重訳(トルコ語から英語、英語から日本語への翻訳)の功罪 『イスタンブル、イスタンブル』(最所篤子訳)を読んで覚えた違和感の正体 第2回
知求図書館 8月22日号WEB雑誌「今月の知恵」コラム
違和感を覚えた3つの理由第1回では、『イスタンブル、イスタンブル』を読んだ経緯、本書の登場人物について紹介しましたが、今回は重訳の功罪として、本書を読んで覚えた違和感の正体について明らかにしたいと思います。
1. 訳語の統一感の欠如がもたらす齟齬
出典:İstanbul İstanbul by Burhan Sönmez (İletisim Yayınları)
トルコ語の原作では、目次の前に上記の独房の見取り図が描かれています。本書の登場人物4人は、40番の独房に押し込められています。部屋の出入口(Demir kapı)とNovetçi(看守の部屋)にある出入口のマークは同じで、このマークを見た人ならそれが扉(ドア)だとわかるでしょう。Demir Kapıは日本語で「鉄の扉」の意味です。ところが、英訳版では”Iron gate”、それを受けて日本語版では「鉄の門」と訳されており、鉄の門は第一章のタイトルにもなっています。
それでは、gate/門とdoor/扉(ドア)の違いは何でしょうか。両者とも空間を外と内に区切る機能がありますが、gate/門は外部と内側の敷地を区切る塀に付属する出入口、door/扉(ドア)は外界と建物を隔てる出入口、あるいは建物内にある部屋の出入口を指します。原作には独房のある拷問施設は地下3階建てで、Demir kapıの外には長い廊下が続いていると書かれているのでDemir kapıは建物の内側にあり、「iron gate/鉄の門」という訳は誤りであることがわかります。
実は、このDemir kapıは本書では非常に重要な役割を果たしています。Demir kapıの内側にいる限り、独房に押し込められている登場人物は拷問を受けずにすむという安心感の拠り所になっています。ところが、Demir kapıの外からわずかでも音がすると、それまで拷問の痛みに耐えながらも、さまざまな話を語り合って気を紛らわせていた4人はピタリと話を止め、耳をすませながら、自分たちの独房に尋問官がやって来るのではないかという恐怖に震えるのです。それが「Iron gate/鉄の門」と訳すことで、この部屋の外に外界の空間があるような錯覚に陥って恐怖を遮る役目が薄れてしまい、わざわざ図解までしてDemir kapıを強調している原作者の意図が全く反映されていません。さらに悪いことに、下の例のように「門」と「扉」が混同されて使われていることさえあります。
Demir kapının paslı sesini duyduk yine. Sorgucular. Hücrelerden kimseyi almadan geri gidiyorlardı. Kulağımızı dışar verip, emin olmak için bekledik. Demir kapının kapanmasıyla sesleri kesildi, koridor ıssız kaldı.
― İstanbul İstanbul, p 13
Again we heard the rusty grating of the iron gate. The interrogators were leaving without taking anyone. We listened, waiting, to be certain. The sounds died out when the door closed, leaving the corridor deserted.
―Istanbul Istanbul, p 9
また鉄の門の錆びた軋る音がした。尋問官たちは誰も連れて行かずに去っていこうとしている。僕らは念のために耳を澄ませて待った。扉が閉まると音は絶え果て、廊下に人の気配はなくなった。
―『イスタンブル、イスタンブル』9ページ
原文では尋問官は鉄の扉から入って、出て行きましたが、英訳版と日本語版では「iron gate/鉄の門」から入って「(iron)/(鉄の)扉」から出て行き、読者の混乱を招いています。
本書では、このような訳語の混乱は他の単語でも見られます。もうひとつ例を挙げると、船の種類です。イスタンブルは北側に黒海、南側にマルマラ海があり、ボスポラス海峡でヨーロッパ側とアジア側に隔てられている海に囲まれた都市です。ヨーロッパ側には旧市街と新市街を区切る金角湾があります。そのため、原作者はフェリー、ボート、大型船舶など船の種類を事細かに書き分けています。本書では、ボスポラス海峡を行き来するvapurという単語が頻繁に出てきますが、これは乗客や車を載せてヨーロッパ側とアジア側の船着き場を結ぶフェリーのことです。トルコ語を知らなくても、Googleでvapurを画像検索すれば、ほぼ100%フェリーの画像が表示されます。ところが、翻訳版ではferry/フェリー、boat/ボートという2種類の訳語が当てられ、混乱を招いています。boat/ボートは水上で乗る乗り物ですが、目的地は決まっていません。ちなみに原作では、ボートにはbotというトルコ語が使われています。
Peş peşe geçen vapurların adlarını okdu, her ada bir anlam yükledi....İskeleden vapura bindiler.
