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2026年1月22日 第380号 World News Insight (Alumni編集室改め)                                                    翻訳・創訳と神話再編
バベル翻訳専門職大学院 元副学長 堀田都茂樹

神話を読まない民族は亡びる
 神話は固定された原型ではない。
むしろ神話は、時代・地域・言語を超えて、翻訳され続けることで生き延びてきた
ギリシャ神話がローマ神話へと読み替えられ、旧約聖書がギリシャ語・ラテン語へ翻訳され、さらに各国語に展開されていった過程は、単なる言語変換ではない。それは、神話の再解釈と再配置の歴史である。
神話学者の ジョーゼフ・キャンベル が語った「英雄の旅」は、特定文化の物語ではなく、翻訳と比較を通じて抽出された神話の構造モデルだった。つまり、神話は翻訳されることで、その普遍性を可視化してきたのである。

翻訳とは「神話OSの変換」である
 翻訳を表層的な言語操作として捉えると、その本質を見誤る。
翻訳とは、言語の背後にある、
・人間観
・自然観
・時間の捉え方
・善悪の基準
といった、文化の思考OSを別のOS上で再起動させる行為である。
構造人類学者 クロード・レヴィ=ストロース は、神話を「意味の内容」ではなく「関係の構造」として分析した。これは翻訳にもそのまま当てはまる。
優れた翻訳とは、語彙の一致ではなく、関係構造の移植に成功した翻訳である。
ここに、翻訳と神話再編の深い共通性がある。

AI翻訳時代に露呈する「意味の空白」
 AIは、翻訳において驚異的な性能を示している。
しかしAI翻訳が得意とするのは、文法・語彙・統計的整合性であり、神話的意味構造ではない。
AIは、
「なぜこの比喩が必要なのか」
「なぜこの物語が共同体を支えてきたのか」
という問いを持たない。
その結果、AI翻訳は正確であっても、薄い翻訳になりやすい。
ここに、創訳の必然性が生まれる。

創訳とは、神話を「現代語に再起動する技法」である
 創訳とは、原文を裏切る行為ではない。
創訳とは、原文が属していた時代・文化で果たしていた機能を、現代において再構築する試みである。
哲学者 ヴァルター・ベンヤミン は、翻訳の使命を「意味の伝達」ではなく、「言語のあいだに潜む真理を解放すること」だと述べた。創訳とは、この思想をさらに一歩進め、現代の読者が生きるための意味として再構成する行為である。
古典創訳、日本神話の現代語化、宗教テキストの平易化。
これらはすべて、神話を博物館に保存するのではなく、再び社会の中で機能させるための再編なのだ。

翻訳・創訳は「新しい神話」を生む装置となる
 重要なのは、翻訳と創訳が過去の神話を保存するだけでなく、新たな神話生成の基盤にもなり得る点である。
異なる文化の神話が翻訳によって交差するとき、
そこには新しい価値観、新しい人間像、新しい未来像が立ち上がる。
AIは、このプロセスを支援する道具にはなれる。
比較、整理、草案生成、構造分析。
しかし、どの神話を語り継ぐか、どの意味を未来に渡すかを決めるのは人間である。

翻訳・創訳はAI時代の神話編集者である
 AI時代において、人間の役割は「正解を出すこと」ではなくなった。
その代わりに問われるのは、
・何を意味あるものとして残すのか
・どの物語を未来へ渡すのか
という、神話的判断である。
翻訳者、創訳者とは、言語の職人である以前に、
文明の意味編集者である。
まさに、エディターシップの時代だ。
翻訳と創訳を通じて神話を再編し続ける限り、
人類はAI時代においても、
「意味を語る存在」であり続けるだろう。
それこそが、翻訳が担う、最も深く、最も現代的な使命なのかもしれない。

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