「自分で見つける「未来の履歴書」」 喜多 訓子さん

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 ビジネスやスポーツで成功した人が「みなさまに助けられて、気が付いたらこうなっていました」と言うのを度々耳にしてきた。「周りの人が助力してくれたこと」への感謝の言葉をすがすがしく思いながらも、「気が付いたらというのは、はしょりすぎじゃないかな」と感じてしまう。目の前の課題に挑み続けているうちに、気が付かないうちに高みにいることもあるのだろうか。

 自分にとっての「輝く頂」を見つけるのは、ほんとうに難しい。頂は人によって違ってよいのだとなれば、私のような凡人は、どっちを向いていいのやら、ますます困惑してしまう。

 ある時期、仕事から離れざるを得なくなった場合はどうだろう。「頂」は見えなくなってしまう時もあれば、見えないことにする時もあり、別の物に入れ替わったりするかもしれない。

 私の場合、一時期は社会で働くことから離れたものの、機会を得て再び外国と結びつく仕事に関わることができた。幸運にとても感謝している。けれども、より広く仕事をしていくためには、子育てをしながらも語学レベルを向上させていかなければならないと思っていた。進歩して変化していく社会に与していこうと思ったら、机に向かうことはもとより、社会のなかで学び続けていくしかないのだ。そうして数年。先日、バベル翻訳大学院の修了要件を満たせたと、お知らせをいただくことができた。(ありがとうございました!)

 学びの過程の一つが終わろうとしているのだが、経験として活かしていきたい。このキャリアビジョン作りが、これまでに獲得したスキルや経験を目に見える形で明らかにしてくれたので、ぼんやりしていたキャリアが明確になってきたように思う。いろいろなことに興味があり、音楽もスポーツも茶道もと、今だに関心はつきないが、プロフェッショナルな翻訳技術を持つ専門家としての頂は、そのような趣味の物とはステージが異なる。

 キャリア構築は、いろいろな経験が一つの直線上にあることが理想だがーー例えば金融機関で働いた人が税務の資格を持っていたり、金融翻訳をしたりするようなーー私がこれまで働いたり経験して来たことは、実はバベルで学んだこととはあまり関係がない。どの様に結びつけていけばよいのだろう。また、どの様に発展させていけるだろう。

 ともあれ、ステップ3でのスキルの棚卸しによって、ある程度、強みや得意分野がはっきりとしてきた。(こんなことを得意分野などと言っていいのだろうか、世間一般としてはよく知っているかも知れないが、それを扱う人の間ではまだまだだ)というとまどいは、この際、いさぎよく脇に置いて、夢は大きく、高い頂を目指してみた。

 書き出してみると、私がしてきたことはバラバラではあるが事務的なスキルや対人交渉など、基本は押さえられていることがわかった。そして決定的な不安要素は、確固とした語学力だということも。翻訳をしようというのに情けない限りだ。そうとなればここを磨いていくことが最短距離である。英語とドイツ語を総ざらいしつつ、翻訳技能認定試験を受けていくのはどうだろう。

 ステップ4に取り組んで、「5年後の未来」を作成できるのは「自分自身」であるとあらためて認識した。

 一流の通訳者が、いつも新しい情報を取り入れて語学の向上に努めているのはよく知られている。そして世界的指揮者の小澤征爾氏も、毎日スコアを広げて勉強しているという。「勉強を怠ったら、指揮者を辞めなければならない」と。そんな一流の方々が勉強しているなら、まだ走り始めたばかりの一年生は、勉強をして当然だ。そんな言い訳をしつつ、これからの道のりを歩いていこうと思っている。

喜多 訓子
大学卒業後、会社員、オーストリア滞在を経て国際交流に携わる。通訳案内士。バベル翻訳大学院在学中。

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「今回のステップで思ったこと」 笠原 功三さん

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今回のステップで思ったことは、まだまだあきらめなければチャンスがあるかも…、生きていく上でこのキャンペーンが非常に励みになったということです。今私は電気工事のおっさんを職業としております。このおっさんのままでも定年まで行けそうですが、それではつまらない。人生1度きり。40代後半に入りましたが、多趣味でもあり、まだまだこれから、死ぬまで精いっぱい生きようと思っております。そもそも翻訳もこのようなコンセプトがきっかけでスタートし、昨年ようやく、バベル翻訳大学院を及第点でなんとか修了することができました。出来の悪い院生で皆様に大変ご心配ご迷惑をおかけしました。

昨年のハワイでの学位授与式では、遠くハワイまで行かれた修了生は、みなさん非常に優秀な方ばかりで、私一人浮いていたように思います。でも、やはり出席してよかったと思っております。授与式が一つの区切りとしての達成感を得られたのと、授与式で同窓生と学長をはじめスタッフのみなさんの熱意を感じることができたからです。あの雰囲気は、今の職場では絶対に得られない、独特で心地よい雰囲気でした。

