第13回 世界のライターズマーケット近況(2025年8月)
The Bee ― 労働者階級の作家の疎外に取り組むプロジェクト
英国の俳優マイケル・シーン氏が支援する新たな出版プロジェクト「The Bee」を、The Guardian誌が紹介しています。
「The Bee」は、マイケル・シーン氏の支援を受け、慈善団体New Writing Northが主導する取り組みです。雑誌、ウェブサイト、ポッドキャスト、オンラインコミュニティなど複数の発表・交流の場を用意し、秋には雑誌創刊号の刊行も予定されています。単なる啓発活動にとどまらず、「発表できる場」を提供し、作家同士がつながるコミュニティを築くことを目指しています。
近年、英国の出版業界は多様性の不足が指摘されています。雑誌編集長を務めるRichard Benson氏はこう述べています。
「1960年代や70年代を振り返ると、当時はもっと労働者階級による表現があり、人々は自分の声を届けることができていました。なぜ音楽の世界では労働者階級によるものが当たり前のようにあるのに、出版ではそうではないことが受け入れられているのでしょうか?」
統計によれば、2014年には編集者やライターの約43%が中産階級で、労働者階級出身はわずか約12%でしたが、2019年には中産階級が約60%にまで増加しました。教育機会、経済的背景、人脈といった要因が、才能ある作家の参入を阻んでいるのです。これは公平性の問題にとどまらず、創作の幅を狭め、物語が均質化してしまうという創造性のリスクもあります。
「才能に階級はありません。しかし、機会には階級があります。The Beeは、その問題への緊急の対応です」と、New Writing Northの最高経営責任者であるClaire Malcolm氏は述べています。
この動きの背景にあるものとして、以下のような要因が考えられます。
AI時代の到来
生成AIによるコンテンツは、既存の物語をなぞる傾向が強いため、新しい視点の希少価値がさらに高まっています。つまり、新しい視点を提供できる作家には大きな差別化のチャンスがある、ということです。
出版業界の同質化
経済的・文化的背景が似通った作家が大多数になると、物語のテーマや描写が狭まり、読者が多様な世界を体験する機会が減少します。逆に言えば、多様なバックグラウンドを持つ作家が参入することは、未開拓の市場ニーズを掘り起こすことにつながります。
社会的なインクルージョン(包摂性)の必要性
特にノンフィクションは社会の記録であり、異なる階層や文化の視点がなければ、その記録は偏ってしまいます。その視点を発信できる人材は、同時に独自のブランドを持つライターになり得ます。
階級格差の問題は英国特有の側面もありますが、「視点の偏り」という課題は日本にも共通しています。日本では、アルゴリズムの影響などで「同じ論調の記事ばかり読む」傾向が強まり、意見の多様性が失われがちです。
読者としては、意識的にバックグラウンドの異なる作家やライターの作品に触れること。書き手としては、自分のルーツや経験を恐れずに物語に込めること。こうした姿勢が、多様で力強い表現を生み出す第一歩になるでしょう。
個人的なことですが、筆者は1960年代に英国の労働者階級から生まれた音楽が好きで、その影響もあり本記事のテーマに惹かれました。彼らは、当時まだ世間に広く知られていなかった音楽やダンスを発信し、一つのムーブメントを生み出したのです。いまはSNSやAIといった新しい手段があり、声を届ける形はかつてよりも多様になっています。だからこそ、私たちも自分の声を恐れず発信していくべきだと感じています。
参照記事
The Guardian "UK-wide initiative launched to tackle marginalisation of working-class writers": https://www.theguardian.com/books/2025/may/05/uk-wide-initiative-launched-to-tackle-marginalisation-of-working-class-writers
村山有紀(むらやま・ゆき)
IT・ビジネス翻訳歴10年以上。国内外の様々な場所での生活と子育ての
経験をふまえ、自分らしい発信のスタイルを模索中。