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今月の知恵<This month's Wisdom>

数秘術(ヌメロロジー)について

知求図書館 7月7日号WEB雑誌「今月の知恵」コラム

作者:おかむら ともほか(ペンネーム)


 みなさんは数秘術という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?数秘術は占いの一つですが、最近では芸能人等でこの占いに魅了される人も増えており、テレビ等でも紹介されるなど、その存在が知られるようになってきています。数秘術という言葉は国語辞典を引いても説明はありませんが、「秘術」という言葉については広辞苑に記載があり、「秘して人に表さない術、奥の手」とあります。また、海外では「ヌメロロジー(Numerology)」と呼ばれていますが、この言葉は1907年にアメリカ人で当時流行していたキリスト教のニューソート(新思考)という霊性運動の教師だったジュリア・セトン医学博士が数(number)と論理(logic)という二つの言葉を組み合わせて作った造語で、最近ようやく英辞書にも登場するようになってきました。今後、日本でもこの数秘術が一般的になってくれば、日本でも国語辞典に登場する日が来るのかもしれません。

さて、ウィキペディアによりますと数秘術(ヌメロロジー)とは、西洋占星術や易学等と並ぶ占術の一つであり、その創始者はピタゴラスであるとあります。実際のところを申し上げますと、ピタゴラスは数秘術を自ら創ったのでは無く、現在のイラクに位置する古代メソポタミアの南東部に住んでいたカルデア人から学び、その内容は、音声(音節)と数の神秘性の法則を解き明かしたものでした。ピタゴラスは晩年になるとイタリアで学校を作り、哲学や数学などと共に数秘術も教えました。しかし、数秘術は的中率があまりにも高かったため、地域住民にピタゴラスは恐れられた結果、数秘術の記録は彼の死後全て焼かれてしまいました。

ピタゴラスの死後50年程が経過した頃、数学者のフィロラオスはピタゴラスから直接教えを受けた教師らから数秘術を学び、これをピタゴラス式数秘術として普及させました。このピタゴラス式は次第に各地へと普及していきましたが、ピタゴラスの死後400年程が経ったころローマ・アングロサクソンのアルファベットが生まれたことによって、音声(音節)をベースとしたものからアルファベットをベースとしたものに変容した結果、本来の音声と数の神秘的な法則が損なわれ、正確性を欠くものになりました。それでも、ピタゴラスという偉大な数学者が持つネームバリューの強さから、2500年経過した現在でも数秘術といえばピタゴラス式と認知されています。

数秘術の底辺にある考え方は西洋占星術と似ています。太陽系の惑星が私たちの運命を左右していると考える西洋占星術と同様に、数秘術でも数が私たちの運命を支配し、人生の目的を定めていると考えます。具体的には、誕生日と法的に登録された姓名は1~9までの数のいずれかに一致するという考え方を基本とします。数秘術には既述のカルデア式、ピタゴラス式、そしてユダヤのカバラ式があります。その中でもカルデア式が最も的中率、精度が高く、またそれがゆえに最も秘密にされてきた方法でもあります。歴史的にも、あまりの精度の高さに人々が恐れた結果、ピタゴラスが残した記録が焼かれてしまったように、この方法を知る人々は迫害されてきました。しかしながら、カルデア式数秘術は、人の運命や目的を明らかにすることだけにとどまらず、企業や商品の命運、あるいは株価や選挙結果の予測などにも応用が可能であり、その的中率・精度は非常に高いものですが、カルデア式以外の二つの他方式(ピタゴラス式、カバラ式)では、このような精度を持ち得ていません。

ここで、潜在的に大きな可能性を秘めているカルデア式数秘術の歴史的背景について触れたいと思います。しかし、実はいつどのようにして生まれたのか、確か記録はなく、ギリシャ神話や伝説しか残っていません。その中でも最も有名なものとしては、紀元前750年頃の古代イランの時代に、ギリシャ神話で有名な蛇頭の怪物であるメデューサの首を切った英雄ペルセウスに関する逸話があります。ペルセウスにはペルセースという息子がいたのですが、この息子は子供のころ、自分の名前をひどく嫌い名前を変えたいと訴えていました。大人になると、ギリシャ神話における淡水、知恵、呪法、創造の神であるエンキ(ポセイドンとも呼ぶ)がペルセウスのところにやってきて、息子の名前をアケメネスに変えなさいと伝えに来たため、これに従いペルセウスは息子の名前を変更しました。この名前の変更はカルデア式数秘術を使って名前を変更した世界最古の例といわれており、その結果、息子アケメネスはカリスマ性と知性を帯びた大変人気のある人物となった結果、初代アケメネス朝ペルシアの王となりました。

初代アケメネス朝ペルシアの王となったアケメネスは大変柔軟性のある考え方を持っていました。彼は良い考え、良い行いをしているのであれば、どんな人間でも王朝へ入ることを許しました。そこには宗教や言論の制限はなく、公に王を批判することさえも許しました。このような統治方法をとったことからアケメネスは民衆から大変な支持を受けました。この王朝は長い間続き、紀元前550年ごろの王だったダレイオス1世の時代には35もの国を統治する帝国となりました。この時代、アケメネス朝ペルシアの支配下にあったエジプトでは数秘術の力を恐れて、子供の本当の名前(登記された正式な名前)は親以外の人間がアクセスすることができないようにしていました。
アケメネス朝ペルシアは10世代後のダレイオス3世(紀元前330年)まで続きましたが、ギリシャ神話における淡水、知恵、呪法、創造の神であるエンキの弟で邪悪なエンリルがダレイオス3世に歩み寄り、より良い国にするためと偽って国の名前を改悪させてしまいました。その結果、マセドニア朝のアレクサンドロスに侵略され滅びました。アレクサンドロスはアケメネス朝ペルシアを壊滅させ、図書館や大学なども完全に破壊しため、ここでも数秘術に関する書物は消え去ってしまいました。また、アレクサンドロスの恐怖政治から逃れるため多くの人がインドに逃げ、彼らは後にパールシー(Parsis)と呼ばれました。この時、数秘術の知恵は人々と一緒にインドへと渡ったものの、戦争の最中での出来事であったため秘密裏にせねばならず、口頭による伝達であったことから結果的には部分的に内容が失われてしまいました。

近代に入り、1800年代にイギリス人で手相占いの元祖として知られるキロ(Cheiro)がインドに渡りパールシーからカルデア式数秘術の教えを受けて、数の本(Book of Numbers)という本を出版し、これがカルデア式数秘術に関する最初の書籍となりました。その後、この本をベースに内容を充実させた本が複数出版されています。こうしてカルデア式数秘術に関する情報量は増加傾向にあるものの、これまで出版されている書籍に記載されている内容だけでは、カルデア式数秘術を完全に網羅することはできないというのも事実であります。

以上、今回は数秘術の概要や歴史的背景を中心にご紹介させて頂きました。次回は数秘術が持つ力や方式による違いなどついてより詳しくお伝えしたいと思います。お読みいただきありがとうございました。

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【著者プロフィール】
おかむら ともほか(ペンネーム)
静岡県生まれ。会社員の傍ら、産業カウンセラーとして、占術を用いたトランスパーソナル心理学的なアプローチによる助言方法を研究。慶応義塾大学大学院卒、フランス・ISM国際経営大学院Ph.D.候補生。