東アジア・ニュースレター
海外メディアからみた東アジアと日本
第162 回
中国関係では、米国が遂に対中経済戦略を打ち出したとメディアが報じる。関税、補助金、規制、同盟国との統一経済戦線の4本の足からなる計画だが、4番目の統一戦線が未完成であり、関税もむしろ同盟国を脅かす鉄鋼やアルミを対象にするなど、ちぐはぐな政策だと批判されている。
台湾で新総統の頼清徳氏が就任した。同氏は現実的な穏健派だが、中国政府は「分離主義者」と呼び、「台湾内の主流意見に対する裏切り者」だと非難しているとメディアは伝える。与党が議会での過半数議席を失ったため今後の政権運営に苦労があり、早くもプレッシャーに遭遇していると指摘する。
韓国経済の奇跡は終わったかとメディアが問題提起する。過去の成長モデルに固執すれば大きな困難に直面するとの見方を伝え、政治的リーダーシップの欠如という現状から、状況改善の可能性は低いと見立てる。ただし、強みとして高度な製造業基盤を挙げ、米中対立という地政学的要因も漁夫の利をもたらす可能性があると指摘する。
北朝鮮と韓国の間でK-POPとゴミ風船を使った奇妙な心理戦が展開され、核を保有する北朝鮮が威圧的行動に出るなど意図しない衝突へエスカレートすることが懸念されている。ただし、北朝鮮は直接的な反撃を避けるためにその関与がすぐには確認できない「グレーゾーン」戦術で報復する可能性も指摘されている。
東南アジアの諸通貨がドル高に起因する通貨安に直面している。インドネシア・ルピアは今年約5%、マレーシア・リンギットは0.3%それぞれ下落し、当局は対策として市場介入に加えて利上げで対応する可能性があると専門家は指摘する。
インドで7週間続いた総選挙の結果が判明し、モディ政権が3期目を迎えることになった。モディ首相自身の人気はまだ高いとみられるも、選挙結果は同首相に対する警告で満ちており、これらを重く受け止めることが欠かせない状況にある。
主要紙社説・論説欄では、シリーズ「世界の中の日本(2)として、円安とオーバーツーリズムに揺れる日本と日本社会を取り上げた。
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北東アジア
中 国
☆ 対中戦略を作成した米国
5月20日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナル論説記事は、米国がついに中国に対抗する戦略を手に入れたと伝えると共に、それがうまくいくかどうかが問題だと論じる。筆者は同紙主任経済コメンテーターのグレッグ・イップ氏。記事はまず、米国政府と経済戦略の関係について次のように述べる。経済戦略の策定については、米国は初心者である。中国は5カ年計画で経済支配への道筋を描く。日本の戦後の経済的台頭は、強力な通商産業省によって導かれた。米国における戦略には名前もなければ住所もない。その理由は、優遇部門への国家支援と考える産業政策に対する歴史的な警戒心と、大統領と議会や異なる政権の間で、そして時には同じ政権内の派閥の間でも経済権限が分断されていることにある。実際、米国の戦略は断片的に生まれた。2016年の時点でジェイク・サリバン(現バイデン国家安全保障顧問)を含むオバマ政権高官やOBらは、自由貿易と対中関与を支持する超党派のコンセンサスに疑問を呈し始めていた。
次いで、今回打ち出した経済戦略について、この戦略は4本目の足が欠けた3本足のスツールだと概略次のように論評する。米国は、関税の対象である電気自動車、鉄鋼、半導体をほとんど中国から購入していない。しかし、ドナルド・トランプ前大統領が2018年に課した関税を取り消すのではなく、追加することで中国と米国の経済のデカップリングが不可逆的になりつつあることを示唆している。さらに重要なのは、関税は中国に対抗するための最後の経済戦略になるということだ。この戦略は3本足のスツールである。一本目の足は補助金である。クリーンエネルギーから半導体まで実行可能な技術製造部門を構築するための補助金である。第2は、こうした努力を脅かす中国からの輸入品に対する関税である。第3は、中国の競争力を高めるような資金、技術、ノウハウへのアクセスの制限である。4番目の足となるべきは、同盟国との統一経済戦線だが、これがまだ完成されていない。
続いて記事は、3本の足について関税、補助金、規制の順で以下のように論じる。トランプは2017年、経済・国家安全保障チームとともに現状打破を決意して就任した。その年、彼らは正式に対中関与を放棄し、中国を戦略的競争相手と断定した。しかし、トランプ大統領の最初の対応は行き当たりばったりだった。関税の問題も最初の大規模な関税は中国ではなく同盟国向けで、しかも保護したのはテクノロジーではなく鉄鋼とアルミニウムだった。またウィスコンシン州に100億ドル規模のフォックスコン・テクノロジーの液晶ディスプレイ工場の建設を推進しようとしたが実現しなかった。中国の通信サプライヤーZTEへの機密技術の販売禁止については、これを撤回している。
ジョー・バイデン候補(当時)は2019年、トランプの「無責任な対中関税戦争」を覆すとツイートし、トランプ以前の現状への回帰を示唆したがこれは実現しなかった。内部では、バイデンのブレーンの間で意見が分かれていた。ジャネット・イエレン財務長官は関税引き下げと対中関与を支持した。キャサリン・タイ通商大使は関税を主張した。また、気候変動への協力や安価なクリーンエネルギー設備を優先する者もいた。スパイ気球をめぐって中国との緊張が高まるにつれ、再関与へのハードルも高くなった。最終的に生まれた戦略は、現・元政権高官によれば、その大部分はサリバンによるものだという。彼は貿易、国内経済政策、安全保障を統合して考えている。しかし、この戦略には超党派の伝統もあり、トランプ政権下で始まったイニシアチブを大いに活用している。先週の関税措置は、中国への最初の関税措置につながったトランプ大統領自身の調査の見直しから生まれた。
世界は今、安価な製造品輸出が地元生産者を圧倒するという「第2のチャイナショック」に備えている。例えば、自動車や家電製品、その他の基本的な用途に使用される「レガシー」チップの世界生産に占める中国のシェアは、2015年の17%から2023年には31%に拡大している。調査会社ロジウム・グループによれば、2027年には39%に達する勢いだという。バイデンは先週、このようなチップへの関税を25%から50%に倍増すると発表した。しかし、これらのチップは通常、関税の影響を受けない他の製品に組み込まれて米国に入ってくる。また、中国の生産能力拡大は、利益ではなく自給自足が原動力であるため関税の影響をほとんど受けないと、ランド・コーポレーションの戦略技術分析上級顧問のジミー・グッドリッチ氏は言う。
経済戦略もまた、政治に気を取られている。以前のトランプと同様、バイデンは鉄鋼に執着し、さびついたスイング・ベルトの州にとって鉄鋼は重要であるとしている。米国にはすでに中国に代わる国内関係企業や同盟国がたくさんあるにもかかわらず、彼は鉄鋼への関税を引き上げた。しかし、米国が本当に中国に依存し、国家安全保障の役割をますます担っている無人機の関税を引き上げなかった。
補助金問題については、2020年、トランプ政権の後押しを受け、最先端半導体の大手メーカーである台湾積体電路製造がアリゾナ州にチップ製造工場(ファブ)を建設すると発表した。その頃、このような工場に補助金を出す超党派の法案が上院に提出された。バイデン関係者に後押しされ、その法案は最終的に2022年に法制化された。これにより商務省は、ここ数カ月で世界の大手チップメーカーに約290億ドルの補助金を発表することができた。その中にはTSMCも含まれており、同社は現在、2030年までにアリゾナ州に1カ所から3カ所の工場を建設すると発表している。TSMCがこれに従えば、アップルやNvidiaといったTSMCの顧客がアジアではなくアメリカでチップを設計・製造する日が来るかもしれない。
規制問題についても、バイデン氏の中国への先端チップとチップ製造装置の販売に対する徹底的な規制は、トランプ政権がファーウェイ・テクノロジーズに対して最初に行った規制をモデルにしている。バイデン関係者は、表向きは安全保障上の脅威だけを狙ったこれらの制限を広範な経済戦略と結びつけたがらない。しかし、関連性は明らかに存在する。規制はハイテク企業にとって、中国ではなく米国やその同盟国に投資する強力なインセンティブとなっている。例えばホワイトハウスは、ドライバーのデータをメーカーと共有する「コネクテッド・カー」のセキュリティ・リスクについて調査を続けている。これは、たとえ米国やメキシコで組み立てられていたとしても、すべての中国製EVを米国市場からブロックする口実になるかもしれない。米国はついに経済競争の戦略を手に入れたわけだ。それが成功するかどうかはまだわからないが。
記事は最後に、同盟国との統一戦線の問題について次のように論じる。多くの話し合いにもかかわらず、米国とその同盟国は中国に対抗するための統一戦線を形成するのに苦労している。欧州連合(EU)の鉄鋼とアルミニウムに対するトランプ大統領の関税をバイデン大統領が一時停止した一方で、EUが中国の鉄鋼に対する米国との協調を拒否したため、関税を全面的に撤廃する取り決めは失敗に終わった。EVで米中に遅れをとることを恐れたEUは、独自の補助金と関税の設定に躍起になっている。トランプが再び大統領に返り咲き、同盟国を含むすべての輸入品に関税を課すという脅しを実行に移せば、こうした分裂はさらに拡大する可能性がある。中国はついに西側諸国からの断固とした経済的反発に直面することになるが、統一されていないことに安らぎをみいだせるのだ。
