東アジア・ニュースレター
海外メディアからみた東アジアと日本
第172 回

バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教
中国の長期外貨建て国債の格付けを有力格付け機関、フィッチがA+からAに引き下げた。中国は反発しているが、フィッチは引き下げの理由として、トランプ関税による対米輸出減と景気刺激策による財政悪化の懸念を挙げる。中国が経済低迷とデフレ圧力に苦しむなか、トランプ関税はその公的債務の信頼性と国家威信を傷つけている。
台湾もトランプ関税によって大きな衝撃を受けている。加えてトランプ政権が半導体をめぐって台湾を泥棒呼ばわりするなど、台湾は対米関係での立ち位置について疑問を抱き始めている。その結果、信頼に値する貿易相手としてアピールする機会を中国に与えている。
韓国の憲法裁判所は国会の尹大統領弾劾訴追を支持し、同大統領を追放する判決を下した。後任については与野党とも候補者乱立の様相を呈しているが、左翼野党、「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)氏が優勢と伝えられている。ただし同氏は北朝鮮への資金提供などの訴訟問題を抱えており、左右両勢力が激しく対立するなか、政局の前途は予断を許さない。
北朝鮮は韓国の政治的混乱に乗じて、その軍事機密情報、例えば、諜報員の身元、スパイ用無人機の作動不能状態、戦争計画作戦室の正確な位置、特殊部隊の北朝鮮侵攻時の出動状態などを入手していた。韓国側は痛恨の過失を犯したと言え、今後の対策を慎重に講じる必要が出てきた。
東南アジア関係では、対中関税を回避するための「チャイナ・プラス・ワン」戦略をトランプ新関税が直撃したため危機に瀕する情勢となった。46%の関税率に直面しているベトナムが最大の被害者で、対ベトナム新規投資の大半を占める中国企業が標的となっているため、中国は対米直接輸出を増やすかもしれないと指摘されている。
インドもトランプ関税で影響を受けるが、他国にない強みもあるとメディアは指摘する。大規模国内市場の存在、部品組立や製造拠点としての好立地条件などである。だが海外からの直接投資への政治的干渉や世界水準に達しないインフラなどの問題点もあり、トランプ新関税はインドが抱える課題を改めてあぶりだす結果ともなった。
主要紙社説・論説欄では、トランプ米政権の通貨政策と最近の国際通貨情勢を取り上げた。米政府は関税政策と並行して確固とした通貨政策を推進しようとしている。
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北東アジア
中 国
☆ フィッチ、関税問題と財政の悪化懸念で国債を格下げ
米中間の関税引き上げ競争が貿易戦争へエスカレートするなか、有力格付け会社のフィッチ・レーティングス(以下、フィッチ)が4月3日、関税引き上げによる輸出への悪影響と財政の悪化懸念から、中国国債の長期外貨建て格付けをA+(上から5番目)からAに引き下げた。これに対して中国政府は格付け会社の「偏った」動きだと非難し、中国の経済基盤は安定していると主張していると4日付フィナンシャル・タイムズが報じる。
記事によれば、フィッチは、これはドナルド・トランプ米大統領が2日に中国製品に34%の追加「相互」関税を課すと発表する前の予測に基づいていると説明している。関税引き上げが外需を圧迫するなか、中国が経済成長を支え、デフレ圧力に立ち向かうために財政支出を大幅に増加させるとの予想を反映したものだとフィッチは述べ、「この支援策は構造的な歳入基盤の悪化とともに、財政赤字を高水準に保つ可能性が高い」とし、政府債務の対国内総生産(GDP)比率は「今後数年間は急激な上昇傾向が続く」との見通しを示した。
これに対し、中国財政部は「偏った」格下げだと非難した。「中国経済は安定した基盤、多くの利点、強い回復力、大きな潜在力を持っている」と声明で述べ、「長期的に有利な」条件と「質の高い経済発展という大勢の傾向」は変わっていないと付け加えた。中国は外貨建て債務をさほど発行しておらず、ほとんどの債券は人民元建てである。昨年11月のサウジアラビアにおける20億ドルの起債は、投資家の膨大な需要と中国がドル建てで米国とほぼ同程度のコストで借り入れ可能という事実により波紋を呼んだ。スポンサーのひとつである中国銀行の発表によると、財政部は4月2日、ロンドンで初のグリーン・ソブリン債を発行し、60億人民元(8億2300万ドル)を調達した。フィッチは昨年4月、中国が新たな成長モデルへの転換を図る中で債務懸念が高まっているとして、中国の格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げていた。
フィッチは3日、トランプ大統領の新たな関税の影響に関する不確実性にもかかわらず、「現在の格付けには、経済成長と財政指標への影響に対応するための余力がある」として、見通しを「安定的」に変更したと発表した。政府は、中国経済を活性化させる努力の一環として、国債増発の必要があると考えている。「中国は積極的な財政政策と緩やかな金融政策を継続する」と財政部は述べる。ムーディーズ・インベスターズ・サービスは2023年12月、中期的な経済成長率の持続的低下と不動産セクターの危機による負担増のリスクが高まっているとして、中国の信用見通しを「ネガティブ」に引き下げた。ダンスク・バンクの中国エコノミスト、アラン・フォン・メーレン氏は、中国の債券市場は国内プレーヤーが支配的で、フィッチの格付け引き下げが影響を与える可能性は低いと述べた。「中国には住宅に必要な高水準の貯蓄があり、多くが銀行や年金基金を通じて債券に流れている。「中国人民銀行はさらに政策を緩和し、預金準備率を引き下げることで流動性を高める予定である。
以上のように、フィッチが中国国債の長期外貨建て格付けをA+からAに引き下げた。中国政府は格付け会社の「偏った」動きだと反発しているが、フィッチは関税引き上げによる外需圧迫と中国政府の景気刺激策による財政悪化懸念を引き下げの理由として挙げる。ドル建て中国国債の起債は今のところ少なく、かつ投資家の需要も旺盛とみられるので、引き下げが直ちに大きな影響を引き起こす可能性は少ないとみられている。だが、経済が低迷しデフレ圧力にさらされているなか、トランプ関税は中国のソブリン格付けを直撃し、その公的債務の信頼性と国家威信を傷つけたと言えよう。他の有力格付け機関はフィッチに追随していないが、トランプ政権はその後、対中関税を現時点では145%にまで引き上げており、格付け引き下げの動きが広まる可能性は否定できない。米大手格付け会社のS&Pグローバル・レーティングスは中国の格付けを「A+」に据え置き、見通しは「安定的」としているが、もう一つの大手格付け会社、ムーディーズは既述のとおり「ネガティブ」に引き下げている。
台 湾
☆ 対米関係を揺るがすトランプ関税
4月9日付ワシントン・ポストは、トランプ政権は台湾に対して一連の混乱したシグナルを送っているが、今回の台湾製品に対する関税措置はそうしたシグナルの最新のものだと述べ、それは台湾政府に立ち位置について疑問を抱かせ、さらには中国に門戸を開く可能性も提起していると以下のように論じる。
台湾からのほとんどの商品に対する関税賦課は台湾に衝撃を与えた。台北証券取引所は1日で史上最大の10%近い下落を記録した。あまりの急落に台湾の宝ともいえる台湾積体電路製造(TSMC)の株取引は一時停止を余儀なくされた。トランプ大統領が9日、90日間の猶予期間を設けたことにより、台湾製品に対する関税もこの間10%に下がるが、トランプ政権からの混乱したシグナルにより中国からの軍事的・政治的圧力をかわすために米国に依存している台湾は、その立ち位置に疑問を抱くにいたっている。台北にある国立政治大学で外交学を教える黄啓波教授は、「これまで台湾と米国は民主主義や人権に関して同様の価値観を共有しており、そうである限り台湾は安全だと考えられていた。しかし、今はそう単純ではないようだ」と述べ、中国からの脅威が高まり、台湾は中国と米国を同時に相手にする余裕はないと付言する。
