戦後、米国は日本に民主主義という思想や制度を定着させました。民主主義の下で現人神だった天皇陛下は人間宣言を発布され、国民も主権を取り戻しました。しかし、一般庶民は生活が困窮し、特に飢えに苦しめられていました。民主主義は英語でいうとデモクラシーです。当時の庶民は、これを「でも苦しい」と読み替えて、気分を晴らしていました。そうした頃のある日、お昼時のことでした。御飯ですよ、と母が声をかけてきました。まってましたとばかりに食卓に座ると、目の前のお皿に乗っていたのは、お米の御飯ではなく、くすんだ緑色のグリーンピースでした。母いわく、米軍から配給された缶詰を空けたら、それが入っていたという。これで飢えを凌げるのですから、アメリカさんに感謝しなさい、と母は言い、アメリカさん、ありがとう、と頭を下げてみせました。空腹でしたから、ぜいたくは言えません。スプーンですくって食べてみると、味も素っ気もありません。しかし、お腹の足しにはなりました。このほかにも米軍からの缶詰製品はピーナッツ、鮭缶などいろいろありました。ピーナッツは塩味をベースにお砂糖がまぶされていて、なかなか美味でした。残念ながら、お米の缶詰はありませんでした。

しかし、お米は政府から配給がありました。とはいえ、量は少なく本当に貴重品でした。そこで、お米の御飯によくグリーンピースが混じっていました。混じっていたというよりも、グリーンピースの周りにお米がくっ付いていたというのが実状で、このグリーンピースのおかげで、せっかくの御飯の味が失われてしまうのでした。グリーンピースを見ると、今でも当時の恨めしい気持ちがよみがえってきます。御飯によく混じっていたのはグリーンピースだけではありませんでした。じゃが芋、さつま芋、大根などが細く切られて入っており、例によって、お米はその周りに付着しているだけでした。時に大根との混合ご飯は惨めな結果を生み出しました。戦後間もない頃は給食制度がなく、子供たちは皆学校にお弁当を持参していました。その弁当に時折、大根御飯が詰め込まれていました。ご飯は水分が多く、寒い冬のお昼に食べるとお腹の底から冷え込み、体がガタガタと震えてくるのです。

御飯代わりによく食したのは、さつま芋でした。飽食の時代の今も焼き芋として親しまれているように、当時から珍重されていました。いろいろな種類がありましたが、大きな丸形をしていて中身が黄色いものと、細身で中が白いものに大別できました。当時は、焼くよりもふかして食べていたと思います。このほかにも、じゃが芋、里芋、かぼちゃなどお米替わりに何でも食べました。特にかぼちゃはさつま芋に似て甘みがあり、貴重でした。時折、大麦が手に入ることがありました。形がお米に似ていて大歓迎でした。蒸かすよりも茹でて、さらさら食べた記憶があります。戦後しばらくたつと、甘いケーキ風の菓子類が売り出され始めました。外見は、美味しそうですが、食べてみると、ろうそくを口に入れたような味で、思わず吐き出してしまうことがよくありました。その時の失望感は今も忘れません。

こうした食糧事情のなかで、冒頭で述べた米軍から差し入れられた缶詰類は、本当に貴重品でした。日本は現在、複雑な国際情勢の中にあって世界で最も緊密な米国の同盟国と言われています。その根源に、日本国民の心情に根付いている親米感情があるように思われます。振り返ってみると、この日本人の親米感情の一因は、餓死者も出た戦後日本に対して食糧支援の手を差し伸べた米軍の配給品にあるような気がします。食べ物の恨みは恐ろしい、とよく言われますが、その反対も真実ではないでしょうか。「でも苦しい」時代の日本国民に缶詰を配給した米国指導者の決断は、人道的配慮もあったかもしれませんが、その一方で、実に巧みな占領政策でもあったと言えそうです。

ライタープロフィール

前田 高昭
金融 翻訳 ジャーナリスト
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教授
現在、The Professional Translatorのコラムに『英文メディアを日本語で読む』と『東アジア・ニュースレター』を毎月寄稿。

おすすめの記事