東アジア・ニュースレター
海外メディアからみた東アジアと日本
第168 回
中国がトランプ米政権の生み出す世界的空白を利用しようと虎視眈々としている。習主席はグローバル経済ガバナンスや環境政策、核政策などで中国が安定した信頼できるリーダーであることを世界に発信している。そのために対外政策と国内政策をうまく使い分けている。世界の覇権が静かに中国に向かって傾き始めている。
台湾の経済成長率は来年共にそれぞれ4.27%増、3.29%増へと上方修正された。今後の経済情勢に影響を与える要因として米貿易政策、特に新たに課されるとみられる関税と経済を牽引するAI需要の動向が指摘されている。とりわけ新関税が台湾の輸出に与える影響が懸念される。また防衛費の急増も注視する必要がある。
12月3日、韓国の尹大統領は突如非常戒厳を発令したが翌朝に解除されたことから、韓国の民主主義はここ数十年で最大の試練を乗り越えたとされる。経済的にも株式、通貨、金融市場に一時動揺が広がった。政府による「無制限の流動性支援」の約束などにより大きな混乱は避けられたものの引き続き事態を注視していく必要がある。
北朝鮮は、ロシアに派遣した北朝鮮軍のトップとして朝鮮人民軍総参謀部の副総参謀長で最側近の一人であるキム氏を送り込んだ。その任務は、戦場での知識・経験を吸収して将来の派兵準備を整えることにあるとされるが、ロシアから核やミサイルの機密技術を獲得するための金総書記のやみくもの努力を示している。
東南アジア関係では、対米貿易黒字を急増させているベトナムが米国から追加関税を課されれば壊滅的な影響を受ける可能性があると懸念されている。黒字額はトランプ米前大統領が就任した2017年の380億ドルから1,040億ドル以上と約3倍に増加し、輸出の30%近くが米国向けとなっている。
インドの製造業はトランプ関税の恩恵を受けると予想されるが、実状は生産性がバングラデシュやベトナムなどと比較してインド特有のレッドテープやその他の事情によって大きく阻害されており、これを除去のために政府はほとんど何もしていないとメディアが批判する。モディ政権のインド製造大国化の努力は前途遼遠である。
主要紙社説・論説欄では、米大統領選の米国と世界に及ぼす影響に関する主要メディアの報道と論調を取り上げた。トランプと共和党の完勝は極めて現代的な出来事だが、米国の古き悪しき伝統への回帰でもあるとの見方が示されている。
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北東アジア
中 国
☆ トランプ米政権が生み出す世界の空白に付け込む習主席
11月23日付ワシントン・ポストは「トランプ大統領が生み出す世界的空白に付け込む中国」と題する記事で概略以下のように論じる。
気候変動懐疑論者のドナルド・トランプが米大統領に再選されてから1週間も経たないうちに、COP29として知られる国連会議のために世界中の気候変動担当官がアゼルバイジャンの首都バクーに集結し始めた。世界の再生可能エネルギーのリーダーで温室効果ガスの最大の排出国である中国は、気候変動との闘いに完全にコミットしていることを表明している。「国際情勢や他国の政策がどのように変化しようとも、気候変動に積極的に対処する中国の決意と行動は揺らぐことはない」と丁雪祥副首相は金曜日、代表団に語った。中国政府は1,000人近い代表団をバクーに派遣し、再生可能エネルギーへの世界的な支援を強調してきた。丁氏によると、中国は2016年以降、発展途上国に対して245億ドルの気候変動資金を提供しており、英国などの国と肩を並べているという。
グリーン・テクノロジーにおける中国の優位性も明らかだ。中国の電気自動車大手BYDがジャーナリストや交渉官をサミット会場まで送迎する160台のバッテリーバスを提供し、中国の高級EVメーカーの黒塗りスポーツ用多目的車がVIPを送迎している。トランプ氏は、国際交渉を支えるパリ協定から米国を離脱させると公約しており、世界は代わって中国がより大きな責任を担うことを期待している。国連気候変動事務局長のサイモン・スティール氏は、COP29の第1週に中国パビリオンで開催されたイベントで「中国の継続的なリーダーシップが必要だ」と述べた。同事務局長は、中国が2035年までに温室効果ガスの排出量を削減することを力強く約束することで他の国々にシグナルを送るよう呼びかけている。
中国は、トランプ氏の大統領復帰に伴う気候変動に関するリーダーシップの空白を利用するためだけに自国を位置づけているわけではない。国連の場からグローバル経済ガバナンス、核政策に至るまで第2期トランプ時代における安定した信頼できる国際的リーダーとして自国をアピールしている。オバマ政権の元国家安全保障担当官でジョージタウン大学の中国専門家であるエヴァン・メデイロスは、「第1次トランプ政権の間、世界の他の国々はトランプの4年間をなんとか乗り切れるだろうと考えていた。第二次トランプ政権は、おそらくアメリカの方向性が変わったことを多くの国に示唆し、中国はそれを活用することができる。中国がこれを行う可能性のある例は、ここ数週間だけでもいろいろある。今週ブラジルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議と先週ペルーで開催されたアジア太平洋経済協力会議で、習近平国家主席はワシントンの次期大統領と鋭い対比を描く努力を強めていた。中国の公式発表によると、習近平氏はG20で、「主要国のリーダーとして、われわれの視野をつかの間の雲で遮らせてはならない。むしろ、我々は世界の未来を共有する一つの共同体として捉え、歴史的責任を負わなければならない」と語った。
中国政府は多極化する世界において米国に代わる存在として自らを示そうとしてきたが、過去10年間、中国のグローバル・リーダーシップの推進においては国連が中心的な役割を担ってきた。トランプ大統領が最初の任期で、例えば世界保健機関(WHO)から脱退する計画を発表するなか新たに多額の資金提供を約束した。また、国連の主要な役割に中国の高官を配置する努力も強化した。食料・農業、電気通信、産業開発、民間航空を担当する機関は近年、すべて中国人が責任者を務めている。オーストラリアのマッコーリー大学で中国と国連の関係を研究しているコートニー・ファング氏は、「中国の国連での活動は、今日の多極化した世界を反映させるためにグローバル・ガバナンス・システムの改革を主導していることをアピールするのが狙いだ」と語る。
経済援助と政治的支援は通常、連携して行われる。中国は習近平のインフラ開発プログラム「一帯一路構想」を通じてアフリカやラテンアメリカの国家に数十億ドルの資金を提供し、道路や空港の建設を求める発展途上国にとって頼みの綱となっている。先週、中国はペルーに大きな港を開港し、この地域における中国の経済的・政治的な影響力を強調した。地元メディアによれば、ペルーのディナ・ボルアルテ大統領は先週の開港式典で同国における中国の役割を強調し、このプロジェクトはペルーが「アジア世界への旅立ちを果たし、2つの巨大な世界を統合する」支援となるだろうと述べたという。
中国はまた、ロシアとウクライナの戦争を終結させる計画や、紛争で核兵器を最初に使用しないという誓約である「先制不使用」イニシアティブのような軍備管理提案を打ち出し、自らを世界の平和擁護者として見せようとしている。しかし、中国が最も大きな影響力を持ちうるのは気候問題である。世界最大の再生可能エネルギー技術の製造・設置国である地位は、中国が世界の責任ある大国として自らを売り込む余地を生むと、バクーの代表団や気候専門家は指摘する。「米国が去ろうとしている空白を埋めるために歩み寄ることは、彼らの地政学的利益にかなう」と、ナイロビに本部を置く非政府気候変動組織、パワーシフト・アフリカの創設ディレクター、モハメド・アドウは言う。「気候変動の影響から自国民を守り、世界の好感度を上げるのに役立つだろう」。中国はまた経済的関心も示している。中国企業は会談の傍らアゼルバイジャンと一連の取引に調印し、太陽光発電所、エネルギー貯蔵施設、年間200台の電気バスを組み立てるBYD工場の建設に合意した。
