NEW!! 機械翻訳の現状と対処法

■機械翻訳の方式 機械翻訳の方式は時代とともに変化しています。ざっと見ておきましょう。 (1) 文法ベース機械翻訳方式 伝統的な機械翻訳方式としては、対訳辞書を用いて単語を置き換えるだけのものや、特定の言語に依存しない「中間言語」によって翻訳するものなどが研究されたましたたが実用には至りませんでした。その中で、今日まで続いているのが文法ベース機械翻訳方式で、トランスファ方式とも呼ばれます。 この方式では、①解析→②変換→③生成のステップで翻訳を行います。 ①「解析」ステップでは、ソース言語の形態素解析、構文解析を行います(意味解析を行う場合もある)。 ②「変換」ステップでは、ソース言語の構造をターゲット言語の構造に変換(トランスファ)します。このステップでは、語彙的トランスファ、構文トランスファが行われます。 ③「生成」ステップでは、ターゲット言語の構文や意味構造に合わせた訳文を生成します。 このように、この方式では言語知識と自然言語処理の技術を応用したシステムとなっています。文法ベース機械翻訳の難点は、人間が文法規則をシステムに登録する必要があり、言語の持つ例外規則を網羅することは不可能であるため、訳文品質の改良に限界があることです。 (2) 用例ベース機械翻訳方式 この方式は、1984年に長尾真氏が提案した方法で[2] 、EBMT (example based machine translation:用例に基づく機械翻訳) と呼ばれています。これは、文法ベース機械翻訳の限界を打ち破るために、人間の類推力を使って翻訳例の中から似た例を見つけて訳文を作成するというものです。 (3) 統計ベース機械翻訳方式 統計ベース機械翻訳は、1990年にIBM Watson Research Center のブラウンらによって提案された、大量の対訳文を統計処理することで作成した言語モデルと翻訳モデルによって翻訳する方式で[3]、SMT (statistical machine translation) と呼ばれています。 この方式では、高度な言語知識がなくても統計処理によって自動的に翻訳エンジンを構築でき、大量の対訳ファイルさえあれば原則的にどの言語対にも応用できます。2000年頃からこの方式の機械翻訳が実用化されました。統計ベースの機械翻訳は、翻訳メモリ型のCATツール(翻訳支援ツール)にも組み込まれるようになりました(ちなみにCATはComputer Aided/Assistedの略語です)。翻訳メモリに完全マッチがない場合に、機械翻訳文が参考訳として提案される仕組みになっています。 (4) ニューラル機械翻訳方式 ニューラルネットワーク機械翻訳は2014年に登場した方式で、人間の脳内にある神経細胞(ニューロン)とその回路の仕組みを数式的に表したモデルを利用したものです。現在、ニューラルネットワークは、画像、音声、自動運転などに効果的に利用されています。 ■ニューラル機械翻訳 今、話題になっているのがニューラル機械翻訳です[4]。 この一つ前の方式の「統計ベース機械翻訳」では、翻訳モデル、言語モデル、組成の重みチューニングなど、複雑な処理を経てトレーニングを行って機械翻訳エンジンが作られます。これに対して、ニューラル機械翻訳では、ニューラルネットワークが一つあればトレーニングも翻訳もできてしまいます。つまり、大量の対訳データさえあれば、機械翻訳が構築できるということになります。 ニューラル機械翻訳は統計ベース機械翻訳のようにフレーズを組み合わせて訳文を作成するわけではなく、センテンスの単位で処理するので、これまでにない流暢な文章が出力されます。この流暢さが注目を浴びる第一の要素になったのです。 その後、早い段階で以下のような問題点が明らかになっています。 ・訳抜け ・訳語の不統一 ・重複訳 これまでの機械翻訳では、翻訳に失敗すると訳文を見ただけで明らかに分かりましたが、ニューラル機械翻訳は一見正しい文章になっているので、原文と突き合わせてみないと誤りを発見できない場合があります。 ■機械翻訳は何のためにあるか 機械翻訳は言語障壁をなくして、コミュニケーションができるようにするのが本来の目的です。つまり「翻訳」という作業自体をなくすのが究極の目標と言えます。したがって、完成された機械翻訳は翻訳者にとって「翻訳支援ツール」にはなり得ないということです。 ただし、「完全な機械翻訳」が完成するのがいつになるのかは分かりません、果たして完成するのかも定かではありません。筆者の個人的意見として、おそらく今の方式では「翻訳」を越えることはできないでしょう。というのも、ニューラル機械翻訳は原文の意味を理解しているわけではないからです[5]。 意味を理解できる機械翻訳には、新たな方式が必要になるでしょう。そうなると、まだまだ先のことに思われます。 ■翻訳者としての対処法 機械翻訳の利用には、大きく分けて、一般ユーザ向けと翻訳生産向けがあります。 一般ユーザ向けとしては、自動通訳機やオンラインの自動翻訳サービスなどがあります。これは、通訳者や翻訳者の代替で、機械翻訳開発の主目的です。今後、大量のデータを学習することで、継続的に品質の向上が見られると思われます。日本でもNICTが「翻訳バンク」を立ち上げ、良質の対訳を大量に収集する試みを行っています[6]。東京オリンピック、大阪万博という国を挙げての具体的な目標があるので、この方面での進歩は確実でしょう。 翻訳生産向けとしては、企業内翻訳支援[7]やCATツールへの組み込みがあります。こちらは訳文の完成度が重視されるので、原文の意味を理解せずに出力された訳文は必ず原文と突き合わせてチェックする必要があります。この作業をポストエディットと呼びます。 2017年4月にはポストエディットの国際規格(ISO 18587)が発行され、これまで曖昧だった職業としての「ポストエディター」が確立されました。これに伴い、ポストエディットサービスを行う翻訳会社も増えてきました[8]。 その一方で、ポストエディットサービスを断念した会社もあるようです[9]。 ちなみに、翻訳生産の場で機械翻訳はどのように利用されているのでしょうか。ローカライズ翻訳での一例を挙げてみます[10]。 翻訳会社のプロジェクトマネージャ(PM)がプロジェクトを作成する際に、既存の翻訳メモリ(TM)を使ってマッチした訳文を一括で貼り込む「一括翻訳」を行います。これも「自動翻訳」の一種です。この時、指定したマッチ率より低いものは、空欄になってしまいますが、ここに機械翻訳の出力結果を自動的に取得します。 翻訳者は、事前に翻訳メモリと機械翻訳の訳文が貼り込まれた状態のファイルを使って翻訳を完成させます。 したがって、この場合、翻訳者の仕事は以下のようになります。(これは、筆者が携わっているローカライズ翻訳での実体験をそのまま記したものです)。

