世界を混迷から救うカギは翻訳にあり!(1)

第1回 近代社会の基礎は翻訳が作った

施 光恒(せ・てるひさ) 九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学博士 昨年の英国のEU離脱の国民投票の決定、米国大統領選でのトランプ大統領の選出は、世界中の人々を驚かせました。多くの新聞や報道番組の予測もはずれました。 日本でもそうですが、世界の多くの識者は、これらの事態を指して「孤立主義」「排外主義」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の台頭だと懸念しました。識者の心のうちには、グローバル化こそ、人類の歴史の進歩であり、また宿命であるという見方が根強くあるからです。また、自由で平和で安定した社会、経済的に豊かな社会をもたらすものだと信じているからです。 グローバル化とは、ひと言でいえば、国境の垣根を低くし、ヒト・モノ・カネ・サービスの動きを活発化させる現象だと述べることができます。近年の世界では、グローバル化こそ良いものだと信じられ、これを促進するために、政治経済やその他の制度の世界共通化(ユニバーサル化)が図られてきました。例えば、経済では、アメリカ型の株主の力が強い資本主義制度が日本を含む世界中で導入されてきました。文化面では、最近は日本でも顕著ですが、ビジネスや学問の言葉として「世界共通語」である英語を使うようにしようという動きが強くなっています。 しかし本当にグローバル化とは良いものなのでしょうか。世界の現状を見る限り、グローバル化こそ進歩であり、また自由で安定した社会をもたらすという想定は当たっていません。例えば、ここ数か月を振り返るだけでも、英国のロンドン橋(6月3日)、マンチェスター(5月22日)、フランス・パリのシャンゼリゼ通り(4月20日)、ドイツのドルトムント(4月17日)と欧州各地域で移民問題が大きな要因となったテロが頻発しています。また先進各国の経済的格差は、グローバル化が本格化した1980年代以降、極めて大きくなりました。フランスの経済学者ピケティが指摘したように、米国の経済的格差は戦前の大恐慌の時期よりも大きく、統計を取り始めて以来、最もひどいものとなっています。英国の経済学者ハジュン・チャンによれば、途上国の経済成長率も、グローバル化の開始以後それ以前と比べて低下しています。 フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、近年の時事的論説やインタビューで「グローバル化疲れ」という言葉をしばしば用いています。トッドによれば、先進諸国の多くの庶民は、1980年代から続くグローバル化の流れがもたらした格差拡大、移民の急激な増加、民主主義の機能不全、グローバル・エリートの身勝手さなどに辟易し、疲れ切っています。昨年の英国のEU離脱や米国大統領選挙におけるトランプ現象の背後にあるのは「グローバル化疲れ」だと指摘します。 では、現在のグローバル化の流れを是正し、多くの人々が安定した豊かな社会で暮らせるようにするにはどうすればよいのでしょうか。私は、この点を考えるときのカギとなるのが、「翻訳」だと思います。翻訳という行為には、現在のグローバル化よりもずっと良い世界を構想するための様々なヒントが含まれています。 今回と次回の私のコラムでは、このヒントについてお話しします。今回は西欧の近代化の歴史、次回は明治日本の経験について触れながら、現行のグローバル化の見方の背後にある誤りを明らかにします。そして、よりよき世界のあり方を考えるうえで、翻訳に注目する必要性について論じてみたいと思います。

●グローバル化こそ進歩?

グローバル化はテロリズムや格差拡大などさまざまな問題を生じさせています。にもかかわらずグローバル化を推進しようという声がいっこうに小さくならないのはなぜでしょうか。大きな理由の一つは、グローバル化こそ人類社会の進歩であり、歴史の必然なのだという思い込みを多くの人が抱いていることが指摘できます。 皆さんも、よくご自身の周りで次のような見解をお聞きになるのではないでしょうか。「グローバル化は時代の流れであり、この流れから取り残されるわけにはいかない」、「グローバル化こそ時代の趨勢なのだから、国なんかにこだわるべきではない」といった見解です。 これらを整理しますと、多くの現代人が、半ば無意識に、次のような一種の法則じみた歴史の見方を共有していると言えるでしょう。「人間社会の進歩とは、土地に根差した身近で小さな社会(村落社会)が、国(国民国家)を経て、だんだんと大きくグローバルな普遍的社会へと統合されていくことだ」というものです。ここで「普遍的」とは「ユニバーサル」、つまり「世界共通の」という意味です。 図式化すると次のような「歴史の流れ」ですね。 「村落社会 → 国 → (EUや東アジア共同体のような)地域統合体 → グローバルな枠組み(グローバル市場やグローバル・ガバナンス)」 身近で土地に根差した土着の社会から、より大きな世界共通の社会へと向かう流れ、いわば「土着から普遍へ」向かう一方向的な発展過程の想定です。そして現在は、「国」から「地域統合体」への過渡期に当たるというわけです。この流れに伴って、各地域のルールや制度、言語といったものも、より共通のもの、よりユニバーサルなものに近づいていくと考えられます。 このような「時代の流れ」観、つまり歴史観が背後にあるので、多くの人が、グローバル化こそ進歩であると考え、グローバル化に賛成してしまうのです。賛成しないとしても「時代の流れだからしょうがない」と考えてしまうのです。

●西欧の近代社会の成立と翻訳

「グローバル化こそ時代の流れであり、進歩だ」というこの想定ですが、実はとても一面的です。たとえば、これまでの世界の歴史のなかで最も大きな「進歩」だったとされる西欧の近代化の過程をみても、必ずしも「土着から普遍へ」と単純には描けません。 「世界史」の時間に習ったことを思い出してみてください。世界史の時間に、西欧の近代化のはじまりを告げたものとして「宗教改革」が出てきました。宗教改革を特徴づけたのは聖書の翻訳だったとも習います。私も、高校時代にそのように習ったのですが、当時は聖書翻訳がなぜ重要だったのかあまりピンときませんでした。ですが、これ、とても重要だったのですね。 中世の欧州では、ラテン語が「普遍語」、つまり世界共通のユニバーサルな言語だと認識されていました。貴族や聖職者、学者などの特権的なエリート層は、公式の言語としてラテン語を用いていました。聖書は主にラテン語で書かれ、教会の儀式もラテン語で行われていました。大学では哲学などの学問も、ラテン語で記述され、論じられていました。 しかし各地の大多数の一般庶民は、ラテン語がわかりませんでした。当時の人口全体から見ればラテン語を自在に用いることができるのは、ごく少数のエリート層だけでした。大多数の庶民層は、ラテン語を学ぶ機会はなく、各地域の「土着語」を用いて日常生活を送っていました。当時の土着語は、日常の話し言葉でしかありませんでした。抽象的で知的な事柄を表現できる豊かな語彙はありませんでしたし、文法や正書法(正しい書き方のルール)も定まっておらず、緻密な知的議論や論述には向かないと考えられていました。 一般庶民は、ラテン語がわからなかったため、信仰のよりどころであるはずの聖書も自分では読むことができませんでした。学問に関しても、哲学や自然科学、法律、歴史などの学問の成果に触れられず、知的な思考や議論を繰り広げることもできません。庶民が自らの能力を磨き、発揮することはほぼ不可能だったのです。 こういう状況のなか、宗教改革では、マルティン・ルターやウィリアム・ティンダルらは、聖書を、庶民が日常生活の場で用いている土着語に翻訳しました。現在のドイツ語や英語のもととなった言葉に訳したのです。 哲学の世界でも同じようなことが起こりました。西欧では中世の哲学は、ほとんどラテン語で記されていました。ですが近代に入ると、哲学は日常生活の言葉である土着語で書かれ、論じられるようになりました。 近代哲学の幕開けとなった、「われ思う、ゆえにわれあり」で著名なデカルトの『方法序説』は、フランス語で書かれた最初の哲学書だといわれています。デカルト以降、近代の哲学者は、ラテン語ではなく、日常生活の言葉である各地域の言語で書くようになりました。ホッブズは英語、ヴォルテールはフランス語、カントはドイツ語でそれぞれ書いたのです。哲学以外の学問も、それぞれの国の言葉で論じられるようになっていきます。 聖書の翻訳が行われたことや、学問がラテン語ではなく各国語で行われるようになったことには、とても大きな意味がありました。近代以前の西欧世界では、宗教や学問は、いわば「ラテン語派」とでもいうべき当時のグローバルな特権的エリート階級に牛耳られていましたが、近代以降は各国の日常生活の言葉で宗教や学問が論じられるようになりました。こうなると各国の一般庶民にとって格段に学びやすくなります。庶民の知的世界はずっと広がりました。聖書や学問的な書物が各国の日常生活の言語で記されるようになったため、一般庶民でも、少し努力すれば、当時の多種多様な知識に触れられるようになったのです。 言語の側からみれば、ラテン語、あるいはギリシャ語やヘブライ語の語彙が各国の言葉に翻訳され、取り入れられるようになり、各国の言葉は充実していきます。近代になると、法律もそれぞれの国の言葉で書かれ、社会制度も各国語で運営されるようになりました。 近代社会が成立したのは、「翻訳」の力が大きかったのです。「翻訳」によって、普通の人々が、外来の多様な古今の知識に触れ、それを学び、能力を磨き、発揮しやすい社会空間が各国に成立しました。中世の世界では、ごく少数のエリートである「ラテン語派」の者たちしか専門的知識を学べなかったため、多数の庶民は自分の知的能力を磨くことができず、社会参加しにくかったのです。しかし近代以降は、「翻訳」を通じて、多くの庶民が、それぞれの国にできた、それぞれの国の言語で動く社会に参加し、能力を磨き、活躍できるようになりました。 それまで社会から排除されていた多数の庶民が、さまざまな新しい知識に触れ、能力を磨き、発揮できるようになったことは、社会に大きな活力をもたらしました。「近代化」というのは、それまでよりも圧倒的に多くの人々が社会参加するようになり、彼らの力が各国の社会空間に結集されるようになって生じたものだといえます。いわば庶民の力の結集こそ、各国に近代化をもたらしたエネルギーであり、そうした社会への扉を開いたのは翻訳というカギだったのです。

●「グローバル化」史観のおかしさ

このように見てくると、現在のグローバル化の前提にある歴史の見方はおかしいことに気づきます。グローバル化推進派の人々が前提しているような「土着から普遍へ」と向かう流れこそ進歩だという見方は、少なくとも非常に一面的です。 西欧の近代社会の成立とは、「普遍的な言語」(ラテン語)で書かれた先端の知識を、各々の地域の言語に翻訳し、身近な土着の文化に取り込んでいくなかで、つまり、いわば「翻訳と土着化」を行っていくなかで生じてきました。ですので、近代化のプロセスとは、「土着から普遍へ」というよりも、むしろ「普遍から(複数の)土着へ」という流れだとみるほうが適切なのです。翻訳と土着化の作業を通じて、各国の多数の人々にとってなじみやすく、また自分たちの能力を磨き、発揮しやすい環境を整備したことが活力ある近代社会の成立を可能にしたのです。 このように考えると、現在のグローバル化の流れが世界の人々に幸福をもたらすものなのか大いに疑わしくなります。現在のグローバル化のもとでは、冒頭で触れたように、多くの国々で格差が非常に拡大しています。その結果、社会に十分に参加し、能力を磨き、発揮していけるような恵まれた立場にある人々は少なくなっています。グローバル化は、進歩どころか退行なのかもしれません。 次回のコラムでは、明治日本の近代化の経験を参照しつつ、より良き世界の実現と翻訳の意義についてさらに考えてみたいと思います。 [box color=”lgreen”]