以上のように記事は、米国が打ち出した対中経済戦略は関税、補助金、規制からなる3本足のスツールで、4番目の足となるべき同盟国との統一経済戦線が未完成だと指摘する。関税もむしろ同盟国を脅かす鉄鋼やアルミを対象にするなど、ちぐはぐな政策だと批判する。今後の動きとしては、「コネクテッド・カー」が中国からの電気自動車輸入規制の口実となる可能性があるとの指摘が注目されるが、最大の問題は同盟国である欧州連合との統一戦線の成立可否であろう。
台 湾
☆ 台湾の強化と現状維持を目指す新総統
5月20日、第5代総統となる頼清徳氏が新総統に就任した。同日付エコノミスト誌は、台湾で民主的に選出された同氏の就任を祝うため数千人が台北の総統府前に集まり、その中には、彼の出身地である万里からの400人の支持者も含まれていたと報じる。そのうちの一人は「みんなとても誇りに思っている」と語り、台湾の北海岸にあるこの小さな漁村は、以前は美味しいカニでしか知られていなかったが今は総統も輩出していると自慢し、それに対し中国は台湾をかつての万里のように「無名で知られていない」存在に抑え込んできたと批判したと報じる。そのうえで記事は、人々は頼新総統が台湾の名を世界的にするために、かつて万里が国内で成し遂げたようなことをやってくれることを期待していると付け加え、とはいっても同氏はすでに様々な困難とプレッシャーに直面していると概略以下のように伝える。
実際、蔡英文前総統は選挙期間中、「中国の台湾ではなく、世界の台湾」を目指すと公約していた。しかし、この台湾の主権を肯定する冷静な主張は、中国共産党を激怒させた。過去8年間、中国は台湾政府との関わりを断ち、中国から台湾への観光を妨害し、台湾周辺での軍事訓練を強化、台湾からの多くの輸入を禁止した。また外交的同盟国のほぼ半分を奪い取った結果、現在台湾を承認する外国政府は12か国に減少した。中国当局は頼新総統をトラブルメーカーの分離主義者と呼んでいる。しかし、同氏は正確には、中国を刺激することなく台湾を強化することを望む現実的な穏健派である。就任演説では、台湾は民主的な「平和の水先案内人」であり、政府は現状を維持すると付け加えた。彼は、憲法改正や台湾独立に関する国民投票は求めなかったが、蔡英文総統が造語した中華民国(つまり台湾)と中華人民共和国は「互いに従属しない」という公式を繰り返した。彼は中国に対し、台湾を威嚇するのをやめ、台湾と再び関わるよう呼びかけた。
この姿勢は台湾の世論を反映している。台湾の世論調査では、互恵原則に基づく両岸交流を80%が支持している。また、台湾の現状維持に賛成する人が大多数を占めている。総統就任式で頼氏と高校時代の同級生である60歳の歯科医は、頼氏を誇りに思うと同時に台湾が中国と「両岸の緊張が続かないように」平和的な対話を模索することを望むと述べた。国立台湾大学の最近の調査によると、台湾の半数以上の人々が今後5年以内に戦争が勃発する可能性があると考えている。頼氏はまた、台湾を併合しようとする中国の意図について、台湾の人々が「惑いを持たない」よう呼びかけた。台湾は防衛を強化し、他の民主的な国々との結びつきを強めると語る。そのための戦略として、台湾がすでに独占している高度な半導体製造業に加え、人工知能、無人機、衛星、軍事機器といった機密技術の重要なサプライヤーになることを挙げている。「台湾を民主主義世界のMVP (最も価値あるプレーヤー)にしよう」と彼は言う。
これに対して中国側はよい印象を持たなかった。王毅外相は頼氏を非難し、彼のような「分離主義者」は「恥ずべき歴史の柱に釘付けにされるだろう」と非難した。そして5月23日、中国は2日間にわたる台湾近海での軍事演習を発表した。中国はまた、頼氏が国内で遭遇する困難を増幅させることにも注力している。中国台湾事務弁公室の陳賓華報道官は、頼氏の見解は「台湾内の主流意見に対する裏切り者」であると述べた。頼氏はわずか40%の支持率で当選し、与党は蔡英文総統が在任中に享受していた議会での過半数議席を失った。4月、台湾の主要野党である国民党は立法院代表団を中国に派遣し、高官と会談した。それ以来、国民党は台湾の国家安全保障法の改正を求めている。台湾の政府高官や市民社会は心配している。
頼氏は演説で、政党は国益のために協力すべきだと呼びかける一方、台湾の統一支持政党が中国と協力して民主主義を破壊する危険性を示唆した。「すべての政党は併合に反対し、主権を守るべきだ」。5月17日、議会の権限を拡大する改革案を野党が押し通そうとしたことをめぐり、議場内で乱闘が起き、6人の国会議員が入院した。5月21日には数千人のデモ隊が国会前に集まり、野党に反対するデモを行った。頼氏はまだ新しい仕事を始めたばかりだが早くもプレッシャーに直面している。
以上のように、記事は新総統の頼清徳氏について現状を維持し、中国を刺激することなく台湾を強化しようとする現実的な穏健派だと評し、それは台湾の世論を反映していると述べる。実際、世論調査では互恵原則に基づく両岸交流を8割の人が支持している。しかし、中国政府は頼氏を「分離主義者」と呼び、「台湾内の主流意見に対する裏切り者」だと非難する。また同氏は与党が議会での過半数議席を失ったため、今後の政権運営に苦労し、早くもプレッシャーに遭遇していると指摘する。同氏の政権運営は、国内では国民党との折り合いをどうつけていくか、外交面では、日米などの民主陣営の支援をいかにうまく取り込んでいくかが重要になるとみられる。
韓 国
☆ 経済の奇跡は終わったか
4月22日付フィナンシャル・タイムズは、「韓国経済の奇跡は終わったのか」と題する論説記事を発表した。筆者は同紙ソウル支局長のクリスチャン・デイビス氏。長文の力作であり、以下に要約を紹介する。
記事は冒頭で、数十年にわたる韓国経済の成長は先細りし、成長モデルを改革して製造業への依存度を低下させようと苦闘していると述べ、それを示す象徴的事例として、ソウルの南40キロにある龍仁(ヨンイン)市郊外でのSKハイニックスによる半導体工場などの最先端生産施設の集積地「メガ・クラスター」の建設現場の状況を伝える。業界の専門家の多くは、韓国が最先端のメモリー・チップで技術的優位性を維持し、AI関連のハードウェアの将来の旺盛な需要に対応するためには、龍仁での投資が必要だと考えているが、エコノミストらは、伝統的な成長の原動力である製造業と大企業への投資を倍増させようとする政府の決意は、息切れの兆しを見せている成長モデルを改革する気がない、あるいはできないことを示しているのではないかと懸念していると付け加える。次いで記事は今後の韓国経済の見通しについて、以下のように論じる。
昨年、韓国銀行は年間成長率が2020年代には平均2.1%、2030年代には0.6%に鈍化し、2040年代には年間0.1%ずつ縮小し始めると警告した。安価なエネルギーや労働力といった旧モデルの柱は軋んでいる。製造業に多額の補助金を出している国営エネルギー独占企業の韓国電力は、1,500億ドルの負債を抱えている。OECD加盟国37カ国のうち、労働生産性が韓国より低いのはギリシャ、チリ、メキシコ、コロンビアだけである。ソウル大学行政大学院の朴サンギン(Park Sangin)教授(経済学)は、米国と日本でそれぞれ発明されたチップやリチウムイオン電池のような技術を商品化する強みとは対照的に、新しい「基盤技術」を開発するうえでの弱点は、中国のライバルが技術革新の差を縮めるにつれて露呈していると指摘する。
将来の成長に対する懸念は、差し迫った人口危機によってさらに悪化している。韓国保健社会研究院によれば、生産年齢人口が35%近く減少するため、韓国の国内総生産は2050年には2022年よりも28%減少するという。崔相穆(チェ・サンモク)副首相兼企画財政相は今月初め、本紙に「過去の成長モデルに固執すれば、韓国経済は大きな困難に直面するだろう」と語った。世界的なAIのブームが半導体産業、ひいては韓国経済全体を救うと期待する向きもある。しかし、懐疑論者は、出生率の急落から時代遅れのエネルギー部門、業績不振の資本市場まで、さまざまな課題に取り組んできた実績の低さを指摘する。近い将来、この状況が改善される可能性は低い。政治的リーダーシップは、左派が支配する議会と不人気な保守派の大統領府の間で分裂しており、今月初めに行われた議会選挙で左派政党が勝利したことで、2027年の次の大統領選挙まで3年以上膠着状態が続く見通しとなっている。