  • 100%マッチの訳文 ― プルーフリーディング ●ファジーマッチ(部分一致)の訳文 ― リバイズ(バイリンガルチェック) ●機械翻訳の出力結果 ― ポストエディット ●訳文全体の専門チェック ― レビュー
  極端に言えば、一から訳文を入力するのではなく、ポストエディットも含めて、チェック&修正が翻訳者の仕事になるということです。 このように、機械翻訳はCATツールを使ったワークフローに組み込まれて利用されており。今後、この傾向は変わることはないでしょう。 これまでCATツールを使用した翻訳を行ってきた翻訳者は、否応なしに翻訳作業の一環としてポストエディットを行うことになります。したがって、この分野の翻訳者は、機械翻訳をポジティブにとらえて高速に量をこなせるようにスキルを高めることをお勧めします。今後、さらなるデータの学習により機械翻訳の品質が良くなれば、編集作業も楽になってくるはずです。 前向きに機械翻訳の取り組みたい場合、CATツールにMTを組み込んだサービスもあるので、すぐに試してみることもできます[11]。 ■機械翻訳を使いこなすには まず、機械翻訳は翻訳メモリと組み合わせて使うのが効果的です。というより、翻訳メモリの拡張版が機械翻訳であると考えましょう。したがって、何はともあれ、CATツールの操作に習熟することが重要です。自己流でもなんとか操作できるようになりますが、CATツール初心者の場合は、適切な教育プログラムを利用すると無理なく習熟できます[12]。 次に、ニューラル機械翻訳が原文の意味を全く理解できないことは前述した通りです。翻訳者には当然ながら原文の読解力があります。特に、専門知識をベースにした深い内容理解があれば、ニューラル機械翻訳を恐れることは全くありません。総合的な翻訳力の増強を心がけることで十分に対処できます。 CATツールと相性の良くない翻訳をする場合、つまり、センテンス単位で翻訳するのが不適切な、例えば文芸翻訳やマーケティング関連の翻訳などのニュアンスに富むものは、むしろ徹底的に機械翻訳を避けて通ったほうが良いかも知れません。機械翻訳の訳文を大量に修正する仕事をしていると、間違いなく言語感覚が鈍ってきます。 現在は、機械翻訳の方式も複数あり、利用方法も様々なので、自分の翻訳分野や文書形式に合わせて自由に選択することができます[13]。また、機械翻訳以外にも翻訳に役立つツールはいくらでもあります。色々と試してみれば自分に合った良いツールが見つかるかもしれません。 ■翻訳会社としての対処法 さて、ここまで主に翻訳者の視点から述べてきましたが、最後に翻訳会社としてどのように取り組んでいくべきか考えてみたいと思います。 Googleのニューラルネットワーク機械翻訳が登場した頃に、翻訳者や翻訳会社が近いうちに不要になるのではないかと、翻訳業界が大騒ぎになりました。約30年前の第一次機械翻訳ブームを経験している筆者にとっても、大きなインパクトがありました。しかし、すでに説明したように、この「AI翻訳」は根本的に本来の「翻訳」とは別物であり、使用目的も異なることがはっきりしています。 「AI翻訳」で間に合う、いわゆる「使い捨て翻訳」にはそもそも翻訳会社が介在する必要性が低いので、このフィールドを中心にしている翻訳会社が次第に淘汰されるのは必然でしょう。 これからも生き残っていくのは、翻訳生産工程を含め最終製品まで一貫した責任を持つ翻訳会社です。 そのような翻訳会社では、安易に「機械翻訳のポストエディット」だけを取り上げて、安価で拙速なサービスを提供するようなことはせず、「文脈を理解した」チーム翻訳において、大量の文書を短納期で翻訳するシステムの一部として機械翻訳を位置づけているはずです。 それには翻訳ワークフローの適切な運用実績に裏付けられた機械翻訳に対する正しい認識が必要なことは言うまでもありません。 最後に「AI翻訳で翻訳者の仕事が脅かされるのではないか」について一言。一面的な情報に惑わされることなく適切な情報に触れ正しい判断をすること(つまり情報メディアリテラシー)が、不要な不安を除くことにつながります。 あなたは機械翻訳を避けて通りますか? それとも機械翻訳を活用しますか? ​ <参考資料> [1] Google 翻訳が進化しました。, Google Japan Blog, https://japan.googleblog.com/2016/11/google.html [2] Makoto Nagao: A framework of a mechanical translation between Japanese and English by analogy principle. Proc. of the international NATO symposium on Artificial and human intelligence :173-180 Elsevier North-Holland, Inc.,1984, http://www.mt-archive.info/Nagao-1984.pdf [3] Peter F. Brown, John Cocke, Stephen A. Della Pietra, Vincent J. Della Pietra, Fredrick Jelinek, John D. Lafferty, Robert L. Mercer, Paul S. Roossin: A statistical approach to machine translation. Comput. Linguist. 16:79-85 MIT Press,1990,http://www.aclweb.org/anthology/J90-2002 [4] 中澤 敏明, 機械翻訳の新しいパラダイム – ニューラル機械翻訳の原理,2017,情報管理, https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/60/5/60_299/_pdf/-char/ja [5] 藤田篤,山田優,影浦峡, 産業翻訳に役立つ自然言語処理技術についての議論の足場, 2019, 言語処理学会 第25回年次大会, http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2019/pdf_dir/F4-1.pdf [6] 隅田英一郎, 翻訳バンクの概要説明, 情報通信研究機構(NICT),2019, http://h-bank.nict.go.jp/seminars/download/20190306/eiichirosumita190306.pdf [7] YarakuZen, https://www.yarakuzen.com/features [8] 川村インターナショナル, https://www.k-intl.co.jp/384913, Human Science, https://www.science.co.jp/nmt/postedit.html [9] 【残酷な事実】MTPEを導入しても翻訳速度は早くはならないし、値段も下がらない。株式会社MK翻訳事務所公式ブログ, 2017, https://www.xn--c1vv9ah84b8kj.com/2017/12/blog-post_30.html [10]The Professional Translator【ブログ】翻訳テクノロジーあれこれ, 翻訳者の作業内容が変化している?, 2017 http://e-trans.d2.r-cms.jp/blog_detail/&blog_id=12&id=73 [11] T-tact Memsource, 十印, https://to-in.com/service/mt/t-tact-memsource [12] 「翻訳者のためのテキスト処理」(BUPST)http://www.babel-edu.jp/program/31098.html [13] 「完全自動」と「半自動」によるニューラル機械翻訳のエラー修正手法, 新田順也,2019, 言語処理学会 第25回年次大会, http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2019/pdf_dir/F4-3.pdf *その他の資料 ◎後藤功雄, 機械翻訳技術の研究と動向, NHK技研 R&D/No.168/2018.3, https://www.nhk.or.jp/strl/publica/rd/rd168/pdf/P14-25.pdf ◎技術文書の多言語化を見据えた制限オーサリングと翻訳:基本方針と枠組み, 宮田 玲, 柳 英夫 , 影浦 峡 , 萩原 秀章, 言語処理学会 2019, 第25回年次大会, http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2019/pdf_dir/F4-2.pdf ◎土井惟成, 近藤真史, 山藤敦史, コーポレート・ガバナンス報告書における機械翻訳の検討, 言語処理学会 2019, 第25回年次大会, http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2019/pdf_dir/F4-4.pdf ◎渡部孝明, 山本真佑花, ニューラル機械翻訳の商用利用に関する一考察 ~翻訳会社における特許翻訳での実例紹介~, 言語処理学会 2019, 第25回年次大会, http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2019/pdf_dir/F4-7.pdf *機械翻訳の歴史が分かる資料 ◎成田一: こうすれば使える機械翻訳. バベル・プレス,1994, http://www.babelpress.co.jp/shopdetail/003003000006/ ◎野村浩郷: ―機械翻訳―21世紀のビジョン. アジア太平洋機械翻訳協会,2000,http://www.aamt.info/japanese/act/01.php ◎「翻訳の世界」で辿る機械翻訳の変遷, 「eとらんす」2005年1月号連動企画, http://www.babel-edu.jp/mtsg/report/etrans30/honse-mt.htm *自然言語処理の入門書 ◎ 天野真家, 石崎俊, 宇津呂武仁, 成田真澄, 福本淳一: 自然言語処理. オーム社,2007 ◎ 黒橋禎夫: 自然言語処理. 放送大学教育振興会,2015  ]]>