― İstanbul İstanbul, p 179-180
He read the names on the boats that sailed past in quick succession, endowing each name with a meaning…They took a ferry from the quay.
―Istanbul Istanbul, p 186
次々と通り過ぎていくボートの名前を読み上げては、それぞれに意味を与えた。・・・そして船着き場からフェリーに乗った。
―『イスタンブル、イスタンブル』229ページ
原作では、二人の男がアジア側の船着き場で通り過ぎていくフェリーの名前を読み上げているうちに、フェリーに乗ってヨーロッパ側に行ってみたくなったという場面が書かれていますが、翻訳版ではボートとフェリーは別の船として書かれて全く関連性がないことから、作者が意図したようには読まれません。
このように、統一感のない訳語により、翻訳版は原作の場面を再現できない事態が何度も生じています。
2. 小説を彩る飲食物のあいまいな訳がもたらす違和感
本書では、4人の政治犯が独房で語り合いながら。空想の世界で飲み物や食べ物を楽しむ場面が出てきます。作者のソンメズ氏は長い間ロンドンに住んでいただけあって、海外にいるトルコ人が自国に帰国したら真っ先に何を食べたり、飲んだりしたいのかを熟知しているようで、最もイスタンブルに相応しい飲食物、季節の果物、それを楽しむ場所を小説に落とし込んでいます。
まず、トルコ人の生活に欠かせないのがçay(チャイ)です。本書では、空想の世界でチャイを飲む場面が何度も出てきます。チャイは朝食で飲んだり、昼食と夕食の後、午後のお茶の時間に飲む他、レストランや美容院、お土産屋などでは無料で振る舞われます。トルコでは、商談はまずチャイを一杯飲んでから始まります。トルコ人は一日のうちにチャイを何杯も飲んで過ごします。チャイは、チャイダンルックと呼ばれる二段重ねのポットの上段にチャイの葉を入れて、下段で湯を沸かす間に蒸らし、熱湯が湧いたら上段に注いで葉が開くのをゆっくり待ってから、チューリップの形をしたチャイグラスに注いで飲みます。商店街には至るところにチャイを配達する小さな店があり、電話一本で配達してくれます。チャイは、英国や日本でよく飲まれる紅茶とは全く異なるトルコ独自の文化といってもよいでしょう。ところが、英訳版はçayはtea、それを受けて日本語版では紅茶、またはお茶と訳されています。他国の文化の色がついている訳語によって、チャイを飲む独特の雰囲気が損なわれています。
もうひとつの例として、床屋のカモが偶然再会した孤児院時代の教師を誘ってmeyhane(メイハネ)に行く場面があります。メイハネとは、トルコやトルコの周辺国、バルカン半島にある酒場の名称です。トルコでは、メゼ(冷菜)を肴にラクという独自のお酒を飲みながら、生の演奏が楽しめます。英訳版では meyhaneはtaverna(ギリシャの酒場)、それを受けて日本語版では居酒屋と訳されています。しかし、あくまでも居酒屋は日本独自の文化です。せめて酒場と訳せば、日本の色が薄まったかもしれません。
小説の読者はおそらくイスタンブルやトルコに行ったことがなく、私のように違和感を抱くことはないでしょう。英訳者のÜmit Hussein氏は、”Our task is not restricted to giving readers access to literature . . . by doing so we also perform the role of cultural ambassadors.” と述べています。そのためか、トルコ人に愛されているシミット(リングの形をしたゴマつきのパン)やラク(薬草入りの酒、水で割ると白く濁る)は注釈付きで訳されていますが、原作者が仕込んでいる他のトルコ独特の文化は他の単語に置き換えられており、中途半端感が否めません。チャイやメイハネの他にも、トルコに春を告げる果物erik/エリック(緑色のすもも)、床屋のカモが整髪剤の代わりに使ったkolonya/コロンヤ(トルコ風オーデコロン)も英訳版でトルコ語の単語をそのまま採用して注釈を入れ、日本語版で音訳すれば、小説の世界観をより的確に表すことができたかもしれません。
3. たった一語の誤訳で変わってしまった小説の世界観
原作では、時代背景について直接説明している箇所はありません。それでも、この時代を推測できるヒントがいくつかあります。4人の登場人物は煙草紙に煙草の葉を巻いて吸う真似をし、革命家グループの連絡係をしている床屋のカモの妻を追いかけている当局者は、妻の行動を紙切れに書きつけます。革命家グループのメンバーの連絡方法は、指定された本の表紙を見せて歩き、決まった色の小物を身につけるなど古典的な方法が用いられていることから、昔の時代であることが連想できます。トルコで発表されている文芸評論家の書評を読むと、原作の時代背景は1980年9月12日に起きた軍事クーデター後であることがわかります。また、原作者のソンメズ氏もトルコで原作が発売された直後のインタビューでその事実を認めています。1980年のクーデターでは、トルコ国内で60万人以上が逮捕され、裁判も行われないまま刑務所内で拷問死した拘束者も多く、トルコの近代史上暗黒の歴史のひとつとして数えられています。原作は、暴力的な場面をほとんど描かずにその時代を表現したとして、トルコ国内で高く評価されています。
