「翻訳とは何か?デジタル社会を迎え改めて問い直す—その④」 バベル・グループ 代 表 湯浅 美代子
先日、ふと、「翻訳の世界」とは何だろうか?という表現が意識に上ってきました。それはさらに、そもそも翻訳って何なのだろうか?翻訳という言葉が誕生したのはいつ? それに、何故私はこの「翻訳の世界」に夢中になってしまったのだろうか? というような、自問自答への展開が続いていきます。
ところで、「翻訳」という言葉を見ると「翻」と「訳」に分かれます。「翻」とは、「ヒルガエル」であり、「訳」とは「わけ」、つまり「理由」「意味」であります。従って、「その語、言葉の意味、理由などをヒルガエスこと」となりますが、意味がヒルガエルこと、それだけでは意味不明ですね。それでは、「ほんやく」というひらがな書きで考えてみましょう。すると、「ほん」と「やく」の二つのパーツに分解されます。
それはつまり、「翻」、「本」、「奔」、「叛」、「反」、「品」、「洪」、、、という表現の数だけ「意味・内容」が在るというだけでなく、似た音の表現が多いという事は、その意味や内容の多様性という表現の複雑さを表すものとなり、見方、感じ方、働きの方向などを表現している!ということになるでしょうか?
そこで、別の視点から翻訳の表現多様性について考えてみましょう。
では、英語で「翻訳」を表す単語となると( Translation )となりますが 、
(Trans ) は、Transport. Transform. Transaction. など思い浮かびますね。
ところで、何故、今号でこのテーマで書いてきたかというと、文筆業というか、翻訳業にとって大事な側面が、この表現多様性にある、と、言いたかったからなのです。ちょっと苦労しましたが!(笑い)
私たちの日常生活を考えてみると、まず、最初に思い浮かんだ言葉が「日常生活パターン」という表現でした。つまり、日常、毎日の行動の普通の状態とは、「生活パターン」ができていて、毎日同じ生活パターンで行動しているという事に気づいたのです。とすれば、「既に何年も、もしかすると何十年も固まっている思考法、行動、意識で暮らしている自分が居る」という事が言いたかったのです。要は、習慣病である!という事になりますね。(笑)
こう考えると、かなり緊張する感覚が出てきます。でも、日々の生活様式をそれこそ毎日変えていったら大変でしょうね!(笑)
長編の作品の翻訳出版の依頼を受けたら、それこそ毎日机に向かって、辞書もあれこれ揃えて、机の周りには関連情報の書籍やデータ類を重ねて置いたりしながら、せっせと翻訳し続ける!時には、背伸びをしたり、両腕を回したり、肩をほぐしたりしながらひたすら脳の回路がビンビン回っていることを感じつつ!!翻訳業ですから、これはよくあるイメージだと思いますが、勿論、翻訳業だけでなく、作家、レポーターなどの執筆業は、ほとんど同じパターンだと思います。
それこそ、毎日同じ生活パターンを繰り返しているのでは、飽きてしまいますね!身体が拘束されると血流が澱んできて、生きている意味というか、新鮮な感覚、生き甲斐という感じも薄れてしまいそうです!と、考えてしまいそうですが、ところがドッコイ!私たちは、ほぼ毎日同じ生活パターン、同じ思考パターン、同じ行動パターンで生きているのです!
いかがでしょうか?日常生活とは、既成概念を生み出す時・空間だったのだ!と感じますね。つまり、日常とは既成概念の倉庫であった、という事に気づかせていただいたというわけです。
私たちは既成概念の湯船にどっぷり浸かって生きています❣
そして、時々、既成概念に捉われない創造空間に入ったとき、素晴らしい発見ができるのですね。(笑)
今号も最後までお読みいただきありがとうございます。