習主席は近年、特にトランプ氏が世界の表舞台に出てきてから気候変動を優先してきた。2020年、米国がパリ協定から正式に離脱しようとしていた矢先、習近平は「2030年までに」二酸化炭素排出量の削減を開始し、2060年までに正味排出量ゼロを達成する計画を発表した。しかし中国は二酸化炭素の主要な発生源である石炭火力に大きく依存しており、世界的な気候変動に対するリーダーシップは、その膨大な排出量によって複雑なものとなっている。同国は20年近くにわたり、温室効果ガスの世界最大の排出国であり続けているが、工業化以降の総排出量は米国の方が多い。気候変動交渉の初期には、中国政府高官は、より強い約束は中国の経済成長を損なうという懸念から、しばしば取引を台無しにしたと非難された。中国はまた、先進国とともに気候変動による壊滅的な影響に対処し、化石燃料への依存から脱却するために貧しい国々を支援するための資金を拠出するよう、今月の協議の前に西側諸国からの圧力に抵抗した。フィンランドを拠点とする研究グループ、エネルギー・クリーン・エア研究センターの中国政策アナリスト、ベリンダ・シェーペ氏は、「米国が一歩後退した今、中国がパリ目標達成のカギを握っている」と語る。
しかし、中国政府はこれまでのところその発言を行動で裏付けるようなことはほとんどしていない。「指導的役割を果たすには、パリ協定にコミットしていると言う以上のことが必要です」と彼女は言う。美辞麗句と現実の矛盾は気候変動の分野に限ったことではない。先週のAPECで習主席は、中国を自由貿易の擁護者として売り込み、「貿易の流れを妨げる壁を取り払う」ために各国が協力するよう呼びかけた。しかし国内では、中国は非常に制限的な経済システムを維持しており、外国企業が国内でビジネスを行うことを困難にしている。アジア・ソサエティー政策研究所のシニアフェローであるライル・モリスは、これを「両側からものを言う」と呼ぶ。「彼らは対外的には、世界的な利益のための行為者として非常に肯定的に見えるような提案をする一方で、一見自国の政策を損なうような国内政策を追求するのが非常にうまい」と言う。
以上のように、中国はトランプ次期米政権が生み出すと思われる世界的空白を利用しようと虎視眈々としている。すでに習主席は国際会議の場を利用してグローバル経済ガバナンス、環境政策から核政策に至るまで中国が安定した信頼できる国際的リーダーであることをアピールしている。特にグリーン・テクノロジーにおける優位性を生かして気候変動問題に積極的に対処する決意と行動は揺らぐことはないと高らかに宣言している。また、国連の主要機関、例えば食料・農業、電気通信、産業開発、民間航空を担当する部署に高官を配置する努力も強化し、中国人が近年すべて責任者を務めている。ウクライナ戦争の終結計画や紛争で核兵器を最初に使用しないという誓約である「先制不使用」イニシアティブのような軍備管理提案を打ち出し、自らを世界的な平和擁護者として見せようとしている。例えば世界最大の再生可能エネルギー技術の製造・設置国である地位を利して、中国が世界の責任ある大国として自らを売り込んでいる。そして、そのために対外政策と国内政策をうまく使い分けている。トランプ米政権が登場するなか、世界の覇権が静かに中国に向かって傾き始めている。
台 湾
☆ 経済の現状について
11月29日付ブルームバーグによれば、行政院主計総処(統計局などに相当)は同日、今年7~9月の域内国内総生産(台湾GDP)が前年同期比4.17%増(速報値では3.97%増)となったと発表し、合わせて今年の予想GDP成長率を前年比4.27%増(従来予測は3.9%増)、2025年については3.29%増(従来予想は3.26%)とそれぞれ上方修正した。ただし来年の経済成長は、トランプ次期米大統領の関税強化方針で貿易を巡る混乱も予想されるとした。ムーディーズのシニアエコノミスト、ステファン・アングリック氏らは来年発足する第2次トランプ政権について、新たな関税を打ち出さなくとも米国と中国の貿易摩擦は「日本と韓国、台湾に深刻な打撃を与える」とリポートで指摘し、25、26両年の経済的打撃は「米国と中国への高いエクスポージャーを考慮すると、台湾の方がより大きくなる」との見方を示した。
同日付ロイター通信は、今年5~9月の成長率について、人工知能(AI)ブームでハイテク製品の需要が拡大し、昨年の1.31%増から大幅に加速することになったと報じる。また来年のGDP予測の3.29%増について、主計総処は「AIブームが電子機器や通信製品の輸出を後押ししている。ただ、伝統的な商品の輸出は過剰供給能力のため依然低調だ」と指摘していると述べ、さらに以下のように報じる。
主計総処は、「中国は景気浮揚のため緩和的な金融・財政政策を導入しているが、不動産市場は依然低迷している。これに加え、米中の緊張激化が成長のおもしとなっており、今後もこうした状態が続くだろう」と述べた。一部のアナリストは、トランプ次期米大統領が示唆している一律の関税を考えると、今回の予測は楽観的すぎるかもしれないと指摘している。来年の輸出の予測は前年比5.98%増、今年の輸出は8.71%増とそれぞれ予想されている。なお来年の消費者物価指数(CPI)の予測は1.93%の上昇となり、中央銀行の目標である2%上昇をわずかに下回るが、今年の予測である1.85%上昇をわずかに上回る見通しである。
以上のように、行政院主計総処の発表によれば、台湾の経済成長率は今年、来年共にそれぞれ4.27%増、3.29%増へと上方修正された。今後、台湾の経済情勢に影響を与える要因としては米貿易政策、特に新たに課されるとみられる関税問題と経済を牽引するAI需要の動向が指摘されているが、特に新関税の輸出に与える影響が懸念される。
これとは別にロイター通信は、25年の予算案における防衛費の増加についても伝えている。それによると、防衛費が前年比7.7%増の6,470億台湾ドル(202億5,000万米ドル)となり、来年の予測経済成長率の伸びを大きく上回っている。国防部は防衛費についてGDPの3%を目標としていると報じられているが、同比率は来年2.45%と、今年の2.38%から上昇するとみられている。中国の脅威の高まりに対応し、台湾は軍の近代化を重要政策と位置づけており、台湾製潜水艦の開発を含め引き続き防衛費増強の方針を表明している。防衛費の動向にも注目していく必要がある。
韓 国
☆ 政治的混乱で動揺する市場と経済
12月3日、尹錫悦大統領が突如、非常戒厳を発令した。非常戒厳は韓国憲法が定める戒厳令の一種で戦時、事変などの非常事態で軍事上の必要がある場合や公共の秩序を維持するために大統領が布告するもので、行政や司法の機能を軍が掌握することになる。これに対して国会はすぐに解除要求決議を190対0で可決し、尹大統領はこれに従って閣議を開催し、4日午前4時半ごろに非常戒厳の解除案を承認した。戒厳令が短時間で解除されたことから韓国の民主主義はここ数十年で最大の試練を乗り越えた。ただし12月6日付ニューヨーク・タイムズは、すでに揺らいでいた韓国市場が政治的混乱でさらに動揺していると概略以下のように伝える。
緊迫した一夜を経て、韓国政府当局者は市場への「無制限の」支援を約束した。株価のベンチマーク、コスピ指数は1.4%下落し、前日の大幅下落からやや回復した。大手銀行の株価は特に大きな打撃を受け、金融セクターを対象とする指数は約4%下落した。サムスン電子は1%、現代自動車は2%以上下落した。韓国の株式市場はすでに世界で最もパフォーマンスの悪い市場のひとつとなっていた。今年に入ってから7%以上下落しており、各国で多くの主要指数が2桁の上昇を記録しているのとは対照的だ。
他方、急落した韓国ウォンは一夜明けて政策当局が通貨支持を表明したことで上昇した。ウォンはここ数ヶ月、アジアで最も弱い通貨のひとつで対ドルでは今年8%以上下落していた。韓国の崔相穆(チェ・サンモク)副首相兼企画財政相(財務相に相当)は、戒厳令が布告されてから1時間以内に中央銀行と主要な金融規制当局の関係者とソウルで会議を開いた。当局は毎日会合を開き、株式・債券・為替市場が安定するまで「無制限の流動性支援」を約束した。崔副首相は2日、政府は経済を守ることに集中し、主要経済国の当局と「緊密に連絡を取り合う」と語った。「政府は経済の懸念に対処し、企業活動や日常生活の混乱を最小限に抑えるために最善を尽くす」と述べた。
