アメリカン・ドリーム
谷口知子:バベル翻訳専門職大学院修了生
アメリカン・ドリームという言葉はもうすでに死語になったかもしれない。特に、現代日本の若者たちには、もう誘惑的な言葉として響かないことだろう。わざわざアメリカへ行かなくても VR(バーチャルリアリティー)で旅行に行けたり、仮想空間へも行ける。SNS が世界各地へ即時に繋がる現代では、ユーチューバーも一つの職業となり、己の力で巨額
の富を築ける時代になった。時代は移った。
第2次世界大戦(すでに80年近くの時間が経過、現代の若者にとっては”昔ばなし“かもしれない)、敗戦国となった日本は、今では想像もつかないほど貧しく、食糧不足、飢餓、土地建物破損、経済力どころか、明日の食べ物にも困るような国だった。(ガザ地区の現在の状況に似ている)難民ならぬ、戦争孤児や未亡人もあふれかえり、米国はじめ世界列強国は、そんな状態から日本が再建するとは、多分想像すらしていなかったのだろう。しかし、日本国民はその予想に反して、勤勉かつ実直な国民性と愛国心から粘り強く国の再建に尽力し、日本を見事に国家として蘇生させた。それどころか、80年代までには世界列強国に肩を並べるまでのGNPや輸出量、経済力を持つに至り、妬んだ米国が政治圧力をかけるほどまでに成長した。その再生力に関して言えば、世界の中でも珍しい国と言える。
戦後、敗戦国となった日本には、生活レベルが高い米国は別世界のように映り、その生活スタイルを模倣したり、文化芸術を追っかけることが一つの流行となった時代でもあり、実際、当時の米国は他国民には魅惑的に見えた。広大な国土、最新の技術、経済力で世界をリードしていた米国へ行けば豊かな暮らしができる、うまくすれば事業も成功させることができる、と夢の天地のようにも映った。戦争直後の日本からは、生活の糧を求めて移住した移民たちが多かったが、70年~80年代バブル期までは、(当時まだ自由業が盛んではなかった)日本では、自己の才能を開花させるには米国という考えが強かった事も手伝い、若者の夢として留学や旅行が憧れの的だった。今となっては考えられない、円高も後押しした。また、歴史の浅い米国は、伝統や形式に捕らわれることも少ないため、外国人でも受け入れられやすい、アイディアが良ければ起業できる、スポンサーも多いなど、懐の深い国としても大きな魅力があった。バブル期までは、“将来の可能性”を模索する日本の若者たちも多く渡米した。芸術家や音楽家のみならず、一般の会社員でも、高学位を取得して仕事のステップアップを図る、見分を広めて人生の幅を広げる、などといった一発奮起した、“若者らしい夢”を抱いた人達を、米国社会は受け入れていた。
当時のニューヨークでは、バックパック一つ、あるいは、自転車で大陸横断する日本人若者なども多く見かけたものである。皆、それぞれのアメリカン・ドリームを追っていたのであろう。今では想像し難いが、当時の米国は、移民法の受け入れ態勢も今よりは懐が深く(永住権を選考なしに与えるなど)外国人の夢にも答えてくれる余裕のある国でもあった。現代でも、MBL(米国メジャーリーグ)など、スポーツ界では米国へ移住したがる日本人選手がまだ多い。人生の目的を開花させたい、世界レベルでビジネスを拡張したいと思う時、やはり米国はまだ可能性を秘めた大きな市場なのであろう。世界牽引していると自負している米国、他国の若者をも魅惑してきた米国であるが、では現在の米国内での生活は、果たして今まで通り“アメリカン・ドリーム的”なのだろうか。あるいは、現代の米国民はどのような国民的意識の上で生活しているのだろうか。彼らの幸福度は、高いのだろうか。
米国の問題として様々な点が挙げられる。階級差、貧富の格差が大きい。移民や難民を積極的に受け入れるため、社会的統一を図るのが困難という点、移民層も格差を広げる一因となる。また、職業差別化が生まれやすい(例えば八百屋は中国移民、ガススタンドはインド/中東系移民が経営、民族間のみで世襲することも多い)。同人種が同地域に固まって居住する傾向があるため、地域生活レベルの差別化につながりやすい)人種間差別が根強い。銃規制が緩い(州によって銃規制法律が異なる)などから、一般市民も巻き添えを食いやすい(学校への銃襲撃も多発)。家庭内暴力でも銃使用が多発する。ドラッグの蔓延(芸能人のみならず、一般市民でも(闇取引で)購入可能なため、特に若い10代の若者などは命を落としやすい。食生活の知識不足から過剰肥満の上、身動きできなくなり孤立化する。米国内で米国人が抱くアメリカン・ドリームも、その根底の発想は大きく変わらないはずである。しかし、米国がここ数年傾倒してきた、アメリカ・ファースト的な発想が強くなり排他的な発想が根付くと、世界各国からの人材牽引力も落ちることは必須となる。各種の差別や不幸な状況から自国民が労働市場からも減少してしまえば、国力低下にも繋がっていく。
