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フリースクールのススメ ― すべての子どもが幸せに学べる場とは? 第 5 回

知求図書館 10月22日号WEB雑誌「今月の知恵」コラム

やや期間が空いてしまいましたが、前回はついに「旅の学校」で訪ねた先を振り返りながら、フリースクール(特にデモクラティックスクール)についてお話ししました。さて様々なフリースクールでの学びを目の当たりにした私は、自分自身もフリースクールに入学します。第 5 回では、実際にアメリカのフリースクールで学んだ経験、そしてその後の学び方がどのように変わったかを見ていきたいと思います。

■ アメリカのフリースクールへの編入学
約 1 年間に及ぶアメリカ滞在は、公立高等学校への留学の枠を超え、まさに多様で濃厚な経験の日々でした。日本に帰国した私は、もう元の高等学校に戻る気はありません。アメリカのフリースクールに行こうと決意していました。
日本人の私にとって大切なことは、留学ビザを発行してもらえるか、費用はいくらかかるか。留学ビザを発行してもらえないと長期間アメリカに滞在できませんし、良心的な費用で運営されているフリースクールがほとんどとはいえ、公立学校と比べるとどうしても費用はかさみます。また、第 4 回を読んでいただくと分かるとおり、フリースクールといっても運営方法も方針も様々です。
いろいろと調べるなか、いくつかのスクールに実際にアプローチしました。そのなかでも「旅の学校」で訪れた Clonlara School には日本人スタッフがおられて、日本にいながら通信制で単位を取得できることが分かりました。そうです、アメリカのフリース
クールでは高等学校卒業の資格を得られるのです(要件を満たす必要はあります)。
現在では場合によっては日本でも、フリースクールに通うことで、籍を置く普通校の出席扱いにできるようです。ですが、やはりフリースクールのみでは高等学校卒業の資格は得られないようです(通信制高等学校などを併用すると可能)(注 1)。
Clonlara School と話を進めると、私が通った日本の高等学校 1 年間の単位、留学先の高等学校半年間の単位も認めてもらえることが分かりました(実際の在籍期間はそれぞれもう少し長いのですが、単位取得の区切りの期間です)。通信制ですので、費用としても一番安い方法でした。こういった経緯から、Clonlara School への編入学を決め、同スクールでの学習が始まります。

Clonlara School は Pat Montgomery 氏が 1967 年に創設したスクールです。
Pat さんは公立学校の教員だったそうですが、育児をするなかで、学校は子どもたちの自然な学びと成長に寄り添った場ではないと感じ、自身で同スクールをスタートさせました。子どもたちがそれぞれのペースで、それぞれの必要性や興味に合わせて学べるスクールです。Pat さんもやはり、第 4 回でご紹介したサマーヒル・スクールに影響を受けていました(注 2)。

■ Clonlara School での学びとは
さて私は、実際にフリースクールに入学して、どんな学習をしたでしょう。日本人スタッフがおられたため、アメリカのスクールではありますが、学習自体はすべて日本語で行えました。現在のようにインターネット環境がまだ整っていませんでしたから、やり取りはすべて郵送です。これまでに取得した単位は認めてもらえるため、私の目標は基本的に、高等学校の卒業資格に必要となる残りの単位取得ということになりました。教科ごとに必要な学習時間が決まっているため、その時間分の学習をします。通信制なのでどちらにしても出席日数は関係ありませんが、教科書などもありません。
ここで、「旅の学校」以来のショックを受けます。何を勉強して学習時間とするかは、すべて自分次第だったのです。Clonlara には毎月、学習した合計時間を報告します。勉強内容は報告しなくて構いません。ただ合計時間を報告するのです。つまり、いくらでもウソはつける、ということです。私は当然その事実に気づきますが、同時に、ウソの報告をするということは、自分に対する偽りなのだと痛感します。楽して卒業しようと思えば、いくらでもできる。でもそれが本当に自分のためになるのか。誰のための学習なのか。誰のための卒業資格なのか。いろんなフリースクールを見学して回ってもなお、とんでもないショックでした。管理されない環境だからこそ、学びとは自分のために他ならないのだと実感した経験でした。
学習した合計時間の報告以外にも、何かレポートを毎月 1 枚ほど送るのですが、内容はやはり何でも構いません。理科や社会に関連するようなテレビの特集番組を自分なりにまとめ、よく送っていたように思います。
毎日毎日通学するわけではありませんから、自分のやりたいことにチャレンジする時間もたくさんありました。バイトもしていましたが、オーガニックのケーキや焼き菓子を作りだめして、近所のお寺で開催されていた手作り市に毎月出店していました(当時はのどかな手作り市だったのが、今では他県からバスツアーが来るほど人気)。
Clonlara での卒業レポートではその手作り市の店やお客さんの動向を調査してまとめて提出。編入学から 1 年後、無事に卒業します。同スクールでの経験によって、学びの種は自分の生活のなかにたくさん転がっている、何を学びとしてそこから成長するかは自分次第、ということも体感しました。