話は、大学時代に戻りますが、スペイン語が専攻であったこともありまして、勿論講師は、ラテン系のスペイン人の先生が大半でした。高校を卒業して、最初に接した外国人(高校の英語の授業でアメリカ人の先生を見たことはありますが。)がスペイン人だったことは、その後の私の人生を大いに狂わせてくれました。とにかく変わっている先生ばかりで、毎回授業はパーティみたいに騒いで、授業には関係のない自分の自慢話ばかりで、「日本人は人生を楽しんでいないから楽しむべき。」を連発し、都合が悪くなると、「今日は自習です。」とか「飛行機はもう飛び去った」とか「船はもう出港した」とか言って逃げてしまいました。

救いは、数人の日本人講師とドイツ系アルゼンチン人のスペイン語講師がいたことです。スペイン語をしゃべる人がすべてラテン系であるとは限りません。アルゼンチンなどでは、ドイツ系の人がいてまじめな人が多かった記憶があります。なお、今のスペインの経済が悪化している原因は、スペイン人の国民性にあるのかもしれません。ただ、スペインは、芸術やスポーツに関しては、天才を多く輩出する国であり、一緒にいて楽しかったのは事実であり、今でも私にとってはあこがれの国であります。

「継続は力なり」という言葉がありますが、何事も継続することは大事だと思います。継続したことにより物事を成就しても、それを維持するのにさらに継続が必要ですが。格好いいことを言っちゃってますが、実際、継続したものが実を結んだことはそう多くはありません。ただ、途中でやめてしまって、今まで続けてきたものを永遠に失ってしまった経験はいくつもあります。

翻訳についても、バベル翻訳大学院を修了しましたが、修了がゴールではなく、これから新たなスタートだと思っています。曲がりなりにもここまで来たのですから、途中でやめてしまって永遠に失わないように、研鑽していきたいです。私は、スペイン人たちに鍛えられましたので、あまり人目を気にするタイプではありません。目標に向かってまっしぐら、結果はどうあれ、突き進むまでです。

最後に、moment という言葉がありますが、私は、この言葉が大好きです。通常でも、「現在」、「瞬間」、「期間」など多義語ですが、力学では、モーメントと言います。私は、天井クレーンの免許をもっています。天井クレーンは、大型工場の天井に設置されており、重たい金属部品や完成品をワイヤーで釣り上げて、工場内を移動させるための装置です。クレーンゲームを想像していただくと解りやすいです。その天井クレーンの免許を取るときに必ずこのモーメントについて学びます。モーメントの定義は、「ある点を中心に回転させようとする力の作用」です。つまり、「今この瞬間に力が作用する」ということをたった1語で表現できるmoment を意味の上でも大切にしたいと思っています。

笠原 功三(かさはら こうぞう)
大学卒業後、放浪の旅へ。気が付けば、電気工事の仕事にどっぷり浸かったアラファイブおやじ。

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「未来の履歴書~職業欄:絵本翻訳家~」 葛西 優子さん

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キャリアサクセスシリーズSTEP4の今回は、5年後の未来の履歴書の作成が課題となりました。まず初めに一言お伝えしたいことは「プロフェッショナルとして認められる、その第一歩を踏み出す。」意味を持たせています。5年後という設定での“未来の履歴書”とします。なぜならば、キャリア・サクセスの階段を昇ってゆくのに5年後は駆け出しのイメージが強いのです。成功の1ステップには違いありませんが、あくまでもスタートであり、ゴールではない位置づけです。

このようにわざわざ断りをいれるのには、二つの理由があります。一つ目の理由としては、職業欄:専業主婦と現在堂々と記入しています身分故に、5年後は絵本翻訳家、もしくは翻訳家となれば、一つの成功といえるのです。翻訳大学院生という身でもありますが、はっきりとした目標を自分自身に課さない限り、主婦業のかたわらになってしまいがちです。そのような生半可な気持ちを引きずっていますと、プロフェショナルとしての成功はおろか、翻訳の勉強も中途に終わってしまいます。正直のところ、これまで翻訳大学院生ではありながら、漫然とゆっくりとしたペースで行っています。キャリアを積み上げようとする気迫に欠けている、と指摘されても無理もありません。この生半可な気合いも目標をしっかり定めていないところから生じたものです。この2カ月近くキャリア・サクセス自己実現シートの作成に携わり、私自身の中で何をもって成功とするのかを考えてきて、ようやく道筋が見えつつあるところまでたどり着きました。最初の気軽に考えた生ぬるい気持ちと、今現在の真剣に考えた上で覚悟を決めた気持ちは変化が顕われている、といえます。

一つ目の理由がキャリア成功の第一歩への到達としますと、二つ目の理由はその先への始まりとなります。絵本翻訳家としての地位を確立した上で、絵本を通して日本と他の国の文化や人々の相互理解を促したい、思いがあります。相互理解へとつながる前段階として、興味を持ち合う必要があります。興味をひき出すきっかけが絵本だと信じています。絵本は子供向けのものとは限りません。子供も見、聴き、読んで感じ取れるものであり、大人も別の視点で感じ取るものです。子供にもうったえかけられるように、絵のみ描かれ、わかりやすい言葉で綴られてことが多いのです。わかりやすく、感じ取りやすいからこそ興味をひきだすきっかけにあてはまる媒体となります。子供はバイアスがあまりかかっておらず、柔軟に考える為、興味、親近感が早い段階に培われ、大人は簡単にみえるがゆえ比較的手に取りやすいものが絵本です。絵本の持つ効能を使い、真の私が目的とする使命を成し得たいという思いは、考えれば考えるほど強くなってゆきます。膨大なものとなる為、5年後はその第一歩片足を踏み出すのに精一杯、となります。