中央銀行である韓国銀行も市場の「根底にある不安を考慮して」水曜日に緊急会合を招集したと声明で発表し、市場と為替変動を落ち着かせるために「積極的に」様々な措置を講じると述べた。韓国銀行は先週、「米新政権の政策によって成長とインフレをめぐる不確実性が高まった」ことを理由に意外にも利下げを行った。野党議員が尹大統領の退陣を要求するなか、アナリストや投資家は韓国の政治的混乱がいつまで続くかを見極めようとしていた。調査会社フィッチ・ソリューションズの一部門であるBMIのアナリストは、「韓国銀行と財務省が投資家を安心させるために迅速に対応したため、経済と金融市場への影響は限定的である」と述べた。韓国銀行の措置は「ウォンをめぐるリスクは抑制されたままである」ことを意味するとメモに記している。
以上のように、12月3日に尹大統領は突如非常戒厳を発令したが、翌朝に解除されたことから韓国の民主主義はここ数十年で最大の試練を乗り越えたとされた。しかし経済的には株価や通貨ウォンが下落するなど、株式、通貨、金融などの市場には一時動揺が広がった。ただし政府による「無制限の流動性支援」を行うとの約束などの迅速な対応や、韓国銀行が事前に利下げを行っていたなどの状況に支援されて大きな混乱は避けられたと言える。とはいえ政治、経済、社会情勢を引き続き注視していく必要があると思われる。
北 朝 鮮
☆ 金総書記、最側近をロシアに派遣
金総書記自らが「側近」と呼ぶキム・ヨンボク副総参謀長(以下,キム氏)を北朝鮮のロシア派遣部隊総指令官として送ったと11月22日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナが報じる。記事によれば、同氏は「暴風軍団」の異名を取る特殊部隊のトップを務めた経歴などから、目立たぬように身元を隠す必要があったためにめったに表舞台に姿を現さず、名前が言及されることすらなかったが、今や北朝鮮の「顔」として注目されているという。記事は概略以下のように報じる。
キム氏はロシアに派遣された北朝鮮軍のトップだ。ロシアは、国土の一部を占領したウクライナ軍を撃退する構えで、1万1,000人余りの北朝鮮兵が現地でこれを支援している。ウクライナと韓国の当局者は、キム氏が現地入りしたことを確認した。バイデン米大統領は先日、ウクライナが米国製長距離ミサイル「ATACMS」を使用してロシア領内を攻撃することを容認した。北朝鮮軍のロシア派遣が動機の一つとなった。ウクライナは19日にATACMSを初めて発射し、ロシア西部ブリャンスク州の弾薬貯蔵施設を攻撃した。正式には朝鮮人民軍総参謀部の副総参謀長の肩書を持つキム氏は、北朝鮮軍をロシア軍に統合させ、戦場での知識・経験を吸収して本国に持ち帰り、将来の派兵準備を整える任務を負っているとみられる。
ロシアに派遣される北朝鮮兵の数は最終的に10万人に達する可能性がある。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は19日にそう語ったが、具体的な根拠は示さなかった。キム氏が直接、戦闘の指揮を執ることは予想されていない。だが軍の最重要幹部の1人を派遣したことは、北朝鮮が来年以降もロシアを支援する意図の表れだとみられる。キム・ヨンボク氏は金正恩氏の傍らでペンとメモ帳を持つ姿がたびたび目撃されている。最近までキム氏の身元はほとんど公表されていなかった。仮に朝鮮半島で戦争が始まれば、彼の指揮下にある総勢約20万人の特殊部隊(世界最大規模と考えられている)が極秘任務を遂行することになるからだ。韓国国防研究院(KIDA)の研究フェロー、チョン・キョンジュ氏はそう指摘する。北朝鮮はロシアに対し、信頼できる人物が派遣部隊(その一部は特殊部隊)を率いることを示すため、キム氏に脚光を当て始めたという。
「これまでは彼を隠れた存在にしておく理由の方が大きかった」とチョン氏は話す。「だが水面下では、キム氏は自分が信頼に足る人物だと明確に証明してきた」
プーチン大統領が6月に平壌を訪問し、両国が相互防衛条約の盛り込まれた協定で合意した後、北朝鮮はキム氏を影の世界から引っ張り出すようになった。金正恩総書記に同行する側近としての姿がたびたび目撃された。両氏は共に洪水の被災地を訪れ、特殊部隊の訓練を視察し、砲兵隊の演習を見学した。キム氏は40歳の独裁者の傍らでペンとメモ帳を手にしていることが多かった。北朝鮮の国営メディアが直近でキム氏を取り上げたのは10月6日だった。それから数日以内に最初の派遣部隊と共に同氏はロシア入りしたと考えられている。
キム氏は2015年に軍の特殊部隊トップに昇進した際、国営メディアで言及されている。翌年には国の最高政策決定機関である朝鮮労働党中央委員会のメンバーに選ばれた。キム氏が重要な地位を占めることは、金正恩氏が北朝鮮軍の主要指揮官らに抗日ゲリラ闘争の聖地とされる「白頭山」と名づけた記念の拳銃を贈った2020年7月の会合でより明確になった。キム氏は贈られた銃を手に正恩氏から1人置いた隣の位置で写真に収まっている。キム氏は再び表舞台から姿を消していたが、今年3月、朝鮮人民軍のナンバー3である現在の役職が明らかになった。三つ星将軍の同氏は軍最重要幹部10人の一角を占め、ロシアでの任務が成功すればさらなる昇進の可能性があると北朝鮮ウォッチャーは話している。米シンクタンク、スティムソン・センターで北朝鮮指導部を調査するマイケル・マデン氏によると、「金正恩氏はロシアにこう伝えている。『最高幹部の一人を派遣しよう。私の隣にいる側近だ』」。
米韓をはじめとする各国が最も懸念するのは、北朝鮮が同国軍の派遣を通じ、ロシアからの見返りとして核やミサイルの機密技術を獲得する可能性だ。韓国の国防相は北朝鮮が最近発射した大陸間弾道ミサイル(ICBM)について、ロシアが支援した可能性を排除できないと述べた。大規模な部隊とキム氏のような上級将校の派遣は、北朝鮮がロシアへの肩入れに本腰を入れていることを示すと、米シンクタンク、アトランティック・カウンシルで上席客員フェローを務める山口亮氏は指摘する。それはまた、北朝鮮がロシアに自分たちの取り分を求め、より高度な技術をロシアから獲得するための交渉が可能なことを意味すると山口氏は述べた。
以上のように、北朝鮮は朝鮮人民軍総参謀部の副総参謀長の要職ある側近のキム氏をロシアに派遣した北朝鮮軍のトップとして送り込んだ。同氏の任務は、北朝鮮軍をロシア軍に統合させ、戦場での知識・経験を吸収して本国に持ち帰り、将来の派兵準備を整えることにあるとみられている。同氏はもともと朝鮮半島で戦争が始まれば、指揮下の総勢約20万人の特殊部隊が極秘任務を遂行する立場にあるとされており、今回のロシアへの兵員派遣の目的の一つが朝鮮半島有事に備えた対策であったことを示している。同時に、6月のプーチン大統領の平壌訪問による相互防衛条約の協定合意後にキム氏を影の世界から引っ張り出すようになったとされており、このことは、ロシアから核やミサイルの機密技術を獲得するための金総書記のやみくもの努力をも明示していると考えられる。
東南アジアほか
ベトナム
☆ 米中紛争の只中に立たされるベトナム政府
ベトナムがトランプ関税で大損害を被る危険性があると11月18日付フィナンシャル・タイムズが伝える。その理由として記事は、莫大な対米易黒字を築いたベトナムはその成功の犠牲者になる可能性があるためだと述べ、以下のよう報じる。
ベトナムは、ドナルド・トランプ大統領の最初の任期中、中国との貿易戦争の最大の受益者の一人だった。しかし、トランプ次期大統領が一律関税を課すという脅しを実行に移せば、ベトナムは自国の幸運の犠牲者になりかねないと経済団体やアナリストは警告している。ベトナムは近年、対米貿易黒字で中国、メキシコ、EUに次ぐ第4位を記録しているが、これは世界の製造業がトランプ大統領の関税の影響を避けるために中国から工場をシフトしたためだ。しかし、この「チャイナ・プラス・ワン」の成功は、ベトナムを脆弱な立場に追いやった。ベトナム経済は、輸出の30%近くを占める米国に大きく依存している。ホーチミン市にある法律事務所Dezan Shira & Associatesのアセアン・ディレクター、マルコ・フェルスター氏は、「ベトナムは今後、特に中国への関税を回避するためにベトナムを経由する商品について、より厳しい監視に直面する可能性が高い」と述べた。
トランプ大統領は、中国からの輸入品に60%、その他のすべての国からの輸入品に最大20%の関税を課すと宣言している。シンガポールの銀行、OCBCのエコノミストは、昨年5%だったベトナムの経済成長率がこのような措置により最大4%ポイント低下する可能性があると警告している。「ベトナムに関税が課されれば、その影響は壊滅的なものになる可能性がある」とフェルスターは語った。トランプは大統領選挙戦ではベトナムについて言及しなかったが、2019年にはベトナムを「ほとんど唯一、誰にとっても最悪の虐待者」と呼んだ。「ベトナムは中国以上に我々を利用している」と彼はFox Businessに語った。