翻訳プロフェショナルはAIに代替されるのか!?

翻訳プロフェショナルはAIに代替されるのか!?

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 初めに以下の18分のTEDのスピーチを聴いてください。 題して ‘How great leader inspire action’ このWhyからはじまる行動パターンは決して一部のビックな経営者に限らないと思います。 さて、現在の市場に目を転じてみましょう。ビックデータ、統計的手法が進化する中、第3次AIブームが到来しています。ここ10年、20年先には我々の仕事の半分が消えてなくなる、いかにも雑誌が売れそうなテーマで危機感をあおっています。典型がSingularity(技術的特異点)の危機、2045年には人間がAIに使われる時代に突入すると言われています。 これらに踊らせられて右往左往するほどばかげたことはないと思いますが、しかし、常に主役たる人間としては、これらの議論の中に含まれるパラダイム変換には気づく必要があるでしょうし、その上で、先手先手で手を打つ必要はあるでしょう。 翻訳の分野においては、現在、ニューラル型機械翻訳の領域に入り、特定の分野ではかなりの精度の翻訳が期待されてきたとは言え、まだまだ全面的に任せるには程遠いというのが、この業界の常識です。従って、我々のスタンスとしては支援ツールとして使えるなら分野を特定するなどして活用することです。MTを使いこなす翻訳のプロフェショナルは分野によっては市場価値も出てくるはずです。 AI,人工知能には以下の限界があると言われています。 ・意思がない ・知覚できない ・事例が少ないと機能しない ・枠組みのデザインができない ・問いを生み出せない ・ひらめきがない ・常識的な判断ができない ・リーダーシップが取れない (安宅和人 ヤフー チーフストラテジーオフィサー) ということはこれを読みかえると、 ・意思をもって ・自ら問い(WHY)を設定、課題を設け ・枠組みをデザインして ・リーダーシップをもって 課題を解決していくことがAIに代替されず、AIと相互補完関係でハピーな将来像が描けると言ってよいでしょう。 最初にご紹介したTEDのスピーチを聴かれた方は同様の考える枠組みに気づかれたと思います。 一方、こんな言い方もされます。 AIで代替されにくい仕事とは 1. 商品企画、映画を撮るといったクリエイティブ系の仕事 2. プロジェクト管理や会社経営などのマネージメント系の仕事 3. 介護、看護、保育のようなホスピタリティ系の仕事 (井上智洋 大学教授、AI社会論研究会共同発起人) ではこれらを勘案して、翻訳力をベースにどう起業するか、を改めて考えてみましょう。 翻訳はある原文を他の言語に変換するだけのクリエイティブ性に欠ける行為と考えている方はまさか皆さんの中にはいらっしゃらないと考えますが、今一歩進んで、翻訳にクリエイティブ性という付加価値を求めるとすれば ・翻訳リサーチャー、研究者 ・翻訳ジャーナリスト、記者 ・レクチャラ―、教授(なまじの専門家より翻訳者の方がより専門家) ・翻訳教師(大学、各種学校を含めると500以上の教育機関で翻訳教育を実施) ・ライター(翻訳の専門分野でライターもめざす) ・日本語教師(日本語教育の中・上級はほぼ翻訳教育) 更に、翻訳にマネージメント性を持たせるには、いち翻訳者としての仕事にとどまらず、特定の目的のために翻訳者等を集合したプロジェクトマネージメントに関わることです。 ここで思考実験として、以下のバベル42年の歴史で積み上げてきた以下の事業のプロジェクト化を考えてみてください。(実はこれがこれからバベルの大学院生、アラムナイに期待する仕事の仕方ですが) ・翻訳教育ビジネス ・翻訳ビジネス ・翻訳出版・編集ビジネス ・版権調査・仲介ビジネス ・資格ビジネス 例を挙げましょう。 例えば、(コストセンターとして)一人のプロとして翻訳を受けるのではなく、プロフィットセンターとしてそのプロジェクトの以下のマネージメントも任されて業務を遂行することです。 1.品質管理(Resources) 2.スケジュール管理 (Time) 3.コスト管理 (Cost) 4.顧客管理 ( Client) 5.コンプライアンス管理( Compliance) *これらの管理項目は一社法人日本翻訳協会の翻訳プロジェクトマネージャー試験の試験範囲です。 http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm.html http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm_2.html さて最後に、最初のTEDのスピーチに戻りますが、バベルグループのビジネスにおけるWhyは? それは、 1.翻訳者のプロフェッショナリズムの確立 月刊「翻訳の世界」をはじめ翻訳の理論、実践の雑誌を現在のデジタルマガジンに至るまで700号を刊行、また、翻訳学習書、翻訳書の出版を重ね、現在は、これらを統合したプロ翻訳者のためのライブラリーを再構築中。また、翻訳教育を多分野で実践、世に25万人を越える修了生を輩出し、約20年前より米国にて翻訳専門職大学院教育をスタート 2.翻訳会社のプロフェッショナリズムの確立 専門別翻訳ビジネスを展開、翻訳者紹介、翻訳者派遣事業、更には版権仲介事業、翻訳者の資格認定事業、翻訳プロジェクトマネージメント検定の開発 3.翻訳教育のプロフェッショナリズムの確立 一般の高等教育認証から翻訳の高等教育に特化した翻訳高等教育認証機関を設立 その上で、翻訳の世界的意義と日本の世界における翻訳の役割の再認識した‘翻訳者’が主導する翻訳立国をめざすことと考えます。 そして、以下をWhyの核となる、共有の使命としたいと考えたいと考えています。 1.世界中の未訳の素晴らしいコンテンツを翻訳し、人類の共有財産とする。就中、日本の素晴らしいアイデア・コンテンツを多言語に翻訳し世界に広める。 2.翻訳を通じて日本と世界の正しい相互理解を促進し、東西融合を実現する。 3.翻訳を通じて多くの方々に気づきと喜びをもたらし、幸せを実現する。 めざすところは、智の宝庫である地球【 Global Knowledge Garden】 において、翻訳を通じて智を共有し、人々に気づきをもたらし、共に喜びを分かち合うことです。 最後は我田引水の観が否めませんが、是非、バベルに関係される皆様が、今一度、自らにWHYを問いかけて、意思が合致すれば共に使命を共有し、共に事業パートナーとしてビジネスができればこれほどの喜びはありません。 [box color=”lgreen”]

– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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AI優位の未来でも、翻訳(を学ぶこと)が必要な理由

教育的ディベート(Academic Debate)といことばをご存知でしょうか。約半世紀のバベルの歴史の中で、90年代に約10年間、米国のディベートチャンピオンとコーチ(教授)を毎年、日本に招請して、日本全国の教育的興行を後援しておりました。日本語と英語でディベートを行い、ディベートの教育的効用を謳ってきました。当時は、松本茂先生(バベルプレスで「英語ディベート実践マニュアル」刊行、現立教大学経営学部国際経営学科教授、米国ディベートコーチ資格ホールダー)、故中津燎子先生(書籍「なんで英語やるの?」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞)にお力添えをいただいておりました。 教育的ディベートとは、論理構成力を涵養する教育の一環としてディベートの手法を活用しようという考え方でした。 ここで言う「教育的翻訳とは」大学生以上の成人層を対象とするものと小中高校を対象にするものとを考えているのですが、ここでは、プロ翻訳家の養成という意図はありません。 説明をわかりやすくするために、後者の例をまずお伝えします。 4半世紀前に私がバベルにおいて行ったある実験的企画に触れたいと思います。それは、 当時、バベルの教育部長であった長崎玄弥先生と中学2,3年生を7,8人集めてある実験的企画を実施しました。長崎玄弥先生は当時、‘奇跡の英語シリーズ’で100万部を越える売り上げを誇っていた天才的英語の使い手でした。彼は日本をいっさい出ることなく、 英語ネイティブと、丁々発止の議論も喧嘩もできるという英語の使い手でした。そのプロジェクトでは英単語が500語から1,000語に限定された英語のラダーエディションを教材に中学2,3年生を対象に翻訳の演習を試みたのです。 文法、構文の理解から発音までの基本技法を伝えつつ、単なる英文解釈ではなく、きちんとした背景調査もして、正しい、読みやすい日本語に翻訳するという訓練でした。そして驚くべきことに約1年この訓練を終えると生徒の英語力は言うに及ばず、国語、社会、数学等の学校での成績が1段階か2段階上がったのです。その後、私たちも根気強くこのプロジェクトを続けて実証データを積み上げていけばよかったものの、その後、他の仕事にとらわれてこれができなかったことが今でも悔やまれます。あれから20余年、懸案を実現するに、時が熟して来たと感じています。 現在の英語教育では、文法訳読形式が否定され、コミュ二カティブな英語教育、俗に言う英会話教育が推進されるなか、実効性が上がらないのを目の当たりにして、明治時代以前の教育で見られた「教育的翻訳」の必要性をうすうす感じているのは私だけではないのかと思います。本誌で昨年5月から始まったのが大阪大学の名誉教授の成田一先生の『総合的な 翻訳による英語教育』の連載が、この辺の考えの一端をまとめていただいたものです。 翻って、2000年からOECDが3年に一度実施しているPISA(Program for International Student Assessment)では、世界の15歳の男女を対象に、数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力を測定、比較してきました。2015年からはこれに加え、 協同問題解決能力、異文化対応能力( Global Competence )が測られるようになりました。ちなみに日本人はそれまで、10位少し手前に推移していた順位が、2015年は数学的リテラシーと科学的リテラシーが世界トップ、読解力が同率3位になったとのことです。 その後は、この3つの分野では、日本は常に上位に位置していると聞きます。 また、2015年から導入されたグローバル・コンピテンシーはその基準に賛否両論があるようですが、次のように定義しています。「グローバルで多文化的な課題を批判的に多様な視点から分析、自己や他者の知覚や判断、考え方にどのような相違があるかを理解する力です。人間的な尊厳基づき、互いに尊敬しながら、オープンで効果的な他者とのコミュニケーションをはかる力です」。 すなわち、グローバル・コンピテンシーは、知識と理解、態度の3つの次元から成り、その基本には人間的尊厳と文化的多様さの視点があると言います。 http://www.oecd.org/pisa/pisa-2018-global-competence.htm とすれば、これこそ広義の翻訳、教育的翻訳そのものと考えます。 「教育的翻訳の普及」が、言語教育、異文化理解、異文化対応力、感性の涵養し、小中高、高等教育のみならず成人教育に新しい地平を拓くものと信じます。また、更には日本の世界における新たな役割認識を促すものと考えます。 ここで、改めて歴史的観点から、翻訳のもつ意味を考えてみたいとお思います。 日本は明治維新以来、福沢諭吉、西周、中江兆民をはじめ多くの啓蒙家が、西欧の文化、文物を‘和魂洋才’を念頭に急速に取り入れ、国家の近代化を果たしてきました。これは、換言すれば、‘翻訳’を通して当時の西欧の先進文化、文明を移入してきたと言えるでしょう。それが、俗に、‘翻訳立国―日本’と言われる所以です。 六世紀から七世紀にかけて中国文化を移入したときには大和言葉と漢語を組み合わせて翻訳語を創り、明治維新以降は西欧の人文科学、社会科学等の今まで日本にはなかった抽象概念を翻訳語として生み出してきました。Societyが社会、 justiceが正義、truthが心理、reasonが理性、その他、良心、主観、体制、構造、弁証法、疎外、実存、危機、等々、その翻訳語は現在のわたしたちには何の違和感もなくになじんできているのはご承知の通りです。 しかし、この‘翻訳’の現代に占める社会的位置は、と考えてみると、不思議なくらい、その存在感が読み取れません。もちろん、巷では、翻訳書を読み、政府、また企業でも多くの予算を翻訳に割いています。また、ドフトエスキー、トーマスマンをはじめ、世界中の古典文学を何の不自由もなく親しめる環境もあります。 将来を展望しても、ITテクノロジーによる更なるボーダレス化を考えると翻訳は計り知れないビジネスボリュームを抱えています。一説には、一般企業が年間に外注する翻訳量は金額に換算して、3000億円市場とも言われます。これに、政府関係、出版関係(デジタルを含む)、更にアニメ、マンガといったコンテンツ産業関連を加算すれば、優に、一兆円を越える市場規模になると言われます。 とすると、過去は言うに及ばず、今後、日本のビジネス取引、文化、社会形成における ‘翻訳’の役割は、想像以上に大きいと言わざるを得ません。 こうして、国家レベルの翻訳の重要性を考えるにつれて、プロの翻訳者養成ということ以前に、翻訳という行為そのものの重要性に思いが至り、教育的翻訳の重要性を改めて確信します。 英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそ所謂、グローバリスト、国際金融資本家の思う壺。日本が二流国に転落するのが目に見えています。 英語による支配の序列構造の中で、第二階層、すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった諸国のことです。