこまごました衣類など、広いベランダに数えきれないほどの洗濯物が干されていました。まさに昔ながらの満艦飾です。少年時代の原風景がよみがえったようなカラフルな光景でした。観察を続けていると、天気の良い日は毎日といってよいほど、洗濯物が並ぶのです。その量は通常の家庭の干し物を超えています。ひょっとすると職業的に物干し作業を請け負っているのかもしれません。
確かに大きな洗濯物は家庭用の乾燥機には入らないでしょう。日当たりのよいベランダを商業的に活用することは十分あり得ます。そして、それはいろいろな意味で有意義なことのように思えます。太陽熱という再生エネルギーの利活用であり、しかも世界は気候変動で温度が上がっています。異常気象を逆手にとって時に摂氏35度を超す高熱を巧みに生かすことにもなります。そして、何よりも人工的機械的に乾燥させるのではなく、衣類にやさしい形で乾かすはずです。ある日、そのベランダで物を干している人の姿を見かけました。遠目ですが、中年の女性のように思われました。手慣れた様子で、てきぱきと作業を進めています。その働きぶりから、物干し作業が彼女の平穏な生活と日常に埋め込まれているようにみえました。
このように満艦飾という言葉は日常生活から全く姿を消したわけではないようです。とはいえ、軍艦の方は相変わらず世界各地で今も忙しく走り回っています。そして時に満艦飾に着飾って威容を誇っています。本来の意味の満艦飾は依然として大変健在なのです。しかし、その姿を誇って見せてほしいのは、家々のそこかしこに見られる満艦飾の方です。死語となるべきは、本来の意味での満艦飾であり、平和な日常を示す満艦飾こそ大いに健在であってほしいものです。
