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日々、目に入ってくる広告・書評・SNSなどを通して、私たちの身の回りには、翻訳された作品がいかに多く出回っているかを痛感することがあります。出版社の中には、翻訳作品を企画の中心にしているところさえあるくらいです。日本翻訳協会の堀田代表理事は、「日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を創ってきました。」と、この背景を端的に述べています。

 明治期以降の日本が翻訳で身を立て翻訳立国となった影には、多くの翻訳家(者)たちの存在がありました。しかし、翻訳作業で功績が称えられるのは一握りの人だけで、翻訳作品が脚光を浴びる、翻訳者が別の仕事で有名になる時ぐらいなものでしょう。たとえ翻訳作品が脚光を浴びても、残念ながら、翻訳者が広く世間に知られることはまれです。まるで翻訳者が黒子に徹することを望んでいて、読者や関係者がそっとしておいてあげているかのようでもあります。

 私の専門分野である異文化コミュニケーション研究は、当初、国を単位としたコミュニケーション研究が盛んでしたが、異文化のとらえ方が多様・微細化し、今では、個人としての文化も叫ばれるようになっています。国を構成しているのは様々な考えを持った個人であって、最終的には、個人一人ひとりと合って対話しなければ文化は理解できず、その点で、対話は個人にとっての責務とも考えられるほどです。

高度な異言語コミュニケーションである翻訳にも同じことが言え、これまでは国が恩恵を被ってきたという文脈で翻訳が扱われてきましたが、これからは、翻訳作業で得た世界の先端知識を、個々の翻訳者がどのように翻訳以外の形で世に還元するかが問われる時代になってきています。それには、まず書くこと。翻訳作業を通してこなした膨大なリサーチ結果を、今度は自分のことばで改めてまとめて発表する。これは、もはや、趣味ではなく、翻訳者の責務だと考えています。

 『ハリーポッター』の翻訳で知られる松岡祐子さんがそうであったように、翻訳本を発掘・提案・翻訳・出版する、という翻訳に関する作業に関して、翻訳者の役割はかなり多様化してきました。今だからこそ、さらに翻訳者のキャリアの幅を広げるという利己的な目的に決してとどまらず、翻訳作業を通して培った知識とライティングのセンスを活かして、それを世に広めることは翻訳者にとっての使命ではないでしょうか。翻訳は利己的であると同時に、他己的にもなりえるのです。

 拙宅近くの書店にて、『さみしい夜にはペンを持て』(古賀史健著、ポプラ社)というタイトルの書籍を偶然に目にし、「やられた!」と声を思わず漏らしてしまいました。翻訳者を目指す方々、すでに翻訳を生業としている方々、異文化に新たに誰よりも真っ先に触れた後には、必ずやペンを持って書いていただきたい。かなり二番煎じになってしまいますが、「訳した後にはペンを持て」を合言葉に、これまで国をも潤してきた翻訳で得られる先端知識を、これからは、翻訳者一人ひとりが自分ならではのスタイルで、自分ならではのライティングで、「自分の声で自分の歌を」唄っていこうではありませんか!

 私が、専務理事を務める、日本翻訳協会でも、来年に向けて、翻訳者に書いてもらう環境づくり、この機運を盛り上げる様々な企画を用意しているようなので、楽しみにしてください。

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小坂貴志略歴
一般社団法人日本翻訳協会専務理事、東京国際大学教授。
日本アイ・ビー・エム株式会社にSEとして勤務、米国モントレー国際大学院大学翻訳通訳研究科で翻訳を約10年、米国バベル翻訳専門職大学院で異文化コミュニケーションを約20年講ずる。立教大学、神田外語大学で異文化コミュニケーション、翻訳等を講じ、現在は東京国際大学教授。著書は近著「ノンフィクションライティング概要篇」(バベルプレス刊)をはじめ、異文化コミュニケーション、翻訳、ビジネスコミュニケーションに関する様々な著作で50作を越える。
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