かれらはある意味、英語公用語を採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と言えるでしょう。 最近では日本の東大がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から七位に転落とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、その主たる理由は、授業が英語で行われている割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。 しかし、考えてみてください。英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は 日本以外ではあるでしょうか。おまけに、世界中の古典が読める稀有な国日本、これを皆さんはどこまで自覚しているでしょうか。 一方、あの理想国家といわれるシンガポールの現況をみると、常に複数の言語を学ばなければならないことから始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言えると思います。 日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めませんでした。 これは以下の日本語と日本文化の歴史と、これに裏打ちされた利点を改めて考えれば至極 当然のことに思えます。 ・6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、仮名、文化を作り上げできた。 ・50万語という世界一豊かな語彙をもつ日本語。英語は外来語の多くを含んでの50万語、ドイツ語35万語、仏語10万語。まさに、言霊の幸はふ国日本。 ・古事記、日本書紀、万葉集など、1,000年前文献でもさほど苦労なく読める日本語。 一方、英米では1,000年まえの文献は古代ギリシア語、ヘブライ語が読めなければ一般の人は読めない。 ・世界200の国、6,000以上の民族、6,500以上の言語の内、50音の母音を中心に整然と組み立てられ、・平仮名、片仮名、アルファベット、漢数字、ローマ数字等多様な表現形式を持つ言語、日本語。 ・脳科学者角田忠信が指摘しているように、西欧人は子音を左脳、母音を機械音、雑音と同じ右脳で処理、また、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音をノイズとして右脳で受けている。対して、子音、母音、さらには小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音までも言語脳の左脳で受け止める日本人。そこから導かれるのか万物に神を読む日本人。 ・ユーラシア大陸の東端で、儒、仏、道、禅、神道文化を発酵させ、鋭い感性と深い精神性を育んできた日本文化。 ・「日本語の科学が世界を変える」の著者、松尾義之が指摘しているように、ノーベル賞 クラスの科学の発明は実は日本語のおかげ。自然科学の分野ではこれまで約20の賞を受賞。アジア圏では他を圧倒。 今、なぜ、教育的翻訳が必要なのかを考えるにあたって、これを抽象化して考えるとこんなキーワードが思い浮かびます。 多文化共生 次のステージは、多文化共生の時代、お互いの文化の違いを認め合って共生していく社会。 また、それこそが翻訳の真髄と考えます。 また別の言い方をすると、翻訳という行為そのものが多文化共生を前提とする異文化融合と言えます。 あのサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を人種差別の書と断定する米国知識人に中国とは違った大覇権主義の限界が見え隠れします。常に普遍を追求して違いを消去してきた米国。それに反して、植民地政策の歴史を持つ英国は国際政治において揉まれたことにより、文化差に対しては経験的に理解し対処しよう言う姿勢をもっています。 また、この多文化を認め、その上で、自文化を重んじる、ある意味の度量(否、戦略)が進行中の英国のEU脱退、BREXITにつながったのかもしれません。 我々、バベルグループができることと言えば、政治、経済の領域ではなく、国家の文化・社会戦略としての‘翻訳’を考えることと確信します。 なぜなら、翻訳こそ、多文化共生に基づく世界の融和政策だからです。 最後に、翻訳という行為がどんな能力を伴うものなのか、バベルの翻訳専門職大学院の翻訳教育の視点から見ていきたいと思います。 ・Language Competence これは翻訳を職業にする場合は、当然柱となる言語関連のスキルで、バベルの「翻訳文法」 を核にしています。PISAで言う、数学的リテラシー、科学的リテラシーに次ぐ、読解力には密接に関係しています。 ・Cultural Competence (Cross-cultural, Global Competence) 異文化間の変換をするに必要な、彼我の文化を熟知し、その価値を相対化できる視点を言います。これはPISAで言う、2015年から加わった協同問題解決能力、異文化対応能力( Global Competence )に充たると思います。ここで参考までに、渥美育子氏(バベルでは、その著「世界で戦える人材の条件」((PHPビジネス新書)の英訳版「Developing Global talent」を出版)は、世界をその文化的価値観から4つのエリアに分類しています。 ・モーラルコード(人間関係)で成り立つ国々 ― 日本を含むアジア、南欧、南米、中部、アフリカ等 ・リーガルコード(ルール、マニュアル)で成り立つ国々 ― 米国、英国、北欧諸国 ・レリジャスコード(神の教え)で成り立つ国々 ― 中東、北アフリカ等 ・ミックスコード(混合)で成り立つ国々 ― インド等 また、これらの国々を伝統、歴史という時間軸で掘り下げて、グローバルナビゲータを創り、それぞれ国が何に文化、行動価値を置いているかを、 ・モーティベータ ・ディ・モーティベータ すなわち、何を持って動機付けされるか、また逆に、なにが動機を削ぐのかを整理しています。 ・Expert Competence 翻訳では専門分野を極めていくことは必須です。専門分野は日々進化していきます。そうした変化を捉える情報収集を常に行う必要があります。 ・IT Competence 自ら翻訳をするだけではなく、プロジェクトを率いるような時は、プロジェクトマネージメントの知識、リサーチの技術、翻訳エディティングの技術、DTPの技術、そして翻訳支援ツールの活用技術、辞書化の技術、いずれもキャリア開発に不可欠な知識とIT技術です。 ・Managerial Competence 自立するための経営ノウハウ、プロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを仕切る際のプロジェクトマネージメントの知識と技術、自立を目指すに欠かせません。 翻訳はこれらのコンピタンシ―の集合でなりたつ、極めて完成度の高い知的総合力を伴う行為です。その一部がAIで支援されたとしても、全体を統合する翻訳という行為は、人間固有の行為と言えると思います。 AI時代こそ、翻訳という学びの方法が『読み、書き、そろばん』的な基本的能力を涵養してくれると確信します。 そして、日本の小学校、中学校、高校、大学、大学院で『教育的翻訳』が行われるようになれば、やがて日本は自立の道へ導かれると信じます。 [:en]