貧しい農耕社会から半世紀足らずで技術大国へと導いた国家主導型資本主義の成果は、「漢江の奇跡」として知られるようになった。しかし、2005年から2022年にかけて輸出品目のトップ10に入ったのは、ディスプレイの1分野だけであった。一方、さまざまな重要技術における韓国の優位性は低下している。2012年には韓国政府が特定した120の優先技術のうち36の技術で世界をリードしていたが、2020年にはわずか4つにまで減少した。朴教授は、現在韓国を代表する財閥の多くは創業家の3代目がトップを務めているが、ハングリー精神から生まれた「成長マインドセット」から、自己満足から生まれた「既得マインドセット」へと流れてしまったと述べ、現在のモデルはすでに2011年に頂点に達したと主張する。それは、ハイテク輸出が中国の台頭と世界的なテクノロジー・ブームという2つの需要ショックに牽引され、またサムスンとLGが世界のディスプレイ産業の主導権を日本から奪取するために巨額の投資を行って10年の後のことである。しかしその後、中国のハイテク企業は最先端の半導体を除くほぼすべての分野で韓国の競合企業に追いついている。それは、かつては顧客やサプライヤーだった中国企業がライバルになったことを意味する。サムスンとLGは、ほんの数年前まで独占していた世界のディスプレイ業界で生き残りをかけて戦っている。
朴教授は、大手コングロマリットが生み出した利益の多くは、独占的な契約関係を通じた価格引き下げによる国内サプライヤーの犠牲の上に成り立っていると付け加えた。その結果、労働力の80%以上を雇用する中小企業は、従業員やインフラに投資する資金が減り、低生産性がさらに悪化し、技術革新が遅れ、サービス部門の成長が阻害されたのである。他方、財閥は、朴教授によれば2021年にGDPのほぼ半分を生み出したが、韓国国民のわずか6%しか雇用しなかったという。こうした2層経済は、社会的・地域的不平等を助長し、その結果、少数のエリート大学への進学やソウル近郊での高収入の仕事をめぐる韓国の若者たちの競争が激化している。この競争は、韓国の若者たちが学業、経済、社会的負担の増大と格闘するなかで国の出生率をさらに低下させる一因となっている。
韓国は男女間の賃金格差が最も大きく、自殺率はOECD加盟国で最も高い。国際金融研究所によれば、また、GDPに占める家計負債の割合が先進国で最も高い国のひとつである。平均的な新婚夫婦の負債総額は124,000ドルである。政府債務の対GDP比は57.5%と欧米の基準から見れば比較的低いが、IMFは、抜本的な年金改革がなければ今後50年間で3倍になると予測している。韓国国民の46%が2070年までに65歳以上になると予測されており、同国はすでに先進国で最も高齢者の貧困率が高い国となっている。
上記のように論じた記事は最後に、龍仁プロジェクトについて再度、次のように言及する。韓国半導体産業協会の安基鉉(アン・ギヒョン)専務理事は、潜在的なライバルがそれぞれ大規模な投資を行っているため、龍仁プロジェクトを推進する必要があると語る。彼は、アメリカと日本が手厚い補助金によって自国のチップ製造能力を復活させようとしていることに注目している。しかし企業幹部は、長期的には米国のライバル企業が韓国のノウハウを吸収することを懸念している。また、世界中にチップ・クラスターが急増することで慢性的な供給過剰と非効率が生じ、収益性がさらに低下するリスクもある。サムスンのテキサス州での投資は、ワシントンから最大64億ドルの連邦補助金の恩恵を受けており、韓国政府が他国で提供されているインセンティブに匹敵するよう試みている苦心を浮き彫りにしている。
来るべきAIの時代には、韓国が製造業や財閥企業の維持にとどまらず、視野を広げるチャンスだと見る向きもある。AIチップ設計のスタートアップ企業、リベリオンズの最高経営責任者である朴ソンヒョン(Sunghyun Park)氏は、韓国はAIに必要な4つの柱のうち3つ(ロジック、メモリー、クラウドサービスプロバイダー)の能力をすでに持っており、4つ目の柱である世界で最も洗練されたAIアルゴリズムへの相互アクセスを確保する機会を得たと指摘する。SKハイニックスの元エンジニアは、韓国は既存の強みに集中すべきだと言う。「世界は常にハードウェアを必要とし、世界は常にチップを必要とする。チップ製造の最先端を走り続けることで、韓国企業は将来のAIのブレークスルーから利益を得る可能性が高くなる。
韓国の経済的将来に対する警告は誇張されすぎているとの見方もある。多くの西側諸国は、韓国がなんとか維持してきたような高度な製造業の基盤を放棄したことを痛烈に後悔していると指摘する。米中間の「ハイテク戦争」は、韓国の思う壺になっていると彼らは主張する。チップ、バッテリー、バイオテクノロジー分野での中国のライバル企業が成長する西側市場への参入を制限されたり、禁止されたりする一方で、台湾の安全保障への懸念が韓国の代替品への需要を高めているからである。防衛、建設、製薬、電気自動車、エンターテインメントなど幅広い分野の韓国企業は、中国市場へのエクスポージャーを減らし、東南アジア、インド、中東、アフリカ、ラテンアメリカでの成長を模索することで多くの欧米企業よりも巧みな手腕を発揮している。
以上のように、記事は冒頭で韓国経済の成長モデルが息切れの兆しを見せているなか、それを改革する気がない、あるいはできないことを示す象徴として、龍仁市のメガ・クラスターを紹介し、韓国経済の今後に懸念を示す。韓国経済の弱点として、新「基盤技術」の開発の停滞、人口危機、時代遅れのエネルギー部門、業績不振の資本市場などを挙げ、過去の成長モデルに固執すれば、経済は大きな困難に直面するとの財政相のコメントを伝える。また中小企業と財閥から構成される経済の2層構造が、教育や高収入の仕事をめぐる若者たちの競争激化を招き、男女間の賃金格差や家計負債が先進国間で高く、さらに自殺率がOECD加盟国で最も高いと指摘する。そのうえで、政治的リーダーシップが欠如する現状から、この状況が改善される可能性は低いと論じる。ただし記事は最後に、韓国経済の強みとして、高度な製造業の産業基盤を挙げ、米中対立という地政学的要因も韓国に漁夫の利をもたらす可能性があると主張する。韓国の今後の進路を示唆する見方として注目したい。
北 朝 鮮
☆ 南北間の緊張を高める心理戦
K-POPとゴミ風船を使った奇妙な心理戦が南北間の緊張を高めていると6月12日付ワシントン・ポストが伝える。記事によれば、韓国は北朝鮮がゴミを運ぶ風船を飛ばしたことへの報復として、国境地帯でプロパガンダの拡声器放送を流し始めた。何年もの間、真剣な話し合いが行われていない南北間の厳重に要塞化された国境では、連日、冷戦時代のような、しかし奇妙なキャンペーンが続けられている。記事はさらに、「現時点では、韓国と北朝鮮は政治的に象徴的な行動で互いに圧力をかけ、抑止しようとしている。どちらも引き下がったと見られたくないということから、意図しない衝突へとエスカレートする可能性がある」との専門家のコメントを伝え、南北間の緊張が再燃していると以下のように報じる。
19日、韓国は6年ぶりに国境沿いに巨大な拡声器を配備し、プロパガンダ放送を再開した。この放送には、K-POP界の人気者BTSの大ヒット曲「Butter」や「Dynamite」、天気予報、韓国最大の企業であるサムスンに関するニュースのほか、北のミサイル計画や外国ビデオ弾圧に対する外部からの批判も含まれていた。韓国政府関係者によると、耳をつんざくような放送は、韓国には大きな被害はなかったものの、北朝鮮が最近行ったゴミを投棄する一連の風船作戦に対する報復だという。北は、風船は国境を越えて指導部に批判的な政治的ビラを含む広告バルーンを飛ばす韓国の活動家に対する報復行為だと主張している。
韓国政府関係者によると、北朝鮮は国境付近にプロパガンダ用の拡声器を再設置したが、火曜日の朝の時点ではまだスイッチを入れていないという。北朝鮮の過去の放送は、主に自国の体制を称賛し、韓国を厳しく非難するものだった。広告バルーン活動や拡声器放送は、2018年に南北両国が停止に合意した心理戦のひとつである。韓国はまた冷戦時代、ロサンゼルス近郊の「ハリウッド」看板を彷彿とさせるような、そびえ立つ電光掲示板を設置した。これに対抗し北朝鮮は次のようなメッセージの看板を用意した。「南北連邦制を樹立しよう!」。
では、どちらの拡声器が優れているのか。韓国政府関係者は以前、拡声器からの放送は日中約10キロ、夜間は約24キロ届くと述べている。韓国への脱北者の証言によれば、最前線の北朝鮮兵士の中には、ポップソングや正確な天気予報を含む韓国の放送を楽しむ者もいたという。他方、過去に北朝鮮が放送した拡声器からの放送は、韓国の地域でははっきり聞こえなかったという。2015年、韓国が11年ぶりに拡声器放送を再開した際、北朝鮮が国境を越えて砲弾を発射し、韓国が応戦した。死傷者は報告されていない。
専門家や脱北者によれば、K-POPや映画やテレビドラマのような韓国のポップカルチャーは、北朝鮮国民の間で着実に人気を集めるにつれ、北の指導者に対する挑戦として浮上してきたという。パンデミック以来、金正恩は一族の王朝支配を強化するため、国民の間で韓国のポップカルチャーや言語の影響を排除するキャンペーンを強化してきた。2016年の韓国の拡声器放送のプレイリストには、若い女性歌手アイユー(IU)の曲が含まれており、そのソフトでなだめるような歌声は、北朝鮮の最前線の男性兵士の士気を下げることを意図していると考えられている。北朝鮮は過去の関係改善時期には、韓国のポップカルチャーに対して寛容だった。2018年の短期間の雪解け期に韓国の大物ポップスターたちを平壌に招き、珍しくも公演を催した。韓国のテレビ映像によると、北朝鮮の観客は歌手のクラシックバラードを楽しんでいるようだったが、遊び心のある甲高いボーカルとセクシーな振り付けで知られるK-POPガールズグループ、レッドベルベットにはあまり熱狂的ではなかった。ただし金委員長は、このコンサートに拍手を送り、"平壌市民への贈り物"と称したと伝えられている。