5年より先が広大な為、5年後の目標が小さなステップに見えてしまう感覚にも陥りがちなところ、目標までのスキルやキャリア構築の設定作業のことを思い返しました。絵本翻訳家として出版物に私の名前が載るまで必要とするスキルの獲得、キャリアの獲得はまだまだ、たくさんあります。改めて、茫然とした思いがするものの、目標達成とする為には今までのように漫然と、或いはやみくもにあたるのではなく、一つ一つのステップを考え、設定する大切さを実感しました。あとは、でかい夢が計画倒れとなりませんように、腹をくくって宣言したからには実行せよ、と覚悟を決めました。

葛西 優子(かさい ゆうこ)
幼少時、父の赴任により6年近く米国に在住。大学時はドイツ文学を専攻。卒業後、書店勤務。結婚を機に退職、子育てに専念。主人の赴任により再び米国へ4年近く在住。バベル主催週刊NY生活翻訳コンテストへの応募をきっかけにバベル翻訳大学院文芸専攻生となる。今春、日本へ帰国。

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「5年後の未来履歴書を書く思い」 大国 兼道さん

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「あなたも5年後の履歴書を書こう!」そんなメッセージが、バベル翻訳大学院から届いた。なぜか、バベルに入学した時の気持ちがよみがえってきて、ぜひ書いてみたいなという熱い気持ちになった。最近、はまっている「U理論」ではないが、未来から現在を考えることは、実は大好きなのだ。過去から現在までを反省して、問題解決ばかりやってきた人生を振り返っても、私は、「問題解決型」ではなく、「未来志向型」だと思っている。

そんな気持ちでわくわくしながら、未来履歴書作成のSTEP1から取り組んだ。自己発見シートの記入は、そんなに抵抗はなかった。前にもライフデザイン研修などでやったことがある。しかし、ここで私が驚いたのは、STEP1のまとめであるオンリーワンの価値を描くチャートの秀逸なフレームだ。「楽しくもっと知りたいと思ったこと」と「まわりの人が考えるあなたの売り」と「どんな時に自分が輝いているか」。この3つのフレームからまさに、私のオンリーワンの価値が導き出されると思うとぞくぞくと身震いがした。

ここで、私ははたと気づいた。履歴書は、そもそもだれかに自分を売り込むためのもの、就職試験なら相手の会社の人に自分を売り込むためのツールだ。未来履歴書の売り込む相手は、誰だろう。そうだ、自分自身だ!自分自身に未来の自分を売り込む。これって、とてもすてきなことだなと思った。自分自身が未来の自分を信じてなかったら、いったい誰が自分の未来を保証してくれるだろう。こんな当たり前のことをこの3つのフレームは、私に鮮明に今更ながら焼き付けたのだ。

STEP2,3と進んでいくにつれ、私は少しいやになってきた。いや、苦痛になってきたと言った方がいいだろう。どんな知識やスキルを身につけたいのかという、質問に大項目では答えられても詳細にはイメージがないのだ。当然、詳細イメージがないのだから、具体的な勉強をしない。結果、何年たってもその知識は身につかないという結果が見えてきたのだった。この未来履歴書は、書くプロセスの中で、その実現可能性まで自然と内省させるからくりになっているのか。すべてのマスを埋められないまま、提出した自分が悔やまれるが、まずは書くこと、そしてブラッシュアップすることだとの励ましを受けて、なんとか提出した。この履歴書は、いつも手元において、都度更新する必要があると強く思った。

いよいよ、STEP4、5年後の未来履歴書の作成だ。Big Pictureを描くセッションは、私の得意な研修種目なので、未来を描くのは、私には簡単だ、少なくともそう思っていた。しかし、ここで問題なのは、「trans-personalな視点」を獲得することだ。昔、スタニスラフ・グロフの「脳を超えて」を愛読したり、家に飾ってある「カール・ロジャース全集」を眺めるにつけ、私は、「trans-personalな視点」の意味がわかってなかったと実感する。ゴールは、利他的視点で描くべし。これが私には、本当に難しい。石原前都知事が、しきりに「利他」を強調していたが、世の中に貢献する人としての基本的な考え方であることは間違いない。まだまだ、邪心や煩悩を捨てきれない自分を深く見つめるときを持てたことに感謝したい。

最後に、efficacyを上げること。Efficacyとは、我々の業界では、コーチング用語で「自己能力に対する自己評価を上げること」を意味する。最近、ある社長さんから「私が最も大切にしていることは、夢と自信だ。」という言葉を聞いた。

ゆるぎないゴールイメージ(未来履歴書)とそれを実現する自信(efficacy)こそ、今回の未来履歴書を描く私の思いそのものだと確信している。自分を信じて、未来の自分を自分に売り込む。それを買うか、買わないか、実現するか、しないかは、まさに自分自身で選択し、決定することなのだ。

今、この文章を書き終えて、私は、いつにない充実感に満たされている。それは、未来履歴書を書くという体験のリフレクション(内省)を通して大いに学ぶことができたからであろう。今回の企画をしてくださったバベル翻訳大学院に心から感謝の意を表したい。

