世界を混迷から救うカギは翻訳にあり!(1)

第1回 近代社会の基礎は翻訳が作った

施 光恒(せ・てるひさ) 九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学博士 昨年の英国のEU離脱の国民投票の決定、米国大統領選でのトランプ大統領の選出は、世界中の人々を驚かせました。多くの新聞や報道番組の予測もはずれました。 日本でもそうですが、世界の多くの識者は、これらの事態を指して「孤立主義」「排外主義」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の台頭だと懸念しました。識者の心のうちには、グローバル化こそ、人類の歴史の進歩であり、また宿命であるという見方が根強くあるからです。また、自由で平和で安定した社会、経済的に豊かな社会をもたらすものだと信じているからです。 グローバル化とは、ひと言でいえば、国境の垣根を低くし、ヒト・モノ・カネ・サービスの動きを活発化させる現象だと述べることができます。近年の世界では、グローバル化こそ良いものだと信じられ、これを促進するために、政治経済やその他の制度の世界共通化(ユニバーサル化)が図られてきました。例えば、経済では、アメリカ型の株主の力が強い資本主義制度が日本を含む世界中で導入されてきました。文化面では、最近は日本でも顕著ですが、ビジネスや学問の言葉として「世界共通語」である英語を使うようにしようという動きが強くなっています。 しかし本当にグローバル化とは良いものなのでしょうか。世界の現状を見る限り、グローバル化こそ進歩であり、また自由で安定した社会をもたらすという想定は当たっていません。例えば、ここ数か月を振り返るだけでも、英国のロンドン橋(6月3日)、マンチェスター(5月22日)、フランス・パリのシャンゼリゼ通り(4月20日)、ドイツのドルトムント(4月17日)と欧州各地域で移民問題が大きな要