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2024年2月22日 第334号 World News Insight (Alumni編集室改め)                      再び、「日本語は世界を平和にする、とは言いすぎでしょうか」                                 バベル翻訳専門職大学院 副学長 堀田都茂樹

 はじめに、 University of California, San DiegoCognitive Scienceを教えるLera BoroditskyTEDスピーチを聴いてください。

     https://youtu.be/RKK7wGAYP6k 

Lera Boroditsky (born c.1976[1]) is a cognitive scientist and professor in the fields of language and cognition. She is one of the main contributors to the theory of linguistic relativity.[2] She is a Searle Scholar, a McDonnell Scholar, recipient of a National Science Foundation Career award, and an American Psychological Association Distinguished Scientist.[3] She is Professor of Cognitive Science at the University of California, San Diego. She previously served on the faculty at Massachusetts Institute of Technology and at Stanford. 

 以下、2本の拙稿をお見せします。そこで、今回のテーマ「 日本語は世界を平和にする、とは言いすぎでしょうか 」を考えてみましょう。 

 1本目は、「ピダハン語から、翻訳、生きる、を考える」以下、お読みください。 

 皆さんはピダハン語という言語をご存知ですか。21世紀になって発見された言語学の世界で注目されている特異な言語です。ブラジルアマゾン川の支流の川沿いに暮らす少数民族の言語です。その特異性はダニエル・L・エヴェレットがその著「ピダハン[言語本能]を超える文化と世界観」の中で以下のようにまとめています。

・音素がたった11種類しかない
・明暗以外に色を表すことばがない
・左右を表す表現がない
・数の概念が存在しない
・常に、現在形で、過去形、未来形がない
⇒後悔することがない
⇒将来を思いわずらうことがない
⇒今に生きている

 さて、皆さんはこんな言語を日本語にどう通訳、翻訳しますか。逆に日本語をどうピダハン語に通訳、翻訳しますか。これは、そもそも翻訳とは、という翻訳論の課題を先鋭に突きつけられているように思います。 

 大きな器に小さな器を入れるのは容易ですが、逆は難しいと単純に考えると、ピダハン語を日本語に翻訳することは可能なのかもしれませんが、日本語をピダハン語に翻訳するのは困難なのでしょう。 

 翻訳とは価値の等価交換といってみたところで収まる話ではないように思います。むしろ、こんな頭が痛くなりそうな難問に心を煩わせるよりは、現在形だけで過去形、未来形がないがゆえに、今に生きている彼らの生きざまに注目したいところです。 

 われわれが、小賢しく‘Here and Now ’、‘今に生きろ’と諭されることを彼らは当たり前にやってのけているというところに注目すべきなのかもしれません。

言語というものは世界観や認識を左右するという事実を改めて正視する必要があるのかもしれません。

 

 そして、以下2本目が、今回言いたい内容の本筋です。 

 今回ご紹介する深い話はカナダのモントリオール大学で25年に渡って日本語を教えてきた金谷武洋氏の「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」(飛鳥新社発行)に収められた体験談に基づくものです。 

ウォーフ・サピアの仮説をご存知でしょうか。これは、母語、つまり子供の時に家庭で覚えた言葉で、世界の見方が決まる、という仮説です。ここでは、第2外国語として学ぶ言語も学ぶ人の新しい世界の見方を形作る、という話です。 

では、日本語とはどんな言語なのか、読者が翻訳者をめざされる方が多いので、本書で紹介されているあるエピソードから始めたいと思います。

まず、NHK教育テレビ「シリーズ日本語」という番組での話で、番組の講師は言語学者の池上嘉彦氏。この番組の中では、川端康成の有名な作品「雪国」の冒頭部分の日本語とE・サイデンステッカー氏の英語を比較することで日本語の特性、英語の特性を知ろうとするものです。 

「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」という日本語とその英訳

The train came out of the long tunnel into the snow country.」を考察しています。 

この原文の日本語を追体験すると、「今、列車はトンネルの暗闇の中を走っているが、私はその社内に座っている。おやおや、だんだん窓の外が明るくなってきたぞ。やっと長いトンネルを抜けるみたいだな。そーら、外に出たぞ。うわー、山のこちら側は真っ白の銀世界じゃないか。雪国なんだ。」 

