ドイツ語書籍レポート
Wolf Haas(ヴォルフ・ハース) のすすめ 篠田珠(日本翻訳協会 ドイツ語翻訳能力検定2級)
邦訳が未だ1作品「Komm, süßer Tod」(「きたれ、甘き死よ」2001年 水声社 福本義憲訳)と、残念ながら日本ではあまり知られていませんが、ヴォルフ・ハースはドイツ語圏を代表する現代作家の一人です。1960年オーストリア、ザルツブルク州出身で、1996年に推理小説「Auferstehung der Toten (死者の復活) 」(探偵ブレンナーシリーズ1) でデビューして以降30年にわたり、推理小説10作品(うち探偵シリーズ9作品) 、一般小説5作品、児童書1作品を発表しています。
ハースがデビュー作から2003年までに発表した7作品は、すべて推理小説。そのうち6作品が探偵ブレンナーシリーズです。本シリーズでドイツ推理小説賞を3度(1997年3位、1999年1位、2000年2位) 受賞しています。シモン・ブレンナーという中年の元警官が主人公。自分の感想を言うなど物語に口をはさむ毒舌の語り手(登場人物ではない)が、事件の顛末を語ります。まるで酒場で知人に語って聞かせる様子をそのまま文字に起こしたような、臨場感あふれる文章です。この独特の文章スタイルが人気となり、作品は次々ベストセラー、うち4作品が映画化されています。全編口語体のくだけた文章を書いているのが言語学の博士号を持つ人物だと分かって読むと、面白さも増します。また、前職がコピーライターだったハースは、言葉遊び/選びの巧みさに長けています。しかし、独特の文体、ブラックユーモア、グロテスクというシリーズ作品は読者の好みも大きく分かれます。その上、ドイツ語圏(特にオーストリアドイツ語) の文化に通じた読者以外は理解、共感が難しそうな皮肉や冗談が頻繁に登場し、それゆえ邦訳も1作品に留まっています。
2003年、ブレンナーシリーズ第6作「das ewige Leben(永遠の命) 」発表の際、ハースはブレンナーシリーズの完結と執筆ジャンルの変更を宣言しています。
そうして 2006年に発表したのが「Das Wetter vor 15 Jahren(15年前の天気)」。この作品はドイツ、ウィヘルム・ラーベ文学賞を受賞。小説家(ハース)が新作「15年前の天気」についてインタビューを受けるという形で始まりますが、終わりまでインタビューのみ。どこを探しても小説は出てこない。戯曲なのか。これが小説か、と戸惑いながら読者は読み進めることになるのですが、次第に会話の後ろにある本来の小説の内容が見えてくる不思議。ハースのアイデアには感心します。ただ、物語の中心部分にドイツのテレビ番組が登場するため、番組を知らない読者には理解が困難な箇所もあります。冒険的なスタイルを好まない読者には、合わないかもしれません。
ジャンル変更を宣言したものの、数年間推理小説と距離を置いた後、再びブレンナー作品を書く意欲が出たようで、2009年「Der Brenner und der lieben Gott(ブレンナーと親愛なる神)」で続編を発表。その後も2014年「Brennerova(ブレンナロヴァ)」、2022年に発表した「Müll(ゴミ)」もベストセラー1位を獲得し、依然高い人気を保っています。
2012年の小説は「Verteidigung der Missionarsstellung(正常位を守る) 」。ロンドンではBSE、中国では鳥インフルエンザ、そしてアメリカで豚インフルエンザ(H1N1) 感染する男の話。物語の設定もさることながら、3ページにわたる中国語の文章、「斜め読み」の文字どおり、斜めに印刷された文章、ペイズリー柄を思わせる曲線の文、極小/極大フォントの文字など、視覚でも読者を楽しませる(あるいは翻弄する?)個性的な作品です。本作品は、ブレーメン市文学賞を受賞しています。2018年は「Junger Mann(青年) 」を発表。1970年代初め、ガソリンスタンドでアルバイトする13歳の肥満体形の少年が10歳年上の女性に恋をし、ダイエットを決行する物語。自伝的要素を取り入れた小説です。2023年には、懸命に働き、貯蓄に勤しんだにもかかわらず、持ち家(所有物)取得の夢は叶わず、人生最後に唯一手に入れた所有物は墓だった実母の生涯について書いた「Eigentum(所有物)」を発表。ユーモアあふれる文章の端々に、母への敬愛が伝わってくる作品です。
2024年、ハースはエーリッヒ・ケストナー文学賞受賞。上に挙げた以外にも、これまで多くの受賞歴があります。
さて、2025年に出版された最新作「Wackelkontakt」は、ユーモアと仕掛けが満載の小説。地域/ドイツ語限定の冗談があるものの、邦訳しても面白さが伝わると思います。ちょっと変わった小説を読みたい人たちに、ぜひお勧めしたい小説です。ドイツ語圏では高い評価を得ています。タイトル「Wackelkontakt」は直訳すると接触不良という意味ですが、物語の内容と関係しています。
物語は、フランツ・エッシャーという男が自宅コンセントの接触不良を修理してもらうため、電気工を待っているところから始まります。彼は、19歳の誕生日にジグソーパズルをもらって以来パズルオタクになり、電気工が来るまで500ピースのパズル(葛飾北斎の神奈川沖浪裏“The Great Wave off Kanagawa“)をしながら待つのですが、パズルが完成してもまだ電気工は現れません。そこでマフィアオタクでもあるエッシャーは、収集本の中からマフィアの小説を読み始めます。イタリアの刑務所で服役中のエリオ・ロッソという若者は、マフィアの内部情報を検察に渡す代償として釈放後の新しい身分を約束され、釈放を待つ身。釈放後の復讐におびえつつも、同房の麻薬中毒者にドイツ語を学び、彼からもらったドイツ語の小説を暇つぶしに読み始めます。それはフランツ・エッシャーという男が電気工を待っているという話だった。
こうしてエッシャーが読むロッソの物語と、ロッソが読むエッシャーの物語が交互に進んで行きます。証人保護プログラムによりマルコ・シュタイナーという名で新しい人生を始めるロッソと、葬儀司会業を生業とするエッシャーの人生は何処かで交わるのだろうか。結末には最初、拍子抜けした気分になるかもしれませんが、読み返すとあちこちにちりばめられた仕掛けや言葉遊び、そして「接触不良/繋がりにくい」ものを発見し、物語の面白さに納得します。その一つがオランダの画家マウリッツ・エッシャーの作品「Drawing Hands(描く手)」。右手と左手がお互いの手を描く絵です。これは主人公エッシャーが19歳の誕生日にもらった最初のパズルであり、かつ小説の内容を象徴しているのです。主人公の「エッシャー」という名前もここからきているのでしょう。
ぜひ邦訳してほしい作品です。ヴォルフ・ハースの面白さを、ぜひ多くの人々に知ってもらいたいと思います。
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しのだ たま ドイツ語翻訳能力検定2級
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