■ フリースクール卒業後の学びパワー
Clonlara での経験で、私の生き方や意識は、がらっと変わりました。同スクールを卒業して数カ月後、私は日本の大学受験を決めます。小学校の時にちらりと抱いた夢、通訳になるためです。中学校の英語の授業ですっかり諦めていましたが、アメリカ留学でまた再燃したのでした。
日本の高等学校はとっくに中退していましたから、大学選び、受験方法の確認(アメリカの高等学校卒業なので若干ややこしい。しかも帰国子女ではない)、受験勉強、すべて 1 人で行いました。それが当然といえば当然ですが、インターネット環境の整っていない当時では、自分のレベル、各大学のレベル、受験テクニック(冷静に考えると変な話です)といった情報が乏しい状況だったなと今になって思います。受験テクニックへの不安から、予備校の冬期講習だけは数週間受けました。
周りから見れば、不登校でフラフラしていたように見えたと思いますが、「勉強とは自分のため」ということを実感した経験は何より強いものです。自分がやりたいことのために決断して勉強するパワーも何よりも強いものです。日本の高等学校に通ったのは 1 年と少し、その短い期間の学習内容もほぼ忘れ去っていましたが、半年間の受験勉強で志望大学にすべて合格しました(幸い受験科目も少なかった)。短期大学も4年制大学も受験したのですが、後から聞いた話では、教員である母は「短期大学すら受からないだろう」と思っていたようです。
大学受験にあたって Clonlara School の成績証明書が必要になりましたが、その評価も私自身の自己評価を基に作成されました。元教員としては、自己評価では公平性が保たれないのではないかと、ついつい案じてしまいます(私の大学受験で成績が加味されたわけではありませんが。じゃあなぜ必要だったのだろう……)。ただ、試験などで能力を測ったところで、実際に身に付いたかどうかを実感できるのは本人だけかもしれません。教員が客観的に評価することも意味があるでしょうが、個々の学びや成長をどこまで実際に測れるでしょうか。本来「学び」とは「知りたい」という内なる思いから生まれるものだと考えると、他人の物差しによる評価がどれだけ重要でしょうか(力が付いたことを認められ褒められるのは自信になりますし、うれしいですけどネ)。大学受験で成績証明書が必要になるまで、Clonlara では成績評価を一度も受けませんでした。

■ 余談(?):大学生活とその後
晴れて大学生になった私は、懸命に英語を勉強(というより、英語で哲学や歴史学や倫理学などを学んだ)し、愉快な友達と大学生活を存分に謳歌しつつ、結婚・出産します。突拍子もない話ですが、「できちゃった婚」ではなく、「なぜ学生だからって結婚・出産しちゃいけないの?」という考えから無謀にも意図して結婚・妊娠したのでした(別に卒業してからでいいじゃないか、と今では思いますが)。外国人の教授も多かったので、それぞれに勉強方法(メールでレポート提出など)を相談して、出産前後の数カ月だけ自宅学習をさせてもらい、休学することなく出産・育児をしながら勉強を続け、卒業しました。ある講義では、生後数カ月の娘と一緒に出席したことも(ハワイアンの教授に「連れておいでよ~」と言っていただいた)。
通訳の夢ですが、さすがに育児をしながら通訳学校への通学はかないませんでした。代わりに自宅で学べる翻訳の学習を始めると、その面白さと自分の適性に気づき、体系的に学ぶべくバベル翻訳大学院に入学します。その後の翻訳者としての生活は、仕事自体が学びの連続です。フリースクールとその後の大学ですっかり勉強
好きになってしまった私にとっては、たまらない仕事ですね。
一時は教員を目指し、30 代後半で母校の大学に戻って、若者に混ざって科目等履修生として勉強しました。これも、「何歳になっても勉強していい。大学は、若者だけが学ぶ場である必要はない」という思いからでした。私への対応に戸惑う教授もいましたが(講義で私だけ当てなかったり……)、大半の教授は、母親でもある私の話をうまく引き出すなど、教職課程を履修する若者たちにも私にも実のある講義をしてくださいました。多様な人々から成る学びの場は、それだけ豊かな場です。
年齢を重ねた学生は、日本でも決して少なくはないのではないかと思います。私が若者学生だった頃にも、ママさん学生や、おじいちゃん学生がおられました。大学だけが学びの場ではありませんが、費用面を含め、何歳になっても気軽に学べる機会や場所があるといいですね(私が出産・育児をしながら大学や大学院で学べたのは、周りの支えがあったからこそです)。

■ 不登校児童・生徒に責任感は育つのか
私のようにお気楽に学校を休んでいた子どもに対して、「責任感をもって仕事ができるのだろうか。社会でやっていけるのだろうか」と疑問に思われる方がおられるかもしれません(母はちょっぴり心配していたようです)。私の場合、仕事への責任感は、学校への出席とは全く関係がありませんでした。バイトや仕事などを休んだこと、納期に遅れたことはほぼありません。「責任」が伴うと違うのでしょうね。人前に立つことも苦手ではありませんし、人と関わるのはむしろ好きです。
もしかするとこれは、不登校だった自分に何の引け目も感じていないことも大きいかもしれません。学校でうまくやれたかどうかなんて、自分の価値とは何も関係ない、と感じているからかもしれません。すべて自分らしく生きるために必要な選択だった、そうした選択肢が得られて良かった。そう思っています。


■ 今回のあとがき
長らくお付き合いいただいた私の「学び」について、おおかた書き終えることができました。私が卒業した Clonlara School ですが、現在は日本語対応不可のようです(6 カ国語には対応しているようです)。今はオンラインコースを通じて 70 カ国以上に生徒がいるようですね(注 3)。また、私の体験談として記している内容はすべて当時のものですので、現在では変更されているものがあると思います(国としての卒業要件が変更された可能性も)。その点についてご了承いただき、フリースクールの概念として受け止めていただけますと幸いです。
次回は、こうした経験をしたうえで親として我が子の学びをどう考えたか、どういった学びの選択肢があるのかなどを考えていけたらと思っています。

注 1:NPO 法人フリースクール全国ネットワーク “不登校・フリースクール情報”
https://freeschoolnetwork.jp/information(参照 2023-10-13)

注 2:Clonlara School “History”
https://clonlara.org/history/(参照 2023-10-13)

注 3:Clonlara School
https://clonlara.org/(参照 2023-10-13)


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