世界各地に勤務して、いろいろな仕事に携わってきたことは、本シリーズで何度か取り上げました。そうした仕事のなかに、地味で目につきにくいながら大切な職務がありました。人事関係の仕事です。人事管理には、給与や福利厚生、教育訓練などと並んで職員の採用という業務があります。海外でも地域の本部や本店の場合、然るべき現地の斡旋機関をとおして人材を募集していましたが、支店の場合は独自のルートで人材を集め、面接して採用を決めていました。その典型は、現地従業員の紹介、斡旋による採用です。いわば、口コミによる人材採用です。
こうした現地人の採用や人事管理に当たっては、まず言葉の問題が立ちはだかりました。中米のパナマに勤務していた頃のことです。人材は人事担当の現地人幹部が集めてくれましたが、応募してくるのは大体、ヨーロッパ系と先住民や黒人との混血で、メスティーソやムラートと呼ばれる若い男女でした。彼らは英語を理解し、それなりに話せました。パナマと米国との親密な関係に鑑み、英語は国民の間にかなり普及していたからです。しかし、一歩街に出ると、そこはスペイン語の世界でした。応募してきた若者たちも、英語力はまちまちで、基本的にはスペイン語でのコミュニケーションを望んでいるようでした。それで私も面接や簡単なスピーチ、ちょっとした日常会話などはスペイン語でできるように勉強しました。母国語であるスペイン語での意思疎通が、緊密な人間関係を生み出すのに欠かせなかったからです。
長期出張で在勤したトルコでの経験は少し違っていました。現地の会計事務所にデスクを借り、その職員の中から英語を理解する人材を何人か紹介してもらったのです。皆仕事熱心で、例えば、財務諸表の分析評価などの仕事をてきぱきとこなしてくれました。ある米銀支店の幹部は、トルコ人は優秀で、特に若者たちが勤勉だと語り、トルコに進出し成功しているのは、一つには彼らのお陰だ、などと述懐していました。トルコは伝統的には欧州、とりわけドイツと関係が深かったのですが、第2次世界大戦後は米国との関係が強くなり、率先して英語を学び、話す人が増えたようです。その英語も、なまりが少ないように感じられました。
韓国での体験も一味違っていました。言葉の問題がなかったのです。応募してくる男女の若者たちは皆、日本語を理解し話せたからです。日系企業は給与や退職金などの福利厚生の待遇が抜群によく、多くの若者が日系企業への就職を目指して日本語を勉強していたのです。こちらは母国語で仕事ができ、世界を闊歩する英語国民のような気分になりました。しかし、こうした見方は実態の一面でしかなかったようでした。現地人の幹部職員が、そっと耳打ちしてくれた話によると、従業員の大半は親戚縁者に日系企業で働いていることを隠しているというのです。親戚縁者は勿論のこと、場合によっては親にも言えない、恥ずべき行為だからだというのです。こうした考え方が今も続いているかは定かでありませんが、反日感情が強かった40年近い前の韓国社会では当たり前のことだったようです。日系企業の給与その他の待遇が良かったのは、恥を忍んで働いてもらうためのインセンティブであり、そのために支払うプレミアムのようなものだったのです。そして英語国民的気分を味わった代償だったかもしれません。
全く違っていたのは、移民国家、米国のニューヨークでの経験です。本シリーズで、ウォルドーフ・アストリア・ホテル内のオフィスに勤務した経験を記しましたが、この店でも職員の採用を担当していました。ニューヨークは、世界中の人種、宗教、国籍の人たちが集まる、まさに人種のるつぼでした。米人幹部が必要に応じて人材を募集すると、様々な人たちが応募してきました。アイルランド、ユダヤ、イタリア、メキシコ、ドイツ、ギリシャ系の人々、そして日系人など多種多様でしたが、一つ共通していたのは、言葉はすべて英語でよかったことです。ただし、そうした多様な人材の採用を業務への適性を考えながら進める必要がありました。例えば、一般的には、イタリア系、メキシコ系などの人は明るく大らかで営業には向くが、緻密で厳密な業務にはあまり向かない、そうした仕事にはユダヤ系やドイツ系に適性がある、警備員には大柄な人物が多いアイルランド系やアフリカ系が向く、などの見方を参考にして人選を進めていました。
その意味で、ウオルドーフ・アストリアの支店は米国の縮図でした。いや、世界の極小・縮図だったと言えます。小さい店ながら、世界の様々な人たちが働く、人種の「るつぼ」だったのです。世界の人材を集め、それぞれの長所や独自の力を発揮させ、競争させながら、店全体としての業績拡大に結び付ける、それが仕事でした。重要だったのは、激しく競争しながらも、人種、宗教、国籍を超えて皆仲良く仕事をしてもらうことでした。そして、それは自然に、実に自然に実現できていたのです。確かに彼らは、異なった文化的背景で育ち、食べ物も異なり、仲間同士では母国語で話し合ったりしていましたが、狭い店の中でお互いを尊重しながら平和に平安に共存していたのです。往時を振り返ると、今なお戦乱に覆われる世界の現状が残念でなりません。
前田 高昭
金融 翻訳 ジャーナリスト
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教授
現在、The Professional Translatorのコラムに『英文メディアで読む』と『東アジア・ニュースレター』を毎月寄稿。
