第3回 トラブルの回避とトラブルが発生した場合
ハクセヴェルひろ子
大学卒業後、商社と金融機関勤務を経て、1992年トルコに移住。
2005年バベル翻訳大学院修了。翻訳修士。
2008年Proz.com Certified PRO認定。現在フリーランスで翻訳業に従事。
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グローバルに起業するノウハウ 第2回
第2回 グローバル翻訳市場へのアプローチの仕方
読者の方から質問がありましたので、最初にお断りしておきますが、この記事での「起業」とは、翻訳会社(法人)を設立して経営するという意味ではなく、「フリーランスの翻訳者」としてお金を稼いでいくにはどうしたらよいのか、というレベルの話しです。その場合でも、国によっては、労働許可の取得などさまざまな問題をクリアしなければならないかもしれませんが、この記事では取り扱いませんので、滞在国の制度をご自分で調べてください。また、海外で将来翻訳会社を経営してみたいという方も、国によって要件が異なりますので、商工会議所などで情報を調べてください。 英日・日英の案件が多い国 前回の記事でも説明しましたが、インターネット上で取引できる翻訳会社は世界中のほとんどの国に存在します。その中で、英日・日英の翻訳案件を多く扱っている国は、まず英語圏の国かつ日本企業が多く進出している国・地域(米国、カナダ、英国、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール、香港、インドなど)、次に非英語圏でも日本企業の活動が活発な地域(西ヨーロッパ、東南アジア、中国など)が挙げられます。最近は、東アジア、EU圏の東欧諸国、南米、ロシア、イスラエルといった国でも英日・日英の翻訳需要が高まっています。 ここで気をつけなければならないのは、仕事をした後確実に翻訳代金が回収できるかということです。たとえば、現在EU圏、南米などの国で金融危機が叫ばれていますが、そのような国の翻訳会社と取引しても、国家レベルで外貨の持ち出しが制限されてしまうと翻訳代金の回収が遅れたり、最悪の場合は払ってもらえないことがありますのでご注意ください。では、経済が急速に発展している新興国や発展途上国ではどうかというと、やはり外貨が不足している国では外貨での取引が制限されることがありますので、最初からあまり大きな案件を引き受けないほうが良いでしょう。 グローバル翻訳市場にアプローチするには それでは、グローバル翻訳市場にアプローチするにはどうしたらよいでしょうか。 1. 前回も説明しましたが、有利に取引を進めるには、翻訳関連の資格、特に翻訳の学位や修士号を取得することです。その理由は、海外の翻訳会社では、プロジェクトマネージャーが納品された翻訳文(たとえば、英日翻訳の場合は日本語の翻訳)を読んで品質を判定できないので、翻訳能力を判定する最も確実な方法は、翻訳を正式に勉強した翻訳者を採用することです。また、前回も申し上げましたが、翻訳業界のISOの認定資格であるISO17100:2015では、翻訳の学位や修士号を取得が翻訳者の資格として認められており、世界全体でみても日本語翻訳の学位や修士号の保有者はそれほど多くないので、優位な立場に立つことができます。 2. 特に、英国(英国翻訳通訳協会: The Institute of Translation & Interpreting(ITI))、米国(米国翻訳者協会:American Translators Association (ATA))、オーストラリア(オーストラリア国家認定資格: National Accreditation Authority For Translators and Interpreters: NAATI)の試験に合格すると、それぞれの国で翻訳者としての評価が高まります。それぞれの国の翻訳資格については、日本翻訳協会http://www.jta-net.or.jp/index.html のウェブサイトで「世界の翻訳資格」を参照してください。 3. インターネット上では、フリーランスが仕事を得るために登録するサイトが多数ありますが、特に、翻訳・通訳関連では Proz.com http://www.proz.com/ やTranslatorsCafe.com https://www.translatorscafe.com/cafe/default.asp はプロの翻訳者の登竜門として有名です。