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今月の知恵<This month's Wisdom>

フリースクールのススメ――すべての子どもが幸せに学べる場とは? 第6回

知求図書館 1月22日号WEB雑誌「今月の知恵」コラム

またまた期間が空いてしまいましたが、5回までは私自身の風変わりな学びについてお話ししてきました。そんな私も母親になり、子どもの学びに関わるようになります。フリースクールで衝撃を受けた私は、親として我が子の学びをどう考えたのでしょう。今回は、その奮闘の中での経験をお話ししたいと思います。

■保育園との出会い
期待させるような前置きとは裏腹に、若くして親になった私は当初、育児に関して勉強不足、考え不足でした。愛情はふんだんに注いだものの、行き当たりばったりの育児で、子どものよりよい育て方を真剣に考えられていませんでした。いえ、自分なりの理想を追い求めていたため、真剣は真剣だったのでしょう。頑張りすぎたせいか、心の病になってしまいます(また別の貴重な経験です)。
病気をきっかけに家族や医者から勧められ、急遽保育園に入園することになりました。これが、偶然にも素晴らしい園でした。これまでにも何度か本コラムに登場した保育園です。
木のおもちゃや絵本、季節の木々を楽しめる園庭、想像力と創造力をフルに生かした遊びなど、子ども視点で運営されていました(小さな図書館もあり、全園児が毎週絵本を借りて帰る)。子どもの好奇心や「楽しい」を生かし、遊びを通して豊かな発想や思考力を高め、成長を促してくださる保育園でした(当時お世話になった「遊びのプロ」の先生は共著本『絵本から広がる遊びの世界』を出版されています)。
また、毎日の予定はおおかた決まっているものの強制はしない、子どもたちがそれぞれ好きな遊びに没頭できる、とてもフリースクール的な関わり方の園でした。管理的な指導は1つもありません(世間では「頑張らせる」やり方が何かと人気になりがちですが……)。
身体・知的障害のある子どもたちも受け入れ、皆が心地よく過ごせる方法を工夫し、親身に取り組んでおられました。まさにインクルーシブ保育の場でした。おかげで私もフリースクールで経験したことを再び思い出し、改めて育児について考えられるようになりました。
同園で娘と息子はのびのびと過ごしましたが(ステキな保育園とママ友に恵まれ、私の病も無事完治しました)、上の娘の卒園が近づくにつれて、小学校入学が気がかりになりました。入学予定の小学校区内の子どもたちを見ていて、言動やそれに対する親の様子、同校で起こっていた実際の出来事に、不安を覚えたのです。
娘は、他人を優先させて自分が我慢してため込んでしまう、非常に大人しい性格でした(年長になるまで娘の声を聞いたことがない、と言っていたママ友も)。地域の小学校で元気に楽しく通えるかどうか、娘らしく過ごせるかどうか、心配でなりませんでした。漠然と、アメリカのフリースクール入学を考えるようになります。

■小学校、どうする?
 アメリカのフリースクールや移住方法について調べながら迷う日々でしたが、ある転機が訪れます。園のママ友から、ある小学校の運動会に誘われたのです。
 そこは山のてっぺんにある、山と空しか見えない学校でした。当時の全校生徒は20人前後という僻地校。感動したのは、運動会の実況応援です。大人や子どもがマイクを使って実況するのですが、子どもたちが走ると、それぞれの名前を呼びながら応援していたのでした。私が卒業した小学校も1クラス30人に満たないこじんまりとした学校でしたが、比べ物になりません。その応援だけで、どれだけ1人ひとりが大切にされているかが伝わってきます。
 さらには、運動会は地域と合同で開催されていて、小学生はもちろん、幼児からおじいちゃんおばあちゃんまでが一緒に競技を楽しんでいました。「この学校に入りたい」との娘の言葉の後押しもあり、入学を決めました。同校は公立校だったため、越境入学、車での送り迎え(山中のため公共交通機関なし)という壁はありましたが、入学して本当に良かったと今でも思っています。
 児童数は毎年変わりますが、平均して子ども3人当たりに大人1人(サポーターさんも合わせた職員数)がいる計算です。まさに少し大きめの家族。最初の運動会で感じたとおり、1人ひとりの個性が尊重され、どの子も山の中でのびのび学び遊んでいました。この人数であれば、「普通」でなくても普通です。1人ひとりの存在が占める割合が多いので、「大多数による普通」がなく、「それぞれの個性」で成り立っていました。
 学年関係なく遊びますから、小さな子は大きな子を見て育ち、上級生になると自分がしてもらったように下級生の面倒を見て、一緒に遊びます。良いのか悪いのか、我が子はどちらも児童2人きりの学年だったため、6年生になると自動的に前期と後期で児童会長と児童副会長を交換。そんなこんなで、自分自身で考えて発言し、責任を持って物事にあたる機会も多かったように思います。
 学習については、公立校ですので学ぶ内容は変わりませんが、授業内での教員・児童のやり取りも多く、習熟度に合わせてアドバイスを受けたり、問題を解いたりできたようです。一斉授業の観点でいえば、人数が少なすぎて授業を発展させづらい(先生からお聞きしました)、3年生からは2学年が1つになる複式学級になるため、1年先のことを学ぶ学年が出てくる(算数はそれぞれの学年に分かれての授業)など、僻地校ならではのマイナス面も。
 僻地校ならではといえば、地域との結びつきの強さです。保護者による育友会以外にも、子どもが巣立った地域の方々による後援会の活動も活発なのです。学校自体も地域との関わりを大切にされていて、地域の方々に教えていただく陶器作り、田植えと稲刈り、伝承遊び、野鳥観察、牧場での写生、そして地域の方々を招いての合同運動会、大昼食会などなど、「学校だけでなく地域に育てていただいている」と実感できる日々でした。地域の皆さんが、子どもたちの名前を知ってくださっていました。
 ちなみに育友会ですが、家庭数が少ないため1回は会長が回ってきます。我が家は夫より私が人前に出る家庭のため、何も考えずに私が会長を引き受けると、なんと創立100年以上の同校育友会史上初の女性会長だったのでした(地域の皆さんも温かく歓迎してくださいました)。
 行事の炊き出しなど(私は送り迎えも)保護者が学校に出向く機会も多いため、保護者同士で関わったり(代休日には一緒に出かけるなど)、先生方と学校の様子を話したりと、私自身も楽しく過ごした8年間でした(上の娘が入学し、下の息子が卒業するまで)。
 僻地校だというだけでなく、「山の学校」という良さもありました。息子は、娘とはまた違う、天真爛漫という言葉がぴったりの我が道を行くタイプでしたが、彼こそ生き生きと過ごしていました。山の険しい崖の上に秘密基地があったらしく、息子が崖を滑りおりてきた時にはびっくり。
 川にはマムシが連なっていたりする危険も身近にはありましたが、学校の横の沢にはカニがいて、運動場のど真ん中に鹿のフンが落ちていたりする、自然いっぱいの山の中での日々は、彼らにとってかけがえのない子ども時代だったのではないかと思います(私も毎日の山道送迎で、季節の変化を感じ、癒やされていました)。
 上述の学習面以外にも、もちろんマイナス面はあります。人数が限られているため、合わない相手ともどうしても近い距離で過ごさなければなりません。それを相手と共に乗り越える素晴らしさはありますが、いろんな家庭がありますから、そうはいかないこともあるでしょう。
 肝心の娘ですが、入学まもなくして担任の先生に甘えてワガママを言う姿を見て、心底驚くとともに安心しました。その後は心配することもなく、あの大人しかった娘が児童会長として大勢の人前で話す経験も経て、無事卒業しました。
 同校での思い出が強く、長々と書いてしまいました(本当はまだまだ書ける)。繰り返すようですが、自分の思いや個性が尊重され、人との関わりのある場は、圧倒的な「ここに自分の居場所がある」感覚を与えてくれる場なのだと思います。その中で、子どもたちは安心して、自分の好奇心を探求できるのではないでしょうか。