中国は先週、台湾を封鎖する大規模な軍事訓練を開始している。米政府とは台湾は、その「戦略的曖昧さ」という政策の下で政治的支援と軍事装備の両面で依存している。米政府は、中国が台湾併合という脅しを実行に移すと決めた場合、米国は介入するかどうかについて意図的に曖昧にしているのである。台湾政府は先月、米国防総省がメモで中国の台湾侵攻抑止を最優先事項として挙げていたことから安堵したが、トランプ大統領の取引主義的なスタイルや台湾の防衛費負担増という要求、さらにはウクライナ支援の一時的停止の決定は、同政権の後ろ盾に対する疑念を生んだのである。
台湾政府関係者は、関税の影響を抑えるために奔走している。日曜日に発表されたビデオ演説で頼清徳総統は米国に対して報復関税を課すつもりはなく、対米交渉を選ぶと語った。政府はまた、工業や農業など影響を受ける産業の支援のために27億ドルのパッケージを発表した。鄭麗君行政院副院長は記者会見で、「関税賦課は合理的な範囲を超えており、しかもわが国にとって極めて不公平だ。我々は遺憾の意を表明しなければならない」と強調した。
エスカレートする貿易戦争が中国経済に打撃を与えることは間違いないが、中国にとっては地政学的に台湾を含む世界に対して信頼できる貿易相手国として自国をアピールする好機でもあるとアナリストは指摘する。関税は短期的には台湾政府の対中強硬姿勢を変えることはないだろうが、黄氏は「台湾の人々に両岸の経済関係が本当に危険なのか疑問を抱かせている」と述べた。「貿易に関して言えば、トランプ政権は中国よりも厳しいようだ。ここ数カ月でアメリカに対する懐疑的な見方は確実に強まっている」。台湾は対米貿易に大きく依存している。公式統計によれば、台湾は昨年前年比46%増となる1,110億ドル相当の商品をアメリカに輸出した。サーバーとコンピューター部品が輸出の上位を占め、台湾が輸出したコンピューター部品の60%が米国に販売されている。対米貿易の急増は、米国における人工知能ブームやトランプ第一次政権における米中貿易戦争中に多くの台湾企業が中国からシフトしたことも一因だと専門家は指摘する。台湾政府は先週、台湾はこの2つの動きのために罰せられるべきでないとし、台湾との貿易は 「米国経済と国家安全保障に多大な貢献をしてきた」と反論している。
トランプ新関税は半導体には適用されず、台湾は世界のサプライチェーンを支配し、世界の最先端チップの約90%を生産している。しかしトランプ大統領は、台湾が半導体産業を支配していることを批判し、台湾がアメリカのチップ・ビジネスを盗んだと非難している。トランプ政権にアピールするため、TSMCは先月、米国での事業拡大のために1,000億ドルを投資すると約束した。ただし半導体の新関税免除は、関税が半導体のサプライチェーンに与える川下への影響を止めることはできないかもしれない。半導体はノートパソコンその他の技術製品に組み込まれるために最初は他国に送られることが多い。公式統計によると、2024年には台湾のチップ輸出のうち、米国に送られたのはわずか5%だった。台湾の政府系シンクタンク、民主社会新興技術研究所のミンイェン・ホー非常勤研究員は、「半導体の免税措置は実際には機能しない」と言う。「ひとつのチップは製造、パッケージング、組み立てのためにその寿命を通じて複数の国に輸送される可能性がある」。
専門家は、米中が熾烈な技術競争を展開するなか、技術サプライチェーン全体のコストを引き上げるのは、米国による最先端のAIシステム開発継続の妨げになると指摘する。在台米商工会議所のダン・シルバー会頭は、台湾は米国と世界にとって非常に重要な技術革新の源であると指摘、地政学的な競争が進むなかで技術革新のコストが上昇する危険性に対して懸念を示している。
TSMCの対米投資に加え、台湾政府は3月、米国の液化天然ガスの購入拡大の意向を表明した。頼総統は日曜日の演説で、台湾は米軍装備のさらなる購入を含め、米国製品の調達拡大を通じて対米貿易赤字の削減に取り組むと述べた。台北を拠点とするシンクタンク、中華経済研究院のリエン・シェンミン代表は、「アメリカは関税を引き上げることで他国を交渉に追い込み、アメリカの商品やサービスをもっと買ってもらうことを狙っている。台湾にとって重要な分野は、天然ガスと防衛兵器である」と語る。
以上のように、トランプ関税は台湾に大きな衝撃を与え、米国との関係でその立ち位置について疑問を抱かせている。加えてトランプ政権は半導体をめぐって台湾を泥棒呼ばわりする泥仕合を演じている。米政府の「戦略的曖昧さ」政策が今の台湾には実感を持って迫っていると思われる。その結果、貿易相手として信頼に値するのは中国だとアピールする機会を中国に与えている。とはいえ、台湾も対米貿易黒字修正に向けて諸施策を講じようとしている。米台関係のこれ以上の悪化が避けられることを期待したい。
韓 国
☆ 大統領追放の後にくるもの
韓国の憲法裁判所は4日、国会の弾劾訴追を支持し,尹錫悦大統領を追放する判決を下した。尹氏は昨年、非常戒厳(以下、戒厳令)を敷こうとしたため大統領職を停止させられ、アジア第4位の経済大国である韓国の政治的混乱を引き起こした。その結果、リーダーシップの空白が生じ、経済の減速、米国の攻撃的な貿易政策、北朝鮮の核の脅威の増大に取り組まなければならないなか、政治を麻痺させることになったと同日付フィナンシャル・タイムズ記事が伝える。
記事によれば、憲法裁判官たちは全員一致で、12月の衝撃的な戒厳令布告で尹大統領が権限を超えたとする国会の見解を支持した。韓国の憲法は、大統領が「戦争、武力紛争またはこれに類する国家緊急事態において、軍事的必要性に対処するため、または軍隊を動員して公共の安全と秩序を維持するために必要な場合」に戒厳令を布告することを認めている。しかし、野党が支配する国会は12月の弾劾訴追案で、戒厳令を正当化するのに必要な深刻な緊急事態は発生していないと主張した。この弾劾訴追案では、戒厳令否決の議決を阻止するために兵士を国会に突入させるなど、手続き違反も指摘されている。
尹氏は2月に憲法裁判所で行なわれた最終弁論で、左翼野党の「邪悪さ」と、彼が「我々の社会内の反国家的要素とともに北朝鮮を含む外部勢力」と表現するものに対して「国民に注意を喚起」するために戒厳令が必要だったと主張した。しかし金曜日、裁判所は8対0の大差で、尹氏は「憲法を守る義務を放棄し、韓国国民の信頼を著しく裏切った」との判決を下した。12月の弾劾訴追後、尹氏は憲法上の職務執行停止処分を受けたが、名目上の大統領および国家元首としての地位は維持された。今回の判決により、尹氏は即刻大統領職から解任され一般私人となる。韓国の大統領は1期限りであるため、再選を目指すことはできない。尹氏はまた、戒厳令を敷こうとしたことに関する反乱罪にも問われているが、本人は否定している。4月14日に開始される刑事裁判の判決は、今年末か2026年初頭に出される予定だ。有罪判決を受けた場合、尹氏は理論上、無期懲役もしくは死刑になる可能性があるが、韓国では1997年以来、死刑は執行されていない。
現在のところ、尹大統領が任命した韓悳洙(ハン・ドクス)首相が選挙まで大統領代行を務めている。尹氏が弾劾された直後に大統領代行を引き受けた韓氏は、9人の閣僚からなる憲法裁判所の3人の欠員補充を拒否したことをめぐり、野党が弾劾訴追に踏み切ったため、12月下旬から数カ月間の職務停止処分を受けた。その後、大統領代行は崔相黙(チェ・サンモク)副首相兼財務相が引き継ぎ、憲法裁判所の3つの空席のうち2つも埋めた。先月、裁判所は韓首相の弾劾訴追を覆し、首相兼大統領代行に復帰させている。
では、尹大統領の後任には、どのような人物がいるのか。韓国の憲法によれば、尹氏の後継者を選ぶ大統領選挙は60日以内に実施されなければならない。工場労働者から弁護士に転身し、左翼野党の「共に民主党」を率いる闘争的な李在明(イ・ジェミョン)が世論調査で優勢だ。彼は2022年の大統領選挙で尹氏に1ポイント以下の差で敗れている。尹氏が率いる保守政党「国民の力」からは、金文洙労働相、呉世勲ソウル市長、洪準杓大邱市長、韓東勲前党首らが立候補している。民主党の李氏が有力視されているが、彼は刑事訴訟の問題にも直面している。検察は、選挙運動中の虚偽発言を無罪とした最近の高裁判決を不服としている。また北朝鮮への資金提供に関する罪状で今月裁判を受ける予定である。裁判が終わる前に大統領に選出された場合、どうなるかは不明だが、どちらかの裁判で有罪判決を受けた場合、李氏は公職に就けなくなる可能性がある。彼はすべての不正行為を否定している。