日本語版『イスタンブル、イスタンブル』では、独房の中で「ペットボトル」の水を飲んだり、水をシャツの切れ端に含ませて拷問で血だらけになった顔を拭いたり、傷口を消毒したりする場面が何度も出てきます。そこで日本語版を読了後、トルコでペットボトル入りの水が初めて発売された時期を調べました。トルコの著名なメーカーが先駆者として初めてペットボトル入りの水を発売したのは、1984年のことでした。後発メーカーが生産を始めたのは1990年代前後です。日本では、まず1980年代半ばにペットボトル入りの炭酸飲料が発売され、1リットルボトルの水は1990年頃、500ミリリットルのボトルは1995年に発売されています。ペットボトル入りの水が一般大衆に浸透したのは、トルコ、英国、日本とも2000年前後です。つまり、1980年代の初めにはトルコにはペットボトル入りの水は存在しませんでした。この一語の誤訳により、英語版と日本語版の時代背景は、原作と比較して歴史的事実に基づくと数年、一般大衆の生活感に基づくと約20年の開きが生じてしまいます。そのせいでしょうか。トルコ語原作の読者レビューでは、1980年のクーデターに絡めた感想が多かったのに対し、英語版と日本語版の読者レビューでは、最近のこととして受け取られ、現在もこのような拷問が行われているのかという驚きを持った感想が見られました。
誤訳となった「ペットボトル」の元のトルコ語はsu bidonuです。Su bidonuとは、水を入れる容器のことです。トルコでは昔から生活用水としての水道水の他に、街の至る所や公園にçeşmeと呼ばれる飲料水の蛇口があり、住民がsu bidonuを持って汲みに行く習慣があります。現在イスタンブルなどの大都市では、衛生上の観点からçeşmeから水を汲むことは禁止されており、飲料水は購入するか、浄水器を使って濾過して飲んでいますが、地方では現在でもçesmeを利用しています。su bidonuは、灯油を入れるポリタンクのような形をしたものが多いですが、80年代はおそらく金属製(たぶんブリキ製)の水差しでした。90年代の初め、地方都市にある夫の実家ではまだ金属製の水差しが使われていました。英訳者はおそらくこうした経緯を知らなかったために、Su bidonuをplastic water bottleと英訳し、日本語版ではペットボトルと翻訳されました。トルコ語に従ってwater containerなどの訳に留めておけば、日本語訳もペットボトルにはならなかったでしょう。しかし、この一語の誤訳のために翻訳版では時代背景や小説の世界観が原作と全く異なったものとなり、その責任は重いと言わざるを得ません。
翻訳版の読者が現代の物語と誤解するもうひとつの理由は、高層ビルの存在があります。イスタンブルで高さ100メートル以上の高層ビルの建設が始まったのは、1990年代の初めで、80年代の初めには高層ビルは存在しませんでした。第8章に、「岸辺に高層ビル群が立ち並ぶ」という表現がありますが、イスタンブルのボスポラス海峡沿いは景観を守るために高層ビルの建設が法律で禁止されています。また、マルマラ海沿岸でも、世界遺産に指定されているスルタンアフメット地区の歴史的景観を守るために、遠方から見える歴史地区のモスクの景観を遮る建物の建設が制限されているため、この高層ビルは空想の世界の産物であることがわかります。
本稿では、トルコ語から英語、英語から日本語による重訳の功罪について考察しましたが、英語版の翻訳表現に振れがあると、日本語版も翻訳者が意図せずに影響を受けることがわかりました。原作から直接翻訳すれば、上記で指摘した問題点は解決されるかもしれませんが、それによって優れた成果物が生まれるかというと、それはまた別の問題です。私は本書の舞台になったイスタンブルの街角をほとんど歩いたことがありますが、日本語版の翻訳ではまるでその場所にいるかのように生き生きと描かれており、優れた翻訳だと思います。だからこそ、英語版の不備により結果的に誤訳が生じてしまったことが残念でなりません。
Honoring the Art of Translation: Ümit Hussein, September 28, 2020.
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ハクセヴェルひろ子
実務翻訳者
バベル翻訳専門職大学院修了
トルコ在住32年
1992年5月から2001年1月までイスタンブル在住
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