2025年9月8日 第371号 World News Insight (Alumni編集室改め) 移民政策の裏側:ハワイ王国崩壊と移民を通じた侵略の真実 バベル翻訳専門職大学院 副学長 堀田都茂樹
楽園の裏に潜む影 青い海と白い砂浜、フラダンスとウクレレで知られるハワイ。しかし、この「南の楽園」には、アメリカ合衆国が自国民にも語ろうとしない深い闇が存在する。かつてハワイは独立した王国であり、独自の文化と歴史を育んできた。だが、19世紀末、戦争ではなく移民と秘密結社を用いた巧妙な策略によって、この王国は滅びたのである。本稿では、史実に基づき、ハワイ王国の崩壊とアメリカによる併合の過程をたどり、移民政策と国家主権の関係に光を当てる。
ハワイ王国と白人移民の到来 ハワイ王国は1810年、カメハメハ大王の下で統一され、19世紀初頭には西洋との交易が始まった。宣教師、商人、農業労働者として多くの白人が入植し、サトウキビやパイナップル産業を中心に経済は急速に発展した。当時のハワイ王は、欧米の技術や制度を積極的に取り入れ、教育制度や憲法の導入にも着手した。だが、この「近代化」の陰で、白人移民の政治的・経済的影響力が急速に拡大していった。
秘密結社「ハワイアン・リーグ」と1887年の「銃剣憲法」 1887年、白人移民のエリート層によって、ハワイアン・リーグ(Hawaiian League)が結成された。彼らの目的は、王権の制限とアメリカとの併合である。彼らは武装部隊を組織し、同年7月、カラカウア王に銃剣を突き付けて憲法改正を強要した。これが「銃剣憲法(Bayonet Constitution)」である。
この憲法は、
- 王の権限を大幅に削減
- 白人移民に参政権を付与
- 先住ハワイ人の政治的力を弱体化
という内容を含み、王国を事実上の傀儡政権へと変えていった。
1893年クーデターとハワイ王国の滅亡 1891年、カラカウア王が死去し、妹のリリウオカラニ女王が即位した。女王は先住民の権利回復を目指し、新憲法の制定を計画したが、これに反発したハワイアン・リーグと在ホノルル米国公使ジョン・スティーブンスは、1893年1月、アメリカ海兵隊を動員したクーデターを実行した。女王は流血を避けるため退位を決断し、ハワイ王国は事実上滅亡。1894年にはアメリカ系移民による「ハワイ共和国」が樹立され、最終的に1898年の米西戦争中にアメリカへ併合された。
1959年、アメリカ第50番目の州へ ハワイのアメリカ化は急速に進み、移民の大量流入によって先住ハワイ人は人口的にも少数派となった。1959年の住民投票では、圧倒的多数が州昇格を支持し、ハワイはアメリカ50番目の州として正式に編入された。だが、この投票には先住民の多くが参加しておらず、当時すでに白人やアジア系移民が多数派を占めていたため、先住ハワイ人の主権回復運動は今も続いている。
移民と国家主権の危機 ハワイの事例が示すのは、移民が単なる労働力ではなく、政治的・軍事的影響力の拡大に利用され得るという事実である。
- 移民の大量流入
- 参政権の付与
- 秘密結社や外国勢力との連携
これらが組み合わさったとき、国家の主権は内側から崩壊する。ハワイ王国はその典型例であった。
現代日本への警鐘 現代の日本でも、急速な外国人労働者の増加と移民受け入れ拡大が進んでいる。ハワイの歴史は、移民政策が国家の文化・安全保障に直結することを示している。もし参政権や土地所有が拡大すれば、政治的影響力の逆転が起こる可能性も否定できない。
歴史から学ぶ ハワイ王国の崩壊は、武力侵略ではなく、移民と法制度を通じた静かな侵略であった。 日本を含む現代社会は、この歴史から次の教訓を得るべきである。
- 移民受け入れと国家主権の関係を冷静に議論すること
- 歴史教育で不都合な真実を隠さず伝えること
- 国際政治における「静かな侵略」の手法を理解すること
ハワイが歩んだ道は、他国にとって未来の警告である。歴史を学び、同じ過ちを繰り返さないことが、主権と文化を守る唯一の道なのだ。
!!今の日本への警告!! 【ホームタウン問題】 今、日本政府が誇らしげに進めている、アフリカ移民はどういう人なのか?これを知っても「移民・売国」進めますか!?