どちらも無料で登録可能です。両サイトでは仕事の紹介を行っていますが、翻訳者としての資格や能力を詳細に登録しておけば、翻訳会社からスカウトされることがあります。Proz.comでは、有料登録制度やCertifiedProという認定制度があり、有料登録や認定を受けると、無料会員よりスカウトされる確率が高くなります。 4. たとえば、居住国に日本との取引が多い企業や日系企業が進出している場合は、必ず翻訳案件が発生しますので、企業に務めている知り合いに翻訳者であることを売り込んだり、現地企業に直接売り込むという方法が考えられます。ここで注意してほしいのは、ターゲットを絞らずに知り合い、近所の人、親戚など誰にでも口コミで翻訳者であることを宣伝すると、簡単なメールや手紙などプロ向けではない案件を無料、あるいは非常に安い料金で引き受けるはめになってしまいがちです。 グローバル翻訳市場におけるリスク 翻訳者にとっての最大のリスクは、「仕事の報酬が支払われない」ことです。これは、国内外を問わず同じです。万が一翻訳料金が支払われない場合、日本の翻訳会社には少額訴訟を直接起こすことができますが、翻訳会社が海外にある場合は、債権回収のために弁護士や費用回収会社に依頼すると、莫大な手数料がかかります。そこで、未払いリスクを避けるには、原則として政情が不安定な国や金融危機が発生している国にある翻訳会社と取引をしないようにします。こうした国にある翻訳会社は、単価が通常より高い、支払いまでの期間が短いなど、最初に翻訳者にとって非常に都合の良い条件を提示することがありますが、そうした条件に惑わされないようにしてください。 グローバル翻訳市場におけるメリットとデメリット 海外のさまざまな地域(アジア、ヨーロッパ、北米)に取引先を分散させておけば、ある地域で景気が悪くなってその地域にある翻訳会社から仕事が途切れても、他の地域にある翻訳会社からは仕事の依頼が続くので、年間を通して仕事が平均的に発注されるというメリットがあります。 デメリットは、上記の3地域では時差が大きいため、3地域の翻訳会社に完璧に対応するには、それこそ寝る暇もありません。そこで、取引の多い翻訳会社を2地域に絞り、他の1地域の翻訳会社からは暇なときに仕事を受けるようにします。 (WEB雑誌 The Professional Translator 155号より) http://e-trans.d2.r-cms.jp/ また、8月30日(火)18:00~(日本時間)、このテーマに関して、日本翻訳協会主催でセミナーを実施する予定です。ZOOMで世界中から参加できます。 沢山の方の参加をお待ちしています。 [box color=lgrey]
グローバルに起業するノウハウ 第1回
第1回 グローバル翻訳市場と日本の翻訳市場の違い
グローバル翻訳市場で活躍するには、まずグローバル市場の成り立ちや、日本の翻訳市場との違いを把握することが重要です。 翻訳会社の変遷 インターネット上に翻訳市場が出現したのは、商用インターネットが実用化された1990年代半ば以降のことですから、せいぜい20年程の歴史しかありません。それが今では、世界のほとんどの国で、規模の大小を問わずインターネットを駆使して営業する翻訳会社が存在します。 翻訳会社の中には、バベルのように、インターネットが実用化される前から翻訳会社として事業を展開し、インターネットの実用化に合わせてオンライン向けに事業を編成し直した翻訳会社もありますが、残念ながら時代の流れについていけずに消えていった翻訳会社もあります。 代わって台頭してきたのが、インターネット実用化後に設立された翻訳会社です。地元で発生する翻訳案件を扱う小規模な会社から、大企業を中心に、企業や公共事業体の案件を扱う会社などさまざまな形態がありますが、海外の大半の翻訳会社では多言語を取り扱っています。なかでも、マルチランゲージベンダー(MLV) と呼ばれる、全世界に支店を持ち、多言語の翻訳を扱っている大手翻訳会社は、「ワンストップソリューション」を目指して、さまざまな分野に事業を拡大しています。日本に支店を構えている大手MLVも何社かあります。 翻訳業務には、多言語への翻訳だけではなく、デスクトップパブリッシング(DTP)、ソフトウェア、ウェブサイト、Eラーニングモジュール、動画、ゲームや漫画のローカライズや製作など多岐にわたりますが、MLVはこうした業務を自社でまとめて行う「ワンストップソリューション」をクライアントに提供しています。