これで韓国の政治危機は終わるのだろうか。金曜日の判決によって、韓国は指導者の空白に対処することに近づいたが、尹氏の戒厳令宣言によって高まった緊張がすぐに解消されることはないだろう。尹大統領の弾劾支持派と反対派は、全国各地で定期的にデモを行っている。尹氏支持派のデモのなかには、1月に尹氏が刑事告発で拘束された後、強硬な保守派がソウルの裁判所を襲撃するなど、暴力沙汰を起こしている。一部のアナリストは、保守派の怒りは限定的で、誰が右派の新たな旗手として登場するかに注目が集まっていると述べた。民主党の李氏もまた、両極端な人物である。彼は2023年、尹氏の「検察独裁」に抗議してハンガーストライキを行った。
以上のように、憲法裁判所は全員一致で国会による尹錫悦大統領の弾劾訴追を支持し、同大統領を追放する判決を下した。後任に関しては、与野党とも候補者乱立の様相を呈しているが、世論調査では左翼野党、「共に民主党」を率いる李在明(イ・ジェミョン)氏が優勢と伝えられている。ただし同氏も北朝鮮への資金提供に関する訴訟などの問題を抱え、政情も左右両勢力が激しく対立しており、韓国政局の前途は予断を許さない。まずは大統領選のハードルを乗り越える必要があり、国難ともいえるトランプ関税に対処する十分な余裕がない状況と言えよう。
北 朝 鮮
☆ 韓国政局の混乱に乗じ機密情報を得た金総書記
韓国が尹錫悦大統領の非常戒厳(以下、戒厳令)によって動揺するなか、北朝鮮が混乱に乗じて軍事機密を入手していたと4月4日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルが報じる。記事によれば、韓国の大統領退陣の引き金となった出来事は、国家を分裂させ、国政を麻痺させたが、その一方で、宿敵である北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記に韓国の軍事機密の大量入手という思わぬ幸運をもたらしたという。
尹錫悦大統領の戒厳令は12月初旬に短期間で施行され、その後、この問題に関する調査公聴会(その模様は国民にライブ中継された)が数週間にわたって行われ、それが前代未聞ともいうべき機密情報の漏えい事件に発展したと韓国軍当局者、国会議員、安全保障の専門家たちは指摘する。金総書記が得た情報は、諜報員の身元、ソウルのスパイ用無人機の作動不能状態、さらには韓国の戦争計画作戦室の正確な位置、建物内の階などに至る。北朝鮮の元弾道ミサイル研究者で、亡命し、現在は韓国の保守派議員であるパク・チュングォンは「彼らはこのような情報を見つけるためにスパイを送り込でいる」言う。
尹氏が12月3日、北朝鮮の「共産主義勢力」の餌食になる危険があるとして戒厳令を布告すると、韓国の精鋭特殊部隊が北朝鮮の侵攻時と同じように出動した。戒厳令は数時間以内に解除されたが、北朝鮮はすでに韓国が侵攻された場合にどのような対応をとるかを観察できたのである。その後の混乱した数日間で、韓国国民は政令と軍の行動について説明を求めた。野党議員はすぐに公聴会を開いたが、そこでは答えを急ぐことや政治的な小競り合いが軍事情報を守る必要性よりも優先されたのである。国営放送で生中継されたあるやり取りでは、陸軍高官が戦争計画の指揮統制室の場所を明らかにした。韓国の国防副大臣が「これらは重要な軍事施設だ。議論はやめよう」と慌てて割って入った。ある野党議員は、戒厳令が敷かれた夜に選挙管理委員会に出向いた情報将校の写真を掲げた。これに対し、司令官のひとりが手を挙げ、「時間をかけて築き上げたかけがえのない人材が不用意に暴露されるのを見るのはつらい」と述べた。
別の公聴会では、ある議員が韓国軍の保有する韓国製偵察用小型ドローン「S-BAT」の数を明らかにし、戦闘には適さないと判断されたことを明らかにした。ソウルにある梨花女子大学のパク・ウォンゴン教授(北朝鮮研究)は、「このような情報は長期にわたって収集され、クロスチェックが必要だ。しかし、この情報は恭しく北朝鮮に手渡されたのだ」。韓国国防省の報道官は12月、「事実を徹底的に説明する」過程で、公聴会中にいくつかの「不適切な開示」がなされたと述べた。同省はそれ以上のコメントを避けた。短期間の戒厳令期間中の韓国軍の出動も明らかになった。韓国の第707特務団は12月3日夜、ヘリコプターで国会に到着し、国会議員の国会への立ち入りを阻止し、大統領の法令に反対する投票を阻止する任務に就いた。このエリート特殊部隊は、主に対テロや海外任務にあたっているが、戦時には北朝鮮指導部を標的にするような機密任務を引き受ける。
その夜、アサルトライフル(突撃銃)と革新的四眼暗視ゴーグルGPNVGを装備した部隊が目撃された。このような装備がソウルの特殊部隊に広く供給されているのを見たら、北朝鮮は驚くだろうと梨花大学の朴教授は言う。国会に配備された韓国軍は慎重な様子で、兵士の一人は立ち向かった市民に謝罪していた。北朝鮮は、韓国の兵士が混乱の中で見せたどっちつかずの態度を察知したかもしれないと朴教授は言う。北朝鮮はこうした情報公開から実利を得ることができる。韓国の軍事施設の位置を知ることは、北朝鮮が最初に何を狙うべきかを特定し、潜入経路を計画するのに役立つだろう。戦時装備が展示されているのを見れば、北朝鮮は自軍への補給方法を見直すことができるだろう。また、韓国兵士が優柔不断だと判断することで、実際の衝突の際に混乱を招くことに有利だと北朝鮮が判断する可能性もあると朴教授は言う。
北朝鮮は12月初旬、隣国が戒厳令宣言の影響に対処している間、ほとんど沈黙を守っていた。それから約1週間後、北朝鮮の国営メディアは韓国が「混乱と大騒乱」に陥ったと報じたが、これは北朝鮮の独裁者である金正恩がこの騒乱から政治的利益も得ていることを示している。ソウルのシンクタンク、牙山政策研究所の軍事専門家であるヤン・ウク氏は、金政権は韓国の施設や設備に関して独自の情報網を持っていると語る。韓国の国家機関へのハッキングやその他のスパイ工作は、北朝鮮が隣国との軍事衝突に備えて長年続けてきた重要な活動の一部である。しかしヤン氏は、「北朝鮮が何か疑っていることを韓国が確認してしまうのは次元が違う出来事だ」と指摘する。
以上のように、韓国の政治的混乱に乗じて北朝鮮は韓国の軍事機密情報を大量に入手していた。これには諜報員の身元、スパイ用無人機の作動不能状態、戦争計画作戦室の正確な位置、特殊部隊の北朝鮮侵攻時の出動状態などの情報が含まれている。北朝鮮にとっていわば棚から牡丹餅の情報獲得である。情報流出が戒厳令問題にかかわる「事実を徹底的に説明する」過程で起きたとはいえ、韓国側は痛恨の過失を犯したと言えよう。対策を今後慎重に講じる必要がある。
東南アジアほか
☆ 「ファクトリー・アジア」を脅かすトランプ関税
ドナルド・トランプ米大統領による約100カ国・地域への追加関税が、9日に発動された。同日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルは、米国の関税は第2次世界大戦以来で最も高い水準に達し、対象となった国・地域は米国との貿易取引の条件を再交渉しようと急いでいると述べ、今回の関税はトランプ氏が「相互関税制度」と呼ぶものの一環で、政権は貿易上の悪質な行為者とみなす国・地域を標的にしており、新たな関税ではベトナム、ラオス、カンボジアなどが45%以上の関税を課されるなど、多くの東南アジア諸国が最も大きな打撃を受けると伝える。
4月4日付フィナンシャル・タイムズも、こうしたトランプ米政権の動きにより「チャイナ・プラス・ワン」という東南アジアなどの製造戦略が危機にさらされていると報じ、関税率27%と比較的軽いインドにチャンス到来との見方が出てきたと以下のように伝える。
トランプ米大統領による関税の一斉射撃は、アジアの製造業に最も大きな打撃を与え、中国との緊張関係を回避するためについ最近再構築されたばかりのサプライチェーンを混乱に陥れると経営者やアナリストは指摘する。トランプ政権の「相互」関税により、中国からの輸入品に対する関税率は60%以上となり、この地域では最高水準となる。しかし製造業者やエコノミストは、多くの東南アジア経済圏に対する32~49%の新たな関税の方が、衝撃が大きく第二の輸出製造拠点として活用する「チャイナ・プラス・ワン」戦略を損なうと指摘する。
