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東アジア・ニュースレター

海外メディアからみた東アジアと日本

第165 回

前田 高昭 : 金融 翻訳 ジャーナリスト
バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教

中国の習指導部は低迷する経済の解決策として国内製造セクターの強化を打ち出した。背景に中国の将来を脅かすほど重大な国際的反発を招くことなく、強靭な工業を構築し経済活力を取り戻せるという大胆な計算があるとメディアは指摘する。だが、世界の企業を苦しめ、新貿易戦争の影を浮かび上がらせていると警告する。

台湾では、中国の台湾進攻をテーマとしたテレビ番組『ゼロデイ』が話題となっている。中国の脅威について必要な対話を促すという賛成論がある一方、与党・民進党のプロパガンダで恐怖を煽るだけと非難する意見もある。中国がインターネットに偽情報を氾濫させるような手段への台湾人の対応を啓蒙するのが番組の狙いとの指摘もある。

韓国は、世界5位の原子力発電国で原子炉の世界市場開拓に乗り出している。目下、欧州市場に狙いを定め、チェコで原子炉2基の成約に成功した。競争力の源泉は建設コストの低さと建設期限の順守にあるが、同時に知的財産権侵害問題や韓国の核兵器開発能力を制限するための米国との協定による制約などの課題も抱えている。

北朝鮮の金正恩総書記がロシアとの経済的・軍事的関係を緊密化させ、ウクライナ戦争を支援するなか、疲弊する国民は兵士も一般市民も皆、韓国との統一を待ち望んでいるとメディアは報じる。しかし金総書記は国境での監視を強化し、統一という目標を放棄して、多くの国民が南への移住や合流を望んでいることに対応している。

東南アジア関係では、タイで新政権が発足した。メディアは長く続く政治的な不確実性が政策決定を複雑にし、信頼を低下させてきたと指摘。新首相の課題として中央銀行との関係改善、前政権の経済刺激策「デジタル・ウォレット」プログラムへの取り組み、不透明感を増す財政赤字と政府債務への対応などを挙げる。

インドが世界のAIエコシステムにおいて重要なプレーヤーとして台頭してきた。メディアは、一例として有力財閥企業リライアンスによるAIサービス・プラットフォーム「ジオブレイン」の構築を紹介する。米中対立が高まるなか、先端的な半導体などの生産拠点としても重要視されており、財閥企業の今後の動きが注目される。

主要紙社説・論説欄では、岸田首相の退任表明と自民党総裁選挙に関する主要メディアの報道と論調を観察した。 

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北東アジア

中 国

 新貿易戦争を仕掛ける習指導部

習近平指導部は経済の成長が頭打ちとなるなか、再び壮大な輸出マシンを稼働させようとしていると、8月18日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルが報じる。記事は、中国はその巨大な輸出体制を再び強化しており、今回はライバルの隠れ場所はどこにもないと論じる。記事は冒頭で、太陽光パネルのハイテク部品であるシリコンウエハーを生産する米マサチューセッツ州のスタートアップ企業が、同製品について過剰生産能力を持つ中国からの輸出攻勢のために生産中止に追い込まれた例や、南米チリで中国産の安価な金属が大量に押し寄せるなか、鉄鋼大手のCAPが同国最大のウアチパト製鉄所の操業を無期限停止し、約2,200人の雇用が失われると発表したことを伝え、以下のように論じる。

経済の低迷を受け、国内製造セクターにまるで筋肉増強剤を投与して強化するような中国政府の解決策は、世界中の企業を苦しめ、新たな世界貿易戦争の影を浮かび上がらせている。欧州連合(EU)が中国製の電気自動車(EV)に関税を課す決定をしたことは、深まる緊張の最新の表れに過ぎない。各国は対抗手段として中国製品に対する関税を引き上げたり、反ダンピング(不当廉売)調査に乗り出したりしている。その背景には、中国政府の大胆だがリスクを伴う計算がある。製造業への投資を増やせば、中国の将来を脅かすほど重大な国際的反発を招くことなく、国の経済活力を取り戻し、工業の強じんさを構築できるという読みだ。政府の政策アドバイザーや中国当局者と協議したことがある人々へのインタビューによると、昨年、中国指導部は極めて重要な岐路を迎えていた。不動産バブルがはじけ、ここ数十年で最悪ともいうべき景気低迷に見舞われたためだ。

中国経済には根本的な見直しが必要で従来のような製造業と建設業への依存から脱却し、代わりに国内消費の拡大に軸足を置くべきだと主張するアドバイザーもいた。そうすれば、中国は米国型に近づき潜在的により安定した成長軌道を描けるというのだ。だが、習近平国家主席はそうではなく、数十億ドルの新たな補助金と融資枠によって国家主導の製造業モデルを一段と強化するよう当局者に命じた。習氏は彼らに確実にメッセージを伝えるスローガンを掲げた。それは「先立後破」だった。先に新しいシステムを作り、後から古いシステムを壊すということだ。このスローガンの「新しい」とは、新たな成長モデルへの転換を意味するのではない。それは、習氏が国家の支援すべき製造業はどのようなものかについて自らの考えに磨きをかける方法を指す。要するにEVや半導体、グリーンエネルギーといった中国が将来的に主導権を握りたい産業を構築する一方で、鉄鋼のように中国が伝統的に強みを持つ「古い」産業も維持することを求めている。過剰生産能力の問題があるとしても、それは未来に委ねればよいことなのだ。

公式データによると、習氏の掲げる優先課題は中国経済に徐々に浸透している。製造企業を含む鉱工業向け融資は2021年末以降63%増加している。その一方で、銀行は不動産向け融資から急激に資金を引き揚げている。政府補助金も長らく経済政策の中心ではあったが大幅に増加している。金融情報サービス大手の万得信息技術(ウインド)のデータによると、深圳と上海に上場するが2023年に申告した政府補助金は総額330億ドルに上り、2019年を23%上回った。独シンクタンクのキール研究所によると、中国上場企業の99%は何らかの形で補助金を受給したことを公表している。米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)の中国専門家であるスコット・ケネディ氏によると、中国は国内総生産(GDP)の約4.9%を産業育成に費やしており、米国やドイツ、日本に比べて数倍の水準だ。資金援助の消防ホースは今後も噴射され続けるようだ。中国人民銀行は4月、ハイテク企業への融資支援のため約700億ドルの新制度を設立したと発表した。5月には、半導体生産への融資を目的とした国家基金が国有銀行やその他の政府系投資機関から480億ドルを調達した。

在中国の米企業ロビー団体、米中ビジネス評議会のクレイグ・アレン会長は、習氏の製造業への執着心は、中国の貧しい農村部の省トップと最近会談した際にも見て取れたと話す。アレン氏が経済の優先課題について尋ねると、省トップは半導体やソフトウエア、バイオテクノロジー、ロボット工学、航空宇宙、電池、EVを挙げたという。「農作物の収穫向上など、圧倒的に農村部の住民が多い有権者のニーズに応えるものが、経済の優先課題の上位に並ぶのではないかと思っていた」とアレン氏は語る。

5月に人民日報に掲載された一連の記事で、中国政府はその製造・輸出能力を世界にとって問題ではなく、プラスであると擁護し、米国とその同盟国は中国の過剰生産能力を「誇大宣伝」し、自国の競争優位を獲得しようとしていると述べた。李強首相は、大連で6月に開催された世界経済フォーラムでの演説で、「中国の先進的な電気自動車、リチウムイオン電池、太陽光発電製品の生産は、まず国内の需要を満たし、世界の供給も豊かにしている」と述べた。中国の製造業優位性の本当の源泉は、政府からの補助金ではなく、コストを抑えるのに役立つ巨大な規模にあると付け加えた。

 いずれにせよ、その影響は避けられない。オランダの政策研究機関、経済政策分析局がまとめたデータによると、第1四半期の工業生産は、2021年末に不動産逼迫が深刻化した時よりも8%増加し、米欧日の生産高の伸びを簡単に上回った。中国は、自国での販売台数が2,200万台程度であるにもかかわらず、年間約4,000万台の自動車生産能力を増強している。2023年には国内で220ギガワットしか必要としないにもかかわらず、今年は約750ギガワットの太陽電池を生産する予定だ。

為替変動の影響を除いた中国全体の輸出量は、2021年末から10%増加している。中国の鉄鋼輸出は昨年、前年比で36%急増した。「すでに世界の工場生産の3分の1近くを生産しているのに製造業を倍増させることで、中国は事実上、世界の他の国々に対し生産シェアを拡大するのではなく、縮小するよう求めている」と、世界貿易の不均衡について幅広く執筆している北京大学のマイケル・ペティス教授は言う。「世界の他の国々はその逆を望んでいる。世界はそれを受け入れられない」。米国は、多くの中国製品に高い関税をかけており、米国の労働者の盾となっているため、ある意味では最も影響を受けていない国のひとつである。しかし、中国での過剰生産が続けば、米国の製造業を拡大するという米政府の目標は達成できず、一部の産業、特に再生可能エネルギーはプレッシャーを感じている。