上記のように報じた記事は最後に、こうした昔ながらの心理戦の再燃が南北間に軍事衝突を引き起こすだろうかと問題提起し、次のように論じる。韓国も北朝鮮も、もはや2018年の画期的な緊張緩和協定に拘束されないことをすでに明らかにしている。また2019年に米朝核外交が破綻して以来、南北間の外交は頓挫したままだ。そのため、両国が一触即発の緊張のサイクルから抜け出すための出口となる会談を設けるのは難しいかもしれない。ソウル梨花大学のイーズリー教授は、「韓国は情報作戦と通常軍事能力において明らかに優位に立っているが、物理的な衝突の際には失うものも大きい。金正恩政権は外部からの情報には脆弱だが、核保有を自認しているため、威圧力を過信している可能性がある」と語る。西江大学のワン・ソンテク教授は、最近の新聞コラムで「北朝鮮は直接的な反撃を避けるためにその関与がすぐには確認できない“グレーゾーン”の戦術で報復する可能性がある」と述べる。
以上のように、南北間で目下K-POPとゴミ風船を使った奇妙な心理戦が展開され、これが意図しない衝突へとエスカレートする可能性があると懸念されている。巨大拡声器を使って流される韓国のポップカルチャーは、北朝鮮国民の間で着実に人気を集めており、韓国の活動家による反体制広告バルーンと相まって北の指導者を刺激しているとみられる。問題は、こうした心理戦が武力衝突に発展するかどうかであろう。記事が最後に伝えるように専門家の間でも見方が分かれており、核を保有する北朝鮮が威圧的行動に打って出る恐れが指摘されている。だが、それは北の体制自体を不安定化させる可能性があることも否定できない。それがゴミ風船という、姑息な戦術に走らせていると思われる。
東南アジアほか
☆ ドル高の圧力を受けるアジア新興国通貨
インドや東南アジア各国の諸通貨がドル高のあおりを受けて下落している。4月16日付フィナンシャル・タイムズは、インド・ルピーが下落して史上最安値を更新し、インドネシア・ルピアも急落し中央銀行がルピアの支援に動き出したと報じる。記事によれば、イランによるイスラエル攻撃を受けて中東情勢が緊迫化し、米連邦準備制度理事会(FRB)が利下げを延期するとの見方が強まっていることが、米国通貨を押し上げている。先週、米国のインフレ率が堅調な数字となったことでFRBが利上げを長期化させるとの見方が強まり、グリーンバックは2022年以降で最も強い週間パフォーマンスを記録した。ジャカルタの市場が1週間の連休を終えて再開したため、インドネシア・ルピアは対ドルで2%安の1万6,176ドルとなり、過去4年間で最低を記録した。中央銀行はスポット市場とノン・デリバラブル・フォワード市場でルピアを買い支え、総裁は、中央銀行は常にこのような形で通貨を安定させるために市場に参加しているとコメントした。ルピアは今年約5%下落し、アジアで最もパフォーマンスの悪い通貨のひとつとなっている。
また火曜日には、インド・ルピーが0.1%下落し、対ドルで83.525ドルと過去最低を記録。韓国ウォンは0.8%下落し、17ヶ月ぶりの安値となる1,395ドルを付け、当局による口先介入を余儀なくされた。マレーシア・リンギットは0.3%下落し、4.79ドルと26年ぶりの安値に近い水準で取引された。ナティクシスのシニア・エコノミスト、トリン・グエンは、新興国の中央銀行は外国為替市場への介入に加えて、国内通貨の下落を食い止めるために利上げで対応する可能性があると述べた。特にインドネシアでは利上げの可能性が高まっていると付け加えた。「インドネシア・ルピアは、経常赤字とリスク回避の資本流出を背景に大きく下落している。この傾向が来週も続くようであれば中央銀行が利上げに踏み切っても不思議ではない。中央銀行は23日と24日に金融政策決定会合を開く予定だ。今年後半には利下げに踏み切るとの見方が強い。ルピアはインド・ルピーに次いで利回りの高い通貨だが、債券の海外からの調達への依存度が高いため、より脆弱だ」とグエン氏は指摘する。
ルピアは今年、プラボウォ・スビアント次期大統領のポピュリズム政策がインドネシアの財政を悪化させるのではないかという懸念からも打撃を受けている。今年10月にジョコ・ウィドドの後を継ぐプラボウォは、4億6,000万ルピア(284億ドル)かかると予想される学童のための無料給食と牛乳プログラムの開始を約束している。ムンバイを拠点とする金融サービスグループMotilal Oswalの商品・通貨担当ディレクターであるキショール・ナルネ氏は、地政学、ドル高、そして4月のインド会計年度開始時の現地でのグリーンバック需要がルピーを押し下げたと述べた。インド準備銀行は以前、通貨安を管理するために介入したことがある。「準備銀行は一般的に変動をコントロールする傾向がある。
他の中央銀行も自国通貨安をサポートするための行動を取ることをほのめかしている。マレーシア中央銀行(BNM)は月曜日の声明で、「十分な流動性と外国為替市場の秩序ある機能を確保し、金融市場のボラティリティの高まりから生じるリスクを管理する」と述べた。「BNMは、地政学的情勢が落ち着けば、不確実性は後退し、安定するだろうという見解で、金融当局の責任者を含む金融市場参加者と協議してきた。
OCBCの外国為替ストラテジスト、クリストファー・ウォン氏は、中国による人民元基準レートの引き下げがドル高圧力をさらに強めていると指摘。「これらの要因が続けば、通貨はまだ少し弱くなる可能性があるが、政策決定者は市場の変動を止めるために介入している」。
以上のように、東南アジアやインド、韓国などアジアの諸通貨がドル高に起因する通貨安に直面している。特にインドネシア・ルピアは今年約5%下落し、アジアで最もパフォーマンスの悪い通貨のひとつとなった。これは次期大統領のプラボウォ・スビアントによるポピュリズム政策が財政悪化を引き起こすとの懸念が打撃を大きくしているとされる。インド・ルピーは0.1%下落し、対ドルで83.525ドルと過去最低を記録。韓国ウォンは0.8%下落し、17ヶ月ぶりの安値となる1,395ドルを付けた。マレーシア・リンギットも0.3%下落し、4.79ドルと26年ぶりの安値に近い水準で取引されたと報じる。対策として市場介入に加えて、国内通貨の下落を食い止めるために利上げで対応する可能性があると専門家は指摘する。ドル高の余波とはいえ、各国特有の事情も加わって変動が大きくなっている。FRBによる利下げの動きも当面先延ばしされており、しばらく東アジア通貨情勢から目が離せない。
インド
☆ 警告に満ちた総選挙結果
10億人近い登録有権者による世界最大の民主主義国家インドの総選挙の開票がいよいよ始まった。その結果について、6月5日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルは、「An Election Rebuke for India’s Narendra Modi (日本版記事:インド総選挙、結果はモディ氏への戒め)」と題する社説で、有権者はヒンズー至上主義より経済的成果を求めたと以下のように論じる。
判明しつつある総選挙の結果は、ナレンドラ・モディ首相にとって厳しい戒めとなった。有権者はインド人民党(BJP)に3期目の政権与党の座を与えたようだが、野党との議席差は大幅に縮小する見込みだ。BJPを中心とする与党連合は、4日夜の段階では、全543議席のうち290議席ほどを獲得する見通しになっている。しかしBJP単独での獲得議席は240前後に減る見込みだ。これは2014年、2019年の総選挙で同党が得た単独での圧倒的な過半数をはるかに下回る。議席数を大きく伸ばしているのは国民会議派を中心とする野党連合だ。同連合の議席数は予想を上回る230前後に達する勢いだ。
今回の選挙戦では、経済問題が主な争点になった。モディ氏はしばしば「経済界寄り」の人物と評されてきた。しかし、インド国民はその成果を疑問視している。公式データによれば、昨年度の国内総生産(GDP)伸び率は8%程度だが、成長の中身を見ると、有権者に将来への自信を与える民間の消費と投資よりも、政府支出に負うところが大きい。ある指標によれば、全国の失業率は約8%となっている。都市部の若年層の失業率は17%に上る。
モディ氏の選挙運動における失敗の一つは、有権者にこの停滞感から脱却する展望を示せなかったことだ。同氏は代わりに、コロナ下で導入した食料補助金などのさまざまな給付金について強調した。有権者には、そのような給付金が彼らの経済的な見通しを改善しないことが分かっている。インドが本来持っている利点を考えれば、モディ氏の失敗は不可解なものだ。例えば、規模が大きくて若年層が多く、高学歴者が増えている人口は、中国依存のサプライチェーン(供給網)から脱却して多様化することを目指している企業を呼び込む材料になるはずだ。
また、モディ氏にとって計画通りにいかなかった点は、ヒンズー至上主義の訴えだ。批判勢力から民族排外主義と見なされている同氏の政治手法のこの側面は、選挙運動のカギを握っていた。同氏が強調した「功績」の一つは、アヨーディヤのかつてモスク(イスラム教礼拝所)だった場所にヒンズー教寺院を建設したことだった。複雑で時に暴力的にもなる民族・宗教対立が特徴のこの国では、宗派色の強いメッセージは一定の影響力を保っている。だが、今回の選挙結果は、所得増よりアイデンティティー政治を優先させることの限界を示唆している。モディ政権はまた、報道の自由に対する弾圧によって一部の有権者を遠ざけている。