■アメリカのフリースクールはどうだろう?
 さて、少し触れただけでほったらかしていたアメリカのフリースクールについてですが、実は小学校入学後に一度、見学の旅に行っています。娘の様子から、「この山の学校で安心して通えそうだ」と思いつつ、やはり娘を連れてアメリカに行ってみました。
 小学校を入学して1カ月後、担任の先生に相談して、娘と2人でカリフォルニアへ。西海岸を選んだのは、この地域の気候が本当に心地いいからでした(高校時代の留学先が極寒のニューヨーク州だったので……)。
 まず訪れたのは、ロサンゼルスの北西方向にあるサン・ルイス・オビスポという町のManzanita School。「進歩主義教育」(子どもの自発性を重視し、集団で協力しながら経験を通して学ぶ考え方)という信念に基づいて、子どもたちが学び創り出す力や意欲を育て、地域との関わりを大切するスクールです。
 当時は1クラス10~20人ほど。5~12歳の子どもたちを受け入れていて、言語、アート、算数を中心に子どもたち主導でプロジェクトを組んで学んでいるとのことでした。畑に囲まれたのどかな場所にあり、スクール自体も落ち着いた雰囲気。教室内に子どもたちの絵がたくさん掲げられていたのが印象的でした。プロジェクト自体は子ども主導ながらも、1日のスケジュールは決められているようでした。
 次に訪れたのが、先ほどよりもう少しロサンゼルス寄りにあるオーハイという町のOak Grove School。こちらも進歩主義教育を基に、幼児から高校生までの子どもたちを受け入れているスクールです。子どもの探究心をベースに、競争しない学習形式を取っているとのことでした。小学校は1クラス15人ほどの少人数制で、音楽や演劇、科学などを専門とするスタッフがいる、読書環境が整えられているなどが特徴的でした(注1)。
 サマーヒル・スクールなど、私が10代の時に衝撃を受けたデモクラティックスクールも進歩主義教育の1つのようです。しかしこの時に訪れた2校はどちらも、デモクラティックスクールよりは普通の学校に近い機能を果たしつつ、「子ども主体」と「探究心」という強い教育理念で運営されている印象でした。芸術活動も大切にされていました。
 印象的なアメリカ旅行でしたし、娘もそれなりに楽しんでいるようでした。ですが、日本の「山の学校」も、そこでの娘の姿もとても印象的でした。アメリカに引っ越す際のハードルも鑑みた結果、そのまま日本の学校に通うことにした次第です。

■今回のあとがき
 当初は全6回で終える予定だったのが、書いてみると(つい熱くなって)長くなってしまい、連載を延ばしていただくことにしました(無計画ですみません……)。
 次回は、今では成人した我が子の学びについてもう少し書かせていただいて、いろんな学びの選択肢や日本の学校教育について考え、今度こそ締めくくりたいと思います。

注1:Oak Grove School(参照2024-1-13)
https://oakgroveschool.org/

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伊藤 史織
〈プロフィール〉
バベル翻訳大学院講師、英日出版・映像翻訳者。高等学校時代にアメリカに1年留学後、同国のフリースクールを卒業。関西外国語大学卒業後はバベル翻訳大学院に入学し、修了後にフリーランスの翻訳者として活動を開始。映像翻訳ではファンタジー系からドキュメンタリーまで幅広いジャンルの映画・映像の字幕翻訳に携わる。出版翻訳の訳書には『ウイルス、パンデミック、そして免疫』、『絵でわかる建物の歴史』などがある。