施 光恒(せ・てるひさ)

1971年生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授(政治学)。 英国シェフィールド大学大学院、慶應義塾大学大学院などで学ぶ。博士(法学)。 著書に『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)など。 [/box]
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Translation created the Foundations for Modern Society

By Teruhisa Se Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University PhD in Law In the past year, both the United Kingdom’s national referendum to withdraw from the EU and Donald Trump’s victory in the US presidential election have surprised people all over the world. These events also defied the predictions of many in the media and the news. Many experts in both Japan and worldwide fear these events are a harbinger of isolationism, anti-foreignism, and populism. Such experts firmly believe that globalization is the way of progress, and indeed the destiny of mankind. They also believe that globalization will bring about a free, peaceful, and stable global society which is blessed economically. Globalization can be summed up as lowering country borders to increase the flow of people, products, money, and services. In modern society, globalization is believed to be without a doubt a good thing, and economics and other systems are planned on being universalized to advance globalization. Take economics for instance. The US style capitalist system – where stockholders are highly influential – is being introduced into Japan and other countries. When it comes to culture, countries like Japan are leaning towards using English (the “lingua franca”) in business and education. However, is globalization all it’s cracked up to be? Looking at recent worldwide events, the assumption that globalization is progress and creates a free and stable society doesn’t seem to hold true. Consider the frequent terror attacks stemming from immigrant problems in the past few months: London Bridge (June 3rd), Manchester (May 22nd), the attack on Paris’ Avenue des Champs-Elysees (April 20th), and the Dortmund bus terror attack in Germany (April 17). Adding insult to injury, the economic disparity in developed countries has ballooned since globalization became mainstream in the 1980’s. French economist Thomas Piketty points out that the US’s economic disparity is larger than it was during the Great Depression, and the worst on record. According to British economist Ha-Joon Chang, the economic growth of developing countries has actually declined with globalization. French anthropologist and economist Emmanuel Todd frequently uses the term “globalization fatigue” in his interviews and writings. According to Todd, people in developed nations are fed up with and exhausted by the widening economic disparity, sudden increase in immigrants, breakdown of democracy, and opportunism of the global elite – all products of the globalization trend initiated in the 1980’s. Todd points out that “globalization fatigue” is what lies behind the UK’s departure from the EU and Trump’s victory. What can be done to steer globalization in the right direction so that many can live in a stable and abundant society? The key is translation. Translation contains hints for creating a world that will be far better off than that steered by globalization. In the next two articles, let’s look at the hints translation provides. In this article, we’ll consider the history of modernization in Western Europe. In the next article, we’ll cover Japan’s experience during the Meiji Restoration period. These periods clearly emphasize that our views on globalization are mistaken. Finally, I’ll discuss the importance of translation in creating a better world. Is Globalization Truly Progress? Globalization is bringing about various problems, such as terrorism and widening disparity. Why is it then that cries for pushing forward globalization continue persistently? One major reason is that many people have the preconception that globalization equals social progress, and is an inevitable outcome in history. How many have heard opinions like, “globalization is the trend of the times, and if we fight it we will be left behind” or, “we are in a period of globalization, and therefore shouldn’t be concerned about ‘countries’”. In summary, many people almost unconsciously have the following principle -like view of history: social progress starts with local, small societies rooted in various regions (rural communities) which become countries (nation-state) and gradually grow and are integrated into one global, universal society. The term “universal” here means “shared throughout the world”. Here’s a visual representation: Rural society > country > corporate body (for example the EU or East Asian Community) > global framework (global market or global governance) This framework assumes that indigenous local societies shift towards a universal society. In other words, we progress from indigenous to universal. We are currently in the transitional period from country to corporate body. It’s believed therefore that the rules, systems, and languages of various regions will integrate into a common or universal form. This view explains why many people believe globalization is equated with progress, and therefore support globalization. Even those who aren’t supporters believe the world is moving in that direction and therefore nothing can be done. Translation and the Establishment of Modern Western Society This assumption however is at best one-sided. Take for example what could be considered the biggest act of “progress” in world history – modernization in the West. This was not simply a shift from indigenous to universal. Recall what you learned in world history class. You were taught that the Reformation marked the beginning of Western modernization. The Reformation was characterized by the translation of the Bible. I learned the same thing in high school, but at the time didn’t understand why Bible translation was that important. It was however that important. Latin was considered the universal language (language used worldwide) in Europe in the Middle Ages. Latin was the common language of nobles, clergy, scholars, and others in the privileged elite class. The Bible was written in Latin. Church ceremonies were conducted in Latin. In universities, philosophy and other academics were written and discoursed in Latin. However, most common people didn’t understand Latin. Only the few elite could freely use Latin. Everyone else had no opportunities to learn Latin, and instead used their indigenous language in everyday life. Indigenous languages were those languages people used in their region to communicate daily. Indigenous languages didn’t contain the rich vocabulary needed to express abstract and intellectual concepts, and didn’t have set orthographic rules (rules for correct writing). It is believed that these languages were not suitable for elaborate, intellectual debates and discourse. People didn’t understand Latin, so they were unable to read the Bible, which was supposed to be the foundation of their faith. When it came to academics, they couldn’t be exposed to philosophy, natural sciences, law, and history, and were unable to deeply pursue intellectual thought and discourse. Most people were almost completely unable to develop or display their intellectual abilities. These were the conditions in which those like Martin Luther and William Tyndale translated the Bible into common languages. Luther and Tyndale translated the Bible into languages that are the basis for modern-day German and English. The same happened when it came to philosophy. Philosophy in the West during the Middle Ages was predominantly written in Latin. However, as the West shifted to modern times, philosophy came to be written and discoursed in languages used in everyday life. Descartes’ treatise Discourse on the Method, well-known for the saying, “I think, therefore I am”, marked the beginning of modern philosophy. This was arguably the first book of philosophy to be written in French. After Descartes, modern philosophers no longer wrote in Latin but rather in regional languages used everyday life. Hobbes wrote in English, Voltaire in French, and Kant in German. Academics apart from philosophy were also discoursed in various regional languages. Translation of the Bible and pursuit of academics in various languages had great significance. Religion and academics in the West prior to modernization was controlled by the privileged elite class which understood Latin, but with modernization religion and academics were conducted in everyday languages. This means that people could learn with greater ease. The academic world expanded immensely. The Bible and other academic literature was written in everyday languages, so with a little effort people could tap into the diverse knowledge offered at that time. In terms of languages, Latin, Greek, and Hebrew vocabulary were translated and integrated into, and therefore enriched, various languages. In modern times, law also began to be written in various languages, and social systems operated as well in those diverse languages. The power of translation was great in establishing modern society. Through translation, people throughout the world could tap into and learn ancient and modern diverse knowledge from abroad, hone their abilities, and have a social environment where they could display those abilities. During the Middle Ages, only the few elite well-versed in Latin could access specialized knowledge, while most people were unable to develop their intellectual skills, and had difficulty therefore participating in society. Through translation however, in modern times many people have become able to develop their abilities and participate in their country’s society in their language. This majority of people, that had up to that time been excluded from society, brought a new vitality as they started participating in society and their strength was channeled. In a sense, it is this concentration of the people’s strength that was the catalyst for modernization, and translation was the key to opening the door to those societies. The Incongruity of the “Globalization” Historical View Considered in this way, it becomes evident that the current historical viewpoint based on globalization doesn’t make sense. The viewpoint that moving from indigenous to universal is progress – which promoters of globalization assume – is extremely one-sided to say the least. The establishment of modern society in the West was brought about by translating cutting-edge knowledge written in the “universal language” of Latin into the languages of various regions. In other words, it was a process of translation and indigenization. That is why it is more appropriate to view the process of modernization not as one of indigenization to universal, but rather as moving from universal to (various) indigenous areas. Through translation and indigenization, many people in various countries could access knowledge expressed in a way familiar to them, which allowed them to develop and exert their abilities in an environment that allowed them to do so. This made the establishment of lively modern societies possible. Considered in this light, the current belief that globalization will bring about global happiness is extremely doubtful. The root of globalization today, as I mentioned, is a vast disparity increase in many countries. This results in a declining number of people privileged enough to participate in society and both develop and exert their abilities. Globalization is likely to lead to backsliding rather than progress. In my next article, we’ll look at Japan’s modernization during the Meiji Restoration period in considering how to attain a better world and the important role translation plays. [box color=”lgreen”]

Teruhisa Se

1Born in 1971. Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University (political science). Studied at Sheffield University’s Graduate School in the UK, and at Keio University graduate school. Holds a Ph.D. in Law. Author of Eigoka wa Guminka (Englishnization Leads to Dumbification) (Shueisha Shimbun, 2015). [/box]
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国家戦略としての‘翻訳’

国家戦略としての‘翻訳’