6月、米国際貿易委員会は米国の太陽電池メーカーが申し立てるアンチダンピングのクレームに最初のゴーサインを出した。同社は中国企業が製造した太陽電池セルやモジュールが米国内で市場価格を下回り、不当な補助金を受けて販売されていると主張している。世界の他の地域では、さらに大きな打撃を受けている。欧州の自動車メーカーは、中国製EVの増加に伴い、1万人以上の雇用を打ち切った。衣料用ポリエステル繊維やリサイクル可能な容器に使用される化学薬品を製造する欧州メーカーの業界団体であるPETヨーロッパのアントネッロ・チオッティ会長は、中国からの輸入品に対応するために企業がコスト削減と生産量削減を行ったため、欧州のPETメーカーは数百人の雇用を失ったと述べた。EUは昨年末、中国製PETの一部輸入品にアンチダンピング関税を課した。

習近平にとってリスクとなるのは、中国の安価な製造業が米国内の推定200万人の雇用を一掃したが、欧米の消費者にも恩恵をもたらした2000年代初めの「チャイナ・ショック」とは異なり、今回の動きは、多くの保護主義的措置の引き金となり、中国が販売できる大きな市場を失ってしまう可能性があることだ。ベルリンのアナリストは、「以前は、ドイツの自動車メーカーなど多くの企業が安価な中国製部品へのアクセスから利益を得ていたため、中国の過剰生産能力をさほど気にしなかった国もあった」と指摘する。「しかし今、中国は産業政策の照準を西側経済の中心に合わせている」とグンター氏は言う。

習近平の「先立後破」戦略は、中国が過剰生産能力を減らすことに懸命だった以前からの転換を意味する。中国は過去、持続的な過剰生産能力に苦しみ、鉄鋼やその他の商品の世界価格を押し下げたとして貿易相手国から怒りを買うこともあった。2015年、習近平は当時の経済担当閣僚であった劉鶴に改革の実施を委ね、それが多くの小規模・個人経営の製鉄所やその他の企業の閉鎖につながった。しばらくの間、習近平と彼の経済チームは最終的に過剰生産に取り組む準備が整ったかのように見えた。しかし近年、米国との緊張が高まり、中国経済が弱体化するにつれて、習近平の見方は変わったと中国の政策アドバイザーは言う。習近平は、米国と衝突した場合に中国が必要なものをすべて生産できるようにすることを重視するようになり、欧米の不満に同調しなくなった。

現在、中国政府関係者は生産能力過剰を否定しているが、それは中国が米欧などに関税やその他の報復措置の正当性を与えたくないからだと、政策アドバイザーや中国政府関係者に相談した人たちは言う。それでも、習近平の側近の間には、政府の支援がEVやバッテリーなどの分野で極端な生産能力過剰を招き、これらの分野が商業的に成り立たなくなることを懸念する声もある。在中国欧州商工会議所のヨーグ・ウットケ元会頭は、「中国では誰もがモノを作っている。しかし、誰も金儲けはしない」

以上のように記事は、習指導部は不動産バブルがはじけて経済が低迷するなか、国内製造セクターを筋肉増強剤で強化するような解決策によって、世界中の企業を苦しめ、世界的な新貿易戦争の影を浮かび上がらせていると指摘する。背景には、製造業への投資増加は中国の将来を脅かすほど重大な国際的反発を招くことなく、経済活力を取り戻し強靭な工業を構築できるという中国政府の大胆だがリスクを伴う計算がある。数十億ドルの新たな補助金と融資枠によって国家主導の製造業モデルを一段と強化しようとしている。習氏は確実にメッセージを伝えるスローガンを掲げた。まず新しいシステムを作り、後から古いシステムを壊すという「先立後破」だ。要するにEVや半導体、グリーンエネルギーといった中国が将来的に主導権を握りたい産業を構築する一方、鉄鋼のように伝統的に強みを持つ「古い」産業も維持することを求めている。そして習氏の掲げる優先課題は中国経済に徐々に浸透していると記事は強調する。問題は、中国政府がその過剰生産能力を問題視せず、世界にとってプラスであると擁護し、自国の競争優位を確固たるものにしようとしていることであろう。しかし「世界はそれを受け入れることはできない」のである。にもかかわらず習指導部は、そうしたリスクを大胆に計算しながら強行しようと試みている。世界はまさに新貿易戦争に突入しようとしている。

 

台 湾

☆ テレビ番組が報じる中国侵攻への対応

中国が攻めてきたらどうするか。あるテレビ番組が台湾にとって難しい問題を提起していると、8月25日付ニューヨーク・タイムズが伝える。記事によれば、このドラマ『ゼロデイ』は台湾がますます現実味を帯びてきたシナリオに立ち向かう一助になるという肯定的な意見もある。その一方、この番組は政府の道具であり、警鐘を鳴らすものだと批判する人もいる。『ゼロデイ』が放送されるのは来年だが、すでに予告編の公開後、台湾では熱い議論が巻き起こっている。このシリーズを支持する人々は、中国がもたらす脅威について必要な対話を促すことになると言う。批評家たちは、恐怖を煽るものだと非難している。『ゼロデイ』のプロデューサーで脚本家でもあるチェン・シンメイはインタビューで、台湾の人々に戦争の可能性に対する自己満足的で発言を控える態度が蔓延していると思われる状況を打破したいと語った。「なぜなら、それは台湾人ひとりひとりの心の中にある最大の恐怖だと思われるからだ」。

全10話からなる『ゼロデイ』は、中国が台湾を封鎖し、制圧しようとする可能性を想定し、台湾のテレビ司会者、ネット上の有名人、(架空の)総統と次期総統、その他の登場人物が1週間にわたる中国の作戦に立ち向かう姿を描いている。封鎖の結果、台湾では物資が不足し略奪や金融崩壊が起こる。外国人は避難させられる。ついに中国軍が上陸し、戦闘が始まる。登場人物たちは逃げるか留まるか、協力するか抵抗するかで悩む。シリーズが撮影を終える前にネット上で公開された17分の予告編から判断するに、この番組のトーンは陰鬱だ。このシリーズで台湾の次期総統を演じるジャネット・シェイは、「現実には白黒はっきりしたものはなく、複雑な状況、家族、政治的な事柄などが絡み合っていることを浮き彫りにしている」と語る。

台湾侵攻のリスクに関する広範な政策研究がなされてきたにもかかわらず、これまで映画やテレビドラマがこの問題を広く一般に取り上げたことはなかった。台湾の俳優の中には、中国のブラックリストに載ったり、スポンサーを失ったりすることを懸念して出演を断った者もいるとチェンさんは言う。いくつかの建物や場所の所有者は、物議を醸すことを懸念して敷地内でシーンを撮影する契約を取りやめたようだ。野党を中心とする批評家たちは、『ゼロデイ』は台湾に対する中国政府の主張を断固拒否する政権与党・民進党のプロパガンダに等しいと批判する。中国との関係強化を主張する野党・国民党の政治家たちは、文化省と政府系ファンドがこの作品に投資し、軍事施設や総統官邸の内部でシーンが撮影されていると指摘する。「完全に民進党のプロパガンダのために国家権力を利用している」と、今年の選挙で国民党の副総統候補となったジョー・ショーコン氏は記者団に語った。「選挙広告に等しい」。

このシリーズに携わった10人のディレクターの一人で、それぞれ1エピソードを監督しているロー・ギンジム氏は、コメディやホラー映画を含む台湾のテレビや映画作品には、政府からの資金援助があるのが普通であり、政府はこのドラマの方向性に影響を与えようとはしていないと述べ、ロシアのウクライナ侵攻後、『ゼロデイ』プロジェクトに参加する気になったと語った。このシリーズの登場人物たちは、中国が台湾を不安定化させるために使うと思われる手段、たとえばインターネットに偽情報を氾濫させるような手段に取り組むことになると、ロー氏は言う。予告編では、中国の封鎖が始まると台湾総統が逃亡したという噂がソーシャルメディアで共有される。ワシントンの戦略国際問題研究センターのブライアン・ハート氏は、中国が台湾を封鎖しようとする可能性についての新しい研究の著者でもあるが、「この番組が視聴者に強調しようとしているのは、その点だと思う。中国の攻撃を抑止し抵抗するには、軍事力以上のものが必要だからだ」と指摘する。

最近、総統府の前で撮影されたシーンは、そのようなことが起こるかもしれない一つの方法をドラマ化したものだった。台湾のデモ隊が中国政府との平和的妥協を求めるなか、親中派の侵入者が分裂を挑発し、警察が介入するような争いを引き起こす。このエピソードの監督である呉子温は、「ヒーロー的な要素が強すぎるとファンタジーに走りすぎて、現実離れしてしまう」と語る。

