2024/5/7
第10回翻訳の民主化」と翻訳者の役割
小室誠一: 翻訳テクノロジスト(バベル翻訳専門職大学院プロフェッサー)
前回の記事で、「翻訳の民主化」によって翻訳を利用する側にとっては大きなメリットがあることがご理解いただけたと思いますが、翻訳を提供する側にとっては、さまざまな課題があります。今回は、AI翻訳が台頭する中で、翻訳者の役割がどうなっていくのかを考えてみましょう。
翻訳サービスを提供するのはプロの翻訳者の役割ですが、AI翻訳により市場が変化し、その内容も変わってきています。つまり、「高品質な」翻訳を提供するのがプロの翻訳者の役割ということです。
ただし、この「高品質」というのがなかなか曲者で、翻訳には工業製品のように客観的な一定の基準がないので判断が難しいと言えます。そして、使用目的や対象読者によっても変化します。利用する側が十分に目的にかなうと判断すれば、いくらプロの目から見て稚拙な訳文だと思っても、翻訳の依頼を期待することはできないでしょう。
AI翻訳の実力を知ることが大切
プロの翻訳者の中には、AI翻訳というだけで毛嫌いし、十分に理解しないで排斥しようとしたり、憂慮したりしている人がいます。先ずはAI翻訳の実力をしっかりと確認することが大切です。
AI翻訳の実力は、人の言うことを鵜呑みにせず、必ず自分で確かめてください。
やり方は簡単です。
任意の文章を、まず自分で翻訳してからAI翻訳で訳文を出力して比較するだけです。
使用するのはGoogle翻訳とDeepLで十分でしょう。
それでは、以下の英文で試してみましょう。
Multiple Translations
A source segment that appears in multiple locations in the project may require several different translations depending on context.
Use > Edit > Create Alternative Translation to register an alternative translation if the current translation of the segment is not suitable. The entered translation will then be treated as an alternative translation of the source segment.
Use > Edit > Use as Default Translation to define one of the alternatives—the most common or likely, for instance—as the default translation.
これは、オープンソースの翻訳支援ツール「OmegaT」のヘルプの一部です。
まずは、ご自分で訳してみましょう。
自分の訳:
(所要時間: 分)
翻訳ができたら、Google翻訳(https://translate.google.com)とDeepL(https://www.deepl.com)で訳文を出力します。
<Google翻訳>
複数の翻訳
プロジェクト内の複数の場所にある原文分節は、コンテキストに応じて複数の異なる翻訳が必要になる場合があります。
現在の分節の翻訳が適切でない場合は、「編集」>「代替翻訳の作成」を使用して代替翻訳を登録します。 入力された翻訳は、原文分節の代替翻訳として扱われます。
「編集」>「デフォルト翻訳として使用」を使用して、代替案の 1 つ (たとえば、最も一般的または可能性が高いもの) をデフォルト翻訳として定義します。
<DeepL>
複数の翻訳
プロジェクト内の複数の場所に表示されるソースセグメントでは、文脈に応じて複数の異なる翻訳が必要になることがあります。
セグメントの現在の翻訳が適切でない場合は、> 編集>代替翻訳を作成 を使用して、代替翻訳を登録します。入力された翻訳は、ソースセグメントの代替翻訳として扱われます。
編集]>[デフォルト翻訳として使用]を使用して、代替訳語の1つ(たとえば、最も一般的な訳語ま たは可能性の高い訳語)をデフォルト翻訳として定義します。
ここで、ご自分の訳と比べてみましょう。
UIの訳語は用語集がないと特定できないので、それらしいもので結構です。UIは一般的に全角のブラケット[]で囲みますが、Google翻訳ではカギかっこ「」になっており、DeepLではブラケットになっていたり何もついていなかったりバラつきがあります。
どちらも基本的な誤訳はないようですが、スタイルを含めて何らかの修正が必要なのは間違いありません。 いかがですか? ご自分の訳が一番良かった、という人はAI翻訳に淘汰されることはないでしょう。
ただし、スピードについてはどうでしょう? 翻訳スピードに関しては、どんなに頑張ってもAI翻訳に勝つことはできません。
