
世界の出版事情―各国のバベル出版リサーチャーより第72回
アメリカ書籍レポート - 10月
「Tiny Bookshop」本屋経営のシミュレーションゲームを通して
柴田きえ美(バベル翻訳専門職大学院生)
10月に入り、こちらは暑さもようやく落ち着いてきましたが、日本はいかがでしょうか。
さて今月は、書籍つながりで少し趣の異なる話題からご紹介します。
ひょっとすると学校限定のローカルな流行かもしれませんが、私の子どもの周りでは、「Tiny Bookshop」というゲームがちょっとした話題になっています。今年8月にSkystone Gamesからリリースされた本屋経営のシミュレーションゲームです。移動式の小さな本屋で街を巡りながら、それぞれの顧客にぴったりの本をおすすめして販売していきます。
登場する本の多くは実在の作品で、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』やホリー・ジャクソン著『自由研究には向かない殺人』といった人気作のほか、L・M・モンゴメリの『赤毛のアン』や岡倉覚三(岡倉天心)の『茶の本』のようなクラシック作品も収録されています。
お客さんに本を勧めるためには内容を知る必要があり、プレイヤーはさまざまな作品のあらすじを読みながら知識を深めていきます。古今東西の本が登場するので、ゲームを通して新しい作品に興味を持つきっかけにもなりそうです。
日々、子どもたちの流行を追っていると、時代の変化や世代間ギャップを実感します。ドラゴンや魔法のファンタジーも根強い人気ですが、最近は現代を舞台にしたLGBT関連のフィクションが目立つようになりました。書店やデパートの書籍コーナーでは、パステルカラーのモダンな表紙の作品がよく並んでいます。さらに驚いたのは、学校の図書室に日本のマンガ(英訳版)が揃えられていることです。若い世代が日本のポップカルチャーを偏見なく受け入れている様子に、時代の変化を感じます。自分自身や他者の文化、宗教、家庭環境の違いといった多様性が、自然に日常に溶け込んでいるように思えます。
Heartstopper (2016) & (2018)
著者:アリス・オズマン(Alice Oseman)
邦訳:ハートストッパー
訳者:牧野琴子
出版社:トゥーヴァージンズ (2021)
対象年齢:高校生以上
作品について:
イギリスの男子校を舞台に、高校生たちの青春・友情・恋愛模様を描くYAグラフィックノベル。LGBTQ+がテーマとなっている本作品では、メインキャラクターの他にも周囲にセクシュアリティに悩む友人たちが登場します。
内容もさることながら、本作品が書籍化された経緯が非常に現代的です。著者は17歳で初めて出版契約を結び、2014年にYA小説『Solitaire』を発表しました。その後、著者は、同作に登場したサポートキャラクター、チャーリーとニックを主要キャラクターとして、TumblrやTapasでウェブコミックを発表します。このウェブコミックが、後のグラフィックノベル『ハートストッパー』の原型となりました。人気が高まると読者からの書籍化要望が増えました。そこで著者は、Kickstarterで資金を集め、紙の書籍を自費出版。その後、2018年に出版社と版権契約を結び、現在までに書籍版は第6巻まで刊行されています。
さらに、2022年から2024年にかけてNetflixで実写ドラマ化され、脚本も著者自身が手がけました。現在までに23か国語に翻訳され、世界中で読まれているのです。一昔前では考えられなかった非常に現代的なサクセスストーリーですね。
著者:
アリス・オズマンはイギリスのYA作家兼イラストレーター。17歳で作家デビューを果たしました。小説だけでなくグラフィックノベルも手がけ、『ハートストッパー』では英国文学賞「British Book Awards」のベストグラフィックノベル&コミック部門を受賞。また、Goodreads Choice Awardsでも同部門の受賞歴があります。
Dress Coded (2020)
著者:キャリー・ファイアーストーン(Carrie Firestone)
邦訳:なし
対象年齢:中学生以上
作品について:
友人のオリビアが「タンクトップを着ていた」という理由だけで罰を受けたことをきっかけに、モリーは自身が通う中学校の「服装規定」に疑問を抱きます。そこでモリーは、理不尽な取り締まりに抗議するため、ポッドキャストを立ち上げます。番組には次々と、同じように「服装規定違反」で不当に罰せられた女子生徒たちの声が集まります。その証言から、女子生徒ばかりが厳しく取り締まられ、特に身体的に発達した子が狙われているという不公平な現実や、長年見過ごされてきた偏見が次々と明らかになっていきます。
モリーのポッドキャストは、多くの共感を呼び、やがて学校全体を巻き込む大きなムーブメントへと発展していきます。仲間と支え合いながら、少女たちは「声を上げること」「自分の意見を持つこと」の大切さを学び、少しずつルールを変えていきます。
本作は、理不尽な現実に立ち向かう少女たちの姿を通して、思春期の不安や葛藤、友情の力、そして平和的な抗議の意義を描いた成長物語です。一人ひとりの声が世界を変える可能性を教えてくれる、今の時代にこそ読んでほしい一冊です。
著者:
キャリー・ファイアーストーンは、アメリカ・コネチカット州在住の高校教師であり小説家。教育現場での経験をもとに、子どもたちのリアルな声や社会の不条理を描きます。
初の中学生向け小説『Dress Coded』は、バンクストリート教育大学年間最優秀図書やジュニア・ライブラリー・ギルド選出など、複数の賞を受賞しました。
その後、気候変動をテーマにした『The First Rule of Climate Club』(邦訳:わたしたち地球クラブ、訳:服部理佳/小学館、2023年)も発表し、社会課題に向き合う作家として活躍しています。
柴田きえ美 カリフォルニア在住。2017年1月からバベル翻訳大学院生として法律翻訳を勉強中。これまでに4冊の翻訳出版に参加。JTA 公認リーガル翻訳能力検定試験2級を取得し、フリーランスで翻訳をしながら課題にも取り組む。
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