大国 兼道
2005年より企業研修(マネジメント、営業スキル等)のフリー講師として活動中です。経営行動科学やマーケティング理論、組織活性化の原理原則を踏まえて、クライアント企業に合わせた教材開発から営業力強化のコンサルティングまで幅広く対応しています。昨今、海外に本社のある日本法人向けの研修を日本人向けにローカライズした教材で研修を実施する需要も多く、翻訳業務も行っています。2012年4月からバベル翻訳大学院生

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「5年前の自分、5年後の自分」 クリーバー 海老原 章子さん

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5年後を考える前に、一度5年前を振り返ってみることにしました。5年前と言えば、一番下の子が3歳になり、少しばかりの時間の余裕ができ、翻訳データベースで見つけた2,3のクライアントから細々と(かなり細々と・・・)翻訳プロジェクトをいただいていました。当時、私にはこれといった専門分野もなく、いただくお仕事は、旅行関係やファッション関係のカタログ、プレゼン資料、当時流行っていたオンラインカジノなどが主でしたが、金融や法律関係の案件が来たときには、お断りするしかない、全くもってお手上げの状態でした。

出力ワード数は、がんばって1日1000ワードがやっと。「10,000ワードを1週間でお願いしますね」などと言われたときには、寝る時間を削っても、それでもあっぷあっぷの状態でした。翻訳会社に履歴書を送るとき、「翻訳の専門分野は何ですか?」という質問に、自信を持って「これだ!」と答えられるものがないのが、もどかしかったのを覚えています。

翻訳の修士号があることを知ったのは、それからしばらくしてからです。翻訳の専門分野がほしいと考え、3年前にバベル翻訳大学院の存在を知り、現在に至るわけなのですが、自分でもこの5年の間にだいぶ変化があったと思っています。5年前の私は、法律のバックグラウンドのない私が、法律翻訳を専門にしようとは、全く想像もしていませんでした。

では5年後はどうなっているだろう。今回のStep4は、5年後の目標をイメージし、どんなスキルまたは資格を取得したいか、1年ごとに考えていく作業でした。翻訳家としてのスキルを証明する資格。えーっと、どんな資格があるんだっけ?と考え込んでいる自分がありました。調べてみると、翻訳技能認定試験には部門ごとに3級、2級、1級とあり、法律関係で言えば、日本ではパラリーガル検定というものが最近注目されているようです。もっと詳しく調べてみる必要がありそうです。まずは、現在取り組んでいる修士号を取得することが、目下の目標でありますが、この翻訳技能認定試験にチャレンジすることを5年計画の中に入れました。

次は、どんなキャリアを歩んでいたいかを1年ごとに考える作業です。どんな仕事、職場環境にいたいのか。いずれは日本に戻ることを希望していますが、とにかく法律翻訳に特化したプロでありたいと思っています。フリーランスとしてだけでなく、企業内の法律翻訳を手がけ、パラリーガルとしてステップアップすることを5年計画に入れました。5年前には到底考えられなかった自分の姿を想像してみることにしました。

今回は、将来のイメージ・ビジョンがいかに大切であるかを改めて感じるプロセスになりました。最近、小学校を卒業するとき、卒業アルバムの「将来の夢、大人になったらなりたい職業」に、私は何て書いたっけかなぁと思い出してみることがありました。私がそこに記したのは「パン屋さん」。今でもはっきりと覚えています。小学校の近くに、種類はたくさんあるわけではないのですが、すべてが手作りというパン屋さんがありました。お店のおばちゃんが焼きそばをその場で焼いてくれて、コッペパンにはさんだ焼きそばパンが、特に私のお気に入りでした。

小学6年生の私に「こんなパン屋さんになりたい」というビジョンと夢を与えてくれたパン屋さんが存在しました。あれから、なりたい職業は変わりましたが、ビジョンを具体的に持つことが大切であることに変わりはないのではないでしょうか。具体化した5年後のビジョンに向かっていくことが大切であることも実感しています。できるだけ鮮明なビジョンをイメージするために、もう少しリサーチしてみようと思っています。

最後に。私の翻訳との出会いは、14年前にさかのぼります。妊娠をきっかけに、フリーランスでできる仕事を探していて、バベル東京校の通学コースに通い始めたのがきっかけです。翻訳基礎とコンピュータ翻訳の基礎コースを受講し、出産を迎えることになったのですが。このコンピュータ翻訳基礎コースを担当されていたのが、小澤先生で、評価や採点はとても厳しい、それでも温かいお人柄を感じさせる授業が印象的でした。あれから10年以上が経ち、バベル翻訳大学院の受講を決め、再びバベルの門をたたくことになり、小澤先生がコンピュータ翻訳コースを担当されていると知ったとき、とてもワクワクする思いと同時に、私は、ビビッっときました。「講師」。こんな翻訳との携わり方もある、と思いました。あくまでも夢は大きく。未来を決めるのは自分自身。そんな気がしてきました。