以上のように、中国の台湾進攻を想定したテレビ番組『ゼロデイ』が台湾内で話題を呼んでいる。中国がもたらす脅威について必要な対話を促すことになるという賛成論がある一方、民進党のプロパガンダで恐怖を煽るだけだと非難する見方もある。これに対して、台湾のテレビや映画作品には、政府の資金援助が普通であり、政府はこのドラマの方向性に影響を与えようとはしていないとの反論が紹介されている。番組の意図は結局、中国が台湾を不安定化させるために使うと思われる手段、たとえばインターネットに偽情報を氾濫させるような手段への台湾人の対応を啓蒙することにあるとの指摘が当たっていると思われる。 

韓 国

 原子炉の世界輸出を目指す政府

中国とロシアが支配する原子炉の世界市場で韓国が主要プレーヤーになることを目指している。そのために欧州向け輸出を加速させており、7月にチェコ共和国での170億ドル規模のプロジェクトで米国のウェスチングハウスと仏のEDFを抑えて優先交渉権者となった。国営の韓国水力・原子力会社(KHNP)は、来年早々にもチェコで原子炉2基の契約に調印する予定だと、8月29日付フィナンシャル・タイムズが伝える。記事によれば、KHNPの親会社である韓国電力公社(Kepco)が率いるコンソーシアムは、2009年にアラブ首長国連邦で4基の原子力発電所を建設・運営する200億ドルの契約を獲得しており、今回の契約が完了すれば、韓国にとって15年ぶりの海外大型原子力発電プロジェクトとなる。

KHNPの社長であるファン・ジュホ氏は、同社はオランダで原子力発電所の事業化調査を行っており、2030年までにさらに10基の原子炉を世界に輸出することを目指し、目下、フィンランドとスウェーデンで原子炉を建設するための交渉も行っていると語る。韓国電力公社はまた、ウェールズ沖のアングルシー島に新しい発電所を建設することについて、英政府関係者と初期段階の話し合いを行っている。EDFを含む欧米の競合他社が建設遅延やコスト超過に陥っている現在、チェコでの契約は韓国の努力を浮き彫りにしている。

韓国は世界第5位の原子力発電国であり、26基の原子炉が国内の電力供給の3分の1を供給している。チェコとの契約発表後、韓国の安徳根(アン・ドクグン)産業相は、「韓国は、(原子炉を)予定通り、予算内で建設した唯一の国だ」と述べた。世界原子力協会によると、韓国の原子力発電所の建設費は1キロワットあたり3,571ドルと見積もられ、フランスの7,931ドル、アメリカの5,833ドルよりはるかに低い。原子力エネルギーは欧州でロシアによる本格的なウクライナ侵攻が始まるまで衰退の一途をたどっていたが、エネルギー供給の確保を目指すEU加盟国が増えるにつれ、新たな注目を集めている。また電力需要が高まるなか、低炭素エネルギー源の開発を目指す国々によって、原子力エネルギーへの関心が再燃している。欧州圏の野心的な気候変動目標によって、イタリアやベルギーなどがこれまで反対していた原発の新設を覆すに至っている。

2022年5月の就任直後、保守派の尹錫悦大統領はリベラル派の前任者である文在寅大統領の脱原発政策を覆した。韓国水力原子力会社のファン・ジュホは、2030年までにさらに原子炉10基の世界輸出を目指している。チェコのプロジェクトは、KHNPが2022年にポーランド国営エネルギー会社PGEとの合弁で、ポーランド中部のポトヌフでの原子力発電所建設で合意したことに続くものだ。KHNPはまた、5月に発表されたスロバキアの発電所プロジェクトにも入札する見込みである。ポーランドのドナルド・トゥスク首相が右派前政権の原子力発電戦略の全面的な見直しを決定した後、ポトヌフ・プロジェクトはまだ確認待ちの状態だ。しかし、国営ポーランド経済研究所のエネルギーアナリストであるアダム・ユジャック氏は、KHNPは価格が安く、建設期限を守るという最近の実績から中東欧で前進していると語る。世界原子力協会によれば、UAEでのプロジェクトは韓国外で韓国グループの技術が使用された唯一の例だが、アナリストによれば、潜在的な顧客に安心感を与えたという。「KHNPがバラカにAPR1400型原子炉4基を妥当な時間で納入したことは重要だ」と、2012年に開始され、今年初めに完成したプロジェクトを指してユジャク氏は語った。

欧州最大の原子力発電所運営・建設会社であるEDFにとって、チェコ政府による韓国企業の選定は後退を意味する。EDFに近い関係者によれば、EDFは欧州の主権を主張することで地元に根ざした原子力サプライチェーンを構築する一環として、チェコとの取引が有利になることを期待していたという。しかし、この契約は、冷却材に現在稼働中のほとんどの原子炉で採用されているガスではなく水を使用する欧州加圧原子炉の設計が、仏国外でも顧客を見つけられることを証明するチャンスでもあった。同社は仏政府から、今後数年間で少なくとも6基のEPR2型炉を新たに建設するよう要請されているが、EPR2型炉の更新・簡素化バージョンの設計はまだ確立していない。フランスで建設された唯一のEPR原子炉は完成間近だが、予定より12年遅れている。EDFに近い人物は、EDFは価格面で部分的に負けたと語ったが、チェコの決定についてそれ以上のコメントは避けた。EDFはこれまでも原子炉を迅速に建設できる立場にあると主張してきた。一部の批評家は、この決定はサプライズではないと指摘する。

ただしKHNPは、APR1400原子炉にウェスチングハウスの独自技術を使用したという主張に直面している。昨年、米国の連邦裁判所は韓国企業が技術共有に米国政府の承認を必要とする輸出規制に違反していると主張するウェスチングハウスの訴えを棄却した。しかし、裁判所は知的財産権侵害の問題については裁定しなかったため、紛争は未解決のままである。韓国のアン産業相は今月初め、両社は紛争を解決するための「最終段階の協議を行っている」と述べたが、米国企業はKHNPが優先入札者に選ばれたことに抗議し、チェコの独占禁止庁に上訴した。

「KHNPは基礎技術を所有しておらず、ウェスチングハウスの同意なしに第三者にサブライセンスする権利もない」と米国企業は主張する。KHNPはウェスチングハウスは以前の主張を繰り返しているだけだと述べた。また、「チェコのプロジェクトに影響が出ないよう、法的紛争に適切に対処する」と付け加えた。エネルギー政策を監督するチェコ貿易産業省は、入札は約200人の専門家によって審査されたと強調している。「契約の落札者は、自分たちの利益を守るためにあらゆる手段を選ぶのが普通であり、もちろん彼らにはその権利がある」と同省は述べた。原子力専門家で元ソウル大学教授のソ・ギュンリョル氏は、KHNPはおそらくウェスチングハウスと金銭的な和解をしなければならないだろうと述べた。「これは赤字取引に終わる可能性さえある」と言う。ソ氏はまた、韓国は1950年代に締結された、ソウルの核兵器開発能力を制限するための米国との長年の協定によって制約を受けていると指摘した。この協定の下では、韓国は原料供給へのアクセスが制限されており、ウラン濃縮や使用済み燃料の再処理を行うことは許されていない。長期的な買い手は、核燃料供給から廃棄物処理までのワンストップサービスを求める可能性が高いと同氏は述べ、米国の協定は依然として「韓国のアキレス腱」であると付け加えた。

とはいえ、ブルームバーグNEFの原子力アナリスト、クリス・ガドムスキー氏は、チェコが開発が始まっている小型モジュールプラントではなく、新しい大型原子炉を選択したことには驚いたが、韓国がこのプロジェクトを勝ち取ったことには驚かなかったと語る。「韓国はここ数年、原子力の抑制から原子力開発の加速へと政治的な観点を転換してきた。韓国が将来的に強固な輸出ポートフォリオを持つことで効率的に規模の経済を達成し、最終的におそらく安価な製品を提供できるようになろう」。

以上のように、世界第5位の原子力発電国である韓国が原子炉の世界市場開拓に乗り出した。目下の狙いは欧州市場にあり、先兵としてチェコでの原子炉2基の成約に成功した。さらにオランダ、フィンランド、スウェーデン、英国、ポーランド、スロバキアなどに狙いを定めている。背景にウクライナ戦争が始まり、エネルギー供給の確保を目指すEU加盟国が増え、原子力エネルギーが新たに注目されていることがある。韓国の競争力の源泉は原発建設コストの低さと期限の順守にある。しかし、同時に知的財産権侵害問題に関するウェスチングハウスとの紛争や韓国の核兵器開発能力を制限する米国との協定などの問題も抱えている。米国との協定は「韓国のアキレス腱」と言われており、こうした課題を韓国政府が今後どのように乗り切っていくかに注目したい。 