国民会議派が急進的になっていなければBJPはもっと悪い結果に直面していた可能性がある。国民会議派の事実上の指導者であるラフル・ガンディー氏は、食糧配給制度の拡大やカーストに基づいて一定の就職・教育機会を割り当てる制度、政府による大量採用を約束していた。有権者がこうした計画に懐疑的だったため、モディ氏は政権の座にとどまれることになる。このことは左派政党にとって、もっと中道に寄った方が支持を得られるという教訓になるはずだ。
社説は最後に次のように論評する。選挙結果は、インド国民が指導者たちに大きな期待を抱いていること、そして世界最大の民主主義国であることを再び利用して、指導者たちにもっとうまくやるよう警告したことを示している。モディ氏は、今回の選挙で出された警告を重く受け止めるのか、それとも、さらに宗派的で権威主義的な手法にはまり込んでいくのか――それが問題だ。
6月5日付フィナンシャル・タイムズは、「India’s Modi emerges weakened (勢いが衰えたモディ)」と題する社説で、指導者が謙譲になることで、国の台頭の土台が強化されるかもしれないと以下のように論じる。
3期目の勝利は、FTは、モディの人気がまだ高いことを示しているが、この投票はインド人が政府にもっと多くのことを望んでいることを示している。インド人民党のナレンドラ・モディ党首は4日、予想通り3期連続で政権に返り咲くと発表した。しかし、彼は謙虚に戻った。与党は単独過半数を失い、連立相手とともに2019年よりも下院の議席数を減らすことになる。しかし、この意外な結果は、インドの長期的な発展を後押しすることになるかもしれない。実際、多くの人がインドの民主主義が揺らぐのではないかと懸念していた矢先だっただけに、傲慢でヒンドゥー教ナショナリストのインド人民党がより熟慮を重ねた政策立案を行うようになり、民主主義が活性化すれば、インドの台頭が強まる可能性がある。歴史的な3期目の勝利は、モディの人気が依然として高いことを示している。多くのインド人は、モディの10年にわたるリーダーシップを支持している。2014年の1期目以来、道路、鉄道、エネルギーのインフラは国中で活況を呈し、インドはデジタル福祉国家を作り上げ、世界の舞台で国の信頼は高まっている。しかし、この投票は国民が政府にもっと多くを求めていることを示している。貧困は目覚ましく減少しているが、所得と富の不平等は世界で最も高い水準にある。国民は雇用の欠如と高インフレを懸念している。BJPが政権にとどまりたいのであれば、2047年までにインドを先進国にするという壮大なビジョンとともに、こうした草の根の問題に取り組まなければならない。
BJPにとってこの投票は、反対意見を封じながら、効果的な統治を行うことはできないという警鐘でもある。過去10年間、同党とその支持者たちは、自由な報道を封じ、反対派を脅迫し、イスラム教徒を差別してきた。BJPが3分の2の多数を獲得し、憲法改正も可能になるのではないかという懸念も今では払拭されている。野党は、分裂はあったものの不満が高まっていることを裏付けるような勝利を収めた。選挙結果は、BJPの経済改革アジェンダの一部を遅らせる可能性が高い。しかし、これはインドの根本的なひずみを修正し、その台頭をより強固な基盤に乗せられる機会でもある。そのためには、BJPは他の政党と協力し、インドの成長をより包括的なものにする必要がある。つまり、教育を改善し、より多くの女性が仕事に就けるようにし、自由化的な市場改革を行うことである。これは、政治的党派を超えて支持されるはずだ。
BJPがすべての有権者のニーズに応えることを望むのであれば、民主主義の後退を取り戻さなければならない。独立したメディアを妨げるのではなく奨励し、イスラム教徒に対する差別をやめ、信頼できる国家統計にするために投資することだ。より透明で平和なインドは投資の魅力を高めるだけだ。強く民主的なインドは、国民にとっても世界にとっても重要だ。インドは最大かつ最年少の労働力を有し、消費者はすでに主要市場であり、多国籍企業はインドを「チャイナ・プラス・ワン」のサプライチェーン戦略の中核と考えている。有権者はインドの民主主義が柔軟であることも示している。今後5年間は、弱体化したモディでもインドの膨大な経済ポテンシャルを現実のものにすることは可能だが、それは彼が今回の投票結果から正しいメッセージを受け取った場合に限られる。
6月5日ワシントン・ポストも「In India, the voters have spoken. They do not want autocracy (独裁政治を望まなかった有権者)」と題する社説で、モディ首相の行進は止められないと思われたが、有権者はヒンドゥー民族主義政党を拒絶したと次のように論じる。この7週間でインドの有権者は異常な動きにブレーキをかけた。投票の重要な結果は、モディ氏のインド人民党が今後5年間、インドの唯一の権力中枢になることはないということだ。モディ氏とBJPは、市民社会へのさらなる弾圧、野党政治家の投獄、民主的制度への浸透と組織の乗っ取り、イスラム教徒への迫害などを野放図にできなくなるだろう。モディ氏がヒンドゥー教ナショナリズムを放棄することはないだろうが、野党が復活し、連立パートナーと妥協しなければならなくなった今、より強力なチェック・アンド・バランスが必要になるだろう。
世界のいたるところで民主主義の後退に苦しんでいるように見えるが、この選挙結果はポーランドの権威主義的な政権の否定と並んで、暗い時代における明るい出来事である。今回は6億4,000万人の有権者の手に直接委ねられたのだからなおさらだ。モディ氏は、過半数のためには272議席が必要な543議席の下院で、BJPとその連立相手が400議席以上を獲得するだろうとたびたび予測していた。しかし、モディ氏の党は240議席にとどまり、5年前より63議席減少した。長年苦戦を強いられてきたラフル・ガンディー氏率いる国民会議派は99議席を獲得し、前回選挙から47議席の大幅増となった。モディ氏の政党は、北部の巨大なウッタル・プラデシュ州で29議席を失い、マハラシュトラ州でも14議席を失った。BJPは、モディ氏がムガル帝国時代のモスク跡に落成させたヒンドゥー教のラーム神寺院がある北部のアヨーディヤ選挙区も失った。ヒンドゥー教徒が多いこの地区では、非常に象徴的な敗北となった。
確かに有権者は、インド全体の経済成長にもかかわらず、失業、インフレ、不平等に不満を抱いていた。選挙結果を地理的にみると、モディ氏が以前は挑戦していた旧来の地域別投票パターンへの回帰を示唆している。しかし、今回の投票はモディ氏の独裁的で分裂的なやり方に対する抗議でもあった。モディ氏は長年にわたって権威主義に傾倒してきたが、有権者は、議会で絶対多数を得た場合、憲法を改正して一部の集団の権利を永久に剥奪しようとするのではないかと懸念したのかもしれない。投票前、モディ氏は自身のリーダーシップの周囲でカルト的な人格崇拝を奨励した。彼は、神がインドを統治するために自分を遣わしたと主張した。母親が生きていたころは、「自分の誕生はおそらく生物学的なものだと信じていた」が、「母親の死後、自分の人生経験を見ると、神が私をここに遣わしたと確信している」と語った。投票前の期間、モディ政権は野党の銀行口座の一部を凍結し、汚職や税金関連の罪で指導者たちを投獄し、モディの連立相手が支配するメディアによる称賛報道という恩恵に浴した。
さらに、昨年本紙が詳細に報じたように、モディ氏の下でソーシャルメディア・プラットフォームは、インドの2億人のイスラム教徒に対する憎悪のベルトコンベヤーと化した。モディ氏のヒンドゥー教ナショナリストによる支配の間、インドは暴徒支配に悩まされ、イスラム教徒やキリスト教徒がリンチの標的にされた。選挙運動中、モディ氏はイスラム教徒を中傷し、彼らが何らかの形で国の富を盗もうとしているという陰鬱な警告を発した。全体として、モディ氏の台頭は、世界最大の民主主義国家における真に競争的な政治の終焉を意味するのではないかという懸念が国内外にあった。幸いなことに選挙結果によって、そのような見通しは阻止されないまでも弱まった。
選挙は極めて重要だが、それでも民主主義という大きな時計の歯車の一つに過ぎない。市民社会の活動や法の支配、制度の構築、寛容の奨励などである。モディ氏がこの挫折にどう反応し、ヒンドゥー・ナショナリズムを続けるかどうかは不明だ。しかし、少なくとも今は、彼の最悪の行き過ぎに立ち向かい、その独走を阻止し、インドを最良の民主主義-競争が繁栄する民主主義-に戻す力を与えられた人々がいる。
以上、主要メディアの論調を社説からみてきた。共通しているのは、モディ政権のヒンズー至上主義への傾斜や報道の自由弾圧などに象徴される強権的政治手法と経済政策の失敗に対する厳しい批判である。インドは経済が高成長するなかで、所得と富の不平等は世界で最も高い水準に止まり、都市部若年層の失業率は17%に上ると指摘されている。反対派への脅迫やイスラム教徒の差別をやめ、教育の改善や女性の就労、市場自由化改革の促進など、やるべきことは多い。自身のカルト的な人格崇拝を奨励するなどは、もってのほかである。今回の総選挙の結果はモディ政権に対する警告で満ちている。モディ首相自身の人気はまだ高いかもしれないが、今回の選挙で示され警告を重く受け止めることが欠かせない。