それでは、AI翻訳の訳文を利用することで、少しでもスピードアップすることはできないでしょうか? 今回の例のように、ほとんどスタイルの修正で済むような場合は、AI翻訳を活用すれば生産性が高まるかもしれません。
それでは、参考のために「OmegaT」のヘルプの日本語バージョンを挙げておきましょう。
複数訳文
同じ内容の原文分節が複数存在し、それぞれの文脈に応じて異なる対訳が必要になることがあります。
異なる訳文が必要な分節には、例外訳文を割りあてるために、>[編集]>[例外訳文を登録]を使うことができます。その後に入力した訳文は、「例外訳文」として扱われます。
同じ内容の他の原文に対する既存の訳文には影響しません。
>[編集]>[基本訳文として使用]を使用して、実例で最も一般的または可能性の高い選択肢の1つを基本訳文として定義します。
最後にChatGPTも試してみましょう。 生成AIでは、翻訳の条件を指定できるので、いくつかプロンプトに加えてみます。
プロンプト:
以下の英文はマニュアルの一部です。UIの訳語に注意して翻訳してください。またUIは全角ブラケット[]で囲んでください。 #UIの訳語:Edit[編集]、Create Alternative Translation[例外訳文を登録]、Use as Default Translation[基本訳文として使用]
<ChatGPT>
複数の翻訳
プロジェクト内の複数の場所に現れるソースセグメントには、文脈に応じて異なる翻訳が必要な場合があります。
現在の翻訳が適切でない場合は、[編集]>[例外訳文を登録]を使用して代替翻訳を登録してください。入力された翻訳は、ソースセグメントの代替翻訳として扱われます。
[編集]>[基本訳文として使用]を使用して、代替翻訳の中から最も一般的または適当なものをデフォルトの翻訳として定義します。
このように文書の種類とスタイルと訳語を指定して翻訳できるのなら、かなり有効だと思ったかもしれません。
ただし、日本語バージョンの訳文にある「同じ内容の他の原文に対する既存の訳文には影響しません。」に相当する原文はありません。このように内容をはっきりさせるために説明を加えることは人間翻訳者ならではのことですが、これを付加価値の一つと言うことができるかもしれません。
翻訳者の役割の変化
生成AIによる翻訳技術の進化は、プロの翻訳者にも新しい役割を与えています。翻訳者はAIの出力を編集・校正することで、より洗練された翻訳を提供することが求められるようになってきています。
ポストエディットの増加
AI技術による機械翻訳の品質が向上した結果、翻訳者の役割は従来の手動翻訳から、機械翻訳の結果を編集し改善する「ポストエディット」にシフトしています。このプロセスでは、翻訳者は機械翻訳の出力をレビューし、不自然な表現を修正したり、ニュアンスを調整したりします。これにより、最終的な翻訳品質の向上を図ります。
専門知識と文脈理解の重要性の増大
AIが基本的な翻訳作業を自動化する中で、翻訳者の専門知識や文脈に対する深い理解がより重要になっています。特に、法律、医療、技術などの専門分野では、正確な用語の選択や文脈に応じた適切な表現が求められるため、専門的な知識を持つ翻訳者の役割は依然として不可欠です。
マルチモーダル翻訳への対応
AI技術の進歩により、テキストだけでなく、音声やビデオなどのマルチモーダルなコンテンツの翻訳も可能になっています。これに伴い、翻訳者はテキスト翻訳に加えて、字幕の作成や音声翻訳の編集など、多様なメディアフォーマットに対応するスキルを身につける必要があります。
インタラクティブな翻訳プロセスへの参加
AI翻訳ツールがユーザーからのフィードバックを取り入れてリアルタイムで学習し改善する機能を持つようになったことで、翻訳者はこのインタラクティブなプロセスに参加し、AIの学習を支援する役割を果たすことも増えています。これにより、翻訳者はAI技術と共に成長し、より高品質な翻訳を実現するための重要なパートナーとなっています。
新しい技術スキルの獲得
AI翻訳技術の進展に伴い、翻訳者は新しいソフトウェアツールやプラットフォームを効果的に使用するための技術スキルを獲得する必要があります。これには、AI翻訳ツールの操作、翻訳メモリシステムの利用、用語データベースの管理などが含まれます。
どちらにしても、「プロの翻訳者」は、AI翻訳よりも優れた翻訳技術を有していなければなりません。AI翻訳と比べて、明らかにレベルの低い翻訳しかできなければ、その時点で翻訳を提供する側になることは難しいでしょう。先ずは、AI翻訳を使いこなすためにも翻訳力の増強に努めるべきです。「AIがあればTOEIC300点でも翻訳者になれる」という謳い文句の翻訳講座があるようですが、まったく現実離れしていると言わざるを得ません。
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