第13回 海外の出版業界情報(2025年5月)
2025年ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアに見る翻訳出版の潮流
2025年3月31日~2025年4月3日にイタリアで開催されたボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアでは、エストニアがゲスト・オブ・オナーとして招待され、同国の出版社やイラストレーターが注目を集めました。各出版社は、エストニアの作品やイラストレーターが国際的な関心を得る機会となったと喜びを語っています。
このブックフェアで取り挙げられたトピックの一部を紹介します。
文化的適応と翻訳出版
エストニアの絵本『John the Skeleton』(原題:Luukere Juhani juhtumised、Triinu Laan著)は、アメリカのRestless Booksから出版され、2025年のバチェルダー賞*を受賞しました。この物語は、長年学校で解剖学の教材として使用されていた骸骨のジョンが、引退後に老夫婦に引き取られ、南エストニアの農場で新たな生活を始めるというものです。死や老いといったテーマを、ユーモラスかつ温かみのある文体で優しく読者に伝えています。
アメリカ版では、文化的な違いを考慮して一部内容が編集されましたが、著者のTriinu Laan氏は、エストニア文化を伝えるために、「Linden blossom tea」(リンデンの花のお茶)という単語を翻訳書にも残すことが叶いました。Linden blossom teaは、エストニアでは単なるハーブティー以上の意味を持つ存在です。多くのエストニア人にとって、子どもの頃におばあちゃんやお母さんが風邪のときに入れてくれたお茶という記憶と直結しており、家庭・安心・ぬくもりを象徴する存在、また「おばあちゃんの知恵袋」のような存在でもあります。
*バチェルダー賞(Mildred L. Batchelder Award):アメリカ図書館協会の児童図書館サービス協会が1966年に創設した文学賞。アメリカ以外の国で英語以外の言語で出版された児童書を英語に翻訳し、アメリカで出版した出版社に対して授与されます。
AI時代の選書判断
エストニアの出版社Tänapäevの編集者は、AI翻訳の精度向上により、これまで時間をかけていた試訳の確認が大幅に効率化されていると述べています。これにより、より多くの海外原稿に目を通しやすくなり、サンプル翻訳の提出が必須ではなくなる場面も出てくる可能性があります。
この傾向は、日本の翻訳出版にも大きな影響を与えそうです。これまで試訳を重視していた編集部においても、AI翻訳で全体像を素早く把握したうえで、シノプシスや企画趣旨から選書を進めるスタイルが主流になるかもしれません。その際、単なる要約ではなく、対象言語の市場における価値や読者像に即した編集的なシノプシス作成が、翻訳者やエージェントに求められるでしょう。
アメリカでの翻訳助成金課税の動き
このブックフェアで行われたパネルディスカッションでは、翻訳支援プログラムの重要性が強調されました。しかし、アメリカでの翻訳助成金に対する課税の可能性が懸念されており、翻訳市場への影響が注目されています。
これは海外助成に頼るケースも多い日本の翻訳出版にとっても、影響があるかもしれません。PEN Americaなど、翻訳助成を積極的に行っている団体の支援金に課税が加われば、申請時の収支計画そのものが変わりかねません。
ちなみに、出版業界でのいわゆる「トランプ関税」の影響は少なそうですが、多くのアメリカの出版社は中国をはじめアジア圏で印刷を外注しているため、間接的な影響があるかもしれません。
AIの活用が加速する中で、翻訳者は読解力や語学力だけでなく、編集者的視点を持って企画提案できる力が問われるようになってきています。また、課税の動向についても、今後注目する必要がありそうです。
村山有紀(むらやま・ゆき)
IT・ビジネス翻訳歴10年以上。国内外の様々な場所での生活と子育ての
経験をふまえ、自分らしい発信のスタイルを模索中。