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主要紙の社説・論説から
世界の中の日本(2)―円安とオーバーツーリズムで揺れる日本と日本社会
円が激しく売られている。円は一時、1ドル=160円という歴史的な安値を付けた。メディアは、こうした円安もあって、日本への海外観光客や富裕層移住者が増加し、オーバーツーリズムが発生したり、日本の途上国化や新興国化論議、さらには日本の外国人嫌い発言などが浮上したりしていると報じる。今回は「世界の中の日本(2)」として、こうした海外メディアの報道と論調を観察した。以下は、その要約である。
まず、円安とそれに対する日本の財務省・日銀による円買い市場介入に関するメディアの論調からみていく。政府・日銀は4月から5月にかけて590億ドルに達する円の買い支え操作を単独で実施したが、これについて5月16日付フィナンシャル・タイムズは「Unilateral efforts to prop up Japan’s currency are expensive and potentially futile (日本の通貨買い支えの一方的な努力は高くつき、無益になりかねない)」と題する社説の冒頭で、シジフォスの労苦というギリシャ神話を持ち出して、シジフォスの岩が坂を転がり落ちるように市場介入は無駄に終わったと指摘する。円は一時、1ドル=160円という歴史的な安値から153円まで上昇したが、今は1ドル156円前後で取引されており、一方的な為替介入の無益さが浮き彫りになったと述べ、ドルを上昇させ、円を下降させた経済のファンダメンタルズはまだ作用していると論じる。日銀が将来の利上げに関してハト派的な姿勢を堅持している一方で、FRBは5.25%の金利を長期的に維持する構えであり、米金利が下がるまでドルが円や他の通貨に圧力をかけることになるとし、一方的な価格介入は無意味になると主張する。
さらに社説は当局の円高操作について、次のように論じる。日本政府が最近円高を選好しているのは驚くべきことではない。日本経済がエネルギーと食料の輸入に対する依存度を高めていることを考えれば、円高は国際市場での日本の購買力を高める。高齢化が進み、家計への依存度が高まる日本にとって、家計の貯蓄を支えることも重要だ。しかし、円高に注目するのは見当違いかもしれない。今のところ通貨安にはメリットがある。日銀は3月の金融政策決定会合で数十年にわたる物価低迷の後、賃金上昇によってインフレ率が急上昇し、「インフレの好循環」が戻ってきたと褒め称えた。日本のインフレ率はその後減速したが、先週の金融政策決定会合で言及されたように円安は物価上昇を急速に促し、日銀はインフレ目標を達成できた。
社説は最後に概略次のように提言する。数十年にわたる超金融緩和政策により、円は「キャリートレード」の手段として好まれ、その結果円は低く抑制されてきた。日本の外貨準備高を考えれば1回限りの介入は、為替トレーダーが投機を抑制するための日本政府による合理的で手ごろな警告と見なすことができるだろう。しかし、日本はそこで休むべきだ。円安の根底にあるファンダメンタルズが解消されるまではトレーダーにさらなるサインを送るために外貨準備高を消費することは、シジフォスの重労働を思わせるような行為になる可能性が高い。
こうして円安が定着するなか、海外からの観光客が急増する。このため日本社会は殺到する観光客への対応に追われることになる。そうした状況について5月15日付ワシントン・ポストは「Japan, famously polite, struggles to cope with influx of tourists (礼儀正しいことで有名な日本、殺到する観光客への対応に苦闘)と題する記事で、大勢の観光客のために富士山や京都などの人気スポットは混乱しており、日本独自のおもてなしの精神が試練にさらされていると以下のように伝える。
日本が誇る「おもてなし」の精神、それは心をこめて客をもてなすことである。だが、コロナ禍以降の観光客の急増と、多くの観光客にとって訪日を安くする円安が相まって、世界的に有名な日本のおもてなしが危機に瀕している。この心からのもてなしと行き届いたサービスは日本に到着した瞬間、すなわち空港で飛行機がボーディングブリッジまで到着する際に滑走路にいる航空保安官がお辞儀をする瞬間からホテル、レストラン、ショップで感じ取れるのだ。タクシーの運転手の白い手袋や安いコーヒー一杯にでも添えられる包装されたウェットティッシュにもそれは表れている。
次いで記事は、観光客を引き付ける円安について円安は着実に進行しており、過去5年間で米ドルに対して40%以上の価値を失い、日本は訪れるにはかなり安い場所となったと述べ、訪日観光客の状況について次のように報じる。昨年の訪日観光客は2,510万人で、2022年の6倍に増えた。日本政府観光局(JNTO)のデータによると、桜の季節が始まった3月には308万人が訪れ、1964年の記録開始以来、初めて月間300万人を突破した。今年の観光客の4分の1強は韓国からで、約17%が台湾、15%が中国、米国からは1月以降7%未満である。観光客の流入は日本経済にとって好都合である。観光庁によれば、今年第1四半期の訪日客の消費額は114億ドル(1兆7,500億円)で、四半期ベースで過去最高を記録した。一人当たりの平均消費額は約1,300ドル(20万8,760円)で、2019年の同時期から41.6%増加した。
記事はさらに混雑する観光地の状況について次のように報じる。コロナ大流行の2年半の間、日本に入国できなかった外国人観光客が今は失われた時間を取り戻そうとしているようにみえる。しかし、オーバーツーリズムは日本にとって深刻な問題になっている。多くの人気スポットでは地元の人々にとって良い結果とはなっていない。過密状態、ゴミの散乱、インフラへの負荷、そして特に日本人が気にかけていること、すなわち必要なもてなしができないという不満が広まっている。このため富士登山道では混雑を防ぐためにオンライン予約システムや1回13ドルの入山料を導入し、約3,200万人の観光客が訪れた京都では先月、祇園路地への観光客の立ち入りを禁止した。また、奈良公園の鹿もスナックで満腹状態になり、平和記念資料館がある広島でも名物のお好み焼き屋がお客で溢れ返っている。
急増しているのは観光客に限らない。5月9日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルは「The Exodus of China’s Wealthy to Japan (日本版記事:中国から日本へ、富裕層の脱出が加速)」と題する記事で、専制主義的な政治体制や景気減速への不満から移住する中国人が増え、東京の高級不動産市場を後押ししていると次のように報じる。東京湾岸にある高層マンションの住民は大体4分の1かそれ以上が中国人だという。英投資移住コンサルタント会社の世界移住動向報告書によると、2023年の中国人富裕層の純流出数は推計1万3,500人で、国別の純流出数でトップだった。彼らは日本だけでなく、米国、カナダ、シンガポールにも流入しているが、飛行機で数時間の距離にある日本は有力な移住先である。円安のおかげで不動産価格は安く、外国人による不動産取得もそれほど難しくない。日本語の表記には漢字が使われているため、来日したばかりでも対応しやすい。日本に居住する中国人移住者は昨年末の時点で約82万2,000人に上り、前年比6万人増と近年で最大の伸びを記録した。中国人はリゾート物件の購入にも積極的で、昨年はスキー場に近い北海道・富良野の住宅用地の価格が28%上昇、全国で最大の上昇率を記録した。地元の仲介業者によると、中国本土や香港、シンガポールの中国人富裕層が別荘を探しているという。
日本に移住する中国人は概して二つの課題に直面する。資金の持ち込みとビザの取得だ。中国は国外に持ち出せる金額を制限しているが、日本で不動産を購入する中国人は国外事業を展開する企業を経営したり、国外に投資資産を保有したりしている。ビザは、日本で資本金または出資総額が500万円以上の事業を経営管理し、恒久的施設があり2人以上の常勤職員がいる場合には経営・管理ビザを取得できる。ビジネス・技術・学術分野の高度専門職向けのビザもある。ソフトウエアエンジニアなど技術分野の高度専門職ビザを持つ中国人は2019年から2023年にかけて30%増加し、1万人を超えた。高度専門職ビザの保有者は、早ければ1年で日本の永住権の申請資格を得られる。
中国出身のビザコンサルタントによれば、顧客のほとんどが中国人で、上海や北京など大都市出身の30代後半から50代の経営者や企業幹部が多いという。日本に住むと多くの人が日本の法定記録上を含め、日本名を使う。中国名を日本語読みにする人もいれば、全く新しい名前を選ぶ人もいる。日本名を使えば日本人とやり取りする上で便利だけでなく、まだ家族が残る中国で注目を避けられる。中国当局は国民の資産国外持ち出しに難色を示す傾向があり、日本名の使用が助けになる可能性がある。日本に長期間暮らすつもりだと話す中国人の一人は、日本の魅力の一つは高水準の医療だと言い、年を取ったときに助かると考えていると語る。