こうした情勢のなか企業が動揺している。在ベトナム韓国商工会議所のホン・スン会頭は、「在ベトナム韓国企業の一部は、トランプ新政権による潜在的な関税を懸念している」と述べた。韓国は長い間、ベトナムのトップクラスの海外直接投資先であり、エレクトロニクス・グループのサムスンはベトナム最大の投資先である。米国がベトナム製品に関税を課した場合、韓国企業はベトナムへの投資や生産を遅らせたり、減らしたりするかもしれないとホン氏は言う。ベトナムの政府関係者は、トランプ大統領の貿易敵視がもたらす潜在的なリスクをよく理解している。ベトナムのルオン・クオン国家主席は、先週ペルーで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APECS)サミットで「孤立主義、保護主義政策、貿易戦争は経済不況、紛争、貧困を招くだけだ」と事実上の警告を発した。今こそ、これまで以上に「ゼロサムゲーム」の考え方を超越し、ナショナリズムが政策決定を歪めるのを防ぐことが重要だと述べた。
東南アジア全体が米中貿易戦争の恩恵を受けた一方で、ベトナムほど中国に近く、ビジネス・フレンドリーな政策と優遇措置のおかげで投資誘致に成功した国はない。外国からの投資は昨年366億ドルに達し、ベトナムの対米貿易黒字は1,040億ドル以上に急増し、トランプ大統領が就任した2017年の380億ドルの約3倍に達した。タイは約410億ドルの対米貿易黒字でこの地域ではダントツの2位である。トランプ大統領の退任後、米越関係は強化されている。両国は昨年、ハノイが与える外交関係の最高レベルである「包括的戦略パートナーシップ」に関係を格上げした。ジョー・バイデン大統領はベトナムを「世界の重要な大国であり、この重要な地域の木鐸」と呼び、トランプ大統領が押し付けた「為替操作国」のレッテルを剥がした。米国はまた、中国による先端チップ製造へのアクセスを制限するキャンペーンの一環として、ベトナムでの半導体生産を後押しする取り組みを支援してきた。
専門家によると、ベトナムはトランプ大統領をなだめるために中国の投資に対する監視を強めたり、反ダンピング調査を開始したり、あるいは米国企業から軍事設備や民間航空機、液化天然ガスを購入することで貿易黒字を縮小する措置を取る可能性があるという。ユーラシア・グループの東南アジア担当、ピーター・マンフォードは、「ベトナムは比較的経済規模が小さいため、米国からの輸入を増やすには限界がある」と指摘する。「対米直接投資の面では、ハノイは対米投資を緩やかに増加させることは可能だが、米国政府の貿易懸念を和らげる効果はほとんどないだろう。ハノイは「竹(バンブー)外交」として知られる非同盟外交政策の下、米国や中国と友好的な関係を築いてきた。
しかし、米国からの購入が増えれば、ベトナムは最大の貿易相手国であり隣国である中国を怒らせないように注意しなければならない。
中国からの投資も広範な直接投資とともに急増し、2023年には80%増加した。今年、ベトナムの新規プロジェクトは中国からのものが最大だった。フェルスター氏は、多くの中国製品が「関税を回避するために、時には疑わしい原産地規則や偽の「Made in Vietnam」ラベルの下で」ベトナムを経由していると指摘した。同氏は、ベトナム政府は製品表示のより厳格な基準の確立に取り組んでおり、この動きは次期米政権の怒りを避けるのに役立つだろうと述べた。ベトナムに特化した資産運用会社Dragon CapitalのディレクターであるThuy Anh Nguyen氏は、中国企業からの投資はハノイからの特別な監視に直面するかもしれないが、製造業が中国からシフトし続けているためベトナムはまだより多くのFDIを引き付けるだろうと述べた。ベトナム政府は「関税リスクを軽減するために輸出入慣行を積極的に調整し、貿易協定を交渉し、原産地規則の遵守を強化する可能性が高い」と彼女は付け加えた。
以上のように、ベトナムは近年対米貿易黒字で中国、メキシコ、EUに次ぐ第4位を記録している。その対米貿易黒字は1,040億ドル以上に急増し、トランプ大統領が就任した2017年の380億ドルの約3倍に達した。しかし、この「チャイナ・プラス・ワン」としての成功は、輸出の30%近くを米国に依存することになり、ベトナムを脆弱な立場に追いやった。米国から関税が課されれば、壊滅的な影響を受ける可能性があると懸念されている。ベトナムは、トランプ大統領をなだめるために中国の投資に対する監視を強めたり、反ダンピング調査を開始したり、あるいは米国企業からの輸入を増やすことで貿易黒字を縮小する措置を取る可能性があるとされる。だが、その場合には、最大の貿易相手国であり隣国である中国を怒らせないように注意しなければならないと指摘されている。ベトナムはまさに米中紛争の只中に立たされている。
インド
☆ トランプ関税の恩恵を受ける製造業の実状
再選されたトランプ次期米大統領が公約する中国製品への関税は、インドに機会をもたらすと11月23日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルが伝える。ただし、そのためには工場経営者に道を開く必要があると以下のように論じる。
インドが経済大国になるためには、製造業の活性化が不可欠だ。インドの衣料品産業の苦難は、そのための教訓的な物語である。ドナルド・トランプが当選したことでインドは新たな一歩を踏み出した。トランプは中国製品に高率の輸入関税を課すことを公約しており、南アジアの国々に製造業を増やす可能性がある。しかし、その前にインドは工場経営者に道を開かねばならない。南部の都市ベンガルールで30年近く衣料品製造会社を経営しているA.ダナンジャヤは、高い人件費と何百もの労働コンプライアンス規則に悩まされているという。従業員が100人を超えると、記入する書類や申請するライセンスが増え、経費がかさむからだ。パンデミック(世界的大流行)の前に彼は中国にビジネスを奪われた。この2年間で、大規模で安価なバングラデシュの工場が多くの顧客を奪った。「崩壊は現実のものとなっている」とダナンジャヤは言い、近年は従業員の半数を解雇している。「5年後、衣料品産業が生き残れるかどうかはわからない」。
インドはナレンドラ・モディ首相の下、パンデミック以降、中国からの生産移転を図るアップルのような有名企業を誘致し、大きな話題となった。しかし、エコノミストたちは、中国や韓国などの経済成長の基盤となった労働集約的な製造業のハードルを取り除くためにインドはほとんど何もしていないと言う。世界銀行のデータによると、インドのGDPに占める製造業の割合は、20年前の約17%から2023年には13%に低下している。インド製造業の雇用者数は約6,500万人で、その4倍の人々が農業に従事している。
この失敗は特にアパレル輸出に顕著で、熟練した繊維加工の歴史と膨大な労働力を持つインドが優位に立つはずだった。世界貿易機関(WTO)によれば、インドのアパレル輸出は10年前と比べて11%以上減少し、2023年には150億ドルになるという。同じ期間にバングラデシュの衣料品輸出は50%以上成長して380億ドルに達し、ベトナムの輸出は300億ドルを超えた。世界銀行によれば、この2カ国は、低技能製造業の世界輸出における中国のシェア低下から優位に立つことができた国の最上位を占めている。インドはトップ5にも入っていない。「インドは労働集約的な製造業で劣勢に立たされている。工業化には不向きな分野だが、これほど大きな国が完全に無視することはできない」とエコノミストは指摘する。