北 朝 鮮

☆ 統一を切望する国民

北朝鮮の一兵士が非武装地帯を越えて脱北した。8月20日付フィナンシャル・タイムズは、北朝鮮国民は兵士も一般市民も皆、韓国との統一を待ち望んでいると以下のように報じる。

米韓による合同軍事演習の夏が到来し、朝鮮半島の緊張が高まるなか、北朝鮮兵士が火曜日に南北境界線を越えたと韓国当局が発表した。韓国軍は、この兵士の「身柄を確保」し、本人の意思を確認するために関係当局に引き渡したと発表した。韓国メディアの報道によれば、彼は北朝鮮軍の二等軍曹だという。厳重に警備された非武装地帯の最東端で発生したこの危険な行動は、8月第1週に西海岸沖の海上国境で民間人が横断したのに続き、今月2件目の北朝鮮から韓国への亡命の可能性を示した。

北朝鮮は、韓国の人権運動家たちによるビラ配りキャンペーンに対する明らかな報復として、廃棄物を運ぶ風船を国境上空に降り注いだ。風船は韓国で最も混雑する空港を何度も妨害し、大統領官邸内に落下したものもある。先月、韓国政府は拡声器を使ってプロパガンダ・メッセージとK-POPを北に吹き込むことで対抗した。尹錫悦大統領は、日本統治からの独立を記念するイベントで「私たちが享受している自由は、人々が自由を奪われ、貧困と飢餓に苦しむ凍てついた王国、北にも拡大されなければならない」と語った。「統一された、自由で民主的な国民が正当に所有する国家が朝鮮半島全域に確立されて初めて、我々は最終的に完全な解放を得ることができる」と尹氏は付け加えた。

18日、北朝鮮は最新の米韓軍事演習を「核戦争への序曲」と表現して攻撃した。北朝鮮はまた、ウクライナのゼレンスキー大統領を支持することで米国が「第三次世界大戦」を引き起こすと脅していると非難した。金正恩総書記はロシアとの経済的・軍事的関係を緊密化させ、プーチン大統領のウクライナ戦争を支援してきた。アナリストたちは、今年初め、金正恩が自国の長年の統一へのコミットメントを放棄し、韓国を自国の「主要な敵」と表現し、韓国国民をもはや「同胞」と見なすべきではないと発言したことで半島の緊張が悪化したと指摘した。北朝鮮はまた、中国と協力して北方の国境を強化している。北方の国境は、南方で市民権を得ようとする北朝鮮人の大半が通過する場所である。今年上半期に韓国に到着した脱北者は105人だった。その大半はすでに中国で数年を過ごした女性で、その多くは人身売買ネットワークの犠牲者だった。この数字は、コロナウイルスのパンデミック以前には毎年平均1,000人の北朝鮮人が韓国に到着していたことと比較すると、その数は極めて少ない。

韓国人は政府が核保有することを望んでいる。キューバ駐在の元北朝鮮外交官で昨年韓国に亡命した李日奎氏によれば、金正恩氏が国境で弾圧を行い、統一という目標を放棄したのは、多くの北朝鮮人が南への移住や南との合流を望んでいることへの対応だった。彼は先月、韓国の保守系紙『朝鮮日報』に対し、こう寄稿した。「北朝鮮の人々は、韓国の人々よりも統一に憧れ、望んでいる。経営者であれ、一般市民であれ、子供たちの将来を心配するとき、より良い生活があるはずだと考える」。

以上のように、金正恩総書記がロシアとの経済的・軍事的関係を緊密化させ、プーチン大統領のウクライナ戦争を支援するなか、疲弊する国民は兵士も一般市民も皆、韓国との統一を待ち望んでいると記事は報じる。しかし金総書記は統一への長年のコミットメントを放棄し、韓国を自国の「主要な敵」と表現、国境での監視を強化し、しかも統一という目標を放棄して、多くの国民が南への移住や南との合流を望んでいることに対応しているのである。

 東南アジアほか

タイ

☆ 経済の先行きを曇らせる政情

昨年5月、軍事政権が続くタイでは下院選挙で改革派野党の前進党(Move Forward Party)とペウタイ(Pheu Thai)党がタイ下院での2大政党となった。しかし第1党となった前進党は不敬罪の緩和など急進的な公約を掲げていたために保守派からの反発が強く、第1党となるも政権樹立に失敗、その後も様々な「嫌がらせを受け、ついにこの8月にタイ憲法裁から解党と元幹部の公民権停止を命じられるに至った。8月16日、この決定を受けてタイ国会は首相指名選挙で最大与党「タイ貢献党」のタクシン元首相の次女であるペートンタン党首(37)を新首相に選出した。同国で最年少、女性として2人目の首相となった。だが、実質的に軍政が続く中、同首相がいつまで政権を維持できるかが疑問視されている。

8月22日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルは、政治的不確実性がタイの政策決定を複雑にし、数十年にわたり信頼感を低下させてきたと次のように論じる。先週、タイの首相が失脚したことで景気回復への不安が再燃した。新指導者の迅速な任命が神経を和らげたとはいえ、政治は依然として経済の先行きを曇らせている。政治的な不確実性は何十年もの間、タイの政策決定を複雑にして信頼を低下させてきたが、今回のトップ交代で連立与党が無傷であることは朗報だ。新首相のペートンタン・チナワット氏は、連立政権を率いるペウタイ党の党首である。「景況感を回復させるには、新首相がシナリオを主導し、経済再建のための長期計画を明確にする必要がある」と、メイバンク・インベストメント・バンキング・グループのエコノミスト、エリカ・テイ氏は言う。

タイは、近隣諸国同様にパンデミックからの立ち直りに苦労しているが、その回復ぶりは一段と冴えない。昨年の経済成長率はわずか1.9%で、マレーシアは3.7%、インドネシアは5.05%だった。ペートンタン首相は、経済を低迷から脱却させ、低所得者層を支援し、賃金の引き上げを公約に掲げた。しかし、その方法はまだ明らかではない。メイバンクのテイ氏は、前任首相のスレッタ・タビシン氏は、長期的な生産性向上のための「イグナイト・タイランド」計画をして喧伝していたと指摘する。投資家が知りたいのは、新首相がそのロードマップを受け入れ、タイ中央銀行(BOT)と良好な協力関係を築くかどうかだと言う。

政府とBOTの間には緊張関係があり、BOTは景気浮揚のために金利を引き下げるよう繰り返し要求されてきたが、政策金利は10年来の高水準を維持している。アナリストによれば、金利引き下げは競争力低下などの問題にはあまり効果がない可能性があるという。また、BOTは政治的圧力に屈することを嫌っているようだ。重要な火種は、約140億ドルの経済刺激策、いわゆる「デジタル・ウォレット」プログラムである。前首相時代のPTT政策の目玉であったこのプログラムは、法的・財政的な懸念から議員たちの反対を招き、困難な承認プロセスを経た。地元メディアの報道によると、ペートンタンはこのプログラムの見直しを望んでいるという。その結果、予算が新たに延期される可能性もある。

キャピタル・エコノミクスの市場エコノミスト、シバン・タンドン氏は、低所得世帯に約280ドルの給付金を支給するプログラムがどうなるかは、消費の見通しに大きく影響するとノートで述べた。「財政政策をめぐる不確実性が高まっている現在、すでに悲観的な成長見通しでリスクは下振れに傾いている。長期的には、新首相と新内閣が経済構造改革の実行を確約したときのみ、投資家は明るくなる可能性があると、メイバンクのテイ・エコノミスト、チュア・ハク・ビンはリポートで述べた。アナリストによると、政権交代のスピードが速かったことはプラスで、ボラティリティは低下したが、タイの政治的不安定さの実績を考えると依然として慎重である。フィッチ・レーティングスのアナリストはリポートの中で、前進党の解散に対する国民の反応が比較的穏やかであることから、今のところ政治不安が拡大するリスクは低いとしながらも、さらなるエスカレートは否定できないと述べている。

さらに大規模な財政支出を求める政治的圧力が財政再建を困難にする可能性もあり、財政赤字と政府債務の見通しに不透明感が増すとアナリストは指摘する。OCBCのエコノミスト、ラバンヤ・ヴェンカテスワラン氏とジョナサン・ング氏は、新政権の政策が明確でないことがBOTの対応を難しくしているとリポートで述べている。タイの成長率は他地域を下回っており、中央銀行の今年の目標に達しない気配であるため、「デジタル・ウォレット」の行方で局面が変わる可能性があるという。野村證券のエコノミスト、ユーベン・パラクエレス氏は、このプログラムは縮小される程度で済むかもしれないが、他の財政刺激策が出てくる可能性があると見ている。「現段階でそれを言うのは時期尚早だ。とはいえ、基本的には同じ政府であり、経済活性化のためにさらなる政策緩和が必要であると考え、それを推し進めるだろう」と語る。

