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2024年9月7日 第347号 World News Insight (Alumni編集室改め)                                    『日本語の科学が世界を変える』                                  バベル翻訳専門職大学院 副学長 堀田都茂樹

 数年前、この場で『日本語が世界を平和にする!?』という日本語教育学者、カナダで20余年日本語教育に携われた金谷武洋博士の‘文科系’の主張を取り上げました。今回は、対して‘理科系’の『日本語の科学が世界を変える』という主張を取り上げたいと思います。もっとも多少、上記の主張に関連する視点も述べています。 

 松尾義之氏はその著『日本語の科学が世界を変える』(20151月刊)で、日本語が持つ独特の言語的特性を、科学技術や国際社会における新たな可能性と結びつけて論じています。本書は、日本語が持つ「曖昧さ」や「多義性」といった特徴を深く探求し、それが情報科学や自然言語処理(NLP)においてどのような利点をもたらすか、また、日本語が世界に与え得る影響について洞察しています。 

  1. 日本語の特異性とその科学的価値

松尾氏は、日本語が他の多くの言語とは異なる特異な構造を持つことを指摘しています。例えば、日本語には敬語や曖昧表現が豊富であり、この曖昧さは文脈依存の解釈を可能にします。これは日本の文化や社会構造とも密接に関連しており、日本人の思考やコミュニケーションのスタイルを反映しています。松尾氏は、このような言語的特徴が、単なる言語としての日本語に留まらず、科学的研究や技術開発においても重要な役割を果たすと強調しています。

  1. 情報科学とAIにおける日本語の役割

本書の中心的なテーマの一つは、日本語がAIや自然言語処理(NLP)の分野において果たす役割です。松尾氏は、日本語の曖昧性が、柔軟な思考や高度な問題解決に寄与し得ると主張しています。例えば、機械学習アルゴリズムや言語モデルにおいて、日本語の特性を活かした新たなアプローチが開発されれば、従来の英語中心のモデルよりも効率的で高度な情報処理が可能になるとしています。特に、日本語が持つ文脈依存の解釈能力は、AIが人間らしい思考を模倣する上で貴重であるとされています。

  1. グローバルな視点と日本語の可能性

松尾氏は、日本語の特性が国際社会においても有用であると考えています。特に、グローバル化が進む中で、日本語の持つ多義性や曖昧さは、多文化共生や異なる価値観の調整において重要な役割を果たし得ると述べています。また、松尾氏は、日本語を用いた科学研究や技術開発が、持続可能な社会の構築に貢献し、日本独自の知見が国際社会での課題解決に役立つ可能性を強調しています。

  1. 日本語教育の再考

さらに、本書では日本語教育の重要性についても言及されています。松尾氏は、特に外国人に対する日本語教育が、単なる言語習得だけでなく、異文化理解やグローバルな視点を養うための手段として再構築されるべきだと提案しています。日本語が持つ独特の思考様式を理解することで、異文化間のコミュニケーションが深まり、国際的な連携が強化されると考えています。 

 この様に、繰り返しますが、松尾氏の視点はこれまでの既成概念を解く重要な視点を提示してくれています。 

  1.  松尾氏は、日本語が持つ独自の特性を科学的に評価し、その潜在力を探るという新しい視点を提供しています。これは、言語が単なるコミュニケーションのツールとしてではなく、知識の構築や問題解決の手段として機能する可能性を示しており、言語学と情報科学の交差点に新たな視点をもたらしています。
  2. 松尾氏の議論は、グローバル化が進む現代社会において、日本語が持つ柔軟性や多義性が、異なる文化や価値観の調整に役立つ可能性を示唆しています。これは、国際協力や異文化理解を深化させる上で、日本語の特性が積極的に活用されるべきであるという考えを強調しています。
  3. AINLPの分野において、日本語の特性が新たな技術的アプローチを提供する可能性を示しており、これが日本発の技術革新を促進する可能性がある点は非常に興味深いです。松尾氏の主張は、日本語を活かした技術開発が、従来の英語中心のモデルを補完し、あるいは超越する可能性を提示しています。 

 一方で、以下のような主張もあることは踏まえておかねばならないでしょう。 

  1. 松尾氏の議論は抽象的な部分が多く、具体的な事例や実践に基づく証拠が不足していることがあります。例えば、日本語の曖昧さがAINLPにどう具体的に役立つかについて、より詳細な技術的分析が必要とされるでしょう。この点では、理論と実践のギャップが残っているといえます。
  2. 松尾氏の主張は、日本語の特性に基づいていますが、その特性が他の言語にも適用可能かどうかについての議論が不足しています。例えば、曖昧さや多義性といった特徴は他の言語にも存在しますが、それが日本語ほど科学技術に有用かどうかは検討されていません。このため、日本語特有の利点がどの程度普遍的であるかについては、さらなる研究が必要です。
  3. 松尾氏の議論は日本語の特殊性を強調しすぎる傾向があります。これが逆に、日本語以外の言語や文化を軽視する結果を招く可能性があります。特に、グローバルな視点で考えたときに、他の言語や文化との比較や共通点に焦点を当てることが重要であり、松尾の議論はその点でバランスを欠いていると言えるのかもしれません。 

総じて、

『日本語の科学が世界を変える』は、日本語の持つ独特の言語的特性が科学技術や国際社会にどのように貢献し得るかを探る刺激的な書です。その主張は、特にAINLPの分野での新たな技術的可能性を提示する点で評価されますが、同時にやや具体性や普遍性の欠如という課題も抱えています。それでも、本書は言語学と情報科学の交差点における新たな議論の出発点として価値があり、さらなる研究や議論が期待されるでしょう。

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