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を創ってきました。ひとつ間違えれば、国の独立さえ危ぶまれた明治の日本は 当時の英語公用語化論を退け、翻訳を通じて日本語による近代化を成し遂げました。 明治維新以降、先人、福澤諭吉、西周、森有礼,中江兆民等々が、西欧文化、技術、制度、法律等、日本にない抽象概念を数々の翻訳語を創って受け入れてきました。 Societyが 社会、 justiceが正義、truthが心理、reasonが理性、その他、良心、主観、体制、構造、弁証法、疎外、実存、危機、等々。 こうした先人の努力をよそに今こんなことが起こっていることをご存知でしたでしょうか。それは政府部内で検討された英語特区という公の場では日本語で会話はご法度という制度です。こんな制度がまかり通っていいのでしょうか。 英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそグローバリスト、国際金融資本家の思う壺。日本が二流国に転落するのが目に見えています。 この辺の事情を歯切れのよい文章で書かれた施光恒(せ てるひさ)氏の「英語化は愚民化―日本の国力が地に落ちる」(2015年7月刊、集英社新書)は説得力のある素晴らしい本でした。 この本にもあるように、英語による支配の序列構造の中で、第二階層、すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった諸国のことです。かれらはある意味、英語公用語を採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と言えるでしょう。 最近では日本の東大がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から七位に転落とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、その主たる理由は、授業が英語で行われている割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。しかし、考えてみてください。英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は日本以外ではあるでしょうか。おまけに、世界中の古典が読める稀有な国日本、これを皆さんはどこまで自覚しているでしょうか。 一方、あの理想国家といわれるシンガポールの現況は、常に複数の言語を学ばなければならないことから始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言えると思います。 日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めませんでした。 これは以下の日本語と日本文化の歴史とこれに裏打ちされた利点を考えれば至極当然のことに思えます。 ・6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、仮名、文化を作り上げできた。 ・50万語という世界一豊かな語彙をもつ日本語。英語は外来語の多くを含んでの50 万語、ドイツ語35万語、仏語10万語。まさに、言霊の幸はふ国日本。 ・古事記、日本書紀、万葉集など、1,000年前文献でもさほど苦労なく読める日本語。一方、英米では1,000年まえの文献は古代ギリシア語、ヘブライ語が読めなければ一般の人は読めない。 ・世界200の国、6,000以上の民族、6,500以上の言語の内、50音の母音を中心に整然と組み立てられ、・平仮名、片仮名、アルファベット、漢数字、ローマ数字等多様な表現形式を持つ言語、日本語。 ・脳科学者角田忠信が指摘しているように、西欧人は子音を左脳、母音を機械音、雑音と同じ右脳で処理、また、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音をノイズとして右脳で受けている。対して、子音、母音、さらには小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音までも言語脳の左脳で受け止める日本人。そこから導かれるのか万物に神を読む日本人。 ・ユーラシア大陸の東端で、儒、仏、道、禅、神道文化を発酵させ、鋭い感性と深い精神性を育んできた日本文化。 ・「日本語の科学が世界を変える」の著者、松尾義之が指摘しているように、ノーベル賞クラスの科学の発明は実は日本語のおかげ。自然科学の分野ではこれまで約20の賞を 受賞。アジア圏では他を圧倒。 ここで、一見無関係に思われる、最近の世界情勢を見てみましょう。 Brexit(Britain+Exit), 英国の国民投票によるEU離脱の衝撃は、日本、そして世界の経済、政治に大きな影響を与えつつあることはご承知かと思います。 フランスは決選投票の結果、EU離脱派のルペン氏を抑え、無所属のマクロン氏が勝ったとは言え、無所属のマクロンが政党を設立し国民議会577議席の単独過半数の支持を得て首相とともに今の路線で歩めるのかまだまだまだ予断を許せません。 EUは解体に向けて歩む?のかもしれません。実際、オランダ、イタリア、オーストリア、デンマーク、スウェーデンももしかしたら、という状況のようです。 では、このBrexit以降の世界情勢はどんな方向を示唆しているのでしょうか。 それは、 GlobalismからNeo-nationalism (Localism)へ 国境を無くし、人の交流を自由化し、市場を開放する方向から、難民の無制限な移動の制限をし、国家を取り戻す方向へ ElitismからPopulismへ 国際金融資本家に代表されるエリート主導から大衆主導の時代へ これは、ヒラリーVSトランプの構図も見え隠れしていました。 トランプの‘アメリカファースト’もある意味、Neo-nationalism (Localism)とPopulismへの傾きといえるでしょう。 グローバリストが新自由主義の政策、開放経済、規制緩和、小さな政府、これに基づき世界経済の再編を進めてきたわけですが、これに異議を唱えたのがこれらの動きと言えます。 今まさに、大きな潮流は、ローカル、それもグローカル、開かれたローカリズムの時代に突入しつつあるように見えます。 ここにこそ‘翻訳’の存在意義が見いだせます。 個々の自立した文化をお互いに尊重し、そのうえで、翻訳による相互交流を行う、そんな翻訳的方法が見直されています。 件の英語特区の提案者が言うような、言語は単なるコミュニケーションのツールではないでしょう。言語は使う人の世界観を作り出していますし、日本であれば日本語が日本人の考え方、感じ方、日本社会の在り方まで創り出してしまいます。 従って、日本社会の英語化を安易に進めることは日本のアイデンティティ、強みを破壊する行為といえるでしょう。思いやりや気配り、日本人の持つ鋭い感性や深い精神性は日本語、日本語脳、日本文化のなせる業でしょう。 ユーラシア大陸の東端にあり、儒教、仏教、道教、神道、禅が混ざり合い発酵した日本文化は我々が誇れる知的資産です。 鈴木孝夫氏のタタミゼ効果はご存知かと思いますが、もともとこれはフランス語ですが、日本人ぽくなる、人との接し方が柔らかくなる、対決から融和に導く、日本語を学んだものが そのように変わると言われています。 ことほど左様に、世界は個々の自立を前提にそのコミュニケーションの方法論として‘翻訳’を求めています。 グローバリストの脅し、誘惑に左右されずに、これからの世界における自国語、日本語の意義、そして、翻訳の意義を堂々と主張しましょう。 お互いの文化を尊重し翻訳を通じてハーモナイゼーションを計る、素晴らしい時代の到来です。 まさしくバベルの塔を英語という一つの言語で創ろうとしている特権階級のグローバリストに神は怒り、神は別々のことばを与え、世界へ散れと言っているかのようです。 多言語、多文化共生世界の入り口に今我々はいるのかもしれません。 日本も国家戦略、言語戦略の一環として‘翻訳’を考える時代に入ったと考えるべきではないでしょうか。加えれば、私は日本が平和を謳歌してきたことをもって不沈戦艦大和神話を支持するつもりはありません。永世中立国スイスがそうであるように、地政学的適度な危機感をもって自主防衛力を持つべきと考えます。その一環として、翻訳戦略は欠かせないと考えている次第です。

以上

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– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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Importance of Translation in Creating National Strategies

Babel University Professional School of Translation Vice-chancellor Tomoki Hotta 米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 During the Meiji period, Japan used translation in transitioning to a modern nation-state to cultivate intellectual ideas, creating an environment where all citizens could be exposed to the latest knowledge. Realizing that one careless move could result in losing independence, Japan deftly evaded debates on changing the official language to English. Japan turned instead to translation to bring about modernization – all in its own mother tongue, Japanese. Pioneers during and after the Meiji Restoration such as Yukichi Fukuzawa, Amane Nish, Arinori Mori, and Chomin Nakae helped to create new terms for abstract concepts nonexistent in Japan at the time incorporated from Western culture, technology, systems, and law. The following are examples of new terms: society (shakai), justice (seigi), truth (shinri), reason (risei), conscience (ryoshin), subjectivity (shukan), regime (taisei), structure (kozo), dialectics (benronho), estrangement (sogai), existence (jitsuzon), and crisis (kiki). How many realize what is being considered recently – despite the efforts of these pioneers of the Meiji period? It’s talk in political circles about creating a system in which English speaking districts are established in Japan. These districts would be English only, with Japanese conversations in public prohibited. It seems unreasonable for talk about English speaking districts to go unchallenged. The supremacy of English has been a hot topic especially among Japanese corporations with the mass media focusing in on this topic. Globalists and international finance capitalists would love to have Japan transition to English as its official language. The outcome unfortunately is predictable; transitioning to English will result in Japan’s overall decline. A compelling and well-written book on this topic is “Englishnization: Path to Ignorance – How the move to English will ruin Japan (June 2015, Shueisha Shinsho) written by Teruhisa Se. In this book, the author points out that countries which were formerly British colony countries such as India, Malaysia, Kenya are examples of how English rule results in lower to middle-income countries. The Philippines and Puerto Rico are examples of middle-income countries formerly occupied by the US. One could make the point that these countries resigned themselves to a lower status when they adopted English as their official language. Recently, Japanese mass media has been almost masochistic in reporting that the University of Tokyo has fallen from being ranked number one in Asia last year to number seven. The major reason for this decline is the low percentage of classes taught in English, along with the low number of dissertations written in English. Before switching all classes to English however, Japan needs to consider the following: apart from Japan, what other high-income countries whose language is not English allow citizens to study at the university level primarily in their own language? What is more, how many realize that Japan is unusual in that citizens can read classical literature from all over the world in Japanese? In contrast, consider Singapore. Singapore is said to be an ideal nation-state, but its current state of affairs speaks otherwise. How many know that In Singapore one must learn several languages to survive? Singapore also struggles with increasing economic disparity caused by elitist policies, lack of solidarity among citizens, and cultural poverty where little unique culture or arts are created. This can be viewed as the unavoidable outcome that occurs when making the switch to English. On the other hand, Japan has used translation as a shield in preserving Japanese as its official language. Japanese, therefore, has not been lowered to the status of a mere “indigenous language”. Considering the following history of Japanese and Japanese culture, as well at the merits which substantiated Japanese language and culture, it is only natural that Japan has taken this path in protecting its language. • In the 6th -7th century Japan brought in ideas from Chinese civilization, absorbing those ideas by creating an eclectic mix of Japanese and Chinese writing containing Chinese characters and kana in creating its own unique culture. • With approximately 500,000 words, Japanese has a rich and abundant vocabulary. Although English also contains around 500,000 words, many terms taken from other languages. German contains 350,000 words, and French 100,000. It is apparent that Japan is a country blessed with a rich language. • It is possible to read Japanese classic literature written approximately 1000 years ago without great difficulty (works such as Kojiki, Nihon-shoki, and Man’yoshu). In the US and England however, literature written 1000 years ago was written in ancient Greek or Hebrew. This means the ordinary person cannot read such literature without understanding those languages. • Among the 200 countries, over 6000 ethnic groups, and over 6500 languages in the world, Japanese is unique in its methodical construction of 50 phonetic sounds each centered around vowels. Japanese is diverse in its notation –it is comprised of hiragana, katakana, alphabet, Chinese numerals, Roman numerals, etc. • Neuroscientist Tadanobu Tsunoda has pointed out that those in the West process consonants with the left brain, while vowels are processed with the right brain which also processes mechanical sounds and other noise. Westerners also process sounds such as that of birds chirping, the sound of running water in streams, and the wind as noise with the right side of their brain. In contrast, the Japanese process these sounds with the left side of the brain, which is responsible for processing language. This might explain why the Japanese tend to see the divine in all things. • Located at the tip of the Eurasian continent, Japan has developed a culture by cultivating Confucianism, Buddhism, Taoism, Zen Buddhism, and Shintoism. These ways of thought have fostered a keen sensitivity and profound spirituality in Japan. • As scientific journalist and editor, Yoshiyuki Matsuo pointed out in his book How the Science of Japanese will Change the World (Nihongo no Kagaku ga Sekai wo Kaeru), the discoveries of Nobel prize winner scientists are a product of the Japanese language. Japanese scientists have earned approximately 20 Nobel prizes for discoveries in the field of natural science – more than any other Asian country. Although seemingly unrelated, let’s take a moment now to consider the recent state of world affairs. Many are aware of Britain’s departure from the EU (familiarly termed “Brexit”, a combination of the terms “Britain” and “Exit”) determined by popular vote. This move continues to greatly impact economies and politics both in Japan and worldwide. In recent French elections, incumbent French president Emmanuel Macron succeeded in keeping French politician and proponent of departing from the EU Marion Anne Perrine and her supporters at bay. However, it is still too early to predict if Macron can create a political party capable of both earning a majority of the 577 seats in the French National Assembly and working with the prime minister in continuing as an EU member. In fact, the EU might be on a path heading towards dissolution, since The Netherlands, Italy, Austria, Denmark, Sweden are considering separation as well. What are these global state of affairs hinting at? They are hinting that the world is turning from globalism to neo-nationalism (or localism). This means turning away from doing away with national borders, liberalization of interaction with people from other countries, and opening markets to the restricting the unrestricted flow of refugees, and turning towards recovering nation-states. It is a shift from elitism to populism, a shift to an era moving away from elitist leadership represented by financial capitalists, moving instead towards leadership by the public. This shift was made visible during the Trump vs. Clinton presidential election. Donald Trump’s slogan of “America First” is in one sense a step towards neo-nationalism and populism. Globalists have pushed forward neo-liberalist policies, open economies, deregulation, small government, and accordingly the reorganization of the global economy. Recent events such as those mentioned above, however, are a backlash to such policies. The trend now appears to be moving towards localism, or what should rather be called “glocalism”. Simply put, glocalism is a social process that consists of the concurrent drives towards globalization and localization. It is here that we find the significance of translation. The translational approach is being reconsidered – an approach where individual independent cultures respect other cultures and their languages, using translation as a means of engaging in communication. Language is not simply a communication tool as proponents of English-only speaking districts in Japan might claim. Language creates peoples’ world view. In the case of Japan, Japanese forms the way of thinking, feeling, and make-up of the Japanese society. It can, therefore, be said that blindly switching to English as Japan’s official language will lead to the destruction of Japan’s strengths. The virtues of thoughtfulness, consideration, keen sensitivity, and profound spirituality characteristic of the Japanese are the products of Japanese, the Japanese mind, and Japanese culture. The eclectic mix and cultivation of Confucianism, Buddhism, Taoism, Shintoism, and Zen Buddhism that make up the culture of this island country located at the eastern tip of the Eurasian continent are a treasure that the Japanese should be proud of. Some have heard of the term “tatamiser effect” coined by Takao Suzuki. This was originally a French term that meant to become Japanese-like. In other words, it means to become more flexible in one’s attitudes towards others and to move away from confrontation and towards harmony. It is said that those who learn Japanese begin to think in this way. This is exactly why the world seeks translation. Translation is based on the methodology of forming communication while valuing the independence of individuals in various countries. It is important not be easily swayed by globalists who advocate English at the expense of other languages, but instead find the significance of Japanese, and confidently emphasize the importance of translation. Through translation, we can bring about enlightenment in which cultures from all countries are respected and harmony pursued. I can’t help but be reminded of the Tower of Babel when considering recent globalist trends. It is as if globalization advocates are trying to create English as their tower of Babel. God is angered by this and instead has created various languages, ordering people to be scattered throughout the world. We must realize that we are entering a doorway to a world where diverse languages and cultures coexist. Japan needs to consider translation as a part of its national and language strategies. Granted, I do not intend to state that since Japan has advocated peace in recent years there is no need to take self-defense measures. Just like permanently neutral country Switzerland, I believe it is important for Japan to have a healthy sense of danger geopolitically and be prepared accordingly. As a part of that, I believe translation is crucial in forming national strategies. Issue 174 from the ALUMNI Editorial Office Published by: Babel University Professional School of Translation ALUMNI Association