激増する海外観光客がもたらす問題はオーバーツーリズムや移住者問題に限らない。5月18日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルは、「Japan’s Beef With a Weak Yen: The Best Wagyu Is Just for the Tourists (円安の日本の牛肉。最高級の和牛は観光客だけのもの)」と題する記事で、ドルを振りかざす観光客が地元の人間にはほとんど手の届かない楽しみを享受することで、日本の誇りを傷つけていると報じる。
記事は冒頭で、ドナルド・トランプ米前大統領は最近、通貨高が強い国家を意味すると考えるのは愚かな人々だけだと語ったが、その発言は、通貨の変動がもたらす政治と心理の難しさを示していると述べる。歴史的な円安は日本の製造業を強くするのに役立っているが、同時に日本のセルフイメージを傷つけ、米国との繁栄の格差拡大を示したと指摘する。一例として、目の前で焼いてくれる約175ドル相当の最高級神戸牛を堪能するシンガポールの観光客を紹介する一方、すぐ近くのレストランでそれほどグレードの高くない牛肉を安い値段で食べていた60代の日本人教育者は、「値段の高いレストランには絶対に行かない。それらは外国人向けだ。円安だから、彼らにとっては安いのだ」と語ったと伝える。京都市内で人力車を運営する経営者は、日本の現状を心配し、「円の価値が日本の価値を表しているとしたら、それはあまりにも低すぎる」と語る。
次いで記事は、円安は輸入食料品や燃料の価格を引き上げ、個人消費に打撃を与え、今年第1四半期の日本経済縮小の一因となったと述べ、それを訪日観光客が埋め合わせていると報じる。記事によれば、4月、日本には300万人以上の観光客が訪れ、3月に記録した月次記録にほぼ並んだ。訪日客の消費額は第1四半期で約110億ドルに相当し、ドルベースではないが円ベースでは過去最高を記録した。また円安の製造業を後押しする効果について次のように言及する。円安はトヨタ自動車のような輸出企業にとっても好材料だ。トヨタは、ドル建ての米国でハイブリッドカーの売り上げを伸ばす一方、労働者の所得が円建てより低い日本で多くの自動車を生産している。日本の株価は過去最高に近い。
そのうえで記事は、次のように論評する。日本は2つの国になりつつある。一部の地域では、ドルやユーロを振りかざす外国人が裕福な生活を送っている。他方、日本の大部分では、弱い国内通貨しか持たない地元の人々が、それよりも貧しい生活を送っている。東京の高級ショッピング街である銀座や北部のニセコ・スキー場は、海外からの裕福な観光客の遊び場となっており、日本人のほとんどは低賃金で彼らの接客や後片付けをする仕事に就いている。そう言われると、日本はまるで発展途上国のようだが1960年代は米国に次ぐ世界第2位の経済大国だった。だが、日本は今や米国、中国、ドイツに次ぐ第4位である。しかも専門家は、近いうちにインドやイギリスに抜かれて6位に転落する可能性があると指摘する。
上記の日本途上国化論議に続いて、新興国化論議も登場する。5月2日付フィナンシャル・タイムズは「Japan is haunted by a return to emerging-economy status (新興国経済の地位への回帰という亡霊に取り憑かれている日本)」と題する論説記事で、過激な円安に揺れる日本が新興経済国の地位に陥るのではないかと恐れていると以下のように論じる。筆者は同紙東京特派員でAsia Business Editorを務めるレオ・ルイス氏。
記事はまず、日本は1年以上、歴史的な転換点にある、ともっともらしく言われてきたと述べ、4月に34年ぶりの安値まで暴落し円安や、著名なシンクタンクが日本の自治体の3分の1以上が消滅する可能性があると警告した人口減の現状、他の先進国・地域と同期しなくなった金融政策、さらに政府の産業政策委員会が発した日本の繁栄に対する慢性的な脅威の警告などに触れ、特に円が、その行き末をあまり明確にしていないと懸念を表明する。そのうえで、中期的な将来に向けて様々な可能性のある道筋の中で日本が最も恐れているのは、新興経済圏の地位から連想される無秩序、格差、機能不全に陥るという懸念だと指摘し、以下のように論じる。
アジアで初めて先進国の仲間入りを果たした日本は、何十年もの間、その肩書を失うことへの恐怖を示すのと同じくらい誇りをもって、そのバッジを身にまとってきた。そのようなことが起こるという考えは、たとえそれが不合理なことであろうと、あるいは遠い出来事であろうと、しばしばモチベーションを高める道具として世論に浸透してきた。1月以来続いている円の暴落、興奮して勢いづく投機筋、そして月曜日に始まったと思われる政府の介入によって、この状況を通貨危機と断定する人もいる。日本が新興経済国のような脆弱性を露呈しているという意見もある。また、外国人観光客が記録的な数で訪れ、ソーシャルメディア上で日本がいかに安く感じられるかを喧伝したことも、加速度的な凋落感に拍車をかけているかもしれない。
しかし、少なくとも今のところ、この心配は見当違いだと思われる。日本経済が良い状態にあるのは明らかだ。円安は国内消費の回復を抑制するリスクがあるが、日本の外貨準備高は10億ドルをはるかに超えている。チャート上では憂慮すべき円安の動きだが、日本企業の大部分にとっては有益だ。1.4兆ドルの年金積立金管理運用独立行政法人は、資産のおよそ50%を海外で保有しており、2023年には全体として2,320億ドルという記録的な利益を上げた。
とはいえ、新興経済圏の亡霊が最近になって説得力を増してきた。先週、人口問題協議会は、2050年までの地域人口に関する政府の最新予測を用いて、日本の1,729市町村の43%が「いずれ消滅する可能性がある」と発表した。同じ日、経済産業省の産業政策委員会は、新興国の先を行くために必要な抜本的な改革について最新の報告書を発表した。企業経営に大きな変化がなければ、実質賃金とGDPの成長は横ばいのままである。「その結果、社会の安定さえも失われかねない」と報告書は結論づけた。しかし、現在のところ、この悲観的な見方にはいくつかの説得力のある反論がある。労働力不足が企業に長年の懸案であった改革を迫り、若い日本人が以前よりも大きなリスクを取って起業家精神を発揮できるようになり、実質賃金の上昇が定着すれば中央銀行が自信を持って利上げを行えるような状況になるかもしれない。しかし、最近の円をめぐる騒動は、日本が歴史的な勃興期にあることを強く印象づける。数十年にわたるデフレ、賃金の低迷、抑制された株価、変化しにくい企業統治、過剰な労働力から一挙に脱却しようとしているのだ。これらは過去と大きく異なる。円相場は多かれ少なかれ、あらゆる道が前人未到である状況の中でその水準を見出している。ただし日銀にはこのような状況に陥ったことのある同業者はいない。企業部門は、ほとんど馴染みのない労働力、株主基盤、消費者マインドに対応しなければならない。 誤算のリスクは高く、場合によっては生活水準を著しく低下させる可能性もある。
上記のように論じた記事は、最後に次のように日本の政策当局に提言する。政策立案者などの人々にとって、新興国経済の亡霊は一つの目的地として有用かもしれない。日本が常にそこを避けて舵を切るのに役立つからだ。その際のコツは、長い間発展してきた経済に楽観主義を幾分振りまくことだ。楽観主義は勃興という日本の行動に付き添ってきたのだから。
最後に、以上のような日本の現状は世界の人々の目に、どう映っているのだろうか。その一例を5月7日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナル記事「Joe Biden’s Japanese Diplomacy (日本版記事:【社説】バイデン氏の「日本は外国人嫌い」発言)」と題する社説から見ていく。社説は、5月1日、バイデン米大統領が妻や他の関係者による厳しいチェックなしに自由に話せる希少な機会の一つである選挙資金集めの集会での発言で、日本を外国人嫌いの国の一つに挙げたと報じる。同氏は、「知っての通り、米経済が成長している理由の一つは、あなた方と、他の多くの人々の存在だ。米国が成長しているのは、米国が移民を歓迎しているからだ」と説明。「この点に目を向け、考えてみよう。中国が経済的にこれほどひどい状態に陥っているのはなぜか。日本が問題に直面しているのはなぜなのか。ロシア、インドの問題はなぜなのか。これらの国々が外国人嫌いだというのがその理由だ。こうした諸国は移民を歓迎していない」と語ったという。