トランプ大統領が2018年の最初の任期中に関税で中国を罰した後、特にエレクトロニクス分野で多くのメーカーが東南アジアやその他の地域に生産をシフトし始めた。その流れの最初の、そして最大の受益者であるベトナムは、現在最悪の打撃を受けると予想されている。他のアジアの輸出業者よりも米国市場と関係の深いベトナムは46%の関税率に直面しているからだ。ニューヨークに本社を置く資産運用会社、アライアンス・バーンスタインのアナリストは、「対米輸出がGDPの30%を占めるベトナムは最悪の影響を受けるだろう」と述べ、新関税はベトナムの生産高を最大6%削減する可能性があると付け加えた。ベトナムと東南アジアは、中国製品のアメリカへのパイプ役にもなっている。ベトナムへの新規投資の3件に1件近くが中国企業によるものだ。「ベトナムやタイのような国々に対する相互関税は中国よりも高いため、アセアン経由の輸出という中国の戦略は、現在はあまり有効ではないかもしれない」とOCBCのアナリストはリサーチノートの中で述べる。「その結果、貿易のダイナミズムが再び変化し、広範な関税環境にもかかわらず、中国が北米への直接輸出を増やす可能性がある。昨年、ベトナムの対米輸出の30%を占めたスマートフォン、コンピューター、電気機器などの電子機器は、最大の打撃を受けると予想される。
ベトナムが中国に次ぐ米国最大の輸入元である衣料品と靴のサプライチェーンも混乱が予想される。業界幹部は、2018年の対中関税以来、アップルや他の多国籍ブランド向けに製造するためにベトナムに多額の投資を行ってきた中国の電子機器受託製造業者、ラックスシェア・アイ・シー・ティとゴアテック・テクノロジーは、また別の場所に移転するか、生産能力を追加しなければならないだろうと述べた。台北を拠点とするエレクトロニクス調査会社、トレンドフォースによると、日本の任天堂はベトナムの施設から数十万台の新型ゲーム機「Switch 2」を米国に出荷しており、韓国のサムスンはアップルに次ぐ米国第2位の携帯電話ブランドで、現在スマートフォンの45%をベトナムで製造しているという。
関税率が27%と比較的軽く済んだインドにチャンスがあると見る向きもある。「関税コストの圧力を考慮すると、サムスンは短期的にはベトナムをスマートフォンの主要生産拠点として重視するだろうが、北米市場への対応を優先して、インドでの生産拡大計画を加速させるだろう」とトレンドフォースのアナリスト、ミア・ファン氏は述べた。「一連の関税措置はインドにおけるスマートフォン・サプライチェーンの発展を加速させ、生産受注の増加に役立つだろう。中国とベトナムが直面している高い関税の合計と比較すると、インドは「短期的には貴重な輸出競争力の窓」という恩恵を享受できるだろう、とインド携帯電話・電子機器協会(ICEA)のパンカジ・モヒンドルー会長は本紙に語った。しかし、インドのエレクトロニクス産業にとっての「真の長期的変曲点」は、秋までに両国が合意すると宣言している米印二国間貿易協定の第一段階がうまく締結されるかどうかにかかっていると、モヒンドルー氏は語る。先月、ナレンドラ・モディ首相が訪米した際、両国は2030年までにモノとサービスの二国間貿易額を現在の2,000億ドル未満から5,000億ドルに引き上げることを約束した。
アナリストによると、世界最大のiPhoneメーカーである台湾のフォックスコンや、多くの米国顧客向けにサーバーも組み立てているノートパソコンの大手メーカーであるクアンタ・コンピューターなど、多くの大手メーカーは「解放の日」の関税に対応できるという。これらのメーカーや他の委託製造業者は、2018年以降、東南アジア、メキシコ、そしてアメリカ自体に工場を増設し、アメリカでの生産を増やそうとしている。米国の輸入製品に対する関税の波にもかかわらず、「トランプ大統領が何をするかまだわからないため、(海外に)設備が必要なのだ」とバンク・オブ・アメリカの台湾調査部長ロバート・チェンは言う。「基本となる政治状況のため、今は誰もがより柔軟に行動しなければならない」。1台あたり300億ドルもする設備が必要で、建設に何年もかかる半導体製造とは対照的に、スマートフォンやサーバーの組立ラインは、準備や移動がはるかに簡単だ、とチェン氏は付け加えた。
しかし、アジアを拠点とするグローバル・サプライチェーンを支える何千ものアパレル・衣料品メーカーは中小企業であり、状況は大きく異なる。中国のアパレル・衣料品メーカー100社以上が加盟する香港アパレル協会の名誉会長、フェリックス・チョン氏は、米国が「チャイナ・プラス・ワン」諸国に課した高関税に「ショックを受けている」と述べた。「製造業者はどう対応すればいいのか。メーカーはどう対応すればいいのか。多くのメーカーが中国からベトナム、カンボジア、バングラデシュに生産の一部を移し、多くのメンバーの事業の半分以上をアメリカの顧客が占めているとチョン氏は語る。「多くの(メーカーが)ベトナムやカンボジアで生産する今後数カ月分の注文をすでにたくさん受けており、さらに投資して生産能力を拡大しているところもある。今、我々は不意を衝かれた。アメリカのバイヤーの多くは、新関税を支払う余裕がなければ、注文を取り消すかもしれない」。
以上のように、対中関税を回避するための「チャイナ・プラス・ワン」戦略が主要な回避地である東南アジア諸国をトランプ新関税が直撃したため危機に瀕する情勢となった。最大の被害者は46%の関税率に直面しているベトナムである。特に、ベトナムへの新規投資の3分の1近くを占める中国企業が標的となっており、このため中国が対米直接輸出を増やすかもしれないと指摘されている。新型ゲーム機をベトナムで生産する日本の任天堂や携帯電話の韓国サムスンも同様の被害を受ける。他方、関税率が27%と比較的軽いインドにチャンス到来との見方が示されているが、米印二国間貿易協定がうまく締結されるかどうかや、インドの項で述べるように海外からの投資を阻むインド特有の国内要因の克服という問題もあり予断は許さない。また何千ものアパレル・衣料品メーカーなどの中小企業が路頭に迷う懸念も指摘されている。冷徹で気まぐれな計算に基づくトランプ関税が生み出す非情な結果のひとつといえよう。
インド
☆ トランプ新関税で浮上する古くて新しい課題
4月4日付ニューヨーク・タイムズは、トランプ米大統領はインドを友好国と呼びながら、その輸入を阻止しようとしていると述べ、自国の輸出品が厳しく罰せられるのを見て唖然としたインド人は、惨たる状況の中から希望の兆しを探しているが、少しはあるものの多くはないと以下のように報じる。
来週から、米国に到着するほぼすべてのインド製品に27%の追加関税が課される。
トランプ氏の再選以来、インド政府の閣僚が次々とワシントンを訪れていたこともあり、この数字は不可解なほど高かった。トランプ氏はローズガーデンから、そこにはいないインドのナレンドラ・モディ首相に対して、「私の偉大な友人」と呼びかけながら、この残念なニュースを伝えた。しかし、それだけでは十分ではなかった。トランプ政権はホワイトハウスが発表した文書で、「インドらしい手のかかる」方法で「アメリカ企業のインドでの製品販売を困難かつコストがかかるように」していると非難した。
インド政府は対応に頭を悩ませている。対米貿易黒字は昨年約460億ドルあった。しかし他のアジア諸国とは異なり、インドの貿易収支は全体的にマイナスである。輸出額よりも輸入額の方が多いのだ。そのため、トランプ氏をなだめるために貿易政策を調整することはとりわけ痛みを伴う。通貨ルピーはすでに弱く、対米黒字を減らせばさらに下落して世界から買うものすべてが割高になる。新関税のせいで一部のインド企業はアメリカ向けの製品販売が難しくなるのは明らかだ。しかし、それに伴う痛みがどのような結果をもたらすかは不明である。
トランプ氏がインドは貿易政策によって特定の産業を囲い込んでいると批判するのは間違っていない。実際、インドのエコノミストの一部は、危機が訪れれば関税やその他の措置による国内産業保護政策を止めざるを得なくなるのではないかと期待している。競争が激化すれば、変革とそれによる長期的な利益がもたらされるからである。しかし短期的には、それは耐えがたいことである。競争を突然強いられれば、国内企業の倒産は増加するだろう。