クリーバー 海老原 章子(くりーばー えびはら しょうこ)
インターナショナルパラリーガル&法律翻訳専攻。現在アラブ首長国連邦在住。3児の母。

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「あなたは5年後にどんな仕事をしているでしょうか?」 浅野 義輝さん

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5年前の自分にこの質問をしたら、おそらく「えっ?」と絶句してしまったでしょう。小中学生なら5年後に何年生になっているかは想像が付きますが、大人になってから5年後の自分を考えることはやさしいことではありません。5年前の私は海外で働き始めてまだ年数がそれほど経っていない頃でしたので、先のことなど考える余裕などなかったでしょう。しかし、5年後の現在、この質問について考える余裕が出てきたように思えます。

さて、今回のSTEP 4で答えた「5年後の自分」を実現するにはどんな要素が関係するかを考えてみました。これらの要素を適切に考慮すればきっと実現するのではないかと思うのです。

まず「自分ではコントロールできない」要素があります。第一は「年齢」とそれに伴う「健康状態」。もちろん、健康状態の良し悪しを年齢のせいだけにはできませんが、私のように不養生な人間は5年後の健康に不安があるのは確かです。今からでも遅くはないのでこの要素をコントロール可能にすることが重要でしょう。第二は「家族」。結婚していれば5年の間に子供が生まれるかもしれませんし、子供がいれば入学・卒業など大きなイベントを迎えるでしょう。これはある程度予測可能ですが拒否できないという意味ではコントロール不能です。いかに的確に予測するかが鍵となるでしょう。そして第三は「社会環境の変化」。私たちの生活を取り巻く政治、法律、経済など無数にあって完全に予測不可能なので、臨機応変に対処するより他に方法はありません。(ただし、対処法は以下に述べる要素が関係するでしょう。)

これらに対して「自分でコントロールできる要素」があります。ある意味、これは上に述べた要素への対処法だとも言えます。第一は「目標の設定」。今回のSTEPでは1年ごとの目標を立てるようになっていますが、目標を細かく分けて「里程標(milestone)」を設定すれば、上記要素の変化に対処することもできるようになるでしょう。また、それぞれの里程に到達したことで達成感が得られます。第二は「スキルの取得」。当初設定した目標に向けて今の自分にはないスキルを取得していくことはもちろんのこと、予測していなかった状況に対処するために目標に直接関連しないスキルを掘り起こしたり、改めて取得する必要があるかもしれません。私の場合、翻訳関連の資格を取得することを目標に含めましたが、マニュアルの書き起こしのスキルを取得して、翻訳以外の仕事にも対応することを考慮しました。第三は「やる気の持続」。これは後にも先にも自分でコントロールするしかありません。もちろん、目標の達成やスキルの取得には家族などの理解が必須です。仕事の傍ら、時間を取っての勉強は特にそうでしょう。また、5年後には大学院を修了しているはずですが、修了後はスキル取得の機会が減るなどで難しいかもしれません。ただし私はアメリカ翻訳者協会に属しており、Continuing Educationを3年ごとに報告しないと認定資格を維持できないので、修了後もスキル取得の努力を続けることでしょう。

以上、「5年後の自分」を実現するための要素を考えてみましたが、自分ではコントロールできないと思われる要素でもコントロールできる要素に変えることができたり、予測・対処できることがわかりました。5年後の自分に向けての目標を設定した限りは、上記の要素と上手に付き合いながら実現に向かって進んでいこうと思います。

浅野 義輝
第3専攻(技術翻訳)1年次で奮闘中。年齢は東京タワーよりちょっと先輩。翻訳の経歴は長いのですが、奥の深いこの世界ではまだまだ「あまちゃん」だと感じます。

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「シートの作成中に感じたこと」 深川 恵さん

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第1回に引き続き、キャリアアクセスシートを完成させていった。第2回は、「キャリアビジョンを見直す」という主旨のものであったが、今回も分析中さまざまなことを改めて考えさせられた。

私はもう何年も複数の領域の仕事を掛け持ちしている。細かく分けると、「翻訳」「翻訳チェック」「家庭教師」「塾講師」という4つの仕事をずっと続けている。そのため、仕事の内容に対する満足度も個々に違っている。これまで漠然とそれらに順位をつけていたが、シートを完成させるにあたり、この4つの仕事をどう思っているのか考えていくことになった。5年、10年後の自分の未来を考え、仕事の優先順位をつけていくことは大切であり、「いつか仕事の種類を絞りたい」と日々考えていたものの、絶えずバタバタしていて、なかなか実現させることができていなかった。今回、自分と向き合う機会を得られて本当に良かったとつくづく感じた。さて、実際過去を振り返ってみて、「自分が何に満足してきたか」を分析していった。長年続けてきた仕事であるだけに、仕事内容はどれもそれなりに気に入っているが、特に満足しているのは「文芸書の共訳」「家庭教師」の仕事である。どちらも、仕事を通していろいろな知識やスキルを吸収することができ、本当に奥の深い仕事だと思っている。また、こちらも共通して言えることだが、ベースとなっている状態に対しどう働きかけるかで最終的に出来上がる状態が異なり、自分の個性が反映されることも楽しい。現在までにかなりの満足感を得ることができている。

