シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』所収「The Untold Lie(語られなかった嘘)」を原典とする古典核新訳。人生の岐路に立つ若者と、自らの過去の選択を抱える年長者。その関係を、閉館を迎える小劇場へ移しました。二十八年間、舞台を照らしてきた三浦は、東京行きに迷う若い俳優・瀬尾に何を伝えるのか。後悔と選択が交差する、最後の一夜の物語です。

最後の公演だというのに、二十四番の灯体は朝から機嫌が悪かった。
三浦慎吾は脚立に上り、コネクターを差し直した。点灯すると、舞台の右手に白い光が落ちた。床に貼った黄色い十字から、少しずれている。
「あと五センチ、下」
舞台からスタッフが言った。
三浦は灯体の向きをわずかに下げた。
光の縁が十字を包んだ。
「そこ」
三浦は脚立を下りた。
北町スタジオは、倉庫を改装した百席ほどの劇場だった。天井は低く、楽屋は二つしかない。夏は暑く、冬は隙間風が入った。来月には建物の賃貸契約が切れる。二十八年間続いた劇場は、今夜の公演を最後に閉館する。
通路には、閉館後に運び出す機材を詰めた段ボール箱が並んでいた。三浦はその間を抜け、客席後方の照明ブースへ戻った。
照明卓のフェーダーを一つずつ動かす。舞台の中央に白い円が浮かび、消えた。
「三浦さん」
振り返ると、瀬尾亮がブースの入口に立っていた。衣装にはまだ着替えていない。稽古着のポケットから、四つ折りにした紙がのぞいていた。
「どうした」
「この前の倉庫、電気が三十アンペアしかないそうです」
「それじゃ照明は組めない」
「やっぱり、引き直さないと無理ですか」
「客を入れるつもりならな」
瀬尾はポケットの紙を押し込んだ。閉館後、若い俳優たちは別の場所に稽古場を借り、自分たちで公演を続けようとしていた。紙は候補になっている倉庫の間取り図らしい。
「もう一つ、聞きたいことがあって」
「まだあるのか」
「東京の巡演のこと、明日までに返事しないといけないんです」
その話は三浦も聞いていた。東京の制作会社が手がける商業演劇で、一年間、全国を回る。瀬尾にとっては、これまででいちばん大きな仕事だった。
「行けばいいじゃないか」
「でも、新しい劇団の話もあるんです。僕が抜けると、倉庫を借りる話も止まりそうで」
「おまえ一人いなくても、何とかなる」
「三浦さんなら、どっちにしますか」
三浦の手がフェーダーの上で止まった。
舞台では、スタッフが立ち位置を示すテープを貼っていた。
「本番前に聞く話か」
「終わったら、みんなばらばらになるでしょう」
「自分で決めろ」
瀬尾は三浦を見ていたが、やがて「はい」と言って楽屋へ戻った。
開場十分前、客席の扉が開いた。
三浦はヘッドセットを着け、キューシートを広げた。鉛筆で書き込んだ数字の横に、何度も消した跡が残っている。
客が入り始めた。長くこの劇場へ通ってきたらしい人が、壁や天井を見回していた。舞台へスマートフォンを向ける者もいる。普段の公演より話し声が多かった。
二十五歳のとき、三浦には東京の劇団から声がかかっていた。地方を回る巡演に欠員が出たので、参加しないかという話だった。
返事をする期限の三日前、北町スタジオの照明主任が辞めた。
三浦は俳優をしながら、照明の仕込みを手伝っていた。操作も一通り教わっていたため、劇場の代表から次の公演だけ引き受けてくれと頼まれた。
一公演だけだった。
最初の夜、三浦は照明卓の上でクリップライトを倒した。卓の隅に小さな焦げ跡が残った。
公演が終わった翌朝、劇場の代表が次の月の予定表を持ってきた。
「もう一本、頼めないか」
三浦は「やります」と答えた。
その夜、東京の劇団へ断りの電話を入れた。
「間もなく開演します」
ヘッドセットから声がした。
三浦は客席灯を落とした。
話し声が止み、舞台が暗くなった。
最初の音が流れた。
「照明、一。どうぞ」
三浦はフェーダーを上げた。
瀬尾が舞台の端に立っていた。横から入る淡い光の中で、顔を伏せている。
三浦が初めて舞台に立ったのも、この劇場だった。台詞は三行しかなかった。それでも出番を待つ間、袖の暗がりで何度も口の中で繰り返した。
瀬尾が顔を上げた。
三浦は予定より一呼吸遅らせて光を強くした。瀬尾の視線が客席へ届く。その瞬間を待った方がよいと、前日の通し稽古で分かっていた。
キューシートをめくった。
公演が半ばを過ぎたころ、二十四番が明滅した。
三浦の手は、考えるより先に予備のフェーダーへ動いていた。瀬尾が黄色い十字の上へ出る。二十四番の光が落ちきる前に、別の角度から光が入った。
瀬尾は暗がりに落ちなかった。
客席で気づいた者はいなかった。
舞台は進んだ。
瀬尾が走り、倒れ、立ち上がった。最後の場面では、舞台の中央に一人で立った。
「照明、四十八。どうぞ」
三浦はゆっくり明かりを絞った。
暗転の直前まで、瀬尾は客席を見ていた。
拍手が起きた。
カーテンコールで、瀬尾たちは三度、舞台へ戻った。最後には劇場の代表やスタッフも呼び出されたが、三浦はブースから出なかった。