希望に満ちた投資家は、インドには中国やカンボジアのように輸出に頼っている国とは異なり、自国内に比較的未開拓の大きな消費者層が存在すると指摘する。彼らは、理論的には、関税上昇によってインドの輸入品を敬遠するアメリカ人消費者を埋め合わせる可能性がある。ベンガルールの民間投資会社カタマラン・ベンチャーズのM.D.ランガナサン会長は、「インドには国内に巨大市場がある。インドのメーカーは、国内の買い手に依存せざるを得なくなったとしても、発展を続けられるだろう」と語る。
最後に、インドは関税面でひどい被害を被っているが、競争相手のほぼすべての国がもっとひどい状況におかれている。インドは長年、中国から流出した製造業の仕事を獲得しようと試み、ある程度の成功を収めつつも失敗も重ねてきた。ベトナムのような国々がその先陣を切ったが、ベトナムの輸出品には46%の関税がかけられることになっており、インドの27%は有利と言える。インドの工場がベトナムの工場に取って代われるかどうかは残された大きな問題である。繊維製品はもうひとつの明るい話題となるかもしれない。インドは、関税率37%のバングラデシュや44%のスリランカよりも有利にみえる。
一部の投資家は、インドの未開拓の大規模な消費市場が関税引き上げによって失われる対米輸出減を穴埋めする可能性があると述べる。米国で販売するためにインドでiPhoneやその他の電子機器を製造することは、以前よりもはるかに高価になるだろうが、おそらく同じものを東南アジアで製造するよりも魅力的なものになろう。ニューデリーのシンクタンク、Global Trade Research Initiativeを運営する元通商官僚のアジェイ・スリバスタバ氏は、トランプ氏の全リストはインドにチャンスをもたらしたと述べる。「グローバル・ブランドが高関税国からサプライチェーンを多様化しようとしている今、インドは新たな製造拠点や部品組立ラインにとって好ましい目的地として浮上できる」とスリバスタバ氏は書いている。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻や中国の経済問題が外国人投資家に工場を他国に移す「デカップリング」や「フレンド・ショアリング」について語らせていた2022年に、インドがグローバル・サプライチェーンで中国に取って代わることを阻んだのと同じ問題が今もインドを悩ませている。メイク・イン・インディアと呼ばれる多面的なプログラムを10年以上続けてきたにもかかわらず、インド経済に占める製造業の割合はわずか13%にまで低下した。サービス業と農業が大きな割合を占めている。インドは依然としてビジネスがしにくい国で幾重にも政治的干渉を受け、インフラは改善されているがそれでも世界水準には達していない。スリバスタバ氏は、インドの工場経営者が直面している困難について、決してナイーブな見方をしているわけではない。ぜい肉を落として力をつけた競争相手から地場産業を守ることは理にかなっていると考えている。インドの産業は「病気の子供のようなものだ」と彼は言う。その子供を世界的なチャンピオンと戦わせたいと思う親がいるだろうか。
以上のように、インドもトランプ関税に大きな衝撃を受けているが、他国と違った強みもあると記事は主張する。たとえば、未開拓で大規模な国内消費市場の存在、製造拠点や部品組立ラインとしての新たな好ましい目的地としての強みである。だが、ここでもインドとして克服を要する課題がある。インドは依然としてビジネスがしにくい国で多くの政治的干渉やなお世界水準に達していないインフラなどである。図らずもトランプ新関税は、インドが抱える古くて新しい課題に焦点を当てたと言えそうである。
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主要紙の社説・論説から
トランプ米政権の通貨政策と最近の国際通貨情勢
―関税政策と並行して確固とした通貨政策を推進する米政府
ドナルド・トランプ米政権が発足して3カ月が過ぎた。公約どおりの政策を次々と打ち出して、とりわけ関税政策のニュースがメディアを賑わしているが、その陰で国際通貨情勢にも大きな影響を与えている。そうした通貨、為替の現状に関するメディアの報道と論調を今回観察した。以下はその要約である。(筆者論評は末尾の「結び」を参照)
3月26日付ニューヨーク・タイムズは、「Strong Dollar vs. Weak Dollar (強いドルvs.弱いドル)と題する記事で、トランプ大統領が強いドルとドル安の2つの考えを持っていると述べ、それぞれのアプローチの欠点と利点について次のように解説する。
トランプ大統領は、米国が抱える多額の貿易赤字(11月時点で780億ドル)を解消したいと考えている。米製品を買ってもらい、米国製造業を活性化し、雇用が創出されることを期待している。ひとつの障害が高すぎるドルだ。また国内への商品流入を逆転させるため、トランプ大統領は関税を課すと宣言している。目的は、アメリカ人にもっと国産のものを買ってもらうことだ。関税は、移民やフェンタニルの流入を阻止するためだとも言っている。
しかし関税戦略にはドル高につながるという問題点がある。関税は米国の物価も上昇させ、連邦準備制度理事会(FRB)の利上げを促す可能性がある。これは外国人投資家にとってリターンの上昇を意味し、ドルは再び魅力的になる。関税の脅威はまた、不確実性を生み出し、人々を安定した通貨と安全な場所(世界最大の経済大国であり、最も好調な経済活動のひとつである米国など)に資金を預けようと駆り立てる。その結果はさらなるドル高だ。
他方、世界の主要基軸通貨としてのドルは、すべての国が貿易や取引にドルを使用しているため価値が上がり、アメリカの輸出品が高くなる。ただし、このような地位には威信や特権もある。米政府は、国債を売ってお金を借りている。ドルに対する需要が多いため、利息もあまり払わなくて済む。36兆ドルの負債を抱える政府にとって有益だ。他の政府や中央銀行が貿易を行うためにドルを貯蔵し、そうしたドル取引を扱えるのは米銀だけであり、米政府に大きな影響力を与えている。ウクライナ侵攻後、ロシアにドル取引を禁じた結果、ロシアは他国との取引でよりコストがかかり、面倒なものになった。ロシア中央銀行に帰属するドルも凍結できた。
結論は、トランプ大統領は明らかにドルの特別な地位が気に入っている。そして少なくとも現時点では、ドルの地位は安泰である。アメリカの経済力と買いやすく売りやすい米国債は他の追随を許さない。トランプ大統領はまだドル安誘導策を取ることができる。問題は、ほとんどのエコノミストが関税の発動などトランプ大統領の提案は裏目に出ると考えていることだ。
こうしたトランプ政権のドルに対する考え方に関連して3月9日付エコノミスト誌は「Does Trump really want a weaker dollar? (トランプは本当にドル安を望んでいるのか)」と題する記事で、30年にわたるアメリカの政策を覆すのは容易ではないと以下のように論じる。
1994年に財務長官に就任したロバート・ルービンは「強いドルは国益にかなう」と宣言し、このシンプルなメッセージが一つの転機となった。政策立案者たちは何十年もの間、貿易相手国の通貨安がいかに米国内の製造業者の生活を苦しめているかを訴えてきたが、それ以来、ルービン氏の箴言を繰り返すか、さもなければ、米ドルの適正水準について議論することを避けてきた。現在は中途半端な状態にある。貿易政策が保護主義一辺倒になり、ドル安が突然進行している今、30年にわたる財務省の正統性が疑問視されている。スコット・ベッセント新財務長官は、強いドル政策はまだ続くと強調しているが、トランプ大統領もJ.D.バンス副大統領もドル高がアメリカの産業にとって問題だとして、通貨安を主張している。
