フリースクールのススメ――すべての子どもが幸せに学べる場とは? 第2回
知求図書館 4月7日号WEB雑誌「今月の知恵」コラム
■私が不登校生徒になったワケ(中学校編)
私にとって小学校も居心地のいい場所ではありませんでしたが、中学校ではより息苦しさを感じるようになります。イジメも嫌がらせも横行していましたし、「友人以外は敵」「気に入らない子は攻撃してやる(陰口も含む)」というような、なんというか特有のギスギスした雰囲気がたまらなく嫌だったことを覚えています。小学校時代の「気軽に学校を休む」感覚は続いていましたが、いっそう学校がストレスフルな場所になっていました。
一方で、私には幸運にも学校以外に居場所がありました。子どもミュージカルです。自分らしくいられて、なおかつ演技や歌やダンスを通して存分に自分を表現できる場所でした。セリフや役が与えられると、自分にしかできない役割が生まれます。学校にはない、自分自身の居場所や存在意義を感じられる場所だったのだと今になって思います。それは私だけでなく、他のメンバーも同様のようでした。「自分の居場所がある」と安心して過ごせる場であれば、互いの違いを受け入れられて、誰かをイジメる必要がないのかもしれません。ちょっとした意地悪やいざこざはあったと思います。ですが、それが暴走するようなことはなく、どの子も生き生きと練習に通っていました。そうなると、私は学校に何かを期待する必要があまりなかったとも言えます。息苦しい学校から足が遠のくのも当然だったでしょう。
■ 不登校の子どもたちって、どんな子どもたち?
さて、他の不登校の子どもたちはどんな思いで過ごしているのでしょうか。子どもたちが不登校になる原因ですが、平成30年度の調査によると小学校では「家庭に関わる状況」(55.5%)が、中学校では「学校に関わる状況」(76.3%)が最も多いようです。「家庭に関わる状況」では、親子間の問題、家庭内の不和、生活環境の急変が原因になるようです。「学校に関わる状況」の内訳としては、友人関係(イジメ以外)、学業不振の順に多く、数はぐんと減るものの教員との関係、進路への不安、学校の規則や部活動をめぐる問題、入学・進級時の不適応などが挙げられています。イジメも含まれていますが、不登校の原因としては少ないようでした(注1)。
私も中学校時代にイジメや嫌がらせを受けましたが、友人がいてくれたこともあってか、イジメ自体が不登校の原因にはなりませんでした(それが原因で休むのはシャクだと考えていた節もあります)。それでも前述のようにギスギスした嫌な雰囲気を思い出すと、今でも息が詰まりそうになります。地域や学校や教員によっても学校の雰囲気はがらりと変わるため一概には言えませんが、ママ友の子どもはそういった「学校という雰囲気になじめない」という理由で不登校になったことがありました。
「入学・進級時などの不適応」では、息子のことを思い出します。創造的な遊びを通してのびのびと保育園生活を過ごしていた息子ですが、小学校に入学後、しばらくして変化が現れます。にこにこと楽しそうに通ってはいたのですが、服の袖や襟をかむようになりました。気になりながらも様子を見ていると、ある日、帰宅した息子の袖がそれまでになくボロボロになっていました。「これはいけない」と思った私は、次の日の学校を休ませ、保育園時代によくしてくださった主任の先生宅に遊びに行かせてもらいました(先生はすでに退職されていました)。特に何をした、何を話したということはありません。ですが、何か息子の中で変わったのでしょう。かみ癖がぱたっとなくなり、何事もなかったように翌日から学校に通っていました。保育園時代の大好きな先生に会ってホッとしたのかもしれません。いつでも学校を休んでいいんだ、と安心したのかもしれません。
■ 不登校について、心療内科の先生によると……
このコラムをきっかけに、ある心療内科の先生に子どもたちの様子についてお話を伺いました。先生のクリニックを訪れる子どもの多くは不登校だそうです。しかし受診のきっかけは不登校であっても、実は医学的な問題が決して少なくなく、うつ病や発達障害などが背景にあるとのこと。特に多いのが社交不安で、強い対人緊張など医学的なレベルでの問題が結果として不登校につながっているそうです。それ以外に見られるのは、親子の問題ということでした(前述の調査にもつながりますね)。親や家族からの期待はプレッシャーとなって、子どもを圧迫します。そういった期待は、日本の成績至上主義の学校制度や教育の在り方に根源がある。そう先生は危惧されます。親が焦りを覚えて「少しでもいい学校、いい点数を」と思ってしまい、それが子どもにとってプレッシャーになるのです。「医学的な問題は世界共通のものだが、日本の教育の在り方が子どもたちの精神疾患を増やしているのは間違いない」とのことでした。