(以下略)

全文は以下からご覧いただけます。

https://note.com/kumazo55/n/n233f28490ede?sub_rt=share_pb


創作者名(ペンネーム):芹井磐徹
原典情報

「The Untold Lie」:シャーウッド・アンダーソン
https://www.gutenberg.org/cache/epub/416/pg416-images.html#chap21

ジャンル:西洋文学

原典引用

Ray Pearson and Hal Winters were farm hands employed on a farm three miles north of Winesburg. On Saturday afternoons they came into town and wandered about through the streets with other fellows from the country.
Ray was a quiet, rather nervous man of perhaps fifty with a brown beard and shoulders rounded by too much and too hard labor. In his nature he was as unlike Hal Winters as two men can be unlike.
Ray was an altogether serious man and had a little sharp-featured wife who had also a sharp voice. The two, with half a dozen thin-legged children, lived in a tumble-down frame house beside a creek at the back end of the Wills farm where Ray was employed.
Hal Winters, his fellow employee, was a young fellow. He was not of the Ned Winters family, who were very respectable people in Winesburg, but was one of the three sons of the old man called Windpeter Winters who had a sawmill near Unionville, six miles away, and who was looked upon by everyone in Winesburg as a confirmed old reprobate.
People from the part of Northern Ohio in which Winesburg lies will remember old Windpeter by his unusual and tragic death. He got drunk one evening in town and started to drive home to Unionville along the railroad tracks. Henry Brattenburg, the butcher, who lived out that way, stopped him at the edge of the town and told him he was sure to meet the down train but Windpeter slashed at him with his whip and drove on. When the train struck and killed him and his two horses a farmer and his wife who were driving home along a nearby road saw the accident. They said that old Windpeter stood up on the seat of his wagon, raving and swearing at the onrushing locomotive, and that he fairly screamed with delight when the team, maddened by his incessant slashing at them, rushed straight ahead to certain death. Boys like young George Willard and Seth Richmond will remember the incident quite vividly because, although everyone in our town said that the old man would go straight to hell and that the community was better off without him, they had a secret conviction that he knew what he was doing and admired his foolish courage. Most boys have seasons of wishing they could die gloriously instead of just being grocery clerks and going on with their humdrum lives.

創作メモ

原典の核である、若者に人生の選択を問われた年長者が、自らの後悔を重ね、言うべき言葉を言えない構造を保持した。農場を閉館直前の小劇場に置き換え、照明技師と若い俳優の物語として再構成。黄色い立ち位置、照明卓の焦げ跡、作業灯に、選択と後悔、二人の生き方の違いを担わせた。

トーン・文体:現代語調
語り手

三浦慎吾に密着した三人称限定視点。瀬尾の内面には入らず、台詞や動作を通してその選択を示す。三浦の後悔も直接説明せず、照明卓の焦げ跡や剝がされる立ち位置、光を操作する手の動きに託す。全体を抑制した語りで進め、言えなかった言葉と二人の選択の違いを読者に委ねる。

AI補助使用:使用した

・使用目的(構成案の整理、語調統一、時代背景の調整)

    いかがでしたか?

    ワンクリックで感想を教えてください

    おすすめの記事