インドのアパレル輸出は、最貧国救済を目的とした世界貿易政策など、インドが手を出せない要因による摩擦に直面している。バングラデシュの衣料品輸出は、世界最大のアパレル・バイヤーである米欧への免税アクセスを享受しており、その利点を活かして中国に次ぐ世界最大のアパレル輸出国となっている。しかし、エコノミストや製造業者によれば、バングラデシュやベトナムなどの国々では企業は、特に労働をめぐる規制が企業の進出を阻むインドよりもはるかにスムーズな道を歩んできたという。インドでは、従業員100人超の工場では、労働者の解雇に政府の許可が必要だ。女性労働者が50人以上いる工場では、敷地内に保育所を設置しなければならない。大量注文の迅速処理のために第2シフトを追加する場合にも政府の事前承認が必要だ。ダナンジャヤ氏は、工場が拡張を希望するごとに労働許可証を更新するため、現地の労働局に直接出向かなければならない規制を避けるためにフルタイムの従業員を少人数にしていると語った。労働局には、工場に応急処置の訓練を受けたスタッフがいることや浴室設備があることを証明する必要がある。マネージャーは帳簿をつけたり、時間外労働、事故、給与など何十種類もの労働者名簿を更新することに多くの時間を割いている。労働者には隣国バングラデシュの一般的な最低賃金より45%ほど高い賃金を支払っている。「労働は頭痛の種です。「労働は頭痛の種でしかない」と彼は言う。
多くの州で女性が午後7時以降に工場で働くことを禁止または制限しており、男性労働者は工場シフトよりもギグワークや配達を好むようになっている。そのため、製造工場は1日1シフトに制限されている。ベンガルールで衣料品工場を経営する42歳のサミール・ヤダヴは、既存の工場にもう一つシフトを加えられれば、コストははるかに抑えられると語った。しかし彼は大量注文の納期に間に合わせるため、2016年に第2工場を設立した。そのため、機械、監督者、警備員、許可証にかかる費用は倍増した。過去10年間で彼は半分のコストでシャツを生産できるライバル国にビジネスの約60%を奪われた。経済学者や政策立案者によれば、これは家具から靴に至るまで労働者を大量に雇用できるインド経済の多くの分野で見られるという。
対照的に、バングラデシュは規制権限の一部を同国の主要な業界団体であるバングラデシュ縫製輸出業者協会に委譲することで許可プロセスを合理化している。同協会のショボン・イスラム理事によれば、協会は工場がスタッフを増員する際に即日許可証を発行し、企業に代わって労働省の事務手続きを行っているという。関税免除で生地を輸入するための許可証の一部も税関職員との仲介役を務める同団体が発行している。バングラデシュの工場の60%近くが3,000人以上の労働者を抱えているのに対し、インドでは1工場あたり平均150人である。以前はインドで操業していたイスラム氏は、規制プロセスが合理化されたこともあり、彼と彼のインド人ビジネス・パートナーは、過去10年間、インド南部の都市チェンナイからバングラデシュに工場を徐々に移転していったと語った。
現在、バングラデシュの首都ダッカにある4つの工場の平均従業員数は5,000人で、インドの工場の3倍以上の生産能力を持っていると彼は言う。生産量を増やすと同時にサポートスタッフや保管施設、輸送の重複をなくすことで間接費は30%削減された。「大規模な工場を持てば、スケールメリットは非常に大きくなる」と言う。バングラデシュの工場は、成長を急ぐなかで何度か災害に見舞われたが、1,000人以上の死者を出した工場崩落事故の後、業界は安全性を向上させた。業界関係者によると、バングラデシュの工場では注文を受けてから生産・出荷するまでに2~3週間かかるがインドではその2倍かかるという。モディ政権による労働法の見直しは、300人までの企業であれば政府の許可なしの解雇を可能にするなど、労働法の緩和を目的としていた。しかし労働組合が反発し、法律の廃止を求めるデモ行進を組織したため、まだ広く実施されていない。
インド製造企業は、組織化された労働者の力を警戒して、大規模工場の操業に慎重になっているという。9月には、インド南部のタミル・ナードゥ州にあるサムスン電子の工場でストライキが発生し、操業が1カ月以上麻痺した。労働賃金の引上げ、労働設備の改善、新労組の承認を要求したためだ。フォックスコンやウィストロンを含むアップルのサプライヤーも抗議やストライキに対処している。「ニューデリーのあるシンクタンクのディレクターは、「どのメーカーも1万人規模の工場を設立したがらない。「政治家は労働者を一網打尽にし、それを通じて企業から利権を引き出そうとする」と語る。
インドは輸出関税を引き下げるような自由貿易協定を他国と結べないでいる。これもインド製衣料品を世界の小売企業にとってますます高価なものとしている。同時にインドは、ファストファッションの注文を満たすために工場が必要とする種類の合成繊維に高い関税を課している。インド国内の小売業者や国内市場向けのメーカーは、生産や調達をバングラデシュにシフトしており、インドのアパレル輸入の急増につながっている。
このような不利な状況にあっても成長を続けている企業もある。ニューデリーにある衣料品メーカー、ラドニック・エクスポート・グローバルの創業者一族であるアヌラグ・カプール取締役は、ヒューゴ・ボスやラルフ・ローレンといったバイヤー向けに高価値の衣料品を製造し、また自動車やアクセサリー向けのテクニカルファブリックに多角化することで自らを守ってきたと語る。カプールは、トランプ大統領の当選と8月に首相を追放したバングラデシュの政情不安が彼の会社のような大手アパレルメーカーにチャンスをもたらすと期待している。
しかし、それは容易なことではない。トランプ大統領が一部の衣料品を無税で輸入できるインドの特別貿易資格を取り消し、インドが米国企業を締め出していると非難したため、彼の家族は2019年に窮地に追い込まれた。トランプ大統領はハーレーダビッドソンのオートバイに50%の輸入関税を課すなど、インドの保護主義的な政策を繰り返し非難した。我社がシンプルな衣服の製造だけにこだわっていたら、業界の80%と同じように苦境に立たされていただろうと彼は言う。「自分自身を改革すること、それが生き残るための唯一の方法だった」。
以上みてきたように、インド製造業はバングラデシュやベトナムなどと比較して、その生産性がインド特有のレッドテープやその他の事情によって大きく阻害されている。例えば、高い人件費と何百もの労働コンプライアンス規則、組織化された労働者の力、輸出関税を引き下げるような自由貿易協定を他国と結べないでいることなどが挙げられている。こうした製造業のハードルを取り除くためにインドはほとんど何もしていないと記事は批判する。このため、インドのアパレル輸出は10年前と比べて11%以上減少し、2023年には150億ドルに低下するという。同じ期間にバングラデシュの衣料品輸出は50%以上成長して380億ドルとなり、ベトナムは300億ドルとインドの2倍を超える規模に達している。モディ政権によるインド製造大国化の努力は前途遼遠である。
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主要紙の社説・論説から
米大統領選後の米国と世界―現代的だが古い考えへ回帰する米新政権と身構える世界
11月5日に行われた米国大統領選挙と議会選挙でドナルド・トランプ前大統領と共和党が事前の予想をくつがえして圧勝した。第2期トランプ政権は与党の共和党も上下両院を制したため、まさに順風満帆の船出となった。以下は主要メディアの報道と論調の要約である。メディアの資料は下記のとおり。
11月6日付エコノミスト誌社説「The presidential election Welcome to Trump’s world (米国大統領選挙 トランプの世界へようこそ)」
11月1日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナル記事「The Three Reasons Harris Will Lose the Election (日本版記事:【寄稿】米大統領選、ハリス氏が負ける三つの理由)」
11月7日付フィナンシャル・タイムズ社説「Trump’s new world order (トランプの新世界秩序)」
11月9日付ワシントン・ポスト社説「Saving trade from Trump (トランプから貿易を守れ)」
11月21日付ニューヨーク・タイムズ論説記事「How Hostility to Immigrants Will Hurt America’s Tech Sector (移民への敵意が米国のハイテクセクターをいかに傷つけるか)」。筆者は同紙オピニオン・ライターでノーベル経済学賞の受賞者であるポール・クルーグマン氏。
要約:上記メディアの報道と論調を次の5つの観点からまとめてみる。第1は、トランプ陣営圧勝の実状とその意義、第2に圧勝の背景とその要因、第3に米国国内情勢に及ぼす変化、第4に世界に対する経済的影響、第5に世界の政治、安全保障に与える影響である。