興味深いのは、子どもに期待しプレッシャーをかけてしまう親の在り方です。子どもの不登校に困った親から受ける印象には、2種類あるそうです。1つは「助けてほしい、教えてほしい」と心から思っている親。もう1つは、「教えてほしい」と言いながら実は決してやり方を変えようとしない親です。前者の場合は子どもの変化も大きく、時間がかかってもいい形で進んでいく可能性が高いそうです。一方で、後者の場合ではなかなか改善しません。納得したように見えても親の実態は変わらず、親が変わらないことを子どもも理解しています。そのため、子どもも変わらないのだそうです。一種の諦めかもしれませんし、それだけ親の影響が大きいということでしょう。
■ 子どもたちのフラストレーション
ではなぜ人は、そんな意地悪な感情を持って行動に移したり、誰かをイジメてしまったりするのでしょう。子どもたちの多くが何かしらのフラストレーションを抱えているのは間違いない気がします。同じ年齢の子どもを狭い空間に押し込め、集団生活をさせることに無理があるのでしょうか。1人ひとりの思いが尊重される場ではないから、いびつな空気が生まれるのでしょうか。だから優位に立とうとして、誰かをおとしめようとするのでしょうか。そこに勉強を強制されるストレスや家庭・友人関係の悩みなどが加わると、人を傷つけることで発散するのかもしれません。あるいは、フラストレーションを抱えて意地悪をしてしまうのは、人付き合いを学ぶ成長過程で起こり得る仕方のないことなのかもしれません。そうした失敗を重ねて、相手の感情や自分の言動の結果に対する想像力を養うとも言えるでしょう。また、思春期特有のホルモンバランスの影響もあると言われています。それでも被害者の心の傷を思うと、イジメは決して許されません(悲しいことに、大人の世界でもイジメはあるのだとか)。
こういったことを考えていると、必ず思い出すフリースクールがあります(やっとフリースクールの登場ですね)。私が米国留学後に訪れたフリースクールの1つ、ロサンゼルスにあるPlay Mountain Placeです。ティーンエイジャーながら、このスクールで一番心に残ったことは、サンドバッグのようなものが置いてある小さな部屋でした。他の部屋とは雰囲気の違うその部屋についてスタッフに尋ねると、「怒りも大切な感情。それを発散させるための部屋です」とのことでした。現在もその部屋があるかは分かりませんが、同スクールのホームページには今も“We encourage children to express their full range of thoughts and feelings in ways that are physically and emotionally safe.(心身ともに安全な方法で、子どもたちが自分の考えや感情を表現し尽くせるよう心掛けています)”(注2)とありますから、当時の精神はきっと今も引き継がれているでしょう。フリースクールの根幹には、子どもの感情や意思を1人の人間として尊重する、学習内容を含めて何をするかは子ども本人が考えて決める、という信念があります。
■ 今回のあとがき
第2回では、不登校の背景にある事柄や、学校の息苦しい雰囲気を生む子どもたちのフラストレーションについて考えてみました。次回は、米国留学時の経験談を経て、本格的にフリースクール体験談にいよいよ入っていけたら……!と思っています。
今回お話を聞いた心療内科の先生は、先日まで広島でメンタルクリニック ラッコリンを開いておられた中村道彦先生です。今後はカナダからオンライン診療などを実施される予定です。
メンタルクリニック ラッコリン:https://rakkoring.com/telemedicine
YouTubeチャンネル:https://youtu.be/EVq2MVULe-U
注1:文部科学省HP資料より。
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/000021332.pdf
注2:Play Mountain PlaceのHPより。
https://www.playmountain.org/vision-mission-core-values/
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伊藤 史織
〈プロフィール〉
バベル翻訳大学院講師、英日出版・映像翻訳者。高等学校時代にアメリカに1年留学後、同国のフリースクールを卒業。関西外国語大学卒業後はバベル翻訳大学院に入学し、修了後にフリーランスの翻訳者として活動を開始。映像翻訳ではファンタジー系からドキュメンタリーまで幅広いジャンルの映画・映像の字幕翻訳に携わる。出版翻訳の訳書には『ウイルス、パンデミック、そして免疫』、『絵でわかる建物の歴史』などがある。