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‘翻訳的ものの考え方’で世界を変える

世界が一つの言葉を取り戻す」再考

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 バベルと長いお付き合いの方はバベルの塔の神話をご存知のかたは多いことでしょう。 しかし、バベルの塔の神話の真のメッセージは必ずしも人間の傲慢を諌めることだけではないというところから出発したいと思います。 それは、20年以上前にオーストラリアの書店で見かけた子供向けの聖書に書かれた解釈でした。 神は、人が、ひとところに止まらず、その智恵を世界に広げ繁栄するようにと願い、 世界中に人々を散らしたという解釈でした。すると、かれらはその土地、風土で独自の 言葉と文化を育み、世界中に多様な言語と多様な文化で織りなす地球文化のひとつを生み出したのです。 しかし、もともとは一つだったことば(文化)ゆえに翻訳も可能であるし、弁証法的に発展した文化は、常に一定のサイクルで原点回帰をしているとすれば、ただ視点を変えるだけで、結局、同じことを言っていることが分かるでしょう。 しかし、人間のエゴの働きと言えるでしょうか、バベルの塔のころからの傲慢さゆえに、 自文化が一番と考えることから抜けきれないでいると、もともと一つであるものでさえ 見失い、理解できず、伝える(翻訳)ことさえできなくなってしまうのかもしれません。 翻訳の精神とは、自らの文化を相対化し、相手文化を尊重し、自立した二つの文化を等距離に置き、等価変換する試みであるとすると、この過程こそ、もともと一つであったことを思い返す試みなのかもしれません。 「世界が一つの言葉を取り戻す」、それは決してバベルの塔以前のように、同じ言語を話すことではないでしょう。それは、別々の言語をもち、文化を背負ったとしても、相手の文化の自立性を尊重し、その基底にある自文化を相対化し理解しようとする‘翻訳者意識’を取り戻すことなのではないでしょうか。 バベルの塔の神話はそんなことまでも示唆しているように思えます。 また、翻訳の本質が見えてくるこんなトピックもあります。 あるテレビ番組で、日本料理の達人がルソン島に行き、現地の子供の1歳のお祝いの膳を用意するという番組を観ました。おそらく番組主催者の意図は世界遺産となった日本料理が、ガスも、電気コンロもない孤島で通用するかを面白、おかしく見せようとしていたのでしょう。 この日本料理の達人は自らの得意技で様々な料理を、現地の限られた食材を使い、事前に 現地の人々に味みをしてもらいながら試行錯誤で料理を完成させいくというストーリーでした。そして、最後は大絶賛を得られたという番組でした。 しかし、かれはその間、自ら良しとする自信作で味みをしてもらうわけですが、一様にまずいと言われてしまいます。しかし、何度も現地のひとの味覚を確認しながら、日本料理を ‘翻訳’していくのでした。そこには自文化の押し付けもなければ、ひとりよがりの自信も見られません。ただ、現地のひとの味覚に合うよう、これが日本料理という既成概念を捨て、日本料理を相対化し、自らのものさしを変えていったのです。 世界には7,000を越える言語、更にそれをはるかに越える文化が有るなか、翻訳者が、翻訳できるとはどういうことなのでしょうか。 翻訳ができるということは、もともと一つだからであり、 翻訳ができるということは、具象と抽象の梯子を上がり下がりできるからであり、 翻訳ができるということは、自己を相対化できるからでしょう。 世の中には様々な宗教があり、お互いを翻訳しえないと考えている方が多いのではないのではないでしょうか。 しかし、誰しも翻訳者であると考えてみましょう。‘翻訳者’という役割が与えられた時点で、自らの言語、文化を相対化する必要があります。翻訳する相手の文化を尊重し、自国の文化を相対化し、相手の国の人々がわかるよう再表現をする。 「翻訳とは、お互いの違いは表層的なものであり、もともとは一つであることに気づき、お互いを認め、尊重し合う行為である」と考えられるでしょう。 翻訳こそ、‘鋭い感性と深い精神性’をもつ日本人(日本語を母国語とするもの)に適した役割でしょうし、‘翻訳的ものの考え方’、すなわち翻訳者意識で世界を変える、これを先導するのがバベルの使命のひとつであると確信しています。   [box color=”lgreen”]

– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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翻訳者の資格が問われる時代に突入!!

翻訳の国際規格が2015年4月、日本でスタート!

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

EU発の翻訳の国際規格、ISO17100が2015年4月に日本でも発行されました。これまでISO(国際標準化機構、本部ジュネーブ)は様々な国際技術規格を世界標準とすべく、規格を策定、世界に普及させようとしてきました。

以下に翻訳関連する規格を列挙しましょう。

  • ・ISO 9001:2008   文書化プロセスと手順に適用される規格。
  • ・ISO 27001:2005   文書化された情報セキュリティマネジメントシステムの構築、導入、運用、監視、維持、改善のための要件を規定する規格。
  • ・EN 15038:2006   欧州標準化委員会によってヨーロッパの翻訳/ローカリゼーション専用に作られた品質規格。
  • ・ISO 13485:2003   ISO 9001を基にした規格で、医療機器と関連サービスの設計、開発、製造、設置に焦点を置いた規格。
  • ・ISO 14971:2007   医療機器の翻訳サービス全体を通してリスク管理のあらゆる側面が考慮されていることを確認するプロセスを提供する規格。(ISO 13485を補完するもの)

その内に、TC(Technical Committee)37という言語、内容及び情報資産の標準化をめざす専門委員会が設置され、その下にはいくつものSC(Sub Committee)が設置されています。この17100もこの中で検討され、ISO17100( Requirements for translation Services)は翻訳の国際規格として昨年誕生しました。

私は日本翻訳協会の一員としてこのISO17100DISの検討プロジェクトに参画してきました。

日本はとかくこのようなルール創りには蚊帳の外に置かれがちですが、我々翻訳者ひとりひとりの課題としても正面から向き合う時が来たように思います。

これが、我々バベルグループが40余年にわたり独自に追求してきた、‘ 翻訳のプロフェショナリズム ’を確立することでもあるからです。

また、私が関わっている日本翻訳協会において一昨年スタートした『JTA公認 翻訳プロジェクト・マネージャー資格試験』についても、このISO17100に準拠し、それを越える(翻訳品質のみならず、ビジネスとしての健全性を含む)資格としてスタートしました。 
http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm.html

この業界で長い方はご承知かと思いますが、ISO9001という品質マネージメント規格は、ローカリゼーション翻訳の世界では、国際規格として採用され、翻訳会社( Translation Service Provider) によってはこの認証を取得して、クライアントにたいする営業のブランド力としていました。しかし、その後、翻訳の業界にはそぐわないとして欧州規格EN15038が創られ、これが次第に浸透するようになりました。そこでISOはこのEN15038をベースとして、ISO17100の開発に踏み切ったという訳です。

このISO17100は、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立という意味でも大事な視点を含んでいます。

まず注目すべきは、このISO17100は翻訳会社のみならず、クライアント、その他のステークホールダーを巻き込んだ規格であるということです。

また、この規格では翻訳者の資格(Qualification of Translators)、そしてチェッカー、リバイザーの資格を明確にしようとしていることです。すなわち、翻訳者を社会にどう認知させるかという視点をベースにもっているということです。

翻訳者の資格(Qualification of Translators)
(1) 翻訳の学位
(2) 翻訳以外の学位+実務経験2年
(3) 実務経験5年
(4) 政府認定の資格を有する
のいずれかが必要と謳っていました。 しかし、最終的には「(4) 政府認定の資格を有する」は訳あって外れました。
また、実務経験何年というのが曲者でどのようにはかるのでしょうか。
また、翻訳プロセスについても
Translate
⇒ Check
⇒ Revise
⇒ Review
⇒ Proofread
⇒ Final Verification
とその品質確保の要求プロセスを規定しています。
*Reviewはオプション

これらの要求項目は、まさに業界とそれを取り巻くクライアント、エンドユーザーが一体と ならないと達成できないことです。翻訳の品質を一定に保つためにはこれらの視点、プロセスが必要であることをクライアントが納得していただけなければならないわけで、それがなければ翻訳業界の発展も見込めないわけです。

私は、2000年、米国に翻訳専門職大学院( Babel University Professional School of Translation)を設立しAccreditationを取得するために、米国教育省が認定している教育品質認証団体、DEAC( Distance Education Accrediting Commission)のメンバー校になるべく交渉をした経験があります。

このAccreditationを取得するプロセスでは、約3年の年月と、1,000ページに及ぶ、Educational StandardsとBusiness Standards遵守の資料の作成が要求されました。
その後、これらの資料に基づき、監査チーム(5名)を米国事務所に迎え、プレゼンテーションをし、査問、監査を受けるわけですが、こうしたルールにどう準拠するかのやり取りは、嫌というほど経験しています。

自分で選択したとは言え、その経験があるがゆえに、既に作られたルールに意図に反して従わざるを得ない無念さを痛感していました。翻訳の教育はこうなんだ、他の学科を教えるのとはこう違うのだといっても、所詮、ヨーロッパ系言語間のより容易な‘翻訳’を‘翻訳’と考えている彼らには、その意味が通じず、いつも隔靴掻痒の思いがありました。