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

Tomoki Hotta Vice Chancellor Babel University Professional School of Translation Are you familiar with the term “academic debate”? During Babel’s history spanning over almost half a century, for roughly a decade in the 1990’s BUPST would invite annually a debate champion and coach (instructor) from the US and supported a Japan-wide academic event. Participants would debate in Japanese and English, and Babel extolled the academic benefits of debating. At the time, Professor Shigeru Matsumoto (author of the book English Debating Manual published by Babel Press and Professor of International Management at Rikkyo University School of Management as well as a U.S. qualified debate coach), and the late professor Akiko Nakatsu (whose book Why do you speak English? received the Nonfiction Otoya Foundation Award) assisted in these events. Academic debate is the idea of using debating techniques as a part of education in cultivating logical composition skills. Another term – “academic translation” – targets adults who are in college and older and students in elementary through high school. Academic translation however is intended for developing professional translators. To make the idea of academic translation easier to understand, let’s consider the following example. About 25 years ago I took part in an experimental project at Babel. A team of seven to eight people comprised of Babel’s education manager Genya Nagasaki and second and third year junior high teachers also participated in this project. Professor Nagasaki was at the time a masterful English speaker whose Miracle English Series had successfully sold over a million copies. Without having ever left Japan, Professor Nagasaki had learned English so well he could engage in heated debates and arguments with native English speakers. In this project, second and third year junior high students were targeted in using the Ladder Series editions of English learning books – where the English vocabulary is limited to 500-100 words – to conduct translation exercises. In these exercises, students were taught foundational techniques from syntax to pronunciation, and were expected to not simply interpret the English passages but also carefully research the background to translate into Japanese that was grammatically correct and easy to read. What was surprising was that after about a year of this training students’ English improved, and also their grades in language arts, social studies, math, and other subjects improved significantly. I wish we’d been able to continue with this project and collected more concrete data, but regrettably Babel became busy with other work and was unable to pursue the project further. Now, about 20 years later, I feel like the time has come to put into practice what Babel learned in this project. In current English education, where the grammar translation method is rejected and communicative English education or so-called “conversational English” education is promoted, looking at those results I wonder if I’m the only one that feels like “educational translation” – which began before the Edo period – is needed today. This magazine has been running a series since May of last year by professor emeritus Hajime Narita from Osaka University titled English Education Using Comprehensive Translation, that does a great job of summing up the idea of educational translation. Conversely, the Program for International Student Assessment (PISA), coordinated by the Organization for Economic Cooperation and Development (OECD) every three years, has been used since 2000 to measure 15-year-old students’, math, science, and reading literacy. Additionally, since 2015, this assessment also measures collaborative problem-solving skills and global competence. Incidentally, the Japanese moved from ranking at a little higher than 10th place to being at the top in the world in math and science literacy in 2015, and about the same at third place in reading comprehension. Reportedly, the Japanese still continue to be at the top in these three fields. While there is some disagreement in defining the standards for global competence that was added to the PISA in 2015, currently the definition is as follows. “Global competence is the capacity to examine local, global and intercultural issues, to understand and appreciate the perspectives and world views of others, to engage in open, appropriate and effective interactions with people from different cultures.” Namely, global competence is comprised of the three dimensions of knowledge, understanding, and attitude, and at the foundation is a focus on human dignity and cultural diversity. http://www.oecd.org/pisa/pisa-2018-global-competence.htm This global competence can also be considered in a broad sense as the very heart of translation and educational translation. I believe the spread of educational translation cultivates language education, understanding of foreign cultures, responding effectively to foreign cultures, and sensitivity, and it opens up new horizons for education of both students at all levels and adults as well. It also encourages a new awareness of Japan’s role in the world. Let’s consider now the meaning translation possesses from a historical perspective. Since the Meiji Restoration, many members of Japan’s Enlightenment movement such as Fukuzawa Yukichi, Nishi Amane, and Nakae Chomin brought in to Japan Western culture and cultural assets to modernize Japan by combining the Japanese spirit with Western learning. In other words, one could say these great thinkers used translation to import the Western advanced culture and civilizations of the time. That’s why Japan was commonly called a translation nation. From the sixth to seventh century when Japan imported Chinese culture from Japan, it created translational equivalents of ideas from the Chinese culture by combining classical Japanese and the Chinese language. Beginning in the Meiji Restoration, Japan developed translational equivalents of abstract concepts previously nonexistent in Japan from the humanities and social sciences. Concepts such as society, justice, truth, reason, conscience, subjectivity, system, structure, dialectic, alienation, true existence, and crisis are all familiar terms imported into Japan through translation that the Japanese use without a second thought. However, if you think about translation’s standing in society today, it’s curiously imperceptible. Of course, we read translations in our everyday lives and the government and corporations allot large portions of their budget to translation. We also live in an environment where we can freely enjoy classical literature from all over the world such as the works of Dostoyevsky, Thomas Mann, etc. Looking at the future, the continued trend towards a borderless global society made possible with information technology means there’s an immeasurable amount of business volume for translation. Some say the typical corporation spends about three billion Japanese yen annually on outsourcing translation. Adding in translation for industries such as the government, books (including digital), cartoons, and comics, and the market for translation easily surpasses a trillion Japanese yen. This means that it wasn’t just in the past but from now into the future that the role of translation in Japan’s business dealings, culture, and society will be much larger than imagined. When considering the importance of translation at the national level, I realize the importance of the very act of translation even before that of training professional translators and am convinced once more of the importance of educational translation. The absolute obsession with English and the boisterous calls in Japanese corporations for switching to English is taking the media by storm, which is exactly what globalists and international finance capitalists want. Such policies however will only lead to the decline of Japan to becoming a second-rate country. Within the hierarchical structure of English control, there are countries such as India, Malaysia, Kenya, and other former British colonies that adopted English as their second official language, and then countries that were under the control of the U.S. such as the Philippines and Puerto Rico. These countries in a sense adopted English as their official language, and thus accepted becoming second-rate countries. Recently Japan’s mass media has been reporting masochistically about how the University of Tokyo has fallen from its ranking up to last year of first place in the Asian region to seventh. The reason for this decline is supposedly that only a small percentage of courses are taught in English along with a small percentage of academic papers written in English. However, think about this for a moment. Are there any other countries apart from Japan that are not English-speaking countries where people can learn advanced studies in their own language? What is more, Japan is a rare country where people can read classics from all over the world in Japanese – how many people are aware of this fact? On the other hand, look at the current condition of the so-called “ideal” country Singapore. First, one has to constantly learn several languages, and there’s a growing economic disparity due to elitism and a lack of a feeling of solidarity among citizens. What’s more, Singapore is culturally impoverished since it doesn’t create its own culture or arts. This is the distortion created by adopting English as a country’s official language. Japan has used translation as a shield, strictly adhering to the position that Japanese is its national language and not belittling it’s language by lowering it to being just a local language. Japan’s stance on this issue is perfectly natural given the following Japanese language and cultural history, and the according merits this language and culture support.