以上のように、政治的な不確実性は何十年もの間、タイの政策決定を複雑にして信頼を低下させてきた。特に被害を受けたのが経済である。パンデミックからの回復が進まない一因となっている。新首相に期待されているのは、この経済対策である。タイ中央銀行との関係改善や前政権による経済刺激策、いわゆる「デジタル・ウォレット」プログラムへの取り組みなどの問題である。またアナリストらが指摘する不透明感を増す財政赤字と政府債務への対応の問題も注視する必要がある。

 インド

☆ 世界のAI競争で重要な役割を担うインド

8月29日、アジアで最もリッチな男のムケシュ・アンバニは、年次株主総会で演説を行い、人工知能(AI)ツールとアプリケーションのスイートである「ジオブレイン(JioBrain)」を発表したと、8月25日付ウォ-ル・ストリート・ジャーナルが伝える。記事によれば、このAIによってアンバニの多国籍コングロマリットであるリライアンス・インダストリーズを形成するエネルギー、繊維、電気通信などの事業を次々と変革していくという。「リライアンス内でジオブレインを完成させることで、他の企業にも提供できる強力なAIサービス・プラットフォームを構築する」とアンバニはスピーチの中で述べた。リライアンス会長の最新の提案は、インドが世界のAIエコシステムにおいて重要なプレーヤーとして台頭し、世界の銀行、製造業者、企業の多くにサービスを提供する2,500億ドル相当のハイパワーIT産業を誇っていることを示すものだ。

世界で最も人口の多い国であるインドには、500万人近いプログラマーを擁する強力な労働人口も存在する。在インドの全国ソフトウェア・サービス企業協会(Nasscom、ナスコム)とボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の最近のレポートによると、インドのAIサービスは2027年までに170億ドル規模になるとアナリストは予測している。マイクロソフトのインド・南アジア担当プレジデントのプニート・チャンドックは、インドが知識労働者の間で最もAI導入率が高い国の1つであり、92%が仕事でジェネレーティブ(生成)AIを使用していることを示す調査結果を指摘している。「これらの洞察は、インドの労働力に対するAIの大きな影響と、従業員とリーダーの両方が日常業務にAIを統合するために積極的な措置を講じていることを浮き彫りにしている」とチャンドック氏は言い、マイクロソフト社はまた、2025年までに200万人にAIスキルを習得させることを目指すイニシアチブを推進していると付け加えた。

世界中の多くの国が米国や中国に頼るのではなく、競合する独自のAIシステムを育成することに熱心な時期にインドへのスポットライトが当てられた。ここ数年、インド政府は、グーグルやメタのようなグローバル企業、リライアンス・ジオやタタ・コンサルティング・サービスのようなインド企業、そして国内の新興企業がコスト効率の高い技術環境を活用できるエコシステムを育成してきた。インドはまた、ラジーブ・チャンドラセカール前電子・情報技術大臣が「ソブリンAI」と呼ぶような、医療、農業、統治などの分野にまたがる大規模モデルを統合して経済成長を促進することを目指している。3月、政府は野心的な「インドAIミッション」に向けて12億5,000万ドル相当の投資を強化し、コンピューティング・インフラの開発、新興企業の育成、公共部門でのAIアプリケーションの利用を支援する。「興味深いことに、他の企業にも提供できる強力なAIサービス・プラットフォームを構築する」とアンバニはスピーチの中で述べた。

ニューデリーのデジタル・インディア財団を率いるアルヴィンド・グプタは、この方法を「ボトムアップ型」と呼ぶ。「世界のグーグルやマイクロソフトとは異なり、インドはデジタル公共インフラによってテクノロジーへの信頼を築くことで、次のレベルに到達した」と言う。デジタル公共インフラはDPIとも呼ばれ、10年近く前に政府が導入したテクノロジー、ガバナンス、市民社会を組み合わせた官民パートナーシップである。生体認証システム、迅速な決済システム、同意に基づくデータ共有などに広がり、現在ではインドの14億人の市民が公共サービスにアクセスできるようになっている。グプタ氏は、DPIは世界のAI競争においてインドを優位に導くのに役立っていると言う。9億人のインド人がインターネットに接続し、インドは「人工知能の文化全体に飛び込み、世界のデータ首都となった」と指摘する。というのも、こうしたデータの多くは公開データセットとして存在し、企業はそれを使って独自のAIアルゴリズムを書けるからだ。「世界のどこを探しても、このようなことはない」とグプタは言う。

多くのデータが公開されている現在、インドの新興企業の多くが膨大なデータから学習することで生成的AIを活用する独自の大規模言語モデル(LLM)を構築しようと競い合っている。マイクロソフトのチャンドック氏は、「インドの多様で多言語な環境は、グローバルなAIソリューションを開発・改良するための理想的な試験台になる」と語る。政府もまた、公共サービスにアクセスする市民のためにリアルタイムで言語翻訳を行う「ターゲットLLM」を構築することで、このイノベーションを補完している、とグプタ氏は付け加える。それでも、インドのAI推進は、コンピューティング・パワーと共有リソースなしでは加速できない。これに対処するため、先月インド政府はAIメーカーにコンピューティング能力を提供するため、1,000台のグラフィック・プロセッシング・ユニット(GPU)の調達を決定した。

昨年9月、チップメーカー、Nvidiaのジェンセン・フアンCEOがインドを訪れ、モディ首相やハイテク企業幹部と会談し、米国が中国からのハイエンド・チップの輸出を厳しく取り締まるなか、同社がチップ生産の潜在的な拠点としてインドに照準を合わせていることを明らかにした。こうしたなか、インドの財閥企業は取り残されないようにと躍起になっている。7月、インド最大のソフトウエア会社タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)は、15億ドルを超えるジェネレーティブAIプロジェクトのパイプラインに多額の投資を行った。昨年12月、アジア第2の富豪であるゴータム・アダニはAIを探求し、デジタルサービスへの多角化を図るためUAEとの合弁事業を発表した。今年、全事業でAIによる変革を加速させるよう従業員に促したアンバニにとって、その目標は明確だ。「生産性と効率性を飛躍的に向上させるためには、AIを活用したデータ活用の最前線に立つ必要がある」と、億万長者はリライアンス従業員に語った。

それ以来、リライアンスの通信事業であるJioはインド工科大学(IIT)と協力し、インドのユーザー向けにChatGPTスタイルのサービス「BharatGPT」を開始した。リライアンスのイベントで流されたビデオでは、この音声テキスト変換ツールが成功した場合にどのように機能するかを実演していた。バイクの整備士は母国語のタミル語でAIボットに話しかけ、銀行員はヒンディー語でツールを使い、ハイデラバードの開発者はテレグ語でコンピューター・コードを書いていた。「インドは共同家族のようなもの」と、IITボンベイのコンピューター・サイエンス&エンジニアリング学科の学科長であるガネッシュ・ラマクリシュナンは言う。「私たちは相互依存関係にあり、一緒にいるほうがうまくいくのだ」。

以上のように、記事は冒頭で有力財閥企業リライアンスによるAIサービス・プラットフォームの構築を紹介するが、主題はあくまでインドが誇るハイパワーIT産業である。記事もリライアンス会長が他の企業にも提供できる強力な商品として「ジオブレイン」を発表できた背景として、インドが世界のAIエコシステムにおいて重要なプレーヤーとして台頭して来た事実を挙げている。ただしインドのデジタル大国化には、政府、民間の一致協力した努力があると思われる。政府によるエコシステムの育成、特に10年前に導入された官民パートナーシップのデジタル公共インフラと最近スタートした「インドAIミッション」や公共サービスにアクセスする市民用のリアルタイム言語翻訳ツール「ターゲットLLM」の構築などが目を引く。それらが今後果たす役割に注目したい。またインドは米中対立が高まるなか、先端的な半導体などの生産拠点としても重要視されている。これに対する財閥企業の動きにも今後、注目したい。 

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主要紙の社説・論説から

岸田首相の退任表明と自民党総裁選挙

8月14日、岸田文雄首相は突如、記者会見で9月の自民党総裁選に出馬しない意向を表明した。党総裁としての岸田首相の任期が9月末で切れるためにその去就が注目されていた。同日付ロイター通信は、自民党派閥の政治資金問題などで支持率低迷が続くなか、岸田首相は総裁選で自民党が変わる姿を示すことが重要と説明、「最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ」と語ったと伝える。以下は、こうした日本の政治情勢に関する海外主要メディアの報道と論調である。