日本では、相撲界力士などを外国出身者に頼らざるを得ない状況であるが、日本文化を積極的に継承してくれる人がいるだけでもよいと言える。国の“文化”を理解して後世へ継承していける人材の確保と育成が今後の国家繁栄のカギとなるのではないか。80年代では、世界のトップを走っていた日系企業で働きたいので、日本語を習得するという米国人が多数いたが、最近はアニメを理解するために日本語を習得するという風潮へと大きく変化している。世界にあふれかえる難民、その中には埋もれた才能の持ち主も数多いことだろう。難民救済は、ただ食糧と住居を提供するのみだけでなく、人間としての成長過程をも含めた支援を提供して、優秀な人材を自国へ誘致することもできる。人口減少に悩む日本には解決策の一つになるのではと考える。最近の日本へは、アニメだけでなく、伝統文化/芸能、伝統工芸を学びにくる外国人が増加している。American DreamならぬJapanese Dreamがあってもよい。
良い意味でも悪い意味でも、日本は米国の後ろ姿やその影を追っているのかもしれないが、“良い暮らし”、“質の高い暮らし”を求めるのは、いつの世でも万国共通である故、いろんな形でのドリームを掲げて自国民(あるいは外国人)にアピールすることで、国力増強へ繋がっていくことにもなるはずだ。世界を旅したかつての日本の若者たち、彼らが自分の目で見て得た経験や知恵、人との触れ合いは、きっと後の人生に多いに役立ったことだろうと想像する。VRやAIでは知りえない世界がまだまだ多いのだ。
(書籍紹介):Tightrope 【2020年9月初版】
米国のいわゆる貧困層に入る人たちの生活では、一度転落すると、まるで、負のループにはまり込んだように、生活レベルが下がり、社会からも逸脱、改善すら困難になるケースも多い。まるで階段を転げ落ちるかの如くであり、米国社会の差別下の元でしばしば見受けられるパターンでもある。本書は、オレゴン州ヤムヒル町の出身である著者が、街の住民/家族に実際に起こった事件や犯罪、悲劇的な結末となった事例をとり挙げ、その原因と結果を探ることで、教育水準の低さから起こる貧困/犯罪/無職/ホームレス/過剰肥満による健康被害/孤立化という問題点をあぶりだしている。ヤムヒル町の住民は95%が白人が占めており、移民が多いわけではなく、気候も温暖な方である。特に大きな産業があるわけはないこの町で、幼少期を過ごした筆者には、知人も多い。その知人たちに起こった不幸とは一体どのような背景によるものなのか。家族や近隣民へのインタビューなどを通して、その生活環境や職歴、家族との関係、犯罪や事件の模様から、いかに社会からドロップアウトして孤立化していったのか、時には死に至るまでの経緯など、掘り下げて検証している。特にヤーミン市のような過疎化に近い状態が進む町では、一度逸脱すると孤立化がさらに進み、再就職すら困難となり、社会から忘れ去られたように病死や孤独死といったケースも多い。著者にとっては地元であり、家庭内事情や社会的実情も熟知しているため、どうして救えなかったという無念さや社会構造の歪みへの歯がゆさも強く湧き出るのであろう。弱者を社会的に支援する団体を立ち上げている著者は、この町の再生を願うと同時に、社会構造の問題点を提示して、米国社会制度への警鐘も鳴らしている。社会人としての生活、コミュニティとのつながり、コミュニティからの補助などが、人間としての尊厳を維持するためにもいかに重要なのかという点も再認識させられる。
(著者紹介):ニコラス・クリストフ/シェリル・ウードン夫妻、共にジャーナリスト作家。夫婦によるジャーナリスト共同出版でピュリッツァー賞を受賞した第一人者。(受賞時の題材は、天安門事件/民主活動運動・実録ドキュメンタリー)米国社会の闇と不均衡を取り上げる事で、社会的な差別問題の提示と解決を図る、新規事業をサポートする、米国民生活支援と社会構造の是正を問う、と言った支援サポート団体を運営する。
谷口知子
バベル翻訳専門大学院修了生。NY 在住(米国滞在は35年を超える)。米国税理士(本職)の傍ら、バベル出版を通して、日米間の相違点(文化/習慣/教育方針など)を浮彫りとさせる出版物の紹介(翻訳)を行う。趣味:園芸/ドライブ/料理/トレッキング/(裏千家)茶道 /(草月)華道/手芸一般。