したがって、トランプ大統領とバンス副大統領は、新しい超攻撃的な貿易政策が為替市場を荒らしていることを歓迎しているのかもしれない。ドルは日本円に対して5ヶ月ぶりの安値まで下落した。ユーロは先週、対ドルで4.5%上昇し、2009年以来の急上昇を記録した。このような傾向が続けば、10年以上続いたドル高が急変し、国内外の金融政策、国際市場、世界貿易に影響を及ぼすことになる。さらに、政権内にはもっと踏み込んだ政策を望む声もある。11月、トランプ氏が大統領経済諮問委員会の委員長に指名したスティーブン・ミラン氏は、(懲罰的関税の脅威の下での)多国間協定から、国債の外国人所有者への手数料賦課まで、ドルを下落させる可能性のある一連の型破りな方法について大筋を説明した。今のところ、そのような政策が実施される兆しはほとんどないが、トランプ氏は気が変わりやすく、説得にも応じるタイプだ。
消費者を外国製品から遠ざけるということは、他の通貨に対する需要が減るということだ。しかし、貿易制限とそれにまつわる不確実性がアメリカ経済に深刻な打撃を与えれば、結果として金利が低下し、グリーンバック安になるかもしれない。短期的には、備蓄もドル安圧力になるかもしれない。国境税の導入に先立ち、企業は外国製品の購入に躍起になっている。アメリカの1月の貿易赤字は前年同月の920億ドルから1,530億ドルに急増した。さらなる関税引き上げの脅威が迫っている限り、この購買熱狂は続くだろう。
米政権の外交政策もドル安の火に油を注いでいる。ドイツの10年国債利回りは先週、2.4%から2.8%へと急上昇した。次期政権が再軍備の資金を借金で賄うという予想が背景にある。こうした利回りの上昇が投資家を惹きつけ、ユーロを押し上げている。S&P500種株価指数が2%下落しているのに対し、欧州株はドルベースで今年14%も上昇している。アメリカの株式市場の優位性がわずかに見直されることだけでも、投資家がドルを必要としなくなり、ドルが下落する可能性がある。
ドル安は世界にとって何を意味するのだろうか。企業や政府がドル建てで借り入れを行う新興国市場にとって、過去10年間は特に厳しいものだった。ドル安になれば、新興国も多少は安心するだろう。当面の影響はFRBが最も強く感じるだろう。アメリカは他の国に比べて輸入依存度は低いが、ドル安は輸入品の価格を押し上げるため、ただでさえ困難なインフレ管理を複雑化させるだろう。IMFのギタ・ゴピナスは、ドルが10%下落するとアメリカの消費者物価は0.4~0.7%ポイント上昇すると見積もっている。
ドルは何十年もの間、終焉が迫っているという予測を跳ね除けてきた。米国債は今でも世界の基軸資産であり、アメリカの通貨を支えている。しかし、特にミラン氏のような手法でドル安を協調的に推し進めることは、厳しい試練を意味する。3月6日、フィラデルフィア連銀のパトリック・ハーカー総裁は、世界の基軸通貨としてのグリーンバックの役割について懸念を深めていることを認めた。無理もないことだ。政府の政策がすでに悪影響を及ぼしているのである。そして、ドル安の恩恵にこれほど想いを寄せる政権は近代史上存在しないのだ。
さらに2月22日付フィナンシャル・タイムズは、「How Washington plans to defend the dollar (米政府はどのようにドルを守ろうとしているのか)」と題する論説記事(筆者は同紙コラムニスト、ジリアン・テット。東京支局長を務め、British Business Journalist of the Yearを受賞、2023より英ケンブリッジ大学キングスカレッジ学長の任にある)で、貿易関税は見出しを飾るが、大統領にとって重要なのは資金をめぐる目に見えにくい戦いだ、と以下のように論じる。
4年前、国際決済銀行(BIS)は、エムブリッジ(mBridge、Multiple CBDC Bridge)というイノベーション・プロジェクトを発表した。プロジェクトは、中国、香港、タイ、UAE、サウジアラビアの中央銀行を結ぶ、国境を越えた中央銀行デジタル通貨の創設を目指し、ドナルド・トランプ米大統領の下で深く関わる可能性のある、より大きな戦いを象徴していた。昨年の秋、アメリカ大統領選挙の直前にBISはエムブリッジから突然撤退し、事実上、中国とその他の国に主導権を譲った。BISは、これは「最小実行可能製品」の段階に達したからだと主張したが、これを信じる人はほとんどいない。ある参加者は私に、「アメリカが(BISに対して)脅威だからやめろと要求した」と話し、米国政府は「(ドルを通じた)制裁を逃れるために使われるかもしれない」と懸念していると説明した。
BISのアグスティン・カルステンス総裁はそれを公式に否定したが、憶測が飛び交うのは、少なくともトランプ大統領が戦争に至る金融抗争に突入していることが否定できないからだ。そのため、投資家は次に何が起きるかを注視する必要がある。最近、メディアを賑わせているのは貿易関税をめぐるトランプの脅しだが、通貨をめぐるこの目に見えにくい争いは非常に重要だからだ。結局のところ(以前にも指摘したように)、今日のアメリカの覇権の本当の源であり、米国が守りたいのはドルを基盤としたグローバルな金融システムなのだ。IMFの最近のデータによれば、ドルは中央銀行の準備高の約58%を占めている。最近の多様化は、ユーロや人民元といったライバル通貨ではなく、ほとんどがより小さな通貨を対象としている。さらにスウィフト社のデータによれば、昨年は全決済の49.1%がドル建てであり、12年ぶりの高水準だった。
しかし、3つの重要な注意点がある。第1に、ワールド・ゴールド・カウンシルが最近指摘したように中央銀行は「目を覆いたくなるようなペース」で金を買い占めている。これは、不換紙幣のドル・エクスポージャーをヘッジしたいという願望を示唆している。第2に、中国が独自の銀行間決済システムを構築している。これは小規模で初歩的なものだが160のメンバーがおり、取引量は2022年以降80%増加している。第3に、米政府による金融の兵器化は、他の国々が代替手段を考えようとする努力を止めるどころか煽り立てているようだ。そこでエムブリッジが重要になってくる。これらのデジタル・パイプが迅速かつ大規模に機能するようになれば(大きな「もし」だが)、FRBを中心とする「ハブ&スポーク」システムに挑戦することになる。
では、米政府はどう対応しようとしているのか。第一次トランプ政権で商品先物取引委員会の責任者を務めたクリス・ジャンカルロは、アメリカ人以外の人々にとってドル利用が魅力的なものになるような政策、つまりニンジンを使うことを望んでいる。それは、優れた経済的「価値観」を支持し、サイバー・イノベーションを受け入れることだと言う。彼が共同主宰する「デジタル・ドル・プロジェクト」が来週、その方法を概説する予定だ。これは極めて賢明なことだが、トランプ大統領は棒を使いたがっているようだ。先月、同氏は「金融システムの安定性、個人のプライバシー、および米国の主権を脅かす」として、米国での中央銀行デジタル通貨の使用を禁止する大統領令を発令し、ビットコインとさらに重要なことは、「合法的で正当なドル建てステーブルコインの世界的な成長」への支持を表明した。これは奇妙に思えるかもしれない。少なくとも欧州中央銀行とは正反対だからだ。皮肉屋の中には、ハワード・ルトニック商務長官が現存する最大のコインであるテザー(tether)の設立を支援したという事実を理由にする者も間違いなくいるだろう。
しかし、別の要因もある。トランプ氏のチームは、安定したコインはドル化を促進する秘密兵器かもしれないと考えているのだ。「それは我々にとって非常に良いことだ。21世紀のステーブルコインは、20世紀のユーロドル市場のように、オフショアでのドル取引を可能にし、オンショアの厄介ない規制から解放されるからだ。これは、地政学的リスクに悩む多くの金融関係者にとって魅力的である。安定コインはユーロドルと違ってリターンがないとしても、である。実際のところ、現在のステーブルコインの時価総額は約2,200億ドルで、ユーロドルはもちろん、6兆ドル規模の米国資本市場と比べてもまだ微々たるものだ。重要なのは、トランプ大統領が戦後の地政学的秩序を作り直そうとしている、あるいは壊そうとしている今、重要なのは関税や戦車だけでなく、金融通貨システムも同じだということだ。アトランティック・カウンシルが指摘するように、CBDCとステーブルコインに関するこうした萌芽的な戦いは「今年、舞台の中心になる」可能性がある。