だが、いくら自分の将来のことであると言っても、自分の気持ちのことだけ考えていくべきでもないと思う。確かに「やっていて自分がどれだけ満足できるか」ということも大切だが、「顧客の満足度」ということも今後の仕事を選ぶ大きな指標であるはずである。シートの質問にはそうしたことを問いかける項目もあった。そこで私自身、自分が手がけてきて一番満足度の高かった職種は何か振り返っていった。最も該当しているのは、正直に言えば、家庭教師の仕事である。これまで、指導してきた生徒の合格後、顧客である多くのご父兄からじかに感謝の言葉を伝えられた。生徒自身の嬉しそうな顔を見ても、やはり感動を覚える。その度に、仕事に対する高い満足感が得られた。シートの分析を通して、この仕事も続けていきたいと思っていることがはっきりとわかった。

また、「最近の社会的トレンドで何に興味があるか」という問いもあった。最も答えを出すのに時間がかかった問いである。答えを見つけるために、キャリア以外にも日常生活全般について振り返っていった。かねてから関心を抱いていて、大学院の修了作品のテーマでもある「健康関連」というテーマがまず浮かんできた。その後は、大学入試の方式や英語教育について大きな変化があったことを思い出した。そこで、「教育問題」を関心領域として挙げた。あとは、「消費税」などの税金の問題である。日常生活に直結していることなので今後の動向が気になっている。

今回のシートでは、前回記載した内容も含めて自己分析をし、「私のしたい仕事」を描く形式になっている。上記のような分析を行い、自分は「翻訳」「家庭教師」という2つの仕事を中心にしたいという結論に達した。2つの仕事を同時に行うことは実際に可能だと考えている(そもそも、片方だけに絞って生活していける自信もない)。ただし、どちらも現在のままではまだ土台が完成していないと感じている。スキル、時間の使い方、人脈など、改善していくべき点は山ほどある。今後のシートを通して、自分の課題を整理していき、最善の解決策を見つけていきたいと思っている。

深川 恵(ふかがわ めぐみ)
中央大学大学院卒。専攻は教育系心理学。現在は大手個別指導塾TOMASのチーフ講師。特許翻訳関連の仕事も従事し、一般書「Play」(スチュワート・ブラウン著)、「Gluten Free Living」(カレン・ラッセル著)の翻訳も行っている。

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「言語の役割とその使い方のスキルとは?」 小池 堯子さ

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今回のキャリアコンサルStep2に回答を送った理由の一つは、自分がなぜ、今、翻訳の勉強をしつつ、翻訳の業務に携わっているのかを私なりに明確にして、はたしてこの選択が自分にとってプラスになっているのかどうかを確認したかったからです。

 Step2-1で、自分がこれまで関わってきた仕事を列記すること、それは取りも直さず、自分の生きてきた足跡を見直すことにもなりました。また、これまでの仕事の中で何をしていた時の自分が一番ハッピーだったのか、なぜハッピーだったのかを分析する作業を通して、追い求めてきたもののあり方を考えさせられました。質問では「満足度」という言葉でその評価を表現していますが、考えてみれば、一つ一つの仕事はそれぞれに大変なことや困難なことがあり、その都度ストレスを感じたり不満を感じたりしていました。ただ、そうした過程そのものを通して、結果的に自分が幸せだったのか、或いは過去の想いとして、自分の人生にとってどんな時期だったのかを考えながら評価を下しました。 私はこれまで、ほとんど一貫して「言葉」に関わる仕事に携わってきました。原点は単純に本を読むことが好きだったからなのですが、しかしそれを仕事として選んできたのは、「言葉」が私にとって自己を表現しやすい、最も使いやすいツールだったからだと言えます。今回のアンケートでは、そのツールを使う仕事になぜ満足感があったのか、という問いがあり、そこでさらに一歩踏み込んだ分析をすることになりました。その分析の過程で気づいたことに「言葉」の役割は何かということがありました。言語という道具は自己表現であると同時に、それを他に伝える、という重い役目も担っています。その認識が明らかになってきたのが、step2-2への回答でした。

 Step2-2では、これまでの自分の経験ではなく、これからの自分という視点からの問いかけで、では、本来はどんな仕事をしたいのか、それはなぜなのかという問いかけでした。 そこで私が考えたのが、step2-1で回答した「これまでの仕事への満足度、なぜあなたはその仕事に満足を感じたのか、それはなぜなのか」を基にした方向性でした。最も満足度が高かった「自分の興味のある文章表現」がやはりこれからも関わりたい仕事であり、それによって何ができるのか改めて考えたときに、他の人にまたは社会に何ができるのか、という問いかけになりました。その問いかけがさらに「カウンセリングなどの仕事」という、自分の心のどこかでは考えていたけれどもなかなか表面には出てこなかった選択になって表れました。では、カウンセリングと言う仕事で何にどうやって貢献できるのか。過去の経験、特にアメリカの高校生など若い世代に日本語を教えてきた経験から学んだことは、教えると言うのは単なる知識の伝達ではなく、教える側の人格や人生への視点にも深く関わってくる、ということでした。それが次の選択「仕事をすることによって自分にも学ぶことのできるもの」という答えに発展していきました。なぜなら、自分が学び自分の中の容量を高めないことには他の人に与えることのできる経験の許容量が小さいのではないか、と考えたからです。