第1のトランプ圧勝の実状と意義についてメディアは次のように報じる。トランプ氏は激戦州のほとんどを制し、フロリダ州、ニュージャージー州、ニューヨーク州など優勢とは言えなかった州でも大きく票を伸ばした。世論調査の予想どおり、トランプ氏はラテン系男性の支持を大きく伸ばし、女性票もトランプ氏に傾いた。その勝利は、共和党が下院を維持したうえに上院を奪還したことで完璧となった。
さらにメディアは、トランプの勝利は、テクノロジーの進化とメディアの分裂によって法律と政治、政治とショービズを区別することが難しい時代に可能となったという意味で極めて現代的だと評する。しかし、それは米国の古い考えへの回帰でもあると指摘する。なぜならば、ファシズムとの戦によってルーズベルトが世界に秩序と繁栄をもたらすことが自国の利益であると確信する以前、米国は移民を敵視し、貿易を蔑視し、外国との関係に懐疑的であったからだと述べ、1920年代と1930年代のような暗い時代が再来するかもしれないと懸念を示す。
第2のトランプ圧勝の背景と要因についてメディアはまず、有権者がバイデン政権の失政を許さなかったと次のように報じる。どの世論調査によっても、ジョー・バイデン大統領のもとで国は間違った方向に進んでいた。2021年夏に始まったインフレの爆発を有権者は決して許さなかった。バイデン政権は、ほとんどの米国人とかけ離れた文化観、特にトランプ陣営のキャンペーン広告で多く取り上げられたセックスとジェンダーに関する文化観を推進した。とりわけ、南部の国境を越える不法移民を阻止できなかった民主党に全米の有権者が激怒した。民主党はバイデン氏の欠点が否定できなくなるまで隠蔽することで、その誤りをさらに深めた。
こうした民主党の失政と関連して、同党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領の敗因についてメディアは3つの理由を挙げる。第1にハリス氏がフランクリン・D・ルーズベルト、ハリー・トルーマン、ジョン・F・ケネディなどのような伝説的人物像と対比されることが弱点となり、民主党支持グループが予想以上の規模で共和党から離反したことを挙げ、第2にハリス氏の国政という荒波の中に入っていくための準備不足を挙げる。そうした実例として、テレビインタビューでの同氏の支離滅裂な受け答え、バラク・オバマ元大統領や同氏の息がかかった人々や国内メディアなどの擁護者への依存、難題や試練を十分に受けることなく政界で成功したことなどを挙げる。第3にバイデン大統領の失敗から距離を置かず、自身の大義の土台に中身がないことを露呈したと述べる。一連の著名人による民主党支持の動きについても崩壊しつつあるハリス陣営の見せ掛けのキャンペーンを盛り上げたに過ぎないと指摘。そのうえでハリス氏はライフジャケットを着ないで泳ごうとする未知のスイマーで力量に欠け、大舞台には準備不足で内容が混乱した主張をしていると評する。
次いでメディアは、現在トランプ氏には役立つが、米国の民主主義には役立たない米政府のメリットに対する皮肉と絶望が広がっており、これは有権者が2020年のバイデン氏への権力移譲を阻止しようとする議会襲撃を見過ごし、対立候補を腐敗した裏切り者として中傷するなど、党派性を政治の基盤として際限なく利用するトランプ氏を支持するという間違いを犯したことが背景にあると指摘する。このため70年間ホワイトハウスを占めてきた良識ある国際主義者に対する偶像破壊運動が進行中だと述べる。それを推進しているのがMAGA (米国を再び偉大にする運動)だと指摘する。
第3に今後の米国内情勢に与える影響については、共和党が上下両院とホワイトハウスを支配することにより、トランプは1期目よりもはるかに大きな裁量権を得ることになり、同調的な最高裁判所からも恩恵を受け、トランプ大統領が権力を濫用する誘惑は強いだろうと述べる。国内でトランプがより強権的な政策を強行しようとすれば、反対派は法廷で戦わなければならなくなる。その最たるものが、不法移民の大量強制送還と政府機関の粛清である。米国の制度は今回、さらに厳しく試されることになるだろう。トランプ大統領のウォール街の支持者たちもまた試練に直面している。トランプ大統領のアジェンダの暗黒の面を見過ごしてはならない。減税という短期的な魅力だけでなく、新たな関税の脅威や貿易戦争がもたらす壊滅的な影響など、長期的なインフレへの影響も考慮する必要があると論じる。
国内情勢に大きな影響を及ぼす問題としてトランプ氏の移民政策がある。これについてニューヨーク・タイムズのオピニオン・ライターでノーベル経済学賞の受賞者であるポール・クルーグマン氏が次のような見解を伝えている。トランプ氏は国家非常事態を宣言し、大量の不法移民を一網打尽にするために軍隊を派遣する意向を表明しており、それが人道上も市民の自由の見地からも悪夢となるだろう。不法移民の大量の強制送還は、農業、食肉加工業、建設業など移民を大量に雇用している産業に人手不足をもたらし、加えて合法的に入国している労働者も摘発に巻き込まれる可能性が物価を上昇させるだろう。正直なところこの事態がどうなるかはわからないし、誰もわからないだろう。
さらに、こうした移民への敵意は労働力不足を生み出すだけでなく、米国の技術的リーダーシップに対する脅威となり、テクノロジーにおける米国のリーダーシップを損なうだろう。米国の技術部門は世界の驚異である。ただし米国の躍進について私が興味深く思うのは、それが広範囲に及んでいないことである。欧州人はほとんどのことを我々と同じようにやっている。米国がリードしているのはデジタル技術である。米国のデジタル技術を牽引したのは、シリコンバレーのテクノロジー・クラスターが生み出すネットワーク外部性を筆頭に複数の原因があることは間違いない。しかし、米国のテクノロジー・ハブで時間を過ごせば、移民(多くの場合、南アジアや東アジアからの高学歴移民)もまた、この物語の重要な一部であることが明白になる。トランプが主導するMAGAの反感の矛先は、ブルーカラーの仕事を奪う非正規移民であって、インドから来たハイテク技術者ではないと思うかもしれないが、第1期トランプ政権は、非正規雇用のブルーカラー労働者だけでなく、合法的で高学歴の移民に対しても敵対的だった。高スキルの外国人向けビザの取得や更新を大幅に難しくしたのだ。彼らは、同じような政策が再度実施されることを恐れている。
トランプの側近が何を信じているのかを知りたいのであれば、2016年にミラーとスティーブ・バノンの間で交わされた会話を見たらよい。バノンは、合法的な移民こそが真の問題だと断言し、彼が米国人に与えるべきだと考えるITの仕事をさせるために外国人を連れてくる「オリガルヒ」を非難した。「よくぞ言ってくれた」とミラーは答えた。それでは、イーロン・マスクを筆頭とするオリガルヒの何人かがトランプ支持者だったことは問題にならないのだろうか。おそらく、考えられているほど大きな問題にはならないだろう。歴史的に権威主義的な指導者から影響力を買ったと思い込んでいるオリガルヒは、お金よりもその指導者の善意に依存することの方がはるかに大きいことに気づく。特にマスクは、トランプが彼を必要としている以上に自分がトランプを必要としていることにすぐ気づくだろう。だから、移民に対する反感が高学歴労働者を排除することになれば私は非常に驚くだろう。米国がこれほどまでに世界の優秀な人材を惹きつけられた理由のひとつは、社会の開放性にある。その時代が終わりを告げるかもしれない。10年後の私たちは、移民を敵視することによって、アメリカを実際に偉大なものにしているもののひとつであるテクノロジー部門を弱体化させたことを痛感しているだろう。
第4に世界経済に与える影響についてメディアは、古い秩序を破壊したトランプ氏は戦前の重商主義への回帰を加速させるだろうと述べる。関税の信奉者である同氏は、貿易赤字は外国人が自国を馬鹿にしている証拠だと主張する。また減税を推し進め、財政赤字をさらに拡大させるだろう。大規模な規制緩和を約束しているが、世界一の大富豪であるイーロン・マスクのような支持者のために特別な取引を行う危険性もある。そのうえでメディアは、私たちが望むのはトランプ氏がこうした落とし穴を避けてくれることだと述べ、危惧するのはトランプ氏が大統領在任中に最も過激で自由奔放になることであり、特に米国史上最高齢の大統領として権力が衰え始めた場合に懸念されると指摘。また政権内に同氏をコントロールできる人材を登用しないとみられることに危惧を示す。