また、最近では、法律、ゲームや漫画、特許などに特化した多言語翻訳会社も出現しています。 海外の翻訳会社と日本の翻訳会社の違い 取り扱い言語 海外の大半の翻訳会社は多言語を扱い、ひとつの案件を複数の言語に翻訳するプロジェクトに対応しています。これは、大部分の案件が文書の作成元から発注されること、英語圏以外の翻訳会社でも、プロジェクトマネージャーがほぼ全員英語でコミュニケーションをとれるため、全世界から翻訳者を募集できることにより可能となります。 一方、日本の翻訳会社が取り扱う案件の大半は、クライアントが第三者の企業や機関から入手した外国語(主に英語)の文書を翻訳します。また、ほとんどの案件は外国(英語)から日本語への単一方向の翻訳です。日本でも多言語を扱っている翻訳会社はありますが、日本の翻訳会社は日本で銀行口座を保有していることを条件に翻訳者を募集するため、日本に居住している、または過去に居住していた人しか翻訳者として応募できないことから、人材が限られてしまいます。また、英語でコミュニケーションを取れないコーディネーターも多いため、海外の翻訳会社のように多言語のプロジェクトを実施するのは困難な状況です。 翻訳に必要な技術 元々はソフトウェアのローカライズから発展してきたMLVをはじめ、グローバル翻訳市場の大手の翻訳会社は、最新技術を採り入れることに抵抗がありません。PDFを利用した紙原稿の添付ファイルへ変換、CATツールの採用などは、かなり初期の段階から実現していました。また、翻訳者の登録システム、案件の原稿の受け渡しシステム(エクストラネット)、Invoice作成システムなど、翻訳会社自身や翻訳者の作業負担を軽減するシステム、Skypeなどソーシャルネットワーキング(SNS)によるコミュニケーションも積極的に採り入れています。 日本の翻訳会社は、私の印象では翻訳に必要な技術面の整備が海外の翻訳会社と較べて非常に遅いと思います。たとえば、上記で紹介したPDFの技術を海外の翻訳会社が採り入れ始めた15年程前に、日本の翻訳会社はまだファックスで翻訳原稿を送信していました。全社的なCATツールの採用や、翻訳者専用のシステムの構築を積極的に行って、翻訳業務の効率化を図っている翻訳会社もあまり多くありません。 翻訳者の資格 海外の翻訳会社では、まず書類 (CV) 審査で翻訳者の実力を判定しますので、翻訳経験も重要ですが、翻訳関連の学部や大学院を卒業していると非常に有利になります。実力のある翻訳会社は、昨年4月に発行されたISO17100:2015認証を取得するために、翻訳者の条件として認められている翻訳関連の学位・修士の保有者を必要としています。 日本の翻訳会社は、日本に翻訳学部がある大学が存在しないせいもあり、体系的な翻訳の学習が重んじられていないような印象を受けます。翻訳者の採用条件も、どちらかと言えば翻訳に関連のない専門学部を卒業し専門知識を有していること、長年の翻訳者としての経験に頼っているようなところがあります。 翻訳会社と翻訳者の関係 取引を始める前に翻訳会社と締結する契約書(たいていの場合は、「秘密保持契約」)では、翻訳者をContractor(請負業者)と表現していますが、実際に取引を始めると、プロジェクトマネージャーは翻訳者を対等に扱ってくれます。翻訳者として常識的に振舞っている限り(納期を守る、指示を守る、高品質の翻訳物を提出するなど)、都合が悪くて案件を断わり続けたり、数週間休みを取っても、仕事が途切れるということはありません。また、信頼関係が築かれると、翻訳会社のパートナーとして、トライアルの採点を任されたり、大型案件の進め方について相談を受けたりすることもあります。 日本の翻訳会社では、翻訳者はあくまでも「仕事をいただく立場」のような印象があり、仕事を断り続けたり、長い休みをとると仕事が来なくなったりすることがあるようです。実際、5月に日本に帰国した折に、「そんなに長い間(実際は3週間)休んで、仕事が来なくなるのではないか」と多くの方から心配していただきましたが、トルコに帰国後も通常通り案件を発注しています。日本では翻訳会社にそれほど忠誠を示さないと仕事をもらえないのか、と逆にこちらが驚いた次第です。 [box color=lblue] ******** <質問> グローバル翻訳市場で必要とされるスキルは何ですか。 <回答> グローバル翻訳市場では、英語圏、非英語圏の国を問わず、英語がコミュニケーションの標準語となりますので、英語によるコミュニケーション(電子メールの読み書きは必須、できれば電話、Skype、TV会議でのコミュニケーション能力)が必須です。