従って、ルールメーキングの段階からこの種のプロジェクトに関わる必要性を痛切に感じてきました。

ISOに指摘される以前に、私の持論としては‘ 翻訳者は翻訳専門の修士以上の教育プログラムを修めるべき’ と考えています。翻訳は専門と言語力の統合があってこそ可能、すなわち、大学院レベルの教育であってしかるべきと考えています。

ということで、時代は動いています。ISOが一番に指摘しているように、翻訳者は少なくとも翻訳のディグリー、できれば修士号を持ちたいものです。 それこそが、翻訳業界の発展、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立でもあるからです。

以上
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GLOCALISMの潮流にみる翻訳の意義

GLOCALISMの潮流にみる翻訳の意義

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 Brexit(Britain+Exit), 英国の国民投票によるEU離脱の衝撃は、日本、そして世界の経済、政治に大きな影響を与えつつあることはご承知かと思います。 円高、ドル高、株安、貿易の縮小、難民の無制限な移動の制限と世界はある方向急展開しつつあることを実感させます。 EUは解体に向けて歩む?のかもしれません。実際、オランダ、イタリア、オーストリア、フランス、デンマーク、スウェーデンももしかしたら、という状況のようです。 では、このBrexit以降、世界はどんな方向へ急展開しているのでしょうか。 それは、 GlobalismからNeo-nationalism (Localism)へ 国境を無くし、人の交流を自由化し、市場を開放する方向から、難民の無制限な移動の制限をし、国家を取り戻す方向へ ElitismからPopulismへ 国際金融資本家に代表されるエリート主導から大衆主導の時代へ ここに、ヒラリーVSトランプの構図も見え隠れしています。 翻って、翻訳を考えてみましょう。英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそグローバリスト、国際金融資本家の思う壺。 最近では日本の東大がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から七位に転落とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、おそらくその理由は、授業が英語で行われている割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。 しかし、考えてみてください。英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は日本以外ではあるでしょうか。また、世界中の古典が読める稀有な国日本。 今まさに、大きな潮流は、ローカル、それもグローカル、開かれたローカリズムの時代に突入しつつあるように見えます。 ここにこそ翻訳の意義があります。個々の自立した文化をお互いに尊重し、そのうえで翻訳による相互交流を行う、そんな翻訳的価値が見直されています。 皆さんは‘遠読’( Distance reading )ということばをご存知でしょうか。Close Reading、精読に対して言われる用語です。これまで世界文学を語るときは常に原典主義をとってきたわけで、自ずと英語をはじめとする主要言語で世界文学が語られてきたわけです。しかし、世界文学を語るときにマイナー言語の国の文学も視野に入れるべき時代で、その際採用されるのが‘遠読’??なのです。つまり翻訳で読むわけです。 米国では今、多言語の翻訳出版の会社が続々と起業され、イギリスも英連邦の本のみを対象にしていたブッカ―賞をゆくゆくは、翻訳文学も対象にすることを考えていると言います。マイナー言語のプレゼンスが高まってきたと言えそうです。更に面白いのは、自分の作品が英語に訳されることを想定して書く作家も出てきているということです。 ことほど左様に、世界は個々の自立を前提にそのコミュニケーションの方法論として‘翻訳’を求めています。グローバリストの脅し、誘惑に左右されずに、これからの世界における翻訳の意義を堂々と主張しましょう。 お互いの文化を尊重し翻訳を通じてハーモナイゼーションを計る、素晴らしい時代の到来です。 [box color=”lgreen”]

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グローバルに起業するノウハウ 第2回

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第2回 グローバル翻訳市場へのアプローチの仕方

 読者の方から質問がありましたので、最初にお断りしておきますが、この記事での「起業」とは、翻訳会社(法人)を設立して経営するという意味ではなく、「フリーランスの翻訳者」としてお金を稼いでいくにはどうしたらよいのか、というレベルの話しです。その場合でも、国によっては、労働許可の取得などさまざまな問題をクリアしなければならないかもしれませんが、この記事では取り扱いませんので、滞在国の制度をご自分で調べてください。また、海外で将来翻訳会社を経営してみたいという方も、国によって要件が異なりますので、商工会議所などで情報を調べてください。 英日・日英の案件が多い国  前回の記事でも説明しましたが、インターネット上で取引できる翻訳会社は世界中のほとんどの国に存在します。その中で、英日・日英の翻訳案件を多く扱っている国は、まず英語圏の国かつ日本企業が多く進出している国・地域(米国、カナダ、英国、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール、香港、インドなど)、次に非英語圏でも日本企業の活動が活発な地域(西ヨーロッパ、東南アジア、中国など)が挙げられます。最近は、東アジア、EU圏の東欧諸国、南米、ロシア、イスラエルといった国でも英日・日英の翻訳需要が高まっています。  ここで気をつけなければならないのは、仕事をした後確実に翻訳代金が回収できるかということです。たとえば、現在EU圏、南米などの国で金融危機が叫ばれていますが、そのような国の翻訳会社と取引しても、国家レベルで外貨の持ち出しが制限されてしまうと翻訳代金の回収が遅れたり、最悪の場合は払ってもらえないことがありますのでご注意ください。では、経済が急速に発展している新興国や発展途上国ではどうかというと、やはり外貨が不足している国では外貨での取引が制限されることがありますので、最初からあまり大きな案件を引き受けないほうが良いでしょう。 グローバル翻訳市場にアプローチするには  それでは、グローバル翻訳市場にアプローチするにはどうしたらよいでしょうか。 1. 前回も説明しましたが、有利に取引を進めるには、翻訳関連の資格、特に翻訳の学位や修士号を取得することです。その理由は、海外の翻訳会社では、プロジェクトマネージャーが納品された翻訳文(たとえば、英日翻訳の場合は日本語の翻訳)を読んで品質を判定できないので、翻訳能力を判定する最も確実な方法は、翻訳を正式に勉強した翻訳者を採用することです。また、前回も申し上げましたが、翻訳業界のISOの認定資格であるISO17100:2015では、翻訳の学位や修士号を取得が翻訳者の資格として認められており、世界全体でみても日本語翻訳の学位や修士号の保有者はそれほど多くないので、優位な立場に立つことができます。 2. 特に、英国(英国翻訳通訳協会: The Institute of Translation & Interpreting(ITI))、米国(米国翻訳者協会:American Translators Association (ATA))、オーストラリア(オーストラリア国家認定資格: National Accreditation Authority For Translators and Interpreters: NAATI)の試験に合格すると、それぞれの国で翻訳者としての評価が高まります。それぞれの国の翻訳資格については、日本翻訳協会http://www.jta-net.or.jp/index.html のウェブサイトで「世界の翻訳資格」を参照してください。 3. インターネット上では、フリーランスが仕事を得るために登録するサイトが多数ありますが、特に、翻訳・通訳関連では Proz.com http://www.proz.com/ やTranslatorsCafe.com https://www.translatorscafe.com/cafe/default.asp はプロの翻訳者の登竜門として有名です。どちらも無料で登録可能です。両サイトでは仕事の紹介を行っていますが、翻訳者としての資格や能力を詳細に登録しておけば、翻訳会社からスカウトされることがあります。Proz.comでは、有料登録制度やCertifiedProという認定制度があり、有料登録や認定を受けると、無料会員よりスカウトされる確率が高くなります。 4. たとえば、居住国に日本との取引が多い企業や日系企業が進出している場合は、必ず翻訳案件が発生しますので、企業に務めている知り合いに翻訳者であることを売り込んだり、現地企業に直接売り込むという方法が考えられます。ここで注意してほしいのは、ターゲットを絞らずに知り合い、近所の人、親戚など誰にでも口コミで翻訳者であることを宣伝すると、簡単なメールや手紙などプロ向けではない案件を無料、あるいは非常に安い料金で引き受けるはめになってしまいがちです。 グローバル翻訳市場におけるリスク  翻訳者にとっての最大のリスクは、「仕事の報酬が支払われない」ことです。これは、国内外を問わず同じです。万が一翻訳料金が支払われない場合、日本の翻訳会社には少額訴訟を直接起こすことができますが、翻訳会社が海外にある場合は、債権回収のために弁護士や費用回収会社に依頼すると、莫大な手数料がかかります。そこで、未払いリスクを避けるには、原則として政情が不安定な国や金融危機が発生している国にある翻訳会社と取引をしないようにします。こうした国にある翻訳会社は、単価が通常より高い、支払いまでの期間が短いなど、最初に翻訳者にとって非常に都合の良い条件を提示することがありますが、そうした条件に惑わされないようにしてください。 グローバル翻訳市場におけるメリットとデメリット  海外のさまざまな地域(アジア、ヨーロッパ、北米)に取引先を分散させておけば、ある地域で景気が悪くなってその地域にある翻訳会社から仕事が途切れても、他の地域にある翻訳会社からは仕事の依頼が続くので、年間を通して仕事が平均的に発注されるというメリットがあります。  デメリットは、上記の3地域では時差が大きいため、3地域の翻訳会社に完璧に対応するには、それこそ寝る暇もありません。そこで、取引の多い翻訳会社を2地域に絞り、他の1地域の翻訳会社からは暇なときに仕事を受けるようにします。             (WEB雑誌 The Professional Translator 155号より)                  http://e-trans.d2.r-cms.jp/ また、8月30日(火)18:00~(日本時間)、このテーマに関して、日本翻訳協会主催でセミナーを実施する予定です。ZOOMで世界中から参加できます。 沢山の方の参加をお待ちしています。 [box color=lgrey] ハクセヴェルひろ子 ハクセヴェルひろ子 大学卒業後、商社と金融機関勤務を経て、1992年トルコに移住。 2005年バベル翻訳大学院修了。翻訳修士。 2008年Proz.com Certified PRO認定。現在フリーランスで翻訳業に従事。 [/box]
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グローバルに起業するノウハウ 第1回