  • In the sixth and seventh centuries Japanese assimilated ideas from Chinese civilization; in order to absorb these ideas, Japan used a blend of Japanese and Chinese, thus creating a culture of Chinese and Japanese characters.
  • Japan is one of the richest languages in the world when it comes to vocabulary, having about 500,000 different words. English also is at about 500,000 words since it has many loaned words; German has 35,000, and French has 10,000 words. Japan is truly a country blessed with a miraculous power of language.
  • One can read ancient Japanese works from over 1000 years ago without particular difficulty, such as Kojiki, Nihon Shoki (the older chronicles of Japan), and Manyoshu (an anthology of Japanese poetry). However, in the U.S. and England, people cannot read literature written over a 1000 years ago unless they can read ancient Greek and Hebrew.
  • Among the 200 countries worldwide, over 6000 ethnic groups, and over 6,500 languages, only Japanese is neatly structured based on 50 vowels and has various forms of expression such as hiragana, katakana, the alphabet, Chinese numerals, and Roman numerals.
  • As neuroscientist Tadanobu Tsunoda has pointed out, people from the West process consonants with the left brain, and vowels with the right brain which is also used to process machine sounds and noise. They also take in noises like birds chirping, a brook babbling, or the sound of the wind as noise with the right brain. The Japanese however take in consonants and vowels with their language centered left brain, along with the sounds of chirping birds, babbling brooks, and the wind. Perhaps this is why the Japanese see the divine in all things.
  • Japanese culture has cultivated sharp sensitivity and deep spirituality by cultivating Confucianism, Buddha, Road, Zen and Shinto culture at the eastern end of the Eurasian Continent.
  • As the author of Japanese Science Will Change the World Matsuyo Yoshiyuki points out, many Nobel prize level scientific inventions are thanks to the Japanese language. Japan has won approximately 20 Nobel prizes in the natural sciences, setting it apart from other Asian countries.
The following keyword comes to mind when thinking abstractly about why educational is needed today: multicultural symbiosis. The next stage is the age of multicultural symbiosis; a society where people live together, recognizing each other’s cultural differences. That’s the very essence of translation! Put another way, the very act of translation is the integration of different cultures, which is set on the premise of multicultural symbiosis. Among U.S. intellectuals that regard Samuel Phillips Huntington’s books The Clash of Civilizations as racist, one can begin to see the limits of the hegemonism different from that of China. The U.S. has always attempted to pursue the universal and erase differences. In contrast, England – with a history of creating colonies – has undergone hardships due to international politics, and thus understands from experience cultural difference and has tried to take measures to manage those issues. It was possibly recognizing multiculturalism and also valuing its own culture, which is in a sense tolerance (or scheming) that led to England’s exit midway from the EU, or BREXIT. What we at Babel Group can do isn’t at the political or economic level; it’s considering translation in national culture and social strategies. This is because translation is a global appeasement policy based on multicultural symbiosis. Finally, let’s look at what skills are needed in translation from the viewpoint of BUPST’s translation education.
  • Language Competence This competence is the naturally the language related skills that are the pillar to working in translation, and Babel uses “translation grammar” as the center for this competence. PISA states that reading comprehensions skills are closely related to mathematical and scientific literacy.
  • Cultural Competence (Cross-cultural, Global Competence) Cultural competence is thoroughly knowing cultures of concern, which is necessary when transferring information between different cultures and relatively viewing the values in those cultures. This coincides with cooperative problem-solving skills and skills for working with different cultures – or global competence – that PISA added in 2015. As a reference, global consultant Ikuko Atsumi (author of Developing Global Talent (English translation published by Babel)) groups the world into four areas based on cultural values. 1. Countries based on a moral code (human relations) – Asia including Japan, Eastern Europe, South America, Central Africa, etc. 2. Countries based on a legal code (rules and manuals) – the U.S., England, Northern European countries. 3. Countries based on a religious code (teachings of God) – the Middle East, Northern Africa, etc. 4. Countries based on a mixed code (combination of codes listed above) – India, etc. Ikuko Atsumi also looked into the traditions and history of each country to create a Global Navigator that organizes countries based on 1. Motivators 2. Demotivators Motivators and Demotivators shows what countries hold as their cultures and values for taking action.
  • Expert Competence In translation, it’s necessary to have a field of specialty. That field of specialty is constantly evolving. Therefore, it’s necessary for translators to be able to gather information to be informed of those changes.
  • IT Competence Not only when translating, but also when leading translation projects, one needs IT competence – which is the project management knowledge, research skills, translation editing skills, desktop publishing skills, and skills for using translation assistance tools, skills for creating glossaries of terms –such knowledge and IT skills are essential to career development as a translator.
  • Managerial Competence Managerial competence encompasses management know-how for achieving professional independence, and project management knowledge and skills for working as a project manager in handling projects – all of which are essential for gaining independence as a professional translator.
  • Translation integrates all of the above competences and requires an extremely high degree of overall intellectual ability. While some of translation can be performed with the help of artificial intelligence (AI), the act of translation as an integrated whole is one that only humans can perform. In the AI age, I believe that learning translation cultivates foundational skills similar to reading, writing, and arithmetic. I also believe that if Japan’s elementary, middle, and high school education, along with universities and graduate schools use educational translation, Japan will ultimately find the path to independence.
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翻訳者の資格が問われる時代に突入!!