すなわち、時間の推移とともに場面が刻々変化していくのを読者が感じていて、主人公が汽車の中にいて読者の視線も主人公の視線と重なり合い、溶け合っていると言うのです。 

これに対して、英訳のThe train came out of the long tunnel into the snow country.は、どのように受け止められるかを、その場に呼んだ英語話者に絵で情景描写をさせています。 

全員が上方から見下ろしたアングルでトンネルを描いたと言います。

日本語では汽車の中にあった視点が、英訳では汽車の外、それも上方へと移動しているわけです。 

そして、池上氏がこの違いを、日本語には主語がない、しかし英語には主語が必要なのでThe trainをもってきたことにより、日本語には時間の推移、流れがある動画だったのが、時間の流れのない一枚の写真のような英語表現になってしまった、と結論づけていました。 

このように、日本語の立ち位置では、「私」は話し手には見えなくなると言います。

すなわち、英語のように常に主語を必要とする言語は、状況から身を引き離す役割があると言います。 

すなわち、英語は主語(私)と目的語(相手)を切り離して対立する世界にする、と言います。 

例えば、広島の平和公園の中の慰霊碑の碑銘に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と書いてありますが、ここには誰の過ちかは明らかにされていません。ここには私とあなたが共存し、あたかも敵と味方の共存する姿を暗示しているかのようです。 

この著書の中では、さらに身近な「ありがとう」、「おはよう」と言ったことばを探り、日本語の本質に迫ります。 

日本語の「ありがとう」には話し手も聞き手も、つまり人間が出てきません。

それに対してThank youI thank you.となります。 

日本語の「ありがとう」は「有難う」、すなわち、あることが難しいという形容詞。

「めったにない」という状況を表現しています。従って、著者は、英語は「(誰かが何かを)する言葉」、日本語は「(何らかの状況で)ある言葉」、としています。 

また、英語の「Good morning」は、英語のI wish you a good morning.で、わたしが登場し、この朝がいいものであるようにと、積極的な行為を表現しています。 

対して日本語の「おはようようございます」、は二人が「まだ早い」という状況で心を合わせているのです。ふたりはそう共感しているわけです。 

すなわち、日本語は共感の言葉、英語は自己主張と対立の言葉と言えそうです。 

著者は日本人と出会うことで、また、日本語と出会い、日本語の学習を通じて、学習者の世界観が、競争から共同へ、直視から共視へ、抗争から共存へ変わると言います。 

日本語という言葉そのものの中に、自己主張にブレーキがかかるような仕組みが潜んでいるのではないかと言います。 

一方で、英語話者はListen to me.Let me tell you something. 、 You won’t believe this.など、上から目線で自己主張してくるわけです。 

金谷先生は最後の章を「だから、日本語が世界を平和にする!」と結んでいます。 

金谷先生は言います。「海外で長年日本語を教えてきた人間の目で日本語を外から見ると、日本語は大変人気がある。」と。もはや日本語は日本列島で日本人にしか話されない「閉ざされた言葉」と言うのは間違っていると言います。 

そして、日本語学習者の学習動機は、日本のことが好きとのことです。すなわち、日本の自然、日本の文化、日本人の優しさが評価されているようです。 

金谷先生の経験から言うと、日本語を学習すると性格が変わってしまう。攻撃的な性格が温和な性格になると言います。 

わたしもバベルの大学院関係者でご主人が日本語が多少ともできる英語話者である場合、喧嘩をしたときに日本語に切り替えると喧嘩は収まることが多いと聞きます。

これが所謂、フランス語で言うtatamiser効果ということなのでしょう。 

日本語の学習を通じて、学習者の世界観が、競争から共同、直視から共視、抗争から共存に変わっていくと結んでいます。日本語は人種差別とは程遠い、最も平和志向が強い、ロマンチックで幸せな美しい言葉と自信をもって言えると言います。 

今、世界の文化の潮流は西から東へ、男性性から女性性へ向かっていると言われます。 

日本人が日本語を大事にして、日本語を世界に普及していくことが世界に調和、平和をもたらしていくことは疑いようがないように思います。 

皆さんはどうお考えでしょうか。

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