貿易政策、とりわけ関税政策についてメディアは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の下で国務長官を務めたコーデル・ハルの「貿易によって国家を縛ることは戦争そのものをなくすことにつながる」とのコメントを紹介し、彼は正しかったと主張。この考え方が戦後を通じて米政府の戦略を支え、世界貿易機関(WTO)の設立や北米自由貿易協定(NAFTA)などの貿易協定の締結、中国のWTO加盟、バラク・オバマ大統領によるTPP(環太平洋経済連携協定)交渉につながったと指摘する。しかしトランプ第1次政権がTPPを消滅させ、敵味方に対して関税を引き上げたことからこの戦略は息絶えたと述べ、この戦略が持ちこたえていたとしても米経済を関税の壁で囲い込むというトランプ氏の新たな公約は、他国との経済関係構築による平和と繁栄の促進という米国の公約の完全放棄を示唆すると指摘する。そして、このことは世界各国に対して身構えるべきだというメッセージと同時に米国に残っている自由貿易主義者たちに対して、貿易が紛争を防ぐためのツールではなく、紛争の理由になろうとしていることに懸念を抱くべきだとのメッセージを発していると強調する。
次いで、米国はもはやかつてほど重要な市場ではなくなったと述べ、世界の輸入品に占めるアメリカの割合は、今世紀初頭の19.6%から13.5%に低下していると指摘。また米国の戦略的思考を支配した自由貿易のアジェンダは、完璧に機能したわけではないことも確かだと述べる。NAFTAはメキシコを豊かな経済大国に変えられず、貿易主導の繁栄は、中国に民主主義や西側諸国が考案した行動規範を受け入れさせられず、むしろ中国のWTO加盟が製品輸入の津波を引き起こし、米国の製造業の雇用減少を招いたと指摘する。しかし、ハルの見解は依然として正しいとし、米国が中国のWTO加盟を阻止していたら中国との関係はもっと緊迫し、NAFTAがなければメキシコの貧困は拡大し、多くの人々が国境を越えてきただろうと指摘。要すれば、環太平洋に沿って強力な同盟関係を構築すること、つまり中国による債務庇護から各国を解放する手助けをすること、西側諸国とのウィンウィンの経済関係に各国を招き入れることが地域における中国の影響力を制限する最も効果的な方法だと提言する。
他方、共和党内では、トランプ氏がすべての国に関税を課すと公言したのは交渉のための方便で、貿易相手国が市場アクセスや米国の知的財産保護という点で米国に有利な提案をするための誘い水に過ぎないという見方があると述べる。こうした考えの方が米国の貿易赤字解消とか、競争に勝てない国内産業の保護といった信じ難いような(implausible)目標のために米国を鎖国する(closing off the United States)よりも断然良いだろう。そのような「勝利」で十分だとトランプ氏を説得できれば、米経済と米国の海外における影響力は打撃を受けずに済むかもしれない。
第5に世界の政治、安全保障面に与える影響についてメディアはまず、トランプ氏の勝利の意味が完全に浸透するには時間がかかるだろうと指摘する。米国は政治の衰退にもかかわらず依然として卓越した大国で経済は世界最高水準にあり、人工知能を支配し、人民解放軍が追い上げてきているとはいえ、米国の軍隊は他の追随を許さない。しかし、米国の啓発された利己心、あるいは利他的利己主義がなければ世界はいじめっ子のものになるだろう危惧する。そうなると、強国は軍事的経済的に結果を恐れることなく隣国をいじめられるようになる。米国に救済を求められない被害者は妥協したり屈服したりする可能性が高くなる。気候変動問題への取り組みから軍備管理までグローバルなイニシアティブはますます難しくなる。トランプ氏は間違いなく、これは世界の問題であって米国の問題ではないと反論し、トランプ氏の下で米国人は対外的な責任の重さから解放され、悠々自適の生活を送れるだろう。しかし、2つの世界大戦と1930年代の破滅的な貿易崩壊を見れば、米国にそのような余裕はないことがいずれわかるだろうと指摘する。
そのうえで、ルーズベルト以降の数十年間、米国の外交政策は同盟関係を通じて機能していたがトランプ氏は同盟国を揺さぶられるカモとして扱うだろうと述べる。トランプ氏は、自分は予測不可能なので米国の敵対勢力は臆して何もできなくなるだろうと言いたがるが、その脅しが虚勢に見えるなら予測不可能な行動は中国やロシアの侵略を助長することになりかねないと指摘する。また、はっきりしているのは不確実性が米国の同盟国、特にヨーロッパに犠牲を強いることだと述べ、トランプ氏を当てにできないと思えば、米国の同盟国は防衛費を増やさざるを得なくなり、十分な通常兵器を調達できなければ、英仏に続いて核兵器の保有を目指す国も出てくるだろうと不気味な予想をする。またトランプの勝利は他の国の模倣者たちを刺激するだろうと述べ、ブラジルでは、2016年のトランプ勝利後にジャイル・ボルソナロ氏が当選し、フランスではマリーヌ・ルペンが2027年の大統領になる可能性が高まり、2020年以降、衰退したかに見えたナショナリスト・ポピュリストの国際的な動きが復活するだろうと予想する。トランプ氏が公言しているように敵対勢力に対して司法制度を利用するならば、それは危険な模範となるだろうと述べ、さらに以下のように懸念を表明する。
今回の米大統領選は、米国だけでなく世界にとって計り知れない波乱に満ちた結末を予感させる選挙結果で、選挙民は経済、国家安全保障、世界に関する彼の歯切れのよい「米国第一主義」の処方箋の方が有罪判決を受けた重罪犯としての彼の前科や予測不可能性、民主主義の規範を軽んじるという評判などよりも重要だという結論に達したようだ。その政策の多くは、無謀とまではいかなくとも口先だけの思い上がったものに聞こえるかもしれないが、実際、その多くはそうだ。しかし1期目とは異なり、今回は自分が何をしたいのかがはっきりしており、真の信奉者たちにも支えられている。世界経済、アメリカの同盟国、そして1945年以降の国際秩序にとってこれは大きなリスクであり、災いをもたらす恐れもある。これは、西側諸国全体で広範に自由民主主義的価値観の魅力が崩れ去ることを告げる異常な復活の物語である。
同時にトランプ氏の勝利は次のようなことを例示している。それは政治に対する全体的な倦怠感であり、左派の行き過ぎた進歩的政策、有権者が民主主義の目的そのものを成果がみられなければ疑問視する現象である。そして、欧州の中道派指導者たちもポピュリスト右派と対峙する際には、こうした感情を考慮した方がいいだろうと助言する。
また今回の米大統領選挙では、さまざまなことが宙に浮いたままであると指摘する。ウクライナにとっては不確実性が特に大きい。トランプは戦争を終わらせると主張しているが、それはロシアの条件によるものであることは間違いない。ウクライナ政府と北大西洋条約機構(NATO)にとって大きな懸念は、トランプ大統領がウクライナを安全保障のない状態のまま残し、ヨーロッパを分裂させるような軽率な協定を結ぶことだ。台湾もトランプ大統領が中国から台湾を守るべきかどうかを公然と自問していることから不安であろう。トランプ大統領の側近は、これは単なる戦略的曖昧さだと指摘しているが。中東では、トランプは平和をもたらすと主張しているがそれが何を意味するのか、またイスラエルとともにイランに対抗して米国の力を展開することを含むのかどうかについては明確にしていない。トランプが国家安全保障の大役に誰を選ぶかによって多くのことが決まるだろう。
トランプ新大統領は、米国の戦略的競争相手である中国への関税引き上げだけでなく、対米貿易黒字国へのペナルティにも執着している。米国の同盟国にとっては、困難な日々が待ち受けている。米国に伝統的な安全保障の保証者の姿勢を期待することは、はるかに難しくなっている。トランプ大統領は奇想天外で取引的であることを公言している。ジョー・バイデンが育み続けた同盟のネットワークよりも、彼にとっては2国間関係の方が重要である。それを承知で東アジアやヨーロッパの同盟国はトランプに個別に接近するだろう。しかしNATOをはじめとする地域同盟は維持されなければならない。そうでなければ、勝者はロシアと中国になるのは確実だ。また米国の傘の下に長くいた国々が、長期的な防衛に目を向ける必要があると考え、米国主導の同盟ネットワークが衰退すれば、核拡散につながりかねない。
