「翻訳とは何か? デジタル社会を迎え改めて問いなおす—その③」
バベル ・グループ 代 表 湯浅 美代子
東京は、台風のお陰で涼しくなりました。
皆様お元気でお過ごしのことと存じます。この様に、夏の終わりを告げる台風の到来は、毎年のことながら、季節の変化を告げてくれます。
世界各地にお住いの皆様は、日本の四季の移り変わり、季節ごとの気温や天候の変化、鳥たちの行動の変化、蝶などの虫たちの変化、変態などは知識としてはご存知でしょうが、体験という、実際に直面する驚きと、発見を楽しむことはできないでしょう。
やはり、知識・情報として知っていることと、実際に身体感覚をもって体験することとの間には、生々しい体験の質感と多様な情報量蓄積という越えがたい壁があるように思います。
現代は、AIに代表されるシステム、アルゴリズムの思考体系領域へと誘導され、少しずつ移行している時期だと言えますが、どんな未来を描き、どんな未来を望むのか?そこが大事な問題だと言えますね。
つまり、その変換、移行の選択肢は、現在出現している方法、システムだけではないと思えるからです。現在のように、マスクさせられ、自由な行動が制限されていく過程での思考は、背後にある「細菌感染の恐怖」により操作されている環境下にあると言えます。いやはや、いつの間にか大変な情況下に置かれてしまっています。
それはつまり、感染という恐怖の感情が埋め込まれたことにより、自由な意思、意識、想像、創造が制約され、縮こまってしまっているのです。
恐怖からは、自由闊達な発想、行動力、アイデアなどは生まれてきませんね。この環境を考えると、世界をコントロールしている人々は、一体何を考えているのかしら?という疑問が湧きませんか?
ところで、現在のコンピュータベースのシステム、つまり数式、計算によって可能性を事前に知り尽くしたら、何で人間に生まれて未知の体験をしたかったのか? が意味不明の出来事になってしまうのではないかと思いませんか。
この事態では、とりわけ、哲学思考はそこで死にます!!
人間とは、相互に不可解な行動、相互に不可解な意思決定をすることにより、その個性、存在意義を見出すシステムの意識体系、だと感じます。個性、ユニークであること、それぞれ違う人々がいるからこそ、【 調和 】という言葉が生まれたのでしょう。
振り返って考えれば、人間は、始めヒトツの【ヒト】として生まれ、だんだん成長いく過程で他のヒト(人)と交わることで、自己という(ヒト)と他人という(ヒト)との間に同じ部分と違う部分を知り、その過程で、一人、一人違う個性があることを学んでいきます。『 個性 』とは、つまり【 存在意義 】であると言えます。
つまり二つのヒト(人)の間=【行動空間としての思考・関係領域】を創造し、互いに体験と思考を重ねて、始めに神に創造された時の単に肉体の状態から超越したレベル⇒肉体⇒言葉⇒感情⇒思考⇒概念⇒『意識』へと【成長変化するプロセスが人間の生涯】だと言えるのです。
人間が本来は肉体という生命維持、思考・表現装置ともいうべき物体環境・システムによって体験した知識情報を思考のベースとして、この地球と言われる環境では、砂漠地帯もあれば、熱帯雨林などの降水量が多い地帯もあり、寒冷地体は氷に閉ざされる独特の生活様式が発達しています。
日本での生活は、四季の変化や、日々の降雨、晴天日照、季節風や台風など、自然環境の変化と一体になって暮らしています。それは、この日本列島独特の地形環境、つまり、周囲を海に囲まれ、大陸とは離れた独立の地形により、大陸からの侵略を防ぎ、豊かな四季の変化・自然現象に育まれて、自然、環境との一体感を極めるということによって、日本独特の思想、思考が形成されてきたのです。日本の歴史を知れば、先人が如何に他からの侵略を防ぎ、日本列島を守ってきたのかを知ることができます。そのような、自然とそこに住む先人たちの努力によって、日本語が形成、維持され、独自の日本文化、芸術として、茶道、華道、武士道、商いの道などという思索、言わば哲学ですが、誕生、形成されてきたことを感じます。
私は、SFつまり、サイエンス・フィクションが好きなのですが、過去を遡ることは、ある意味時間旅行です。過去とは文化の劣る原始状態だと思い込んでいたら、それは、既成概念に捉われすぎですね!
【 時間とは何か? 】現代科学のベースは「量子力学」のようですから、まだご存知のない方は、ユーチューブ動画で一度ご覧ください。既成概念が吹っ飛びますよ!(笑い)