Step2-3「興味ある社会的トレンド」では、では自分が関わりたいと思っている他者、社会とは自分にとってどんなものなのかを分析する問いかけでした。いくつか私自身が関心を持っている事柄を列記し、なぜそうした社会事象に興味があるのか答えていくうちに気づいたのが、結局のところ根っこにある想いは一つで、人の想いをどう理解し、他者に何をどう伝えていくのか、ということでした。そこで、グルリと一回りして、戻ってきた原点が言語の役割、その言葉を使いこなせる自分自身のスキルの向上ということです。 Step2のまとめで「自分らしさ、自分の売り」「仕事に求めるもの」「社会的役割」に関して、ほぼ自分の求める方向がまとまってきたのを感じました。自分という人間の特徴と限界、その認識の中でどんな仕事をやりたいか、そしてその仕事を通して社会に何ができるのか、結局、何を求めて社会とかかわり、それが自分の生きがいというか生き方の指針になっていくのか、大きく言えば人生観の再確認ということです。

私たちは2013年という21世紀の始まりの時代を生きています。社会との関わりとは現在の事象との関わりです。その中で自分が何を考えどう生きていくか、そして自分に何ができるのか、何のために何がしたいのか、そうした根本の問いかけがこのまとめの回答でさらに拡大していくのですが、同時にはっきりと彼方に見えてくるものがあるように思いました。その見えてきたものを言葉にすると、すなわちそれが「My Success Career 私のしたい仕事は」という最後の問いかけに対する答えです。言葉を使う翻訳者として何ができるのか、何がしたいのか、或いは翻訳を超えて自分に何ができるのか、何を目指したいのか、それらの問いかけに対する第一歩がここにあるように思います。

小池 堯子(こいけ ぎょうこ)
バベル翻訳大学院在校生。現在修了作品の英訳チェックと編集、英文の作成作業に取り組んでいる。3年前にアメリカから岡山へ移住。現在アメリカ人の夫と田舎暮らし。雑誌編集者、レストラン経営、日本語教師を経て、現在編集、翻訳業に携わっている。

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「キャリアビジョン作成過程の独り言」  関口 佳子さん

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年齢のことは、あまりいうべきではないかもしれませんが、私はこの秋の誕生日で55歳になります。私たちの父親の世代なら、ちょうど定年を迎える年齢です。だからでしょうか、このキャリアコンサルの設問に回答してみるまで、あまりこれからのキャリアのことを考えてみることはありませんでした。とにかく、いつか引退する時が来るまで今までの続きの仕事を無難に続けていこうという考え方であったと思います。

実のところ、普段の生活では日々舞い込んでくる短納期の仕事などに追われることもあり、このような長期的なビジョンに思いをめぐらせることはなかなかできません。メールを目にして回答をはじめたときも、なんとなく途中でめんどうになって中断してしまうのではないかな、などと思っていました。ところが、「自分が輝いていたのはどういうときか」という設問から入ったのがよかったのでしょうか、気が付いてみると、キャリアコンサルに回答するのが楽しくて仕方ないという気持ちになっていたのでした。

こうして回答をすすめていくうちに、自分でも日頃気づかなかった、ある1つのことがはっきりとしてきました。それは、私が仕事の上でまだ何か新しいことにチャレンジしたがっているようだ、ということでした。もちろん、フリーランス翻訳者という今の仕事は自分にとって非常に大切なものであり、非常に満足しています。しかし、設問に答えていくうちに、10年ほど前に会社勤めを辞めたときの心境などを思い出し、この新しい仕事にチャレンジしていたときの楽しさが記憶の中によみがえってきました。回答の中にも、ずいぶん「チャレンジ」という言葉を使うようになっていきます。

そして自分なりに思ったことは、たとえばこれからの5年、10年という長期的な人生計画を考えたとき、「引退まで無難に」というような消極的な姿勢はやめよう、ということでした。やはり、私が生き生きと仕事を続けていくためには、何か新しい計画を立て続けることが必要なようです。ただ、新しいことにチャレンジといっても、さすがにこれから音大に入りなおして音楽家への道を進むというようなわけにはいかないだろうな、とは思いました。

仕事の話からは脱線になりますが、音楽は私の人生のもう1つの重要なテーマになっています。30代のころにはMIDI音源を使った演奏に没頭し、とある地方自治体の教育委員会の人から、私の作った演奏データをコンピュータ音楽のサンプルとして学校の授業に使いたいという打診をいただいたこともあります。数年前には一念発起してフルートとジャズ理論を習い始め、簡単なアドリブ演奏ならば人前で披露できるようにもなりました。

  しかし、そういったことはあくまでも人生を豊かにするための趣味として、アマチュアだからこそ続けていけるのであって、音楽のプロとして食べていくのは大変なことなのだ、ということくらいは私にも理解できます。

さて、それでは何が自分にとって新しいチャレンジなのだろうかと考えてみると、可能性は意外にたくさんありそうです。たとえば、請け負う翻訳の分野を広げて新しい分野にチャレンジすることもできるでしょう。あるいはIT翻訳者という立場からマニュアルライティングやテクニカルコミュニケーションの分野にかかわってみる、などということも面白いかもしれません。せっかくジャズ理論などを学んだので、翻訳という仕事の範囲内で音楽の分野に挑戦してみるのもいいかもしれません。長時間座ってコンピュータの画面を見ながらキーボードをタイプし続けるのが体力的にきつくなってきたら、後進を育てるようなビジネスを考えてもいいかもしれません。

