『方丈記』冒頭
……川の流れってやつは、不思議なもんだな。
いつ見ても、同じように見えるのに、
流れてる水は、もう二度と戻ってこない。
よどみに浮かぶ泡を見てごらん。
生まれては消え、消えてはまた生まれて、
じっとしているようで、誰もとどめてはおけない。
人の世も、まったく同じさ。
都の家々は屋根を並べ、
立派だの貧しいだのと、みんな競い合って生きている。
代々続いてきた家もあるけれど、
昔とまったく変わらず残っている家なんて、めったにない。
ある家は去年焼け、今年また建つ。
ある家は大きな屋敷だったのに、今じゃ小さな家になっている。
そこに住む人だってそうだ。
場所は変わらなくても、顔ぶれはいつのまにか違ってる。
昔知っていた者たちの中で、今も生きているのは、
せいぜい一人か二人……そんなもんだ。
朝に生まれて、夕べに死ぬ。
まるで水の泡みたいだ。
人はどこから来て、どこへ行くのか――
誰も知らない。
そのはかない一生に心を砕き、
何に悩み、何に喜んでいるのだろう。
家も人も、みんな移ろっていく。
朝顔の花に宿る露のようにな。
露が落ちて花が残ることもあれば、
花が散って露だけが残ることもある。
けれどもどちらも、
朝日の下ではすぐに消えてしまう。
……ほんとうに、人の命ってやつは、
儚(はかな)いもんだよ。
安元の大火
……人は、長く生きると、
いくつもの「不思議な夜」を見るものだ。
わたしも、道理というものが少しわかりはじめてから、
もう四十年あまりの時が過ぎた。
そのあいだに、何度も世の無常を目のあたりにしてきたが――
あの夜ほど、胸に焼きついた夜はない。
安元三年の、四月二十八日。
風が荒れて、落ち着かぬ宵だった。
夜の八時ごろ、京の東南の空に、赤い光が走った。
「火だ!」
誰かの叫びが、闇を切り裂いた。
出火は、樋口富の小路。
病人を泊めていたという、粗末な仮小屋からだと聞く。
だが、その小さな火は、烈しい風にあおられ、
あっという間に都を飲み込んだ。
朱雀門が燃えた。
大極殿が燃えた。
大学寮も、民部省も――
夜明けを待たずに、すべて灰と塵になった。
遠い家は煙にむせび、
近くは炎が地をはうように吹きつけた。
空には灰が舞い、
火の光がその灰を染め、
都はまるごと、紅(くれない)の海になった。
炎のかたまりは風に裂かれ、
飛ぶようにして一町、二町も先へ燃え移る。
その中にいた人が、
正気でいられただろうか。
煙にむせんで倒れる者。
炎に呑まれて消える者。
ようやく身ひとつで逃げた人も、
家財を持ち出す暇はなかった。
七珍万宝――
すべて灰。
何も、残らなかった。
焼けた家の数は、もう誰にもわからない。
公卿の邸だけでも十六。
都の三分の二が焼け落ちたという。
死者は数千。
牛も馬も、果てしもなく死んだ。
……あの夜、私は思った。
人は、なぜ、
これほど危うい都の中に、
財を費やし、心をすり減らしてまで、
家を建てるのだろう。
見栄か、誇りか、それとも安心を求めてか。
だが――
ひとたび風が狂えば、
そのすべてが、たった一夜で灰になる。
そう思うと、
あの火の赤さよりも、
人の営みの儚さが、胸にしみた。
……あの夜の光は、
今もこの胸の奥で、
消えずに燃えている。
【文字数】1272字
創作者名(ペンネーム):芹井磐轍
原典情報
鴨長明『方丈記』(1212年頃)https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html
ジャンル:日本文学
原典引用
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
創作メモ
『方丈記』は、滅びの中でなお「生」を見つめた隠者の記録。小さな庵から世界を見つめるまなざしを、現代の静かな声でよみがえらせたい。
トーン・文体:現代語調
語り手設定:現代の老人
AI補助使用:使用した
・使用ツール名(ChatGPT)
・使用目的(下訳/文体調整など)