翻訳の国際規格が2015年4月、日本でスタート!

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

EU発の翻訳の国際規格、ISO17100が2015年4月に日本でも発行されました。これまでISO(国際標準化機構、本部ジュネーブ)は様々な国際技術規格を世界標準とすべく、規格を策定、世界に普及させようとしてきました。

以下に翻訳関連する規格を列挙しましょう。

  • ・ISO 9001:2008   文書化プロセスと手順に適用される規格。
  • ・ISO 27001:2005   文書化された情報セキュリティマネジメントシステムの構築、導入、運用、監視、維持、改善のための要件を規定する規格。
  • ・EN 15038:2006   欧州標準化委員会によってヨーロッパの翻訳/ローカリゼーション専用に作られた品質規格。
  • ・ISO 13485:2003   ISO 9001を基にした規格で、医療機器と関連サービスの設計、開発、製造、設置に焦点を置いた規格。
  • ・ISO 14971:2007   医療機器の翻訳サービス全体を通してリスク管理のあらゆる側面が考慮されていることを確認するプロセスを提供する規格。(ISO 13485を補完するもの)

その内に、TC(Technical Committee)37という言語、内容及び情報資産の標準化をめざす専門委員会が設置され、その下にはいくつものSC(Sub Committee)が設置されています。この17100もこの中で検討され、ISO17100( Requirements for translation Services)は翻訳の国際規格として昨年誕生しました。

私は日本翻訳協会の一員としてこのISO17100DISの検討プロジェクトに参画してきました。

日本はとかくこのようなルール創りには蚊帳の外に置かれがちですが、我々翻訳者ひとりひとりの課題としても正面から向き合う時が来たように思います。

これが、我々バベルグループが40余年にわたり独自に追求してきた、‘ 翻訳のプロフェショナリズム ’を確立することでもあるからです。

また、私が関わっている日本翻訳協会において一昨年スタートした『JTA公認 翻訳プロジェクト・マネージャー資格試験』についても、このISO17100に準拠し、それを越える(翻訳品質のみならず、ビジネスとしての健全性を含む)資格としてスタートしました。 
http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm.html

この業界で長い方はご承知かと思いますが、ISO9001という品質マネージメント規格は、ローカリゼーション翻訳の世界では、国際規格として採用され、翻訳会社( Translation Service Provider) によってはこの認証を取得して、クライアントにたいする営業のブランド力としていました。しかし、その後、翻訳の業界にはそぐわないとして欧州規格EN15038が創られ、これが次第に浸透するようになりました。そこでISOはこのEN15038をベースとして、ISO17100の開発に踏み切ったという訳です。

このISO17100は、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立という意味でも大事な視点を含んでいます。

まず注目すべきは、このISO17100は翻訳会社のみならず、クライアント、その他のステークホールダーを巻き込んだ規格であるということです。

また、この規格では翻訳者の資格(Qualification of Translators)、そしてチェッカー、リバイザーの資格を明確にしようとしていることです。すなわち、翻訳者を社会にどう認知させるかという視点をベースにもっているということです。

翻訳者の資格(Qualification of Translators)
(1) 翻訳の学位
(2) 翻訳以外の学位+実務経験2年
(3) 実務経験5年
(4) 政府認定の資格を有する
のいずれかが必要と謳っていました。 しかし、最終的には「(4) 政府認定の資格を有する」は訳あって外れました。
また、実務経験何年というのが曲者でどのようにはかるのでしょうか。
また、翻訳プロセスについても
Translate
⇒ Check
⇒ Revise
⇒ Review
⇒ Proofread
⇒ Final Verification
とその品質確保の要求プロセスを規定しています。
*Reviewはオプション

これらの要求項目は、まさに業界とそれを取り巻くクライアント、エンドユーザーが一体と ならないと達成できないことです。翻訳の品質を一定に保つためにはこれらの視点、プロセスが必要であることをクライアントが納得していただけなければならないわけで、それがなければ翻訳業界の発展も見込めないわけです。

私は、2000年、米国に翻訳専門職大学院( Babel University Professional School of Translation)を設立しAccreditationを取得するために、米国教育省が認定している教育品質認証団体、DEAC( Distance Education Accrediting Commission)のメンバー校になるべく交渉をした経験があります。

このAccreditationを取得するプロセスでは、約3年の年月と、1,000ページに及ぶ、Educational StandardsとBusiness Standards遵守の資料の作成が要求されました。
その後、これらの資料に基づき、監査チーム(5名)を米国事務所に迎え、プレゼンテーションをし、査問、監査を受けるわけですが、こうしたルールにどう準拠するかのやり取りは、嫌というほど経験しています。

自分で選択したとは言え、その経験があるがゆえに、既に作られたルールに意図に反して従わざるを得ない無念さを痛感していました。翻訳の教育はこうなんだ、他の学科を教えるのとはこう違うのだといっても、所詮、ヨーロッパ系言語間のより容易な‘翻訳’を‘翻訳’と考えている彼らには、その意味が通じず、いつも隔靴掻痒の思いがありました。

従って、ルールメーキングの段階からこの種のプロジェクトに関わる必要性を痛切に感じてきました。

ISOに指摘される以前に、私の持論としては‘ 翻訳者は翻訳専門の修士以上の教育プログラムを修めるべき’ と考えています。翻訳は専門と言語力の統合があってこそ可能、すなわち、大学院レベルの教育であってしかるべきと考えています。

ということで、時代は動いています。ISOが一番に指摘しているように、翻訳者は少なくとも翻訳のディグリー、できれば修士号を持ちたいものです。 それこそが、翻訳業界の発展、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立でもあるからです。

以上
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– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

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