この発言に関して社説は次のように論じる。米国への移民に関して、バイデン氏の指摘は的を射ている。しかし米国の友人である日本に対する外国人嫌いという非難は正当だろうか。米メリアム・ウェブスターの辞書では、ゼノフォーブは、「外国のもの、特に外国出身の人々を不当に恐れる人」と定義されている。日本人は外国人を恐れているだろうか。われわれの経験ではそんなことはない。バイデン氏の日本に対する見方は、1975年、もしかすると1946年のままで凍結されているのかもしれない。同氏は自身の中で過去に形成されたステレオタイプにとらわれる傾向がある。日本は確かに、過去何十年間も移民労働者の受け入れに抵抗していた。しかし少子高齢化が進む日本は、安倍晋三元首相の下、外国人労働者に門戸を開き始めた。また昨今、観光ブームが起きており、本紙報道のように多くの富裕な中国人が日本に住居を構えている。世界の安全保障とウクライナにおいて、日本は賢明なリーダーシップも発揮している。われわれは、日本の友人たちがバイデン氏の発言を受け流すことを願っている。大統領は最近、テレプロンプターを読んでいないときや、また読んでいるときでもしばしば、とんでもないことを言いがちなのだ。
結び:以上のようなメデイアの論調を次の4つの観点からまとめてみる。第1に円安の現状と当局の対応、第2に日本における観光産業の実情、第3にそれに対する日本社会の対応の現状、そして第4に日本の途上国化と新興国化論についてである。
第1の円安と当局の対応については、メディアは、円高は国際市場での日本の購買力を高めるので高齢化が進み、家計依存度が高まる日本にとって家計貯蓄を支える点で重要だとして、円安防止のために市場介入を行った日本の当局の立場に理解を示す。その一方で、円を下降させた経済のファンダメンタルズはまだ作用していると指摘し、円安介入は無駄な努力だと批判する。メディアのいう経済のファンダメンタルズは、日銀がハト派的な姿勢を守る一方で、FRBは現行金利を長期維持する構えであり、米金利が下がるまで円や他の通貨に低下の圧力がかかる状況を指している。しかし、円安は金利格差よりももっと根本的な問題、すなわち日本の国富と国力が問われている問題と考える必要があろう。以下のようにメディアも結局、そうした論調を展開していく。
第2の日本の観光産業の実情がその一例である。着実に進行する円安によって、円は過去5年間で米ドルに対して40%以上価値を失い、日本は訪れるにはかなり安い場所になったのである。訪日観光客数もコロナ禍で落ち込んだ2022年の6倍に増え、日本社会は殺到する観光客への対応に追われ、こうしたオーバーツーリズムが日本にとって深刻な問題になっている。確かに、多くの人気スポットが過密状態やゴミの散乱、インフラへの負荷、そして特に日本人が気にかけている、おもてなしができないという問題に直面している。
しかも、急増しているのは観光客に限らない。専制主義的な政治体制や景気減速への不満から日本へ移住する中国人が急増し、東京の高級不動産市場の値上がりを加速させている。在日中国人移住者は昨年末の時点で約82万2,000人に上り、前年比6万人増と近年で最大の伸びを記録、彼らはリゾート物件の購入にも積極的だという。そうなると、日中関係が厳しさを増す中でこうした中国人の流入を放置してよいのかという安保上の問題が提起されてこよう。当面は、資金持ち込みやビザの処遇が問題となるだろう。ただし、移住中国人が30代後半から50代の大都市出身経営者や企業幹部が多いという報道が実態に近いのであれば、日本社会への相応の貢献も期待できると考えられる。
この関連では、第3の観点、すなわち、観光客や移住者に対する日本社会の対応が問題になる。オーバーツーリズムによって日本社会が得意とするおもてなしができなくなるという不満は、日本として自然な反応であるが、工夫を凝らして対処しなければならないだろう。同時にバイデン米大統領による日本の「外国人嫌い」発言も念頭におく必要がある。バイデン大統領の発言は不用意なコメントとされているが、世界が未だそうした目で日本を見ているということに留意しなければならないと思われる。不十分なおもてなしが、そうした誤解を深めないように十分に配慮する必要がある。
しかし、より深刻な問題は、第5の観光客の増加が日本を分断し、日本の一部を途上国のような地位に押しやっているという指摘である。見方を変えれば、これもオーバーツーリズムの一つの産物といえる。メディアは、ドルを振りかざす観光客が地元民には手の届かない楽しみを享受していると述べる。歴史的な円安が日本のセルフイメージを傷つけ、米国との繁栄の格差拡大を明らかにしたと論じ、日本は二つの国になりつつあると指摘する。一部の地域では、ドルやユーロを振りかざす外国人が裕福な生活を送り、日本の大部分では、弱い国内通貨しか持たない地元民が途上国民のように貧しい生活を送っていると。同時に日本が新興国経済の地位への陥没という亡霊に取り憑かれているとも論じる。日本は新興経済国から連想される無秩序、格差、機能不全に陥ることを恐れていると述べ、外国人観光客がソーシャルメディア上で、日本がいかに安く感じられるかを喧伝したことも凋落感に拍車をかけていると指摘する。
しかし、日本経済が良い状態にあるのは明らかで、今のところこの心配は見当違いだと論じ、日本が現在、過去と大きく異なる動きを示し、勃興期にあると主張する。そのうえで、日本の政策当局に対して提言をしている。この提言の意味は、日本はこれまで楽観主義をもって長い発展を遂げた歴史があり、これからも楽観主義をもって国力の勃興に心がけて行くべきだという趣旨に解される。その意味で注目すべき助言である。日本は引き続き、企業改革、若年層による起業家精神の発揮、実質賃金の上昇などの動きを加速させ、観光産業についてもオーバーツーリズムに負けず、おもてなしの精神を十分に発揮していくことが欠かせない。
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(主要トピックス)
2024年
5月16日 中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領と北京で会談。
18日 ベトナム共産党序列2位の国家主席にトー・ラム公安相(66)が就任。
最高指導者のグエン・フー・チョン書記長(80)に近い人物。
20日 台湾の与党・民主進歩党(民進党)の頼清徳(ライ・チンドォー)氏、
総統に就任。中国に対して「へつらわず、高ぶらず、現状維持に取り
組む」と表明。
呉江浩・駐日中国大使, 懇談会で中国の分裂に加担すれば
「日本の民衆が火の中に引きずり込まれる」と発言。日本政府、抗議。
22日 中国外務省、ロッキード・マーチンやレイセオンのグループ会社など
米防衛企業12社に制裁を科すと発表。台湾への武器売却の対抗措置。
23日 中国人民解放軍、台湾を取り囲む演習を開始。
台湾の頼清徳・新総統が就任演説で台湾は中国に「隷属しない」と述べたことに反発。
岸田首相、首相官邸でマレーシアのアンワル首相と会談。 脱炭素化やサプライチェーン(供給網)の強靱化の協力で一致。
26日 岸田首相、訪問先のソウルで中国の李強(リー・チャン)首相と会談。
台湾海峡の平和と安定の重要性を強調。
27日 日中韓首脳会談、ソウルで開催。日中韓FTAの実現に向け、
交渉を加速すると宣言。
マコール米下院外交委員長(共和党)が率いる超党派の議員団、
台湾を訪問、頼清徳総統と会談。台湾の防衛力強化に協力を表明。
31日 アジア安全保障会議、開催。(シンガポール)米中、国防相会談。
6月 2 日 日豪韓、シンガポールで開催したアジア安全保障会議(シャングリラ
会合)に合わせて3カ国の枠組みの防衛相会談を初めて開催。
4日 バイデン米大統領、タイム誌インタビューで、中国による台湾侵攻の場合、 台湾防衛のため「軍事力行使を排除しない」と発言。
5日 インド総選挙、全議席が確定。与党のインド人民党(BJP)、
単独過半数に届かず。
6日 米政府、台湾に対するF16戦闘機の関連装備品の売却を承認。
9日 韓国軍合同参謀本部、北朝鮮が8〜9日にゴミ風船300個以上散布と発表。 北朝鮮向けに拡声器宣伝放送を実施。
12日 欧州連合、中国製電気自動車に対して現行10%の関税に最大38%を
加える追加関税を発表。
13日 韓国紙、中央日報、日朝関係者が5月中旬にモンゴルの首都
ウランバートル付近で接触と報道。日本は政治家を含む代表団、
北朝鮮は情報機関、偵察総局の関係者ら3人。
14日 岸田首相、主要7カ国首脳会議(イタリアで開催)に参加。
インド太平洋は欧州安保と不可分一体としてG7との連携強化を訴え。
主要資料は以下の通りで、原則、電子版を使用しています。(カッコ内は邦文名) THE WALL STREET JOURNAL (ウォール・ストリート・ジャーナル)、THE FINANCIAL TIMES (フィナンシャル・タイムズ)、THE NEWYORK TIMES (ニューヨーク・タイムズ)、THE LOS ANGELES TIMES (ロサンゼルス・タイムズ)、THE WASHINGTON POST (ワシントン・ポスト)、THE GUARDIAN (ガーディアン)、BLOOMBERG・BUSINESSWEEK (ブルームバーグ・ビジネスウィーク)、TIME (タイム)、THE ECONOMIST (エコノミスト)、REUTER (ロイター通信)など。なお、韓国聯合ニュースや中国人民日報の日本語版なども参考資料として参照し、各国統計数値など一部資料は本邦紙も利用。
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教授
前田高昭
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