8月13日付ワシントン・ポストは、「Japanese Prime Minister Fumio Kishida to step down next month (岸田文雄首相、来月退陣へ)」と題する記事で、以下のように報じる。岸田首相は日本の首相としての3年間、外交の舞台で輝きを放った。日米同盟を最も強固な高みへと導き、アジア太平洋地域が不安定さを増すなかで防衛費を増大させた。ロシアのウクライナ侵略に反対するアジアにおける代表的な発言者となり、それが中国を勇気づけ、台湾を攻撃し、地域戦争の火種になりかねないと警告した。しかし国内では躓いた。与党自民党の2大スキャンダルの処理とインフレ上昇に対する国民の怒りから、来月行われる自民党総裁選で再選を目指さないことを14日に発表した。

「岸田氏は記者会見で、「政治における信頼、そして国民からの信頼獲得が重要だ。自民党が変わったことを示す第一歩は、私が退陣することだと考え、この決断に至った」と語った。「自民党が与党として、国民の信頼を得て、国民の理解と共感を得ながら、堂々と政策を進める道を歩んでいくことを望んでいる」と語った。岸田氏の決断は総選挙につながるものではなく、世界第4位の経済大国の次期首相をめぐる党内のオープンレースの引き金となる。専門家によれば、岸田首相の後任は国民の信頼回復という難題に直面することになるという。

東京大学の内山融教授(政治学)は、「国民は、岸田首相が潔く退陣したことに一定の評価を下すと思う。しかし自民党が一定の信頼を取り戻すには、変化を明確に印象づけられるリーダーを選ぶ必要があろう」と語る。アナリストは、後継者が日本の外交政策や米国との安保同盟、防衛力強化計画を根本的に変えることはないだろうと言う。自民党は70年近く継続して政権を担っており、強固な日米同盟を確信している。自民党は外交政策において継続性を維持すると予想されるが、次期首相は日米同盟の取り扱いに際して「より積極的」な感覚で接する可能性があると、日本政治専門家でコンサルタント会社ジャパン・フォーサイトの創設者であるトバイアス・S・ハリス氏は言う。

後継者となりそうな候補には、日本初の女性首相と目されている上川陽子外相、韓国との関係改善という岸田首相の努力を追求しそうにない強硬ナショナリストの高市早苗経済安保担当相、米軍の日本への配備を決定する上で日本がより積極的な役割を果たすよう求める石破茂元防衛相などがいる。顔ぶれは多様で、党内の政治的な混乱を反映している。それは、日本が岸田首相の下で約束されたことを実現できるかどうかに影響する可能性があると、ハリス氏は言う。「ここ数年の岸田首相の約束や公約は、政府がこれら全てを実現する力を国内で持っているとは考えられない」とハリス氏。

岸田氏は14日、総理大臣としての主な功績を誇示した。すなわち、故郷である広島でのG7サミットの開催、韓国との関係改善、中国の軍事的経済的台頭を警戒する「グローバル・サウス」の国々との関係構築などである。岸田首相が2021年10月に就任してから5ヵ月も経たないうちにロシアがウクライナに侵攻した。岸田氏は、長年の領土問題を解決するためのロシアとの関係修復の努力を放棄し、西側諸国とともにロシア政府に制裁を課した。それどころか、岸田首相はロシアと指導者ウラジーミル・プーチンを露骨に批判するようになり、米国の同盟国やパートナーも次のような言葉を口にするようになった。今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない。ロシアが勝利すれば、『国際法を破っても、武力が実際に有益でありうることを示すことになる。そうなると、東アジアはどうなるか。どの国にも間違ったメッセージを伝えてはならない』と岸田首相は4月のワシントン・ポスト紙のインタビューで語っている。

岸田首相はまた、昨年8月にキャンプ・デービッドで行われたバイデン米大統領、尹錫悦韓国大統領との初の首脳会談に参加。3首脳は防衛、技術、教育、その他の主要分野における新たな協力策を発表した。岸田氏は、この戦略を強固なものにする上で重要な役割を果たした。日米は今、より強固な軍事パートナーシップに向けた最初の具体的な一歩を踏み出そうとしている。ラーム・エマニュエル駐日米国大使は水曜日のインタビューで「岸田首相もバイデン大統領も再選を目指さないことを決めた。しかし、バイデン-岸田時代は日米同盟の黄金時代として記憶されるだろう」と語った。「安全保障面、外交面、経済面、政治面において、日米同盟は完全に現代化された」。

しかし国内では、特に経済面において問題が山積していた。「新しい資本主義の形」と呼ばれる計画の下で経済成長の新時代を切り開くという公約にもかかわらず、円安による輸入物価の上昇と消費者への転嫁、それが助長したインフレと追いつかない賃上げなどで国民は経済への不満を募らせた。また党の政治スキャンダルに巻き込まれ、指導力が損なわれた。岸田氏に対する国民の支持は急落し始めた。これを受けて、自民党は派閥を解消すると宣言し、党員を処分した。しかし自民党が真の改革を行ったと国民を納得させられなかった。自民党は資金集めのスキャンダル以前から、統一教会との関係をめぐって国民の厳しい目にさらされていた。岸田首相は20日、汚職スキャンダルが自民党に対する国民の信頼を失墜させ、国民の信頼を取り戻すためには退陣が必要だと認めた。しかし専門家は、岸田氏が退陣した後も自民党には長い道のりが待っていると言う。明治大学の西川伸一教授(政治学)は、「特定の個人を中心としたスキャンダルとは異なり、統一教会のスキャンダルも資金集めのスキャンダルも、問題は自民党全体にある。だから、誰が党首になろうとも、自民党への信頼がすぐには回復しないだろう」と指摘する。

同じく8月13日付ニューヨーク・タイムズも「Japan’s Leader, Fumio Kishida, Will Step Down (日本の指導者、岸田文雄氏が退陣へ)」と題する記事で、不人気な岸田首相は党内の圧力に屈し退陣を表明したが、国民は硬化する政治システムに不満を募らせており、自民党がそうした国民の懸念に応える候補者を選ぶ状況にあるかどうかが不透明だと以下のように報じる。

自由民主党は1955年以来、4年間を除いて国会で鉄の支配を続けてきた。しかし、数十年にわたる不祥事と、日本の根深い課題の多くに取り組めなかったことが有権者の不満に拍車をかけている。党内穏健派の重鎮である岸田氏は、2021年10月の就任当初から人気がなく、ここ数カ月で支持率は最低を更新した。しかし、世論調査で政権与党に対する国民の深い不満が明らかになっても、それが投票所に現れることはほとんどない。日本では投票率が低く、野党の勢力が弱いため自民党は総選挙で負けるかもしれないというプレッシャーにほとんど無縁なのだ。

岸田氏は14日、自らの決断によって自民党が大きく変わることを期待していると語った。しかし、与党を牛耳る実力者たちが、大変革をもたらす意思と力のある候補者を最終的に選ぶ状況にあるかどうかには疑問がある。彼らは、長年、変化の圧力に抵抗してきたからだ。これは来月の日本に降りかかる大きな問題である。ここ数カ月、岸田氏の評価は、自民党内の著名議員に絡む新たなスキャンダルが発覚したことで下落した。岸田氏の評判は、家計と日本経済全体を圧迫している物価上昇でも悪化している。政治アナリストによれば、岸田氏の評判が落ちたのは、日本の急速な人口減少、低調な経済、膨れ上がる債務といった問題に対して大胆な解決策を提示できない指導者と見られたからだという。国内面では、岸田氏は与党の長年の経済政策をほぼ踏襲してきたが、日本の停滞を解消できなかった。

わずか3年足らずの在任だったにもかかわらず、岸田氏は日本で8番目に在任期間の長い首相となった。岸田氏の辞任によって、首相の入れ替わりが再び起こるのではないかという懸念が日本国内で高まっている。安倍晋三元首相が日本のどの指導者よりも長く8年間在任したのを除けば、比較的短命の首相が相次ぎ、劇的な政策変更をできないまま退任後すぐに忘れ去られてしまった。政府高官や安全保障の専門家は、地政学的な不確実性が顕著な今日、日本が強力で揺るぎないリーダーシップを発揮する必要性が特に高まっていると指摘する。米国の重要な同盟国である日本は、攻撃的姿勢を増す北朝鮮だけでなく、ロシアと経済的軍事的関係を深め、台湾と衝突を起こす恐れがある中国の脅威にも直面している。岸田首相は在任中、バイデン米大統領と緊密に連携し、長年の同盟国である米国と関係が緊張していた韓国との軍事・経済協力の強化に努めた。数十年にわたる支出抑制の前例を破り、日本の軍事防衛費を大幅に増強した。

慶應義塾大学の神保謙教授(国際政治・安全保障)は、次の自民党党首の課題は、海外、特に米国内の政治的不確実性に対処することと、国内で国民の支持を得られるような政策を推進することだと語り、「日本がまた長期政権になるかどうかは定かではない」と付け加えた。今年初め、岸田氏は選挙資金スキャンダルで自民党内の自身の派閥を解散した。首相は、選挙資金規則の改革法案作成など信頼回復に向け様々なことを試みた。また2年前の安倍首相の暗殺をきっかけに、日本の保守政治家との広範なつながりが明らかになった統一教会の日本支部を解散させようとした。しかし、こうした動きは岸田氏の人気を押し上げることはほとんどなかった。NHKが先週発表した世論調査では、岸田氏の支持率は25%だった。