最後にメディアは次のように論評する。少なくとも今後4年間は、米国のリーダーシップのあり方が変わることは明らかだ。多国間機関は軽視され、多国間条約はすべて破棄されるだろう。このようなアプローチは、グリーンエネルギーへの移行や地球温暖化防止の取り組みに悲惨な結果をもたらす恐れがある。トランプが誇る予測不可能性の明るい兆しのひとつは、ロシアや中国の独裁者たちもトランプの腹を探り続けることだろう。しかし、トランプ氏の当選は、世界中の権威主義的指導者たちに力を与えることにもなる。米国は世界の不完全なリーダーであるかもしれないが、どの政党がホワイトハウスを占めようと、そのリーダーシップについては常に確実なものがあった。悲しいことにトランプの世界秩序が形作られるにつれ、そのような確かなものは失われていくだろう。
結び:今回の米大統領選挙の意義については、背景にテクノロジーの進化とメディアの分裂があるという意味で、極めて現代的だとの見方はそれなりに理解できる。同時に有権者が米国の古い考え方へ回帰したというとらえ方にも説得力がある。トランプを支持した有権者の考え方の一面を端的に物語っていると言えるからだ。またトランプ陣営圧勝がバイデン麾下の民主党陣営の失政に追うところ大なのは確かであろう。しかも、土壇場まで次期大統領候補の地位にしがみついたバイデン氏の代役が、ライフジャケットを着ないで泳ごうとする未知のスイマーと評されたカマラ・ハリス副大統領であったこともトランプ陣営圧勝の主因の一つとなった。またメディアは、トランプ陣営は選挙戦でMAGAを旗印として戦ったが、それは70年間ホワイトハウスを占めてきた良識ある国際主義者に対する偶像破壊運動となったと評する。これも国民一般から遊離した民主党陣営の徹底した敗北を物語る見方と言えよう。
それでは、徹底した勝利を手に入れて、権力濫用の誘惑に駆られているトランプ次期政権は米国と世界に何をもたらすのか。米国についてメディアは、不法移民の大量強制送還や米政府機関の粛清、減税推進による財政赤字の拡大、そして長期的なインフレ可能性などと共に大規模規制緩和が大富豪のイーロン・マスクのような支持者のために特別な取引を行う危険性も挙げる。特に米国にとって身構える必要があるのは、貿易政策だけではなく、トランプ移民政策がある。移民への敵意は、米国内で労働力不足を生み出すだけでなく、テクノロジーにおける米国のリーダーシップを損なうという指摘は注目に値する。米国がこれほどまでに世界の優秀な人材を惹きつけられた一因は、社会の開放性にあるが、その時代が終わりを告げるかもしれないという懸念は米国にとって一大警告であろう。これに関連してイーロン・マスクを筆頭とするオリガルヒの何人かがトランプ支持者だったとの問題が提起されているが、考えられているほどの問題にならないだろうとの見方が提示されているのにも注目したい。
世界に対しては重商主義への回帰や新たな関税の脅威と貿易戦争の悪影響、貿易が紛争を防ぐためのツールではなく、紛争の理由になろうとしているリスクなどを挙げ、利他主義的思考をやめる米新政権下で世界はいじめっ子のものとなり、気候変動問題から軍備管理まで、グローバルなイニシアティブはますます難しくなると指摘する。またメディアは、トランプ新政権は同盟国を揺さぶられるカモとして扱うだろうと予想し、その予測不可能な動きは中国やロシアの侵略を助長する危険もあると警告する。こうした懸念や危険性は、過激で自由奔放になると危惧されるトランプ氏の第2期政権内に適切な助言ができる人材が見当たらないこともあり、まさに目前にある危機と言えよう。
米国の親密な同盟国である日本としても、こうした予測不可能性とリスクを十分織り込んだ対応に迫られることになる。世界と日本は、メディアが警告する計り知れない波乱に満ちた結末に身構えなければならなくなった。
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(主要トピックス)
2024年
2024年
11月15日 日米韓3カ国首脳、ペルーの首都リマで会談、協力を調整する事務局の設立で合意。
中国の習近平国家主席と韓国の尹錫悦大統領、APEC首脳会議に合わせて訪問中のペルーで会談。「自由貿易の維持」で一致。
16日 バイデン米大統領と中国の習近平国家主席、ペルーの首都リマで会談。「戦略的な意思疎通のチャンネル」の維持が重要との認識で一致。
17日 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、閉幕。多角的な自由貿易体制の維持、保護主義に対抗する姿勢を打ち出す。
18日 20カ国・地域首脳会議(G20サミット)、ブラジル・リオデジャネイロで開幕。
フィリピン政府、米国と機密情報を共有する軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結。
20日 国連総会第3委員会(人権)、北朝鮮による拉致問題などの人権侵害を非難し、解決を求める決議案を採択。同種の決議案採択は20年連続。
22日 中国外務省、停止中の日本人向け短期ビザ免除の再開を発表。
26日 第2回中国国際サプライチェーン(供給網)促進博覧会が北京で開幕。韓正国家副主席、高いレベルの互恵を目指すべきだと演説。
29日 中国国防省、日本海周辺の空域でロシア軍と「共同戦略哨戒」を実施。
30日 台湾の頼清徳(ライ・チンドォー)総統、初海外旅行で米ハワイを訪問。
中国外務省、頼総統による米ハワイとグアムの訪問に反発。
12月 3日 韓国尹錫悦大統領、突如、非常戒厳を発動。翌朝、解除。
4日 シンガポールの与党・人民行動党、ローレンス・ウォン首相の書記長昇格を発表。
5日 北朝鮮の朝鮮中央通信、北朝鮮とロシアの「包括的戦略パートナーシッ
プ条約」が発効したと発表。
6日 日本の大手企業などで構成する日本インドネシア協会の代表団、インドネシアを訪問、プラボウォ大統領と会談。エネルギーや防災などの分野での連携について討議。
7日 韓国の尹大統領の弾劾訴追案、投票数が規定に満たず廃案へ。
8日 韓国の崔相穆(チェ・サンモク)副首相兼企画財政相、非常戒厳を巡る混乱について「経済活動を全力で支援する」と声明。
韓国検察、金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相を緊急逮捕。非常戒厳下の内乱罪で告発。
11日 第10回日中企業家及び元政府高官対話(日中CEO等サミット)、北京で開催。米次期政権を見据え国際ルールの順守を呼びかけ。
北朝鮮の朝鮮中央通信、韓国の尹大統領による「非常戒厳」の一時宣言について「社会に動乱が広がっている」と報道。
12日 中国指導部、25年度経済運営方針を決める「中央経済工作会議」を終了。財政出動による景気刺激策で対GDP財政赤字比率引き上げの方針。
韓国の野党6党、尹大統領の弾劾訴追案を国会に再提出。
13日 韓国国会、尹大統領弾劾案を可決。
15日 韓国大統領弾劾を受けて職務を代行する韓悳洙(ハン・ドクス)首相、
バイデン米大統領と電話協議。米韓同盟の維持、発展に向けた連携を再
確認。
包括的・先進的環太平洋経済連携協定(CPTPP)に英国が加盟。12カ
国体制へ拡大。
主要資料は以下の通りで、原則、電子版を使用しています。(カッコ内は邦文名) THE WALL STREET JOURNAL (ウォール・ストリート・ジャーナル)、THE FINANCIAL TIMES (フィナンシャル・タイムズ)、THE NEWYORK TIMES (ニューヨーク・タイムズ)、THE LOS ANGELES TIMES (ロサンゼルス・タイムズ)、THE WASHINGTON POST (ワシントン・ポスト)、THE GUARDIAN (ガーディアン)、BLOOMBERG・BUSINESSWEEK (ブルームバーグ・ビジネスウィーク)、TIME (タイム)、THE ECONOMIST (エコノミスト)、REUTER (ロイター通信)など。なお、韓国聯合ニュースや中国人民日報の日本語版なども参考資料として参照し、各国統計数値など一部資料は本邦紙も利用。
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座教授
前田高昭
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