こうしたドルの先行きと関税政策との関連について論じているのが、3月15日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナル記事「Trump’s New World Order Tests the Dollar (「トランプの新世界秩序がドルを試す)」である。記事は、投資家は欧州に楽観的だが、関税が米国の先行きを曇らせる、と以下のように論じる。
トランプ大統領は、数十年にわたって支配してきた地政学的秩序に対する前例のない挑戦を開始した。潜在的な犠牲者の一つが、米ドルである。わずか数週間で関税の大幅引き上げと貿易をめぐる不確実性が米国の成長鈍化懸念を呼び起こした。同時に、米国の外交政策が大きく転換したことで欧州経済に対する楽観論が台頭し、ドルは対ユーロで急落、欧州の株価は史上最高値を更新し、ドイツ国債利回りはベルリンの壁崩壊以来の急上昇となった。このような金融の動揺が続けば世界的な投資の流れから、大西洋横断観光に至るまであらゆるものに影響を及ぼす可能性がある。
米国の政治指導者たちは何世代にもわたり、世界金融システムにおけるドルの優位性を受け入れてきた。米国債の約3分の1を保有する外国人投資家の資金によって財政赤字は拡大し、国防支出を強化するのに役立ってきた。
しかし、現在トランプ大統領とアドバイザーの何人かは、同盟国を守るために費やす資源の削減を明言している。そして国内の製造業を活性化させるために外国人バイヤーにとって商品を安くするドル安を望んでいるという。しかし、ウォール街の多くは、このような変化のマイナス面を恐れている。ドル安は輸入品を割高にし、インフレを促進しFRBの利下げを難しくする。ドルを押し下げる米国資産からの資金流出は、株価を押し下、米国の借入コストの上昇につながる可能性もある。米国の金利が先進国のほとんどどこよりも高く、海外からの継続的な投資が期待できることもあり、ドルの大幅下落が迫っていると考える人は少ない。それでも、ノーザン・トラスト・ウェルス・マネジメントのチーフ・インベストメント・オフィサーは、「ここ数週間で起こったことは、ゲームチェンジャーになる可能性を秘めている」と語った。
最近のドル下落で投資家は不意をつかれた。トランプ大統領は、減税と規制撤廃に重点を置く、伝統的な共和党の政治を行うだろうと多くの人が考えていた。トランプ勝利後、経済成長の加速と関税の小幅な引き上げが予想され、当初は株高・ドル高を後押しした。投資家たちは今、こうした見通しを見直し始めている。トランプ大統領はすでにアメリカの最大の貿易相手国の製品に大規模な関税をかけ、さらに関税をかけると脅し、カナダと中国からの即時報復を招いている。トランプ政権は数千人の連邦政府職員の解雇に踏み切った。今や減税の話はほとんど影を潜めており、これらすべてが米国の成長期待を引き下げている。投資家は消費者物価の上昇をもたらす関税そのものよりも、関税をめぐる不確実性を懸念している。
一方、欧州への期待は急上昇している。これは良好なデータが続いていることもあるが、トランプ大統領がホワイトハウスでウクライナのゼレンスキー大統領と公然と衝突した後、欧州が軍事費の増額に動いたことにも起因している。ドイツの指導者たちは国益を守るために米国に頼れなくなったことを憂慮し、数日後、自国の軍備増強のために数十年の歴史を断ち切り借金すると発表した。欧州連合(EU)も数千億ユーロに達する国防計画や、国レベルでの財政ルールの緩和を宣言した。投資家にとって、これらの発表の重要な特徴は、継続的な投資が約束されたことである。ユーロは一時的に対ドルで上昇した。
ユーロはここ数十年、一時的に対ドルで上昇したことがある。しかし今回は、欧州が約束していることが「コロナ感染症対策のような一過性のものではない」ため、この動きは長続きする可能性があると、金融アドバイザリー会社カーソン・グループの専門家は言う。これまでのところ、ドル価値の下落は小幅で米国の輸出業者にとって大きな違いを生むほどではない。それでも、この動きがウォール街の注目を集めたのは、トランプ大統領の長年の野心と一致しているからだ。トランプ氏はしばしばドル安を主張しており、昨年は通貨高が「製造業にとって災難だ」と主張した。最近、大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に選出されたスティーブン・ミランは、昨年、トランプ大統領がドル安を実現する方法について、いくつかの異例のアイデアを論文で発表した。その中には、外国人の国債購入者への手数料を課すことも含まれていた。ウォール街の一部では、こうしたアイデアを真剣に受け止めている。しかし、トランプ大統領の政策が意図したとおりに実行されるかどうか疑わしいと考える人もいる。
最後に、ドルと日本円を含むその他の通貨との関係について伝える3月9日付CNBCの報道について観察する。CNBCは、ニュース通信社ダウ・ジョーンズとアメリカの大手テレビネットワークのひとつNBCが1989年に共同設立したニュース専門放送局。報道は冒頭で、以下のような安全通貨は、変動するトランプ政権のなかで米ドルよりも魅力を増している、とアナリストは語ると報じ、以下の3点をキーポイントとして挙げる。
- 米国がカナダ、メキシコ、中国に関税を課し、トランプ大統領がウクライナへの軍事援助を一時停止すると報じられ、欧州の指導者が国防費の増額を約束するなど、アナリストは通貨価値(currency valuations)の変動を予想している。
- ラボバンク・ロンドンのFX戦略責任者(head of FX strategy at Rabobank London)であるジェーン・フォーリー氏は、現在の環境では英ポンドと日本円が勝者になると予想する。
- クォンタム・ストラテジーのストラテジスト、デビッド・ローチ氏は、日本円を「新たな安全資産」と呼び、米国は「非常に危険に見え始めている」と述べる。
結び:以上のようなメディアの報道や論調を、次の4つの観点から論評してみたい。第1は、トランプ政権のドルに対する考え方、すなわち通貨政策、第2は、その関税政策との関連、第3は、その世界の他通貨に与える影響、第4は、そうした通貨政策の今後の展望である。
第1のトランプ政権の通貨政策について、メディアはまず、基軸通貨であるドルは長年、ロバート・ルービン元財務長官の「強いドルは国益にかなう」との主張に縛られてきたと指摘する。スコット・ベッセント新財務長官は、強いドル政策はまだ続くと強調しているが、トランプ大統領とJ.D.バンス副大統領は、ドル高がアメリカの産業にとって問題だとして、通貨安を主張している。ドル安によって貿易赤字を解消し、雇用を創出すると共に、最終的には米国製造業を活性化したいと考えている。同時に米国民にもっと国産品を買ってもらい、国内への商品流入を逆転させるため、関税を課すと宣言していると伝える。しかし基軸通貨のドルは、広く貿易や取引に使用されて価値が上がり、同時に米国債発行による低利の資金調達やドル取引を扱える米銀を通じた対ロ制裁措置の断行など、その地位に付随する威信や特権があり、トランプ政権の外交政策もドル高の火に油を注いでいると指摘する。
そこでメディアの一部は、トランプ大統領が強いドルとドル安の2つの考えを抱いていると分析する。またトランプ政権は本当にドル安を望んでいるのか、と疑問を提起する。しかし、それは別な見方をすれば、関税政策の補完として、短期的にはドル安による貿易赤字の削減を目指し、中長期的には製造業を再生させ、その強靭な経済力を背景に強いドルの復活と基軸通貨としてのドルの地位を盤石にする試みと言えるのではないか。その意味でトランプ政権は、実は確固とした通貨政策を展開しようとしていると言えよう。
第2は、その関税政策との関連である。メディアが指摘するように、関税政策には裏目に出る側面がある。関税は国内物価の上昇とFRBの利上げを促し、その脅威が不確実性を生み出して安全な場所である米国に資金を呼び込む、つまりドル安を目指す米政府の意図とは裏腹にドル高と結びつく。消費者を外国製品から遠ざけることは、他通貨に対する需要が減ることにもなる。しかし、貿易制限とそれにまつわる不確実性が米経済に深刻な打撃を与えれば、結果として金利が低下し、グリーンバック安になるかもしれない。短期的には、米企業による備蓄の動きもドル安圧力になる。大規模な関税の導入に先立ち、企業は外国製品の購入に躍起になっている。その限りでは、ドルが関税政策の潜在的な犠牲者の一つになっている。
