NYからひとこと 第6回 寅に翼はあるか
題名を見て、“はて”と思われた方も多いだろう。現在、日本でNHK 朝のテレビ小説として放送されているドラマのタイトルが「虎に翼」である。ストーリーは、日本という国で、初の女性弁護士となられた(三淵嘉子さん)の生涯をモデルとしている。弁護士、その後は、女性初の判事、裁判所長まで勤められた女性でもある。ドラマは、主人公が法律の勉強に目覚め始める学生時代からの話となっており、舞台設定は昭和初期(100年前ほどの日本)、女性には、司法的な権利がほとんど与えられていなかった時代である。参政権なし、家督相続権なし、家長権なし、姦淫は女性のみが処罰されるという、見事なまでの人権差別と性差別が横行されていた時代でもあった。戦争をはさんで激動とされた昭和時代と共に歩み、日本女性の人権解放を追求し続けて尽力され続けた方でもある。当時は、女性が大学へ行くことすら珍しく、貧農家出身の女性(子供)が奉公や性的対象物として売買される風潮すら残っていた時代である。ましてや法曹の世界は男性だらけという背景の中で、法律を勉強して判事にまで昇格していくのだから、その苦労と努力は並大抵ではなかったはずだ。偏見からの差別や嫌がらせ等も大まかに通っていた時代でもあるので、ご苦労も多かっただろうと察する。裕福なご家庭に生まれたからこそ実現した選択肢であったかもしれないが、先例がないこの時代背景で、女性でありながら、己の道を貫くにはかなりの精神力が必要だったことだろう。当時、唯一女性に法学の門戸を開いていた、(現)明治大学/女子部法科へ進学を決心したのは、父の影響が強かったという。銀行の役員として海外駐在経験のあった父は、外国生活を通して、男性と肩を並べて専門職に就いている女性たちを目の当たりにし、日本にもいずれそのような時代がくるとして、自分の娘にもプロフェッショナルとして歩める職業を進めたという、先見の明があったのであろう。反して、母の方は、当時結婚こそが女性の生きる道として推奨されていた時代であり、娘の進学には強く反対され、その将来を大変に危惧されたという。三淵さんが勉学を始めた時は、まだ、女性への弁護士資格付与すら認められておらず、憲法改正を待たなくてはならなかった時代でもあった。
各国での女性権利解放の歴史を紐解いてみると、国による違いこそあるものの、男性と肩を並べるまでの助走に時間がかかるという点は共通しているように見える。今回は、女性として初めて判事職に就かれた実際の人物を米国と日本で比較してみたい。
昨年(2023年)12月、米国で女性として初めて最高裁判事職に任命された、サンドラ・デイ・オコナーさんが97歳で他界された。1981年、レーガン大統領時代に女性として初の最高裁判所判事に任命されてから25年に渡り、この地位での職を全うされた方である。判事として成し遂げられた中には、多くの偉業がある。しかし、女性であるサンドラさんの法曹業界での経歴も、最初から順風満帆だったわけではない。生まれは、メキシコとの国境に近いテキサス州エル・パソ市で牧場経営をしていた両親の元で生まれ育った。幼いころから成績優秀だった彼女は、大学卒業後、ロースクールへ進学して弁護士試験に合格する。米国では、1920年には女性にも参政権が与えられていたが、実務上での男女平等はまだ世間で一般化しておらず、1950年代の米国の法律事務所は完全な男性中心の社会であった。弁護士試験に通ったサンドラさんであるが、女性であるというだけで仕事のオファーはなかったという。米国といえども、50年代、女性の社会的な進出はこの程度であったようだ。生活の為、郡の行政事務で働くなどして食いつなぎ、法律関係の弁護士職の経験を積むため、ご主人と一緒にドイツへ移住、そこで軍将校付けの弁護士として働き、経験を積むしかなかった。数年後、米国へ戻った彼女は、ようやく法曹界へ迎え入れられ、アリゾナ州の司法局で弁護士の道を歩み始める。サンドラさんは、妊娠中絶権利を含めた女性解放論には肯定的であったとされるが、客観的には保守的立場を崩さず、その為、最高裁判事メンバーの中でも中間調整役となることも多かったという。法をいずれの方向にも拡大させすぎない、それぞれの案件について開かれた態度で接する判事としても知られた。日本で女性の参政権が認められ施行されたのは、戦後の1946年のことであるから、米国の方がはるかに日本より早く女性参政権が制定されていたわけだが、実務的に、男女平等や人権保護が充分に施行/整備されていたわけではなく、1964年の公民法で男女、国籍、背景による差別禁止令が施行されるまで、それなりの紆余曲折的な歴史をたどっている。他国からの移民で成立したこの国では、米国原住民への差別、人種による差別、性差別、職業差別、移民(出身国)差別など、この国特有とも言える差別改善/解放策を長年に渡り積み上げてきた。
一方、三淵さんの方は、1940年に弁護士資格登録、1960年代には判事、1970年代には女性として初の家庭裁判所長に抜擢され、1980年に退官されるまで、法曹界一筋で活躍された。任期中には、民事裁判中の当事者が、法廷外の廊下で三淵さんを切り付けるという出来事があったが、女性判事による審理の不手際から刃傷沙汰が起きたのだと世間から無根拠に言われるのではないかと、懸念されたという。常に職種の前には、“女性”という形容詞がついて回り、世間から評価対象とされてきた方ならではのコメントである、自分の立ち位置や、自分の発言が世間に及ぼす影響力も十分にご理解されていたのであろうと思われる。
「寅に翼」の意味は、中国からの故事に基づくという。すでに勢いがあるものに、さらなる威力が付く、敵に回すと怖い、という意味だそうだ。「鬼に金棒」とも同義語のようであるが、翼は寅には備わっておらず、あくまでも空想であるが、万が一そうなったら恐れ多いという畏怖の念をも含むらしい。子供を産むという偉業を担う女性には底力が元来備わっていると言えるだろうが、時代を超えて独自の道を邁進した女性が主人公である朝ドラのタイトルは、言い得ているとも感じる所である。
人跡未踏の地を行くとき、そこには先人の灯した明かりなどはない。性別も関係なく、頼れるのは、本人の強い意志と開拓し続ける柔軟な精神力のみが頼りとなる、誰にでもできる偉業ではない。献身的とも言える、偉業を成し遂げた偉大な先駆者のお陰で、今日の我々の道が開けているのであり、切り開かれた道に感謝すると同時に、次世代へも継続させる道として絶やしてはならない。それどころか、更なる発展と整備強化していくのが我々の使命ともいえようか。
書籍紹介: Lazy B: Growing up on a Cattle Ranch in the American Southwest
〈仮邦題〉レイジーB牧場:アメリカ南西部の牧場育ち(2007年1月初版)
著者紹介:サンドラ・デイ・オコナー、H・アラン・デイ
本書は、サンドラさんと実弟であるH・アラン・デイとの共著、サンドラさんの幼少期の自伝である。筆者は、テキサス州のメキシコに近い田舎町(エル・パソ)で、牧場を経営する両親の元で生まれ、CA州の大学へ進学するまで、弟と一緒にこの地で過ごした。当時の米国は、都市と田舎の格差が大きく(例えば、NY市ではエンパイア・ステート・ビルも建設されていたが)、テキサス州の田舎牧場と言えば、電気や水道もまだ十分には完備されておらず、川の水で洗濯や焚火で料理といった開拓時代を彷彿とさせる部分もあったようだ。弟の口述によれば、この牧場での幼少期の経験は、Life Lessonとして、その後の人生に役立つことが多かったと言う。牧場経営という環境の中、馬の生死に関わり、砂漠にいる毒蛇からいかに身を守るか、パンクした車のタイヤの対処、などといったサバイバルの仕方を子供時代から否応なしに覚えて行った。共同経営者ともなる、一筋縄ではいかないカウボーイ達との関係性なども、幼少期から目の当たりにして育ったサンドラさんへの影響力はある意味大きかったのだろうと、最高裁判事にまでなった姉を尊敬している弟は後述している。
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谷口知子
バベル翻訳専門大学院修了生。NY在住(米国滞在は35年を超える)。米国税理士(本職)の傍ら、バベル出版を通して、日米間の相違点(文化/習慣/教育方針など)を浮彫りとさせる出版物の紹介(翻訳)を行う。趣味:園芸/ドライブ/料理/トレッキング/(裏千家)茶道/(草月)華道/手芸一般。