 「自分って、意外といろいろな可能性を持っているじゃない」
これが、回答を終えたときの感想でした。そして、なんだかとてもスッキリしました。
時間はある程度かかってしまいましたが、こうして将来のことをじっくり考えて人生の棚卸をしたことはよい経験でした。私の長期ビジョンは、もう「引退まで無難に過ごす」ではなくなりました。年齢がいくつになっても、将来の夢が広がっていくのはうれしいものです。

関口 佳子
大学では日本思想史を専攻。マスコミ就職を志すも希望する職種に就けず、20代では通信社の校閲部、新聞社の記事データベース編集部などを転々とする。30代、パソコン通信・インターネットサービスプロバイダに就職し、カスタマーサポート業務に専念。海外の顧客対応のため、会社負担で英語を学習。40代、外資系のIT企業に転職し、IT翻訳という仕事を知る。2002年、この仕事を極めてみたくなり独立。仕事をつづけながら、バベル翻訳大学院でテクニカル翻訳を専攻、2010年修了。2013年、フリーランス翻訳者として11年目を迎える。

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「かけがえのない生命・健康に貢献する医療通訳を目指して」 今井 里子さん

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それはロサンゼルスのホテルで友人の迎えを待っていた時のことでした。
複数の救急隊員がストレッチャーにアジア系の女性を乗せて搬送するのがロビーの向こうに見えました。配偶者らしき初老の男性がフロント係の問いにも答えられず慌てている様子に、いたたまれずソファから腰を上げた時、救急隊員の一人から”Are you Japanese? Yes, you are, right?”と呼び止められました。
救急車に連れていかれ、客室で倒れた女性について意識があるから質問を通訳して欲しいと言われました。彼女に名前、年齢、既往症、服薬している薬など尋ねているとどうやら糖尿病による低血糖を起こしたことが分かりました。当時、PR代理店で外資系製薬企業を顧客に成人病の検査啓発活動に携わっていたことでdiabetes, insulin shot, dialysis,など関連用語に知識があったことが幸運でした。また一分一秒を争うような状態ではなかったことも、適切な言葉を探す余裕を持てたのではないかと思います。英語が話せる家族が到着するまでフロント係、救急隊、配偶者との間を取り持ったところ、家族だけでなくホテルのフロントからも感謝された上にバーラウンジの一杯無料券を頂いてしまいました。

留学を決めたのは、これからの時代英語は必須だと思った20歳の時。
そして10年経って英語は話せるだけではダメ、何か得意分野を持たなければ、そう決意した出来事でした。

製薬会社勤務時には消化器内科、心療内科と栄養学、PR代理店に移り成人病全般と頭痛、外資系化粧品メーカーでは毛髪、化学薬品とその成分についてと日英で学ぶことができました。仕事と自身の関心事がマッチしていたので非常に充実していたように思います。目標は人気ドラマ「ER」を字幕なしで観られるようになる!と思っていましたが、出演されている俳優のインタビュー記事で「疾患名や部位の名称は外国語みたいだった」というコメントを見てあっけなく頓挫…ネイティブの人たちにとっても医療用語は未知の世界とは、医学部に進んだ同じ留学生たちを心底尊敬しました。それでもこの経験から言葉が分からなくて不安な人たちのお手伝いをしたい、特に生命や健康に関わる現場では人々の不安も大きいのではとの思いは残り、専門家と対等は無理でも疾患名や栄養素、臓器名称や化合物(薬品名)等を覚えていくこうと頭を切り替え、単語帳を作りました。最初は調べた単語をそのまま記載していましたが、今は単語帳をジャンル別に作ることで整理をしています。

さらに従来の辞書では載ってないような小さな骨や用語を理解し、少しでも語彙力を増やそう、バベルでの専攻を「医療翻訳」に変更することで、ステッドマン医学大辞典を購入しました。製薬会社であればオフィスに必ずある書籍の一冊ですが、まさか個人で購入するとは思いませんでした。課題に取り組むにあたり、側に置いておかねばならない辞書がまた増えてしまいました。
まずは馴染のある分野から取り組むべきなのか、人体模型の頭部から始めるべきなのか、元素周期表や栄養素動態から始めるべきなのか効率的な学習方法があったら、同専攻・同分野を学んでいる皆様からご意見を頂けるのではと考え今回スカラシップ業務の一環として執筆、悩みを公示する次第です。他にも役立つ書籍や辞書があればぜひ情報を共有したいと思っています。

この大辞典が蛍光マーカーで埋め尽くされる頃、使い込んだ証しに修了証が届けられることを祈る今日この頃です。

今井 里子(いまい さとこ)
1970生まれ。愛知県在住。前職は塾運営会社社員として勤務し、教室では算数・数学を担当。現在は、パソコン教室を運営の傍ら、同教室内で、小学生から成人までを対象とした個別学習教室を併設して実践中。

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