岸田氏が就任した2021年は、パンデミック(コロナの世界的大流行)やそれに伴う経済的苦境に対する政府の対応に有権者の不満が高まった1年だった。そうしたなか、岸田氏は「新しい資本主義」を掲げ、企業が利益の多くを労働者に分配することを奨励すると公約し、国民の懸念に応えた。独立系アナリストの有馬晴海氏は、岸田氏は国内の支持獲得を目的とした数々の政策を実行に移そうとしたと語る。その中には、低出生率の改善を目的とした家族補助金や、国民の所得倍増などの目標も含まれていたが非現実的なものだった。結局、岸田氏は「打つ手がなくなった」のだと有馬氏は言う。最終的に岸田氏は、党路線からほとんど外れることなく「抑制を効かせすぎた」首相として記憶されることになろうが、日本の防衛予算を増額し、「緊張に満ちた世界に挑むための良い準備をした」と有馬氏は語る。

上記のように報じた記事は、最後に総裁選での有力候補者について次のように伝える。岸田氏の人気がここ数カ月で最低に落ち込んだため、自民党は後継者候補を探している。有力候補の一人は61歳のデジタル担当大臣、河野太郎氏である。2021年の総裁選の決選投票で岸田氏に敗れたジョージタウン大学出身の率直な物言いをする異端児である。岸田氏と河野氏との決選投票は、ここ数年で最も熱い戦いのひとつだった。当時、国民の間では河野氏を推す声が高まっていた。しかし党は、世論の支持は冴えなかったが、手堅い人物として最終的に岸田氏を選んだのである。自民党の党首候補としては他に、現幹事長の茂木敏充氏、保守強硬派で当選すれば初の女性党首となる高市早苗氏、過去に4度出馬している石破茂氏などがいる。

 なおニューヨーク・タイムズは別途8月15日付の記事で、上記4氏に加え小泉進次郎氏を有力候補者に加えて報じている。

8月16日付フィナンシャル・タイムズは「What Japan needs from its next prime minister (次期首相に求められるもの)」と題する社説で、岸田文雄氏の後継者は、困難に直面しながらも希望と自信を示さなければならない、と以下のように論じる。

岸田文雄氏の再出馬断念は、ジョー・バイデン氏の米大統領選からの出馬辞退を反映したものと思わないわけにはいかない。両氏とも世論を味方につけるのに苦労し、政党の選挙見通しを妨げ、統治能力を制限していた。日本はストイックに職務に取り組むことが重要視される国のため、岸田氏は自らの意思で静かに去った。

岸田氏はささやかな政治的成果を残した。経済面では、その言葉とは裏腹に、前々任者である安倍晋三の政策からの変化よりも、むしろ継続性を提示し、財政政策と金融政策は緩和的だった。日本は世界からインフレを輸入し、その代償として極端な円安が生活水準を圧迫した。国際的には、安倍首相の強烈なナショナリズムの重荷から解放され、近隣諸国との関係を改善できた。これには韓国の保守的な首相と日本にとって大きな懸念すべき問題を持つ中国指導部の存在がテコになった。防衛に関しては、岸田氏は日本を平和主義から脱却させ、米国との積極的な軍事協力へシフトさせた。岸田氏は防衛費を国内総生産の1.6%まで引き上げたが、これは意味のある変化だった。ただし後継者はそのための財源を見つける必要がある。

岸田氏の任期は錯綜し、長引いた政治資金をめぐるスキャンダルで損なわれてしまった。このスキャンダルは最終的に自民党内の派閥のほとんどすべてを解体に追い込み、何人かの古参政治家を失脚させ、国民の間に旧態依然の政治に対する嫌悪感を広めた。その結果、岸田自民党総裁の後継者、ひいては首相の座をめぐる争いが異例の開かれた選挙となった。本来であれば、このような選挙はアイデア合戦を促すかもしれないが、日本の課題、すなわち、多額の公的債務、人口の高齢化、非友好的な近隣諸国の存在などに鑑み、大胆な改革をする政策の余地がほとんどないのだ。

インフレ率が目標に達し、金利が上昇している今、次期首相は財政規律を回復させる必要があるが、経済の破綻を恐れながら急ぐほどのことはない。米国との同盟関係を維持する必要があるが、不誠実なドナルド・トランプがホワイトハウスに戻る可能性がある。政治的には、遅くとも2025年10月までに実施されなければならない総選挙を戦い、勝利する必要がある。そして何よりも日本のリーダーは、このような大きな試練を前にして希望、楽観主義、自信を示す必要がある。小泉純一郎首相と安倍首相の2人の総理大臣はこれをやり遂げたが、岸田首相はできなかった。次の首相に可能な限り最高のチャンスを与えるためには総裁選を裏工作ではなく、大規模な公開オーディションにすることが不可欠だ。

資金スキャンダル後の日本が必要としているのは、党の長老に従順な弱いリーダーではない。茂木敏充や加藤勝信のような安倍元首相の子飼い、河野太郎や石破茂のような独立志向のある経験豊富な閣僚、自民党右派の旗手で日本初の女性首相と目される高市早苗など、信頼できる候補者は数多くいる。しかし、最もエキサイティングな可能性は世代交代である。小泉純一郎氏の息子である小泉進次郎氏と小林鷹之氏という2人の候補者は40代で、戦後最年少の首相となり得る。彼らが、票の見返りに多分の約束をすることなく、自分たちのレースを展開し勝利できると信じるのであれば、名乗りを上げるべきだ。岸田氏には伝統的な自民党首相の長所と短所があった。次のリーダーには、その型を破るチャンスがある。

同じく14日付米タイム誌も候補者について写真入りで次のように報じる。

石破茂。元防衛大臣。何度か首班指名選挙に打って出て失敗するも、有権者の次期首相として望む政治家リストの上位に常に名を連ねる。日銀の金融政策正常化への支持を表明。ウェブサイトで対外貿易ではなく内需活性化による成長促進などの政策を提唱。

河野太郎。率直で破天荒な河野氏は英語も堪能。外務大臣や防衛大臣を歴任し、内閣経験も豊富。近年、原子力発電への反対姿勢を軟化させている。中国の台頭に懸念を示し、日本は「ファイブ・アイズ」に加盟すべきだと発言。円を支えるために日銀に利上げを促している。アウトサイダーと見られることから、党のイメージ一新の観点から注目されるかもしれない。

上川陽子。現外相。ハーバード大卒で以前コンサルティング会社を経営。選ばれれば、日本初の女性首相となるが、党の女性議員の割合が約12%であり、苦戦を強いられよう。法相在任中にオウム真理のメンバー6人を含む16人もの死刑執行に署名し、党内保守派の尊敬を集めた。

茂木敏充。現自民党幹事長。ハーバード大学出身で元外務大臣。党内でタフガイのイメージあり。米大統領選挙でトランプ氏が勝利すれば、安倍元首相がトランプ氏と結んだ個人的な関係を再生すると期待されている。日銀は金融政策正常化の意向をもっと明確に示すべきだと発言。

小泉進次郎。元首相の息子で元環境大臣。再生可能エネルギーの推進者。記者会見で気候変動との闘いを「セクシー」にしたいと語り、失言として受け止められたが、福島原子力発電所の処理水放出を受けて9月に福島沖でサーフィンを行い、安全性への懸念を緩和しようとして注目された。現役閣僚として初めて男性の育休を取得。既得権に対抗する意思の表れとして党派を超えたグループを立ち上げ、ライドシェアアプリの導入を推進。

高市早苗。ヘビーメタルのドラマーから保守強硬派に転身。現在は経済安全保障担当大臣。靖国神社に頻繁に参拝、韓国との最近の関係改善を危うくし、中国との関係をさらに悪化させる懸念がある。ソーラーパネルによる環境破壊への懸念を表明し、原子力発電への依存度を高めることを主張。故・安倍晋三元首相を敬愛し、その超金融緩和政策を支持。

加藤勝信。元厚労相、元官房長官。妥協候補として浮上する可能性があるダークホース。パンデミックの乗り切りに貢献。党内で敵を作こともなく、過去3人の首相の下で重要な役割を果たし、それが有利に働く可能性がある。

なお8月8日付エコノミスト誌は、上記候補者のうち上川外相について特集記事を掲載し、概略次のように紹介している。2000年に初めて衆議院の議席を得るまで上川氏は2回の選挙と7年の歳月を要した。だが、党のキングメーカーである麻生太郎が昨年末、彼女を「ニュースター」と呼び、有権者が選ぶ首相候補の3本の指に入るまでに急成長した。71歳の上川女史は、演説はあまりうまくないが、党内各派から尊敬されており、妥協候補として浮上する可能性がある。その人となりを知る人は「マジメ」で「ジミ」と評する。彼女は、カトリック系私立校で学んだことで責任感が身についたという。