第3のトランプ通貨政策のグローバルな金融、通貨情勢に与える影響については、まずドル安で、多額のドル建て債務を負う新興国はドル安で一息つけるだろう。ドルは日本円に対して5ヶ月ぶりの安値まで下落した。またユーロでは先週、対ドルで4.5%上昇し、2009年以来の急騰を記録した。ユーロの動きはトランプ政権の外交政策に追うところが大きい。独次期政権が再軍備の資金を借金で賄うという予想が背景にある。それに伴う利回りの上昇が投資家を惹きつけ、ユーロを押し上げている。メディアが伝えるように、このため10年以上続いたドル高が急変し、国内外の金融政策、国際市場、世界貿易に影響を及ぼすことになる。米国でも、ドル安が輸入品の価格を押し上げ、FRBによるインフレ管理を複雑化させている。IMFは、ドルが10%下落すると米消費者物価は0.4~0.7%ポイント上昇すると見積もっている。金融当局だけでなく、消費者である有権者が黙っているか、という問題が出てくるだろう。
第4は、そうした通貨政策の今後の展望である。米国がドルを基盤としたグローバルな金融システムを断固守るというメデイアの指摘は正しいだろう。国境を越えた中央銀行デジタル通貨の創設を図るエムブリッジ・プロジェクトに米政府が警戒感を示し、BISに圧力をかけたとしても不思議はない。その結果、皮肉なことにBISが同プロジェクトから撤退し、中国とその他の国に主導権を譲ってしまったのである。中国は独自の銀行間決済システムを構築しており、それと何らかの形で連結させる可能性も否定できない。他方、トランプ政権は、合法的で正当なドル建てステーブルコインが国際舞台でのドル化促進の秘密兵器になると考えているようであり、戦後秩序の改変を意図しているとみられる米政権と中国との間に新局面の通貨覇権争いが起きようとしている。
その一方で、米経済の見通しが悪化し、トランプ政権下で経済が危ういと思われ始め、通貨市場のボラティリティが高まると予想されている。市場ウォッチャーの間では、どの通貨を確固たる安全資産と見なすかについて議論が戦わされ、日本円が「新たな安全資産」として浮上しているとメディアは報じる。その背景として、日本は米国債の最大保有国、あるいは最大の外国直接投資国として強力な対米影響力を持っていることや、日銀が利上げ方向にあるという政策環境が挙げられている。日本としては、そうした客観的な好環境を今後とも対米折衝で生かしていくことが肝要であろう。
以上、製造業の再生を目指すトランプ政権は関税とドル安政策でこれを実現しようとしている。それは1930年代の保護貿易主義や通貨切り下げの横行を思い起こさせ、重商主義の復活や通貨切り下げ競争を再発させるリスクを提起している。通貨の観点からみると、ドル高是正を目指した1985年のプラザ合意を思い起こさせるような動きでもある。メディアは、ドル安とドル高の2つの考え方があると指摘し、トランプ政権の通貨政策が定まらないとの見方を示すが、それは上述のように、短期的にはドル安を追及するとしても中長期的には強いドルの復活と基軸通貨としてのドルの地位の維持確保を確固として目指していると言えよう。トランプ政権が今後、通貨政策についても関税の脅威を振りかざしつつ、各国に対して様々な要求を確固たる姿勢で突き付けてくるリスクを日本としても考えておく必要がある。
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(主要トピックス)
2025年
3月17日 中国政府、消費刺激策として新行動計画を発表。家計所得増につなげるため最低賃金基準の科学的、合理的引き上げを明記。
20日 中国政府、薬物事件のカナダ人死刑囚4人の刑を今年に入って執行したとカナダ政府、発表。
21日 台湾行政院(内閣)、日本自衛隊の統合幕僚長を務めた岩崎茂氏を政務顧問に任命。
22日 日中両政府、閣僚級の「日中ハイレベル経済対話」を都内で開催。岩屋外相と王毅共産党政治局員兼外相が出席。日本産水産物の禁輸措置撤廃に向けた協議推進で一致。
岩屋外相、韓国の趙兌烈(チョ・テヨル)外相と都内で会談。日米韓3カ国の結束と日韓の緊密な意思疎通の重要性を確認。
23日 中国政府、世界大手企業のトップらを招く「中国発展ハイレベルフォーラム」を北京市で開催。李強首相、追加の景気対策に言及。
25日 中国で博鰲アジアフォーラム開幕。丁薛祥(ディン・シュエシアン)筆頭副首相、「保護主義に断固反対」と講演。
26日 韓国ソウル高裁、最大野党「共に民主党」の李在明代表に係る公職選挙法違反事件の控訴審で逆転無罪判決。
米通商代表部(USTR)グリア代表、中国の何立峰副首相(経済
政策担当)と貿易政策を巡り協議。
28日 中国の習近平国家主席、訪中外国企業トップと北京で会談。中国市場への投資拡大を自ら呼びかけ。
30日 中国の国有大手4行、最大5200億元(約10兆7000億円)の資本増強計画を発表。資金は政府発行の特別国債などで調達。
4月 2日 米軍、海洋安全保障を話し合う協議(MMCA)を上海で開催。台湾周辺での演習などを念頭に挑発行為の自制を要請。
4日 韓国の憲法裁、「非常戒厳」を宣言した尹錫悦大統領の罷免を決定。
6日 台湾の頼清徳(ライ・チンドォー)総統、米国に報復関税を課す計画はないとの談話を発表。
主要7カ国(G7)外相、中国人民解放軍が1〜2日に台湾周辺で実施した大規模な軍事演習に対して「深い懸念」を共同声明で表明。
7日 トランプ米大統領、米相互関税への報復措置を撤回しない中国に50%の追加関税を警告。
8日 トランプ米大統領、韓国大統領権限代行の韓悳洙(ハン・ドクス)首相と相互関税を巡り電話協議。
韓国政府、尹前大統領の罷免に伴う大統領選の投開票日を6月3日に決定。
9日 中国政府、米輸入品に50%の関税を追加し84%とすると発表。
米政府、中国を除く一部の貿易相手国・地域に対する「相互関税」の90日間停止と対中関税の145%への引き上げを発表。
インド準備銀行(中央銀行)、政策金利(レポ金利)を6.25%から6%に引き下げると発表。
10日 韓国最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)前代表、大統領選への出馬を正式表明。
東南アジア諸国連合(ASEAN)、経済相特別会合をオンラインで開催。トランプ関税政策に「ASEANは報復関税をしないことで一致。
フィリピン中央銀行、政策金利の翌日物借入金利を0.25%引き下げ年5.50%にすると発表。
11日 中国政府、対米報復関税の84%から125%への引き上げを発表。
韓国の鄭仁教通商交渉本部長、ワシントンで米通商代表部(USTR)グリア代表らと会談。関税措置について韓国側の立場を伝達。
14日 中国の習近平国家主席、ベトナム、マレーシア、カンボジア訪問に出発。最初のベトナムでトー・ラム共産党書記長と会談。米相互関税対策としてサプライチェーン(供給網)の構築などで協力を確認。
15日 シンガポールのローレンス・ウォン首相、国会(一院制、任期5年)の解散を発表。総選挙は23日告示。
主要資料は以下の通りで、原則、電子版を使用しています。(カッコ内は邦文名) THE WALL STREET JOURNAL (ウォール・ストリート・ジャーナル)、THE FINANCIAL TIMES (フィナンシャル・タイムズ)、THE NEWYORK TIMES (ニューヨーク・タイムズ)、THE LOS ANGELES TIMES (ロサンゼルス・タイムズ)、THE WASHINGTON POST (ワシントン・ポスト)、THE GUARDIAN (ガーディアン)、BLOOMBERG・BUSINESSWEEK (ブルームバーグ・ビジネスウィーク)、TIME (タイム)、THE ECONOMIST (エコノミスト)、REUTER (ロイター通信)など。韓国聯合ニュース、中国人民日報(日本語版)も参考資料として参照し、各国統計数値など一部資料は本邦紙も利用。
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教授 前田高昭
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