
WEB TPT 2026年11月7日 402号 巻頭言 日本神話を世界へ伝えるために
バベル ・グループ代 表 堀田都茂樹
古典核新訳が取り組む文化の継承と対話
日本神話を、私たちは自分の言葉で世界に説明できるだろうか。
「アメリカの教科書では日本を『神々の国』と教えるのに、日本人は自国の神話を教わらない」。こうした言葉は、自分たちの文化をもっと知りたいという思いを呼び起こす。しかし、その思いを確かな学びにつなげるには、紹介されている情報自体も検証する必要がある。
神話への関心を、史実か虚構かという二者択一で終わらせては惜しい。問いたいのは、そこに受け継がれてきた思索をどう読み、現代と世界へどう伝えるかである。バベルが始めている「古典核新訳」事業も、この問いにつながっている。
「教わらない」という前提を確かめる
まず、「日本では神話を全く教えない」という断定は正確ではない。
文部科学省の小学校学習指導要領解説は、社会科で扱う神話・伝承の出典として『古事記』『日本書紀』『風土記』などを挙げ、神武東征の物語も例示している。国語でも、低学年から神話・伝承に親しむことが位置づけられている。
ただし、制度に記載があることと、読者自身が十分に学んだと感じられることは別である。どの物語に触れ、何を考え、卒業後も読み続ける機会があるのか。教育の充実を論じるなら、この実態を確かめたい。
一方、素材にあるアメリカの教科書は、書名、出版社、版、該当ページが示されていない。「神々の国」という表現が文化の紹介なのか、信仰の説明なのかも、前後の文章によって変わる。海外との比較は、出典と文脈をそろえるところから始まる。
科学が確かめられる範囲を見極める
「地形学によって神武天皇の実在が証明された」という主張にも、慎重な確認が必要だ。
古い海岸線や河川、航路の復元は、伝承を読み解く手掛かりになり得る。物語の地理が過去の環境と整合するなら、その成立や伝承の背景を考える材料になる。
しかし、「その経路を移動できた」ことと、「特定の人物が実際に移動した」ことは異なる。地形との整合だけで、人物の名前、行動、年代までは確定できない。文献や、年代の合う遺物・遺構など、別の証拠との照合が必要になる。
今回の提示資料からは、実在の証明と評価できる研究論文や検証過程を確認できない。科学的に読むとは、何が分かり、何がまだ分からないか、その境界を明らかにすることである。
神話の価値を実在証明に預けない
そもそも、神話を大切にするために、すべてを史実と証明する必要があるのだろうか。
『古事記』は七一二年、『日本書紀』は七二〇年に成立した。古い伝承を収めるとともに、編纂された時代の政治や世界観を考えるための重要な資料でもある。描かれた時代と、文字にまとめられた時代を区別して読む必要がある。
神話には、自然への畏れ、生と死の捉え方、争いや秩序をめぐる想像力が表れている。誰が語り、どのような立場が中心に置かれているかを問うこともできる。
史実として未確認だから無価値とはいえない。同時に、大切な伝承だから史実に違いないともいえない。この区別があってこそ、文化への敬意と学問への信頼をともに守れる。
古典核新訳で何を届け直すのか
バベルは、古典の核となる問いや思想を読み解き、現代に届く言葉で訳し直す「古典核新訳」事業を始めている。
この事業の意義は、難しい表現を読みやすくすることにとどまらない。古典が何を問い、どのような人間理解や世界観を伝えているのかを掘り下げ、今日の読者が考えを交わせる形へと届け直すことにある。
ただし、「核」を取り出す作業には解釈が伴う。現代人に都合のよい教訓だけを選べば、古典が持つ複雑さを失ってしまう。分かりにくさや、現代の価値観との隔たりも、読者が考えるための大切な材料である
そこで重視したいのが、原典と解釈の関係を示す編集だ。どの本文を底本とし、何を訳し、何を省き、どこに説明を補ったかを明らかにする。現代的な創作を加える場合には、翻訳部分との境界も示す。読みやすさと検証できることを両立させたい。
日本神話を扱う場合も、唯一の意味にまとめるのではなく、異なる記述や読み方に出会える構成が望ましい。古典核新訳は、古典についての結論を読者に渡すだけでなく、原典へ戻って考える入口をつくれるはずだ。
世界へ届けるときに問われる翻訳の力
海外への発信では、さらに言葉の選択が問われる。
例えば、日本語の「神」をどう訳すか。God、gods、kamiでは、読者が思い浮かべる存在が異なる。自然や土地、祖先との関わりを、訳語と解説でどう伝えるか。一語の選択に、文化を説明する責任が伴う。
だからこそ、古典核新訳を多言語へ展開する際には、現代日本語の訳文だけで意味を確定せず、原典と注釈に立ち返る仕組みが必要だ。翻訳者、編集者、各分野の専門家が解釈を照合し、異文化の読者が疑問に思う点を解説へ反映する。AIを資料整理や下訳に活用する場合も、出典と解釈の確認は欠かせない。
学校や図書館、博物館と連携し、原典の一節、現代語訳、多言語訳を読み比べる機会を設けることも考えられる。同じ物語が言葉を変えるとどう見えるか。その発見が、自文化を学び直す契機になる。
日本神話を世界へ伝えるとは、日本の優越を立証することではない。この土地で人々が抱いてきた問いを、異なる文化の読者にも開くことである。
バベルの古典核新訳が目指すべきものも、そこにある。古典への敬意を、丁寧な読解と検証に表し、その知を現代の言葉で未来へ手渡す。翻訳・編集・出版には、その対話を支える仕事がある。