1980年代後半、米国にいた上川さんは、日本は当時好景気に沸き、国民は自信に満ちていたが、内向きの政治が国際舞台で「非常に弱い」ことを遠くから見て、日本の政治を内側から変えようと決意した。その後、法相を務めた彼女の最も重要な決断は、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教のメンバーの死刑執行命令に署名したことである。これにより彼女は警察の終身保護下に置かれたが、党内保守派から尊敬されることになった。外務大臣への抜擢は国内に焦点が当てられた役割からすると、やや予想外だった。最近、日本国内のムードは沈鬱である。「人口減少や出生率低下、高齢化が進んでいる。しかし、海外では日本の貢献は認められている。日本が縮小しているというイメージではない」と彼女は言う。「日本の人々が私たちの功績をもっと知り、誇りに感じてくれることを願っている」。

結び:まず岸田首相の退陣表明の背景についてである。退任表明の背景には、メディアが指摘するように自民党の数十年にわたる不祥事や、日本の根深い課題、例えば、人口減少、低調な経済、膨れ上がる債務といった問題に取り組めなかったことがあり、国民が硬化する政治システムへの不満を募らせていたことがあるのは間違いないだろう。ストイックな日本で岸田氏は自らの意思で静かに去ったという見方は、むしろ退陣は「打つ手がなくなった」ためとの指摘の方が当たっていると言えよう。

ただし、岸田氏の退任表明が次期首相をめぐる党内のオープンレースの引き金となったのは事実であろう。問題は、自民党が生まれ変われるかである。変化の圧力に長年抵抗してきた党内実力者たちが変革をもたら候補者を選べるのか、あるいは、そもそもそうした候補者が存在するのかという問題がある。短命な首相が入れ替わるという事態の再現を避けるためにも、まずは自民党内で納得のいく徹底した政策論議を尽くした党首選びが不可欠である。

岸田首相の功罪についてメディアは、外交で輝き国内で躓いたと評する。政治資金や統一教会の問題の他に経済で岸田首相は厳しい批判にさらされた。まさに国内で躓いたと言えよう。「新しい資本主義」は、表現が新しいだけで、最終的には場当たり的政策で終始し、独自の一貫した戦略的政策に欠けていたと言わざるを得ない。岸田氏の功績、とりわけ外交面での成果は、元外相としての知識経験に加え、時が味方した面があるのは否定できない。自己主張を強める中国やミサイル・核兵器の開発で猛進する北朝鮮、さらにはウクライナを侵略したロシアなどの存在、すなわち、不確実性を増した国際情勢が後押したと言える。そのことは対米、対韓関係の強化、改善、グローバル・サウスの国々との関係構築などにも生かされたと言える。またメディアが意味のある変化だと絶賛する防衛費の増額、すなわち、国内総生産の1.6%まで増加させたこと、ただし後継者はそのための財源を見つける必要があるが、これも中国、北朝鮮、ロシアの存在があったことで説得力を増したと言えよう。国民も反発できなかったのである。今日のウクライナは明日の東アジア、という岸田首相のコメントは、国際的な反響を呼んだが、それにも増して国内向けの戦慄的なメッセージとなった。岸田氏は結局、メディアがストイックと表現する岸田流儀の美学で退陣し、その退陣表明が派閥解体後の候補者乱立を生み出す号砲一発となったことが、最大の遺産はではなかっただろうか。

後任者の任務として最重要課題は、政治に対する国民の信頼回復であろう。それには自民党を変える必要があり、問題は、そうしたリーダーを選べるかにかかってくる。メディアは、新指導者は大きな試練を前にして希望、楽観主義、自信を示す必要があると提言する。確かにそうした前向きな明るいイメージが欠かせない。それはまた総裁選が裏工作ではなく、大規模な公開オーディションを取ることが前提になる。政策面では、外交政策や米国との安保同盟、防衛力強化計画を根本的に変えられないだろうが、米政治の不確実性への対処という厄介な問題が控えている。また日本の国際貢献に対する評価とともに国際舞台における日本の役割への期待も高まっている。新首相は全方位で世界に目配りしつつ、そうした期待に応えていかねばらないだろう。

国内政策では課題が山積みである。そのためにメディアは、大胆な改革をする政策余地がほとんどないとの見方も示すが、だからこそ候補者らは、開かれた総裁選の中で活発な政策論議を交わすべき責任がある。内政、外交、経済、財政など重要分野での新鮮で活力ある掘り下げた議論を強く期待したい。

最後に、次期首相の候補者については、候補者が乱立している印象は否めない。旧来の派閥力学から解放されたことの一つの結果と言えるが、問題は候補者の絞り込みにあり、あくまで政策論議で決すべきである。丁々発止の火花を散らす論争があってしかるべきだ。候補者の絞り方があいまいで、政権が有力候補者によるたらいまわしとなる事態が最も危惧される。首相が次々と入れ替わる短命政権が続く状態は悪夢の再来である。そうなれば大胆で革新的政策は生まれず、日本に期待されている強力で揺るぎないリーダーシップという国際的役割も果たせず、その発言力は弱まるばかりとなろう。今回の自民党総裁選は次期首相を選ぶことになるが、来年10月末までに衆院選挙の洗礼が待っている。当然、国民も目を凝らしながら、その機会をうかがっているのである。

 

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(主要トピックス)

2024年

8月15日 中国共産党の習近平指導部や長老らが国政の重要問題を話し合う「北戴河会議」が終了の模様。

 16日 台湾の頼清徳(ライ・チンドォー)政権、台北駐日経済文化代表処代

表(駐日大使に相当)に李逸洋・前考試院(人事院に相当)副院長を任命。

19日 中国共産党の習近平総書記(国家主席)、訪中しているベトナム最高指導者のトー・ラム共産党書記長と北京で会談。

20日 中国の李強(リー・チャン)首相、ロシアとベラルーシ訪問に出発。

21日 ロシアのプーチン大統領、中国の李強(リー・チャン)首相と会談。両国の経済や貿易での協力強化などを確認。

22日 台湾の呉釗燮国家安全会議秘書長と林佳竜外交部長(外相)、訪米。

26日 インド首相、米ロ首脳と協議 ウクライナ和平に意欲。

中国軍機が初めて日本の領空を侵犯。

27日 訪中したサリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)、北京で王毅

共産党政治局員兼外相と戦略対話。

28日 日中友好議員連盟、訪中。二階俊博会長(自民党元幹事長)日、中国共産党序列3位の趙楽際(ジャオ・ルォージー)全国人民代表大会常務委員長、王毅(ワン・イー)共産党政治局員兼外相と会談。

29日 訪中しているサリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)、習近平国家主席と面会。

9月 4日 米国在台協会(AIT)のレイモンド・グリーン台北事務所長(大使に相当)、就任後初めて記者会見。台湾の防衛力の向上に協力する考えを表明。

5日 日豪、外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)、開催。自衛隊と豪軍の

共同訓練の拡大を軸に「準同盟」関係の強化で合意。

6日 訪韓した岸田文雄首相、尹錫悦大統領と会談。第三国で緊急事態発生の場合にお互いに両国民の退避で協力することを確認。

    10日 米インド太平洋軍のパパロ司令官と中国人民解放軍南部戦区の呉亜男司令官、オンラインで協議。南シナ海の緊張緩和を探ったとみられる。南シナ海情勢の緊張緩和を探ったとみられる。

    12日 タイのペートンタン首相、国会で初の施政方針演説。主力の観光産業の振興など経済重視の姿勢を打ち出す。

    13日 中国政府、法定退職年齢(定年)の段階的な引き上げを発表。男性は15年後までに現状の60歳から63歳へ。

    14日 米中国防当局による「防衛政策調整対話」の枠組み、北京で開幕。

 

主要資料は以下の通りで、原則、電子版を使用しています。(カッコ内は邦文名) THE WALL STREET JOURNAL (ウォール・ストリート・ジャーナル)、THE FINANCIAL TIMES (フィナンシャル・タイムズ)、THE NEWYORK TIMES (ニューヨーク・タイムズ)、THE LOS ANGELES TIMES (ロサンゼルス・タイムズ)、THE WASHINGTON POST (ワシントン・ポスト)、THE GUARDIAN (ガーディアン)、BLOOMBERG・BUSINESSWEEK (ブルームバーグ・ビジネスウィーク)、TIME (タイム)、THE ECONOMIST (エコノミスト)、REUTER (ロイター通信)など。なお、韓国聯合ニュースや中国人民日報の日本語版なども参考資料として参照し、各国統計数値など一部資料は本邦紙も利用。

バベル翻訳専門職大学院 国際金融翻訳(英日)講座 教授

前田高昭


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