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第1回 グローバル翻訳市場と日本の翻訳市場の違い

グローバル翻訳市場で活躍するには、まずグローバル市場の成り立ちや、日本の翻訳市場との違いを把握することが重要です。 翻訳会社の変遷 インターネット上に翻訳市場が出現したのは、商用インターネットが実用化された1990年代半ば以降のことですから、せいぜい20年程の歴史しかありません。それが今では、世界のほとんどの国で、規模の大小を問わずインターネットを駆使して営業する翻訳会社が存在します。 翻訳会社の中には、バベルのように、インターネットが実用化される前から翻訳会社として事業を展開し、インターネットの実用化に合わせてオンライン向けに事業を編成し直した翻訳会社もありますが、残念ながら時代の流れについていけずに消えていった翻訳会社もあります。 代わって台頭してきたのが、インターネット実用化後に設立された翻訳会社です。地元で発生する翻訳案件を扱う小規模な会社から、大企業を中心に、企業や公共事業体の案件を扱う会社などさまざまな形態がありますが、海外の大半の翻訳会社では多言語を取り扱っています。なかでも、マルチランゲージベンダー(MLV) と呼ばれる、全世界に支店を持ち、多言語の翻訳を扱っている大手翻訳会社は、「ワンストップソリューション」を目指して、さまざまな分野に事業を拡大しています。日本に支店を構えている大手MLVも何社かあります。 翻訳業務には、多言語への翻訳だけではなく、デスクトップパブリッシング(DTP)、ソフトウェア、ウェブサイト、Eラーニングモジュール、動画、ゲームや漫画のローカライズや製作など多岐にわたりますが、MLVはこうした業務を自社でまとめて行う「ワンストップソリューション」をクライアントに提供しています。また、最近では、法律、ゲームや漫画、特許などに特化した多言語翻訳会社も出現しています。 海外の翻訳会社と日本の翻訳会社の違い 取り扱い言語 海外の大半の翻訳会社は多言語を扱い、ひとつの案件を複数の言語に翻訳するプロジェクトに対応しています。これは、大部分の案件が文書の作成元から発注されること、英語圏以外の翻訳会社でも、プロジェクトマネージャーがほぼ全員英語でコミュニケーションをとれるため、全世界から翻訳者を募集できることにより可能となります。 一方、日本の翻訳会社が取り扱う案件の大半は、クライアントが第三者の企業や機関から入手した外国語(主に英語)の文書を翻訳します。また、ほとんどの案件は外国(英語)から日本語への単一方向の翻訳です。日本でも多言語を扱っている翻訳会社はありますが、日本の翻訳会社は日本で銀行口座を保有していることを条件に翻訳者を募集するため、日本に居住している、または過去に居住していた人しか翻訳者として応募できないことから、人材が限られてしまいます。また、英語でコミュニケーションを取れないコーディネーターも多いため、海外の翻訳会社のように多言語のプロジェクトを実施するのは困難な状況です。 翻訳に必要な技術 元々はソフトウェアのローカライズから発展してきたMLVをはじめ、グローバル翻訳市場の大手の翻訳会社は、最新技術を採り入れることに抵抗がありません。PDFを利用した紙原稿の添付ファイルへ変換、CATツールの採用などは、かなり初期の段階から実現していました。また、翻訳者の登録システム、案件の原稿の受け渡しシステム(エクストラネット)、Invoice作成システムなど、翻訳会社自身や翻訳者の作業負担を軽減するシステム、Skypeなどソーシャルネットワーキング(SNS)によるコミュニケーションも積極的に採り入れています。 日本の翻訳会社は、私の印象では翻訳に必要な技術面の整備が海外の翻訳会社と較べて非常に遅いと思います。たとえば、上記で紹介したPDFの技術を海外の翻訳会社が採り入れ始めた15年程前に、日本の翻訳会社はまだファックスで翻訳原稿を送信していました。全社的なCATツールの採用や、翻訳者専用のシステムの構築を積極的に行って、翻訳業務の効率化を図っている翻訳会社もあまり多くありません。 翻訳者の資格 海外の翻訳会社では、まず書類 (CV) 審査で翻訳者の実力を判定しますので、翻訳経験も重要ですが、翻訳関連の学部や大学院を卒業していると非常に有利になります。実力のある翻訳会社は、昨年4月に発行されたISO17100:2015認証を取得するために、翻訳者の条件として認められている翻訳関連の学位・修士の保有者を必要としています。 日本の翻訳会社は、日本に翻訳学部がある大学が存在しないせいもあり、体系的な翻訳の学習が重んじられていないような印象を受けます。翻訳者の採用条件も、どちらかと言えば翻訳に関連のない専門学部を卒業し専門知識を有していること、長年の翻訳者としての経験に頼っているようなところがあります。 翻訳会社と翻訳者の関係 取引を始める前に翻訳会社と締結する契約書(たいていの場合は、「秘密保持契約」)では、翻訳者をContractor(請負業者)と表現していますが、実際に取引を始めると、プロジェクトマネージャーは翻訳者を対等に扱ってくれます。翻訳者として常識的に振舞っている限り(納期を守る、指示を守る、高品質の翻訳物を提出するなど)、都合が悪くて案件を断わり続けたり、数週間休みを取っても、仕事が途切れるということはありません。また、信頼関係が築かれると、翻訳会社のパートナーとして、トライアルの採点を任されたり、大型案件の進め方について相談を受けたりすることもあります。 日本の翻訳会社では、翻訳者はあくまでも「仕事をいただく立場」のような印象があり、仕事を断り続けたり、長い休みをとると仕事が来なくなったりすることがあるようです。実際、5月に日本に帰国した折に、「そんなに長い間(実際は3週間)休んで、仕事が来なくなるのではないか」と多くの方から心配していただきましたが、トルコに帰国後も通常通り案件を発注しています。日本では翻訳会社にそれほど忠誠を示さないと仕事をもらえないのか、と逆にこちらが驚いた次第です。 [box color=lblue] ******** <質問> グローバル翻訳市場で必要とされるスキルは何ですか。 <回答> グローバル翻訳市場では、英語圏、非英語圏の国を問わず、英語がコミュニケーションの標準語となりますので、英語によるコミュニケーション(電子メールの読み書きは必須、できれば電話、Skype、TV会議でのコミュニケーション能力)が必須です。また、翻訳会社で使用しているCATツールに習熟していること、翻訳会社が開発した案件処理システム(ファイルのダウンロードとアップロード、Invoiceの作成など)を抵抗なく使える能力も必要です。 ******** [/box] ※ 今回ご質問をお寄せいただいた皆様へ ※ 今回の特集に関連して、沢山のご質問をお寄せいただきありがとうございました。記事の中でお答えする予定でおりましたが、 内容が多岐にわたり全部の質問には回答できないかもしれませんので、残りは連載最終回にまとめて回答したいと思います。 また、7月26日(火)18:00~(日本時間)、このテーマに関して、日本翻訳協会主催でセミナーを実施する予定です。ZOOMで世界中から参加できます。 沢山の方の参加をお待ちしています。 [box color=lgrey] ハクセヴェルひろ子 ハクセヴェルひろ子 大学卒業後、商社と金融機関勤務を経て、1992年トルコに移住。 2005年バベル翻訳大学院修了。翻訳修士。 2008年Proz.com Certified PRO認定。現在フリーランスで翻訳業に従事。 [/box]
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これからの翻訳プロフェショナルとは

『 BABEL GROUPのミッション 翻訳プロフェッショナリズム の構築― 40年目の私の中間総括2014 』と題して、これまで翻訳界に対する課題提起を以下のようにしました。

  1. 翻訳業のプロフェッショナリズムは確立しているか。
  2. 翻訳の品質を保証する翻訳者、翻訳会社の生産能力の標準化はできているか。
  3. 翻訳者の資格は社会に定着しているか。翻訳会社の適格認証制度は構築可能か。
  4. 翻訳、翻訳専門職養成の大学、大学院は存在しているか。
  5. 翻訳専門職のための高等教育機関のプロフェッショナル・アクレディテーションは実現しているか。
  6. 翻訳教育においての翻訳教師養成の必要性を認識しているか。
そして、そのソリューションをバベルグループ40年の活動中間総括としてまとめました。 ソリューション1. 翻訳者の能力の標準化 ⇒ 翻訳者の国家資格の構築 80%達成 ソリューション2. 翻訳の品質保証システム構築 ⇒ 翻訳会社の適格認証制度の構築 50%達成 ソリューション3. 翻訳専門職大学院の確立 90%達成 ソリューション4. 翻訳専門職高等教育機関のプロフェッショナル アクレディテーションの実施 準備中 ソリューション5. そして、翻訳プロフェッショナリズムの確立 70%達成 以上、中間総括を要約、まとめてみました。 次に、バベルグループが計画している、 翻訳のプロフェショナリズムを高める更なる施策を簡単にご紹介いたします。 施策 1 研究所構想 BABEL UNIVERSITY System内に翻訳者のプロフェショナリズムを確立するための 4つの翻訳研究所の設立を予定しています。 1.翻訳テクノロジー研究所 2.翻訳教育・キャリア研究所 3.ビジネス翻訳リサーチ研究所 日本国内にはビジネス翻訳マーケットに対する十分な情報分析がなされていません。 しかし、米国では労働省が以下のように翻訳業界の情報を開示しています。 http://www.bls.gov/ooh/Media-and-Communication/Interpreters-and-translators.htm 翻訳立国日本としても、翻訳の技術・教育情報、翻訳マーケット情報は欠かせない情報です。 4.出版翻訳リサーチ研究所 翻訳出版においても翻訳出版に関するデータの集積、分析が十分になされていません。 従って、各研究所より定期研究レポートの発刊を目指していきたいと考えています。 施策 2 専門職法人構想 スタッフ全員が専門翻訳分野のマスター・ディグリーを持つ翻訳専門職法人を分野別に設立したいと考えています。更には、翻訳に関わる世界標準の資格を取得すること。 http://www.jta-net.or.jp/index.html これも世界初の試みです。院生の皆さんのご協力、ご理解を期待します。 施策 3 地球図書館 構想 地球図書館は、既にスタートを切っていますが、さらに充実させます。人々に気づきと喜びをもたらす未発掘の良書、多言語コンテンツを発掘し、翻訳し、デジタルコンテンツとしてストック、共有、享受できるデジタル図書館システムを本格的に創りたいと考えています。 http://www.babelpress.co.jp/html/page69.html 施策 4 Professional Partnersとの連携構想 翻訳関連のProfessional Partners、すなわち 一般企業 翻訳会社 出版社 研究所 教育機関 図書館 翻訳団体 等 との連携、協力により、研究協力、JOB FAIRの実施等、翻訳のプロフェショナリズムを深め、社会的貢献をさらに高めていきます。 ここまで皆様にお伝えして、はて、と考えてしまいました。 あれ、翻訳者ひとりひとりの実像が結べない。 いくら、事業を発展しても、主役である翻訳者が希薄になってしまっては本末転倒。そこで、改めて原点に却って、では ‘翻訳プロフェショナリズムの確立’のなかでの‘ 翻訳プロフェショナルとは’を考えてみましょう。 例えば次のような実績、 1.翻訳専門職大学院のマスターを取得した。 2.翻訳者としての公的資格を取得した。 3.働いている翻訳会社やクライアントから高品質評価を受けている。 4.翻訳プロジェクト・マネージャー の資格も取得した。 これが、めざす翻訳プロフェショナルでしょうか? これが、めざしたい翻訳プロフェショナルでしょうか? 本誌でも何度かふれてきたのでこの点を改めて考えてみましょう。 はじめに、Find your own uniqueness, define your own success.という言葉を 覚えていますか。米国の教育理念の基本的コンセプトを表す言葉です。 個性、長所を見つけ、これを活かすことから、その人生の成功は始まります。 長所伸展法、すなわち、短所を治すことに時間を費やすより、みずから得意とするところを伸ばす,その方が成功への確率が高い、と言われます。 日本では得てして、右に倣えの横並び精神が優っていて、人と違うことを嫌う傾向に あるのは今も変わりがないかもしれません。UNIQUNESS、ユニークであることをマイナス評価するそんな傾向には流されないようにしたいものです。 更に、翻訳者として自立する時に、その分野を徹底的に絞り込む必要性を訴えました。 と同時に申し上げたのは、その専門を軸に、スキルの横展開をすることを勧めました。すなわち、その専門分野で翻訳をするだけでなく、講演、レクチャーができるようになる、さらにはその分野のライター、研究者となることです。また、その分野の大きな翻訳プロジェクトが発生したら、そのプロジェクト・マネージャーとして仕事を仕切る。そんな、幅と奥行を持ったキャリアを創ることを提案いたしました。 加えて、日頃から申し上げているのは、ビジネス翻訳者といえども、必ず、その専門分野の啓蒙書、研究書等の翻訳出版物をもつということです。これにより、翻訳者として別格のブランディングができます。デジタル、POD出版が盛んになってきた今では十二分に可能なことです。 そして、更に、エフィカシー(efficacy)についてもふれました。 これは、コーチング理論等で使われる用語で、簡単に言えば、自己の能力の自己評価のことです。このエフィカシー(efficacy)が低いと常に自己嫌悪に陥り、目標も達成できず、悪循環となりがちです。 あなたは、翻訳者、翻訳業として、高いefficacyをもち続けているでしょうか。 翻訳者の社会的役割、いや、地球的、いや、宇宙的役割までも気づいているでしょうか。 また、 あなたがあなたの限界を決めてはいませんか。あなた自信が小さく収まってしまったら、それを越えることは絶対できません。あなたのLimited belief(自分の限界を自分で決める)がそのビジョンを大きく描き、エフィカシー(efficacy)高めることを妨げていないか、再度問いかけてみてください。 もしやあなたは、次のように考えていませんか? 私の才能は限られている。 私はお金に恵まれていない。 私は一流の翻訳者にはなれない。 一流の翻訳者になるには血の滲む努力が必要だ。 私は運がない人間だ。 私には十分な時間がない。  等々 自分を縛っている自分がいることに目を向けてみましょう。 自分に不都合に決めている自分を解放してみましょう。 人がどう言おうと、振り回されないでください。 なぜなら、エフィカシー(efficacy)とは、自己の自己評価だからです。 さて、みなさんはここまでで どんな翻訳プロフェショナル像を結べましたか。 私が手前勝手にまとめさせていただければ、 1.翻訳専門職大学院のマスター・ディグリーを取得し、 2.専門の軸足(Uniqueness)をしつかりもち、その分野の公的資格を取得し、 3.翻訳力にとどまらず、プロジェクトを率いるマネージメント資格と実績を保持し、 4.翻訳のみならず、出版・執筆活動、講演活動、研究活動にも積極的に取り組み、 5.翻訳の社会的、地球的、宇宙的役割を深く認識するとともに、 6.翻訳者としての高いエフィカシー(自己の自己評価)をもち、 7.翻訳プロフェショナルとして生きることに深い喜びをもつている そんな翻訳プロフェショナルに私はなりたい。 最後に、再び、そんな理想、私には無理、とお考えのあなたに福澤諭吉のことばをお送りしましょう。 ・やってもみないで「事の成否」を疑うな ・自分の力を発揮できるところに運命は拓ける ・挑戦することは「天命」さえも変える
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– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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翻訳のアマチュアリズムを極める