また、翻訳会社で使用しているCATツールに習熟していること、翻訳会社が開発した案件処理システム(ファイルのダウンロードとアップロード、Invoiceの作成など)を抵抗なく使える能力も必要です。 ******** [/box] ※ 今回ご質問をお寄せいただいた皆様へ ※ 今回の特集に関連して、沢山のご質問をお寄せいただきありがとうございました。記事の中でお答えする予定でおりましたが、 内容が多岐にわたり全部の質問には回答できないかもしれませんので、残りは連載最終回にまとめて回答したいと思います。 また、7月26日(火)18:00~(日本時間)、このテーマに関して、日本翻訳協会主催でセミナーを実施する予定です。ZOOMで世界中から参加できます。 沢山の方の参加をお待ちしています。 [box color=lgrey]
グローバルに起業するノウハウ はじめに
はじめに、
この度、『The Professional Translator』編集部から、海外に在住する翻訳者向けに海外で企業するノウハウについての記事を書いてほしいという依頼を受けました。これまで何度か本紙でグローバル翻訳市場について書いてきましたが、市場は刻一刻と変化しており、それに従って起業のアプローチも変わってくるのではないかと私は思っています。
今回の連載ではその変化を踏まえながら、これまでとは違った角度で市場を捉え、起業のノウハウについて考察していく予定です。もちろん、海外在住ではなく、日本に在住しており、海外の翻訳会社と取引をしてみたい読者の方にも役立つ内容にするつもりです。
ところで、私は現在トルコに住んでいますが、先月日本に帰国した折に、バベル翻訳大学院 (PST) の主催で行われた「アラムナイミーティング」と「学位授与式」に参加する機会を得ました。そこで何人かの修了生の方が自己紹介をされたのですが、PSTを修了されたのにもかかわらず、「まだ翻訳実務をこなす実力が伴っていない」と謙遜される修了生が何人かいらっしゃり、正直驚きました。PSTのカリキュラムは翻訳実務に沿っており、海外の他の翻訳大学/大学院と比較しても中身が濃い内容となっています。在学中の学生や修了生でしたらお分かりの通り、課題を最後までこなすのは本当に大変ですが、このカリキュラムをやり遂げれば、たとえ実務の経験がなくても、相当の実力がついているはずです。
翻訳業に必要なのは、「私はできる」という良い意味での開き直りです。「私なんかまだまだ」と思っているうちは、いくら起業のノウハウを読んでも仕事に直結しません。
昨年4月に発行された翻訳の国際規格では、翻訳大学/大学院の卒業生/修了生は、翻訳者としての資格要件を満たしています。それに、私も何度か修了生の方々と仕事をしたことがありますが、他の経歴を持つ翻訳者と比較して実力が高いと確信しました。PSTの修了生は名実共に翻訳の実力を認められているのですから、この連載を機に、グローバル翻訳市場でばりばり活躍していただきたいというのが、私がこの連載をお引き受けした理由です。
今回の連載では、
第1回 グローバル翻訳市場と日本の翻訳市場の違い
第2回 グローバル翻訳市場へのアプローチの仕方
第3回 翻訳会社(クライアント)の選び方
第4回 トラブルの回避とトラブルが発生した場合
を予定しています(いずれも仮の題です)。
今回は、読者の皆さんから起業や翻訳実務に関して予め質問を受け付け、連載の中で回答するという形式を採り入れたいと思います。また、個人的に質問がある場合もお受けします。『The Professional Translator』の発行日(毎月10日と25日)の10日前まで、上記のテーマについて質問を受け付けますので、この記事の下にあるフォームに記入し送信してください。
読者の皆さんと共に記事を作っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
また、7月26日(火)18:00~(日本時間)、このテーマに関して、日本翻訳協会主催でセミナーを実施する予定です。ZOOMで世界中から参加できます。
詳細は追ってお知らせします。

ハクセヴェルひろ子
大学卒業後、商社と金融機関勤務を経て、1992年トルコに移住。
2005年バベル翻訳大学院修了。翻訳修士。
2008年Proz.com Certified PRO認定。現在フリーランスで翻訳業に従事。