――エッセイは「日記」ではなく「視点」で書く
エッセイは特別な出来事がなくても、日常の小さな引っかかりから書くことができます。本連載の第14回では、「日記」と「エッセイ」の違いを整理し、AIを使って自分だけの「視点」を引き出す方法を具体的に解説します。
1.はじめに
エッセイは、日常の中で「少し立ち止まる」ことから始まる
机の引き出しを整理していたら、古いボールペンが一本出てきました。
もうインクは出ません。軸には細かな傷があり、握る部分も少し変色しています。普通なら、そのままごみ箱に入れてしまえばよいだけのものです。
ところが、なぜか捨てられません。
しばらく手の中で転がしているうちに、そのペンを使っていたころのことが少しずつ戻ってきます。締め切りに追われていたこと。机に向かっても、なかなか一行目が書けなかったこと。何度も書き直し、ようやく一つの文章にたどり着いたこと。
考えてみれば、捨てられなかったのは、ボールペンそのものではなかったのかもしれません。
そのペンを握っていたころの自分を、簡単には捨てられなかったのです。
これを日記に書くなら、
「机の中から古いボールペンが出てきた。懐かしかった」
で終わるでしょう。
しかし、そこで少し立ち止まり、
「なぜ、使えないボールペンを捨てられなかったのか」
「そのペンに、私は何を見ていたのか」
「物を捨てることは、過去の自分を手放すことでもあるのか」
と考え始めると、文章はエッセイになります。
エッセイは、特別な事件から生まれるとは限りません。
日常の中の小さな出来事に足を止め、「なぜ自分はこれが気になったのだろう」と考える。そこから、自分なりの見方を取り出す。
エッセイとは、この「少し立ち止まる」ことから始まる文章です。
今回からは、AIを使ってエッセイを書く方法を考えていきます。
前回までは、「AI時代の小説執筆術」として、物語を設計する方法を扱ってきました。小説には、人物の行動理由や葛藤、展開、読後感などの設計が必要です。
では、エッセイはどうでしょうか。
エッセイには、小説のような筋立ても、論文のような厳密な論証も必要ありません。思い出、身の回りの出来事、読んだ本、社会への違和感など、身近なことから書き始められます。
しかし、だからといって、思いついたことをそのまま書けば、エッセイになるわけではありません。
エッセイには、出来事をどう見たかという、筆者自身の「視点」が必要です。
2.この連載で扱う「エッセイ」とは何か
エッセイという言葉は、かなり広い意味で使われています。
日常の随筆、新聞や雑誌のコラム、Webの記事、体験談、読書感想に近い文章、社会的なテーマについての短い考察まで、さまざまな文章がエッセイと呼ばれます。
この連載で主に扱うのは、800字から1600字程度の短いエッセイです。
新聞、雑誌、Webメディア、ブログ、noteなどに掲載されることを想定した、比較的コンパクトな文章です。
長大な自伝でも、専門的な評論でも、純粋な日記でもありません。自分の体験や考えを出発点にしながら、それを他者が読んでも意味のある文章に整えたものです。
言い換えれば、エッセイとは、
自分の書きたいことを、他者が読みたくなるように書く文章
だと言えます。
自分が書きたいことを、そのまま書くだけなら、日記に近づきます。
読者が求めていそうな情報だけを書くなら、実用記事や情報記事に近づきます。
エッセイは、自分の書きたいことと、読者が読みたいと思うことが交わるところにあります。
出発点は、自分の中にある体験、記憶、感情、違和感、疑問です。
しかし、それをそのまま投げ出すのではなく、読者が、
「自分にも似たようなことがある」
「少し考えてみたい」
「そういう見方もあるのか」
と感じられる形に整える必要があります。
そのために、エッセイには少なくとも三つの要件があります。
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