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

本誌、前々号でバベルグループの使命に関して「翻訳のプロフェショナリズムの確立」 と言ったそばから、なぜアマチュアリズム?とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。 別に、ボランティア翻訳を推進しようと言うわけではありません。 これを別の言い方をすれば、「教育的翻訳を極める」と言っていただいても構いません。 教育的翻訳というと馴染みがないと思いますが。 教育的ディベート(Academic Debate)をご存知でしょうか。バベルでも90年代に約10年間、米国のディベートチャンピオンとコーチ(教授)を日本に招請して、日本全国の教育的興行を全面的に後援しておりました。日本語と英語でディベートを行い、ディベートの効用を謳ってきました。当時は松本茂先生(バベルプレスで「英語ディベート実践マニュアル」刊行、現立教大学経営学部国際経営学科教授、米国ディベートコーチ資格ホールダー)、故中津燎子先生(書籍「なんで英語やるの?」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞)にお力添えをいただいておりました。 話が横道に逸れてしまいましたが、教育的ディベートとは、論理構成力を涵養する教育の 一環としてディベートの手法を活用しようという考え方でした。 ここで私が言う、「教育的翻訳とは」大学生以上の成人層を対象とするものと小中学生等を対象にするものとを考えているのですが、プロ翻訳家の養成という意図はありません。 ここでは説明をわかりやすくするために、後者の例をお伝えします。 バベルグループの歴史が40年となることはこれまでにお伝えしました。その間、翻訳に関しても様々な実験的な試みをしてきました。私が前職(JTB外人旅行部)からバベルに転職したときのバベルの面接官が、当時教育部長をされていた故長崎玄弥先生でした。長崎先生は海外に行くこともなく、英語を自由に操る天才的な方でした。当時は奇跡の英語シリーズで100万部を越えるロングセラーを執筆されておりました。 その面談は急に英語での面談に切り替わって慌てた覚えがあります。 その長崎先生と翻訳に関するある実験的な企画をしました。 当時、中学の1,2年生を7,8人募集して、中学生に翻訳(英文解釈、訳読ではない)の授業をするという試みでした。週に2,3回、夕方を利用して、かれらに英米文学(ラダーエディション)の翻訳をさせたのです。詳細は置くとして、それから約1年後は、なんと彼らの英語、国語、社会の成績が1,2ランク上がったのです。英語の成績が上がるのはもっともとしても、社会、国語の成績が上がった時は、翻訳という教育の潜在力を実感したものです。あれから20余年、懸案を実現するに、時が熟して来たと感じています。 現在の英語教育では、文法訳読形式が否定され、コミュ二カティブな英語教育が推進されるなか、実効性が上がらないのを目の当たりにして、明治時代以前の教育にも見られる「教育的翻訳」の必要性をうすうす感じているのは私だけではないのかと思います。 また、余談を言わせて頂ければ、コミュ二カティブな英語を涵養する優れた教育方法は 「教育的通訳」とバベルでの企業人向け教育の経験で実感してきました。 これはのちに上智大学の渡辺昇一先生(現上智大学名誉教授、書籍「知的生活の方法」で一世を風靡)が、その実効性に関する大部のレポートを発表されておりました。 話が横道に逸れてしまいましたが、この「教育的翻訳の普及」が、言語教育、異文化理解、異文化対応、感性の涵養等、小中高等教育のみならず成人教育、更には日本の世界における新たな役割認識に新しい地平を拓くものと信じています。 詳細は、次号以降でお伝えします。

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– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1

海外からも参加できるオンライン説明会

◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。

◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。

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「学問のすすめ」、ならぬ、「翻訳のすすめ」

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

「学問のすすめ」
天は人の上に人を造らず、人の下に人をつくらず
人は生まれながら平等であると言われているが、
現実には大きな差がある。それはなぜであろうか。
その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。 学問を身につけ、自分の役割を果たし独立すべき。
自由とわがままは異なる。学問とはその分限を知ることである。
自分の行いを正し、学問を志し、知識を広め、各自の立場に応じて才能と人格を磨き、
外国と対等に付き合い、日本の独立と平和を守ることが急務である。 福澤諭吉の「学問のすすめ」は、明治維新の5年後、1872~76年に書かれています。人口が3500万人の当時、340万部も売れた驚異のベストセラー、今日で言えば、日本の人口が1億2千万人であるとすると、なんと1200万部ということになります。
当時の日本は明治維新を経て、言わば強制的に鎖国を解かれ、本格的なグローバル社会へ突入した、まさに激動期、社会、国家革命を目前にした時です。 この本は、まさに新しい時代を拓く指南書として多くの日本人が貪り読んだ本でした。 従って、「学問のすすめ」は単なる個人の能力至上主義を唱えたものではなく、個人の社会的あり方、役割を説いたもので、個人が自立するなかで国家自体の繁栄が成し遂げられる事を説いています。 今という時代の課題を考えると、当時、日本が直面していた難題と不思議と符合すると言われます。

等々の状況を見ても、当時、福澤が指摘すると同様、
今こそ、次の時代への明確な展望を持つべきときに来ていると思います。
国に依存せずに、個々が自らできることを自覚するときにあると考えます。 そんな時代に福澤諭吉が唱えたのが `実学のすすめ’ 、 ここで私は、時代意識を転換する新しい視点として、優れて実践的な学であるべき翻訳、
日本の世界における新たな役割を示唆するテーマ「翻訳のすすめ」を今こそ皆さんとともに提案、考えていきたいと考えます。
嘗て、バベル翻訳大学院教授の井上健先生(比較文学会会長、日本大学教授)は本誌でこう書かれています。
「このような、日本近代において翻訳文学研究の果たした決定的役割でもってして、すべてを語り尽くせるわけではもちろんないが、翻訳文学研究が翻訳研究を主導してきたこれまでの歴史についての知見を欠いた翻訳論や翻訳理論が、薄っぺらな、実効性に乏しいものにしかならないことは、まず間違いないところである。    以上を踏まえた上で、声を大にして申し上げておきたい。翻訳者は、1950年代から60年代にかけて、ヤコブソンやナイダによって提起された「等価性」(equivalence)の議論に、今一度、立ち戻ってみるべきであると。 70年代以降の翻訳学(translation studies)の発展が開拓してきた領土を軽視するわけではもちろんない。70年代から80年代にかけて、翻訳学がそのシステム論的、文化論的視点から、翻訳作品が一国の文化を書き換える可能性、逆に一国の文化のシステムが、移入された翻訳作品を書き換えて受容する可能性を、社会文化的規模で追求し、指摘してきたことはきわめて重要である。」 さて、ここからはみなさんの出番です。 翻訳を通じて、どう世界を変えるか、様々な視点でお考えください。今は、福澤が生きた時代と違い、西欧との圧倒的文明差がない時代です。そんな時代を変える、日本の世界における役割を変える新しい実践的な翻訳観を皆さんと共有していきたいと思います。 このテーマ『 翻訳のすすめ 』は、特集として、少なくとも3ヶ月間は継続し皆さんと考えていきたいと思います。 考えるにあたって、参考に2つの原稿を再び紹介いたしましょう。 ひとつは石田佳治先生(バベル翻訳大学院ディーン)の本誌に寄せていただきました
原稿「翻訳者の役割を考える」です。 ⇒
「翻訳者の役割を考える」 
 役割とは割り当てられた役目、期待されあるいは現に遂行している役目あるいは貢献ということです。政治家の役割、経営者の役割、教師の役割というように、それぞれの職業なり地位なりについてそれぞれの役割があります。
 翻訳者の役割とは何でしょうか。翻訳者の社会的役割、顧客に対する役割、将来的な役割について考えてみましょう。 
1. 翻訳者の社会における役割 
 我が国の歴史における著名な翻訳者であった人達、経典を翻訳した空海、江戸期に解体新書を翻訳した杉田玄白、幕末期に西洋兵学を翻訳した高島秋帆、大鳥圭介、大村益次郎ら、明治期にフランスやドイツの民法典やその他の法律を翻訳した蓑作麟祥、西周、穂積陳重らの業績を考えれば、翻訳者の社会に対する役割がわかります。    社会は自ら文明を発展させ文化を伝播あるいは受容するものですが、翻訳者はこれら文明の発展、文化の伝播の重要な担い手です。他の国の文化や文明は翻訳者なしでは伝わってきません。翻訳者があってこそ、自国と異なった文明や文化をその社会の人達が理解し、それを取り入れ受容するのです。翻訳者はまた自国の文化や文明を他国の人達に伝える役割をもっています。異質の社会が翻訳者の仲介によって触れ合い相互に影響を与え、或いは影響を受けながら発展していくものなのです。
 
