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「翻訳とは何か?翻訳に関わり続けた四十八年を振り返る—その①」             バベル ・グループ代 表 湯浅 美代子

 

 今から四十八年前の1974年4月17日、私は「大学翻訳センター」という名の会社の事務員として初出社を致しました。そして、その日以来、この四十八年間、すっかり『翻訳』に魅せられてしまい、「翻訳とは何か?」という哲学的課題としての翻訳の探求を可能にし、同時に探求の成果を実現する「翻訳」ビジネスの創造の喜びに明け暮れてきたのです。

 言わば、二重の生活を強いられて来たとも言えますが、勿論、強いられたと言っても、自分が設定した自分好みの人生ですから、いやいやではなく、言わば、好き好きの状態です!(笑い)

 「二重の生活を強いられて」と、書きましたが、言わば、「翻訳」そのものが二重構造を内包している概念です。つまり、各国の言語とは、国の成立の古代から、その国の言語体系を形成してきた文化、歴史、地理、地政学的背景により、一つの言語体系として、ある意味で自然発生的に、または、戦略的・人工的に形成されてきたコミュニケーションシステムだと言えます。あの、「バベルの塔」の物語は、それを象徴的に表現している!とも言えますし、実際に歴史的類似の出来事があったのかもしれません。

 そして、その言語は同時に、その地域、その国の文化・歴史・社会構造が建設されてきたという歴史の流れと深く重なり合い、自然や風土とも、深いつながりを持っていると言えます。

 そのような、文化や風土そのものとも深いつながりを持つ各地の言語間のコミュニケーションは、地域や文化の類似性が高ければ高いほど、翻訳しやすい、という事が自ずと分かりますね。

 そこで、日本語と他言語との翻訳となると、日本語は、この日本列島という、大陸とは離れた特殊な地理環境にあり、言わばいくつかの大陸環境とはかなり異なる、風土、環境、地政学的特徴を持っているのが日本語です。そして、その発生が数千年、一万年にもなろうかと思われる、固有の言語体系なのです。つまり、ヨーロッパ諸国のように、国境を接していないし、海で隔てられているわけですから、類似のない別の言語体系との「翻訳作業」となり、等価の言語、言語構造に比較変換することが難しい作業プロセスとなります。その、日本語の希少性により、言わば、「翻訳」の概念そのものの中に、二つの言語体系相互の評価分析によって、二つの言語間の等価の言語価値を見出す、という作業を包含しているような作業だと言えます。

 そういう経緯で、「翻訳」とは、すっかり私を虜にした重要なテーマとなったのです。その頃私は、この翻訳についての探求をするべく、翻訳の専門誌を発行して、翻訳についての探求をしようと考え、月刊「翻訳の世界」という雑誌を創刊したのです。

 「翻訳の世界」の創刊当時を思い返すと、先ず初めに、翻訳の指導をお願いしていた講師の方々や、翻訳物の出版社の編集者の方々に専門誌創刊の相談をしたのですが、すると、開口一番返ってきた答えは、「そんな専門誌、誰が読むの?」「そんな専門的な雑誌は、とても売れないでしょう!!」といった、大変悲しい回答でした!!

 でも、それは、当時、翻訳に従事されていた諸先生方の生の実感の言葉だったのです。昭和52年頃ですから、まだ雑誌の発行といった出版活動はポピュラーな芸能誌や食品、衣料品関連の雑誌はあっても、『翻訳』という「聞きなれない言葉」についての専門誌ともなると、一般にはまず売れないだろう!という回答が出てきたことは、驚くに当たらない時代だったと言えます。

 ところが、そんな時であっても、捨てる神あれば、拾う神あり!で、多くの翻訳関係者の想いを尻目に、珍しいタイトルで、新鮮な知的探求心を呼び起こしたのか、それなりに書店の店頭に並び、探求心を持つ方々にご購入いただきました!

 私は、哲学専攻というこれも世間の非常識ですが、およそビジネスとはかけ離れたジャンルを専攻していた大学院を中退して、いきなり飛び込んだのがこの【翻訳の世界】だったのです。語学は好きでも、得意でもなかったし、哲学専門書を読解するのにあれやこれや議論をしながらの読解ですから、アチコチにぶつかり、跳ね返されつつ、自分の思考の限りを探求する生活を送っていた、一人の若き学究の徒でしかなかったのです。

 当時、指導教授であった、今は無き「木田元先生」のご自宅には、よく遊びに行き、哲学問答というより、麻雀をしながら、一般社会の常識、世間というものは、生半可な存在ではない!という事を、ある意味でアドバイスをいただいたような気がします。「現象学」という分野は、木田先生の専門で、とても難解な世界なのです。また、当時も、今もそうかもしれませんが、哲学なんかやって、何の役に立つのか?といったような世間の風潮がありましたから、「翻訳!?そんなもの、何の役に立つんだ!」といった暴言を、悔しいとは思いつつも、そんな無知な暴言など気にせず、やりたいことをやる!と言った反骨精神が漲っていた!と、思い出します。

 そんなわけで、1974年4月に翻訳のビジネス活動に参入して以来、飽きることなく、ただ一筋の「翻訳」の道を歩み続けて、あと少しで50年という一つの節目へ近づいた!と思うと、深い感慨が湧いてきます。

 読者の皆様には、いつもお読みいただいて感謝の気持ちでいっぱいです。いつも、有難うございます!

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