  2. 出版翻訳における翻訳者の役割 
 明治時代の小説出版業界において翻訳者が果たした役割は、二葉亭四迷、坪内逍遥、黒岩涙香などの翻訳文学者の業績を考えてみれば分かります。明治から大正にかけての時代、日本人の書き言葉、話し言葉は大きく変わりましたが、これは西洋文学を精力的に日本語に訳した翻訳者たちの貢献によるものです。現在でも出版点数の1割を翻訳出版が占めていますが、新しい風潮の紹介はまず翻訳から始まります。読者は身の回りにない海外の風物や外国の人の生き方考え方を翻訳小説というエンターテインメントを通じて知るわけですが、この面における翻訳者の影響力は非常に大きいものがあります。    3. 産業翻訳における翻訳者の役割 
 グローバリゼーションが一般化していなかった戦前の大正、昭和の初期にも産業翻訳者は居ました。三井物産、日本郵船、横浜正金銀行などの海外貿易従事企業には翻訳者が居て信用状や船荷証券や貿易契約書を訳していました。現在の日本の貿易取引の基本はこの時期に作られたのです。戦前の東京高商(現在の一橋大学)や神戸高商(現在の神戸大学)の授業はこれらの文書を使って教えられていました。戦後のアメリカ軍占領期には大量の日本人翻訳者が雇われ法令その他政治に関する文書を翻訳しました。その後の日本の成長期における技術説明書、取扱説明書、契約書なだの翻訳需要が急成長し、産業翻訳者の数が激増したことはご存知の通りです。今では産業翻訳者は日本の産業界に欠かすことのできない重要な存在になっています。
   
4. 今後の翻訳者の役割 
 産業翻訳に関しては、日本の産業は今後も世界経済における重要なプレーヤーの地位を保ち続けるでしょうから、相変わらずの需要が継続するでしょう。産業翻訳者は引き続き重要な役割を果たし続けるでしょう。なかでもIT、バイオ、特許、金融などの分野の産業翻訳者の需要は高いでしょう。    出版翻訳に関しては、今後重要な役割を果たして行くと思われるのは日英翻訳者です。日本文化の発信が重要課題となってきますし、外国の側からも日本のマンガや歴史小説などに対する関心と需要は益々高くなっていくものと思われます。
 
  5. 教育における翻訳者の役割 
 現在は、翻訳は大学を卒業した社会人が行うものであり読むものとなっていますが、今後は、まずは大学生、そして高校生中学生とバイリンガル(日本語英語併用)になっていくものと思われます。そのような社会になったときに教育の分野で日英両語による教科書やサブテキストの需要が生れてくるでしょう。そうなった時には、翻訳者は教育において重要な役割を果たす存在になるでしょう。複数言語を普通に使っているスイス人やベネルックス3国のような社会に、日本はなるのです。翻訳者は自らの役割について、そのような時期のことも考えておくべきでしょう。
                              (石田原稿は以上) 次に、前々号で課題提起をした、「翻訳のプロフェショナリズムの確立」、に継いで私が書いた「翻訳のアマチュアリズムを極める」の原稿をお読みください。
すなわち、翻訳の役割は単にプロの翻訳者が担うだけではなく、一般の翻訳学習者が果たすべき役割も見逃せないという点です。
「翻訳のアマチュアリズムを極める」
バベルグループの使命に関して「翻訳のプロフェショナリズムの確立」と言ったそばから、なぜアマチュアリズム?とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
別に、ボランティア翻訳を推進しようと言うわけではありません。 これを別の言い方をすれば、「教育的翻訳を極める」と言っていただいても構いません。
教育的翻訳というと馴染みがないと思いますが。 教育的ディベート(Academic Debate)をご存知でしょうか。バベルでも90年代に約10年間、米国のディベートチャンピオンとコーチ(教授)を日本に招請して、日本全国の教育的興行を全面的に後援しておりました。日本語と英語でディベートを行い、ディベートの効用を謳ってきました。当時は松本茂先生(バベルプレスで「英語ディベート実践マニュアル」刊行、現立教大学経営学部国際経営学科教授、米国ディベートコーチ資格ホールダー)、故中津燎子先生(書籍「なんで英語やるの?」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞)にお力添えをいただいておりました。 話が横道に逸れてしまいましたが、教育的ディベートとは、論理構成力を涵養する教育の一環としてディベートの手法を活用しようという考え方でした。 ここで私が言う、「教育的翻訳とは」大学生以上の成人層を対象とするものと小中学生等を対象にするものとを考えているのですが、プロ翻訳家の養成という意図はありません。
ここでは説明をわかりやすくするために、後者の例をお伝えします。 バベルグループの歴史が40年となることはこれまでにお伝えしました。その間、翻訳に関しても様々な実験的な試みをしてきました。私が前職(JTB外人旅行部)からバベルに転職したときのバベルの面接官が、当時教育部長をされていた故長崎玄弥先生でした。長崎先生は海外に行くこともなく、英語を自由に操る天才的な方でした。当時は奇跡の英語シリーズで100万部を越えるロングセラーを執筆されておりました。
その面談は急に英語での面談に切り替わって慌てた覚えがあります。 その長崎先生と翻訳に関するある実験的な企画をしました。 当時、中学の1,2年生を7,8人募集して、中学生に翻訳(英文解釈、訳読ではない)の授業をするという試みでした。週に2,3回、夕方を利用して、かれらに英米文学(ラダーエディション)の翻訳をさせたのです。詳細は置くとして、それから約1年後は、なんと彼らの英語、国語、社会の成績が1,2ランク上がったのです。英語の成績が上がるのはもっともとしても、社会、国語の成績が上がった時は、翻訳という教育の潜在力を実感したものです。あれから20余年、懸案を実現するに、時が熟して来たと感じています。 現在の英語教育では、文法訳読形式が否定され、コミュ二カティブは英語教育が推進されるなか、実効性が上がらないのを目の当たりにして、明治時代以前の教育にも見られる「教育的翻訳」の必要性をうすうす感じているのは私だけではないのかと思います。 また、余談を言わせて頂ければ、コミュ二カティブな英語を涵養する優れた教育方法は「教育的通訳」とバベルでの企業人向け教育の経験で実感してきました。
これはのちに上智大学の渡辺昇一先生(現上智大学名誉教授、書籍「知的生活の方法」で一世を風靡)が、その実効性に関する大部のレポートを発表されておりました。 話が横道に逸れてしまいましたが、この「教育的翻訳の普及」が、言語教育、異文化理解、異文化対応、感性の涵養等、小中高等教育のみならず成人教育、更には日本の世界における新たな役割認識に新しい地平を拓くものと信じています。
                              (堀田原稿は以上)
最後に以下の拙稿、「世界が一つの言葉を取り戻す」も参考にして頂ければと思います。 「翻訳のすすめ」を考えるにあたり、発想をゆるめ、抽象化するひとつの方法として、私が執筆した「世界が一つの言葉を取り戻す」も読んでいただければ幸いです。 ⇒
「世界が一つの言葉を取り戻す」 バベルと長いお付き合いの方はバベルの塔の神話をご存知のかたは多いことでしょう。
しかし、バベルの塔の神話の真のメッセージは必ずしも人間の傲慢を諌めることだけではないというところから出発したいと思います。 それは、20年以上前にオーストラリアの書店で見かけた子供向けの聖書に書かれた解釈でした。 神は、人が、ひとところに止まらず、その智恵と力を世界に広げ繁栄するようにと願い、世界中に人々を散らしたという解釈でした。すると、散らされた民はその土地、風土で独自の言葉と文化を育み、世界中に多様な言語と文化を織りなす、一つの地球文化を生み出したのです。 しかし、もともとは一つだったことば(文化)ゆえに翻訳も可能であるし、弁証法的に発展した文化は、常に一定のサイクルで原点回帰をしているので、ただ視点を変えるだけで、結局、同じことを言っていることが分かるのではないでしょうか。 しかし、人間のエゴの働きと言えるでしょうか、バベルの塔のころからの傲慢さゆえに、自文化が一番と考えることから抜けきれないでいると、もともと一つであるものでさえ見えず、理解できず、伝える(翻訳)ことさえできなくなってしまうのかもしれません。 翻訳の精神とは、自らの文化を相対化し、相手文化を尊重し、翻訳するときは自立した二つの文化を等距離に置き等価変換する試みであるとすると、その過程こそ、もともと一つであったことを思い返す試みなのかもしれません。 「世界が一つの言葉を取り戻す」、それは決してバベルの塔以前のように、同じ言語を話すことではないでしょう。それは、別々の言語を持ち、文化を背負ったとしても、相手の文化の自立性を尊重し、その底辺にある自文化を相対化し理解しようとする‘翻訳者意識’を取り戻すことなのではないでしょうか。 バベルの塔の神話はそんなことまでも示唆しているように思えます。 また、ここに翻訳の本質が見えてきます。 昨日、あるテレビ番組で、日本料理の達人がルソン島に行き、現地の子供の1歳のお祝いの膳を用意するという番組を観ました。おそらく番組主催者の意図は世界遺産となった日本料理が、ガスも、電気コンロもない孤島で通用するかを面白く見せようとしていたのでしょう。 この日本料理の達人は自らの得意技で様々な料理を、現地の限られた食材を使い、事前に現地の人々に味見をしてもらいながら試行錯誤で料理を完成させいくというストーリーでした。そして、最後は大絶賛を得られたという番組でした。
しかし、かれはその間、自ら良しとする自信作で味見をしてもらうわけですが、一様にまずいと言われてしまいます。しかし、何度も現地のひとの味覚を確認しながら、日本料理を‘翻訳’していくのでした。そこには自文化の押し付けもなければ、ひとりよがりの自信も見られません。ただ、現地のひとの味覚に合うよう、これが日本料理という既成概念を捨て、日本料理を相対化し、自らのものさしを変えていくのです。 世界には7,000を越える言語、更にそれをはるかに越える文化が有る中、翻訳者が翻訳ができるとはどういうことなのでしょうか。 翻訳ができるということはもともと一つだからであり、
翻訳ができるということは具象と抽象の梯子を上がり下がりできるということであり、
翻訳ができるということは、自己を相対化できるということでしょう。
例えば、世の中には様々な宗教があり、お互いを翻訳しえないと考えている方が多いのではないのではないでしょうか。
しかし、一端、誰しも翻訳者であると考えてみましょう。翻訳者という役割が与えられた時点で、自らの言語、文化を相対化する必要があります。翻訳する相手の文化を尊重し、自国の文化を相対化し、相手の国の人々がわかるよう再表現をする。
「翻訳とは、お互いの違いは表層的なものであり、もともとは一つであることに気づき、お互いを認め、尊重し合う行為である」と考えれば、「優れた翻訳者を世界に送り出すことで世界を一つにする」ということは、あながち、夢物語だとは言えないのではないか、と考えます。
さて、長くなりましたが、「翻訳のすすめ」、みなさんの多様な観点の寄稿をお待ちしております。なお、この3ヶ月に亘るみなさんの寄稿はまとめて本にしたいと考えております。
紙幅により、全ての原稿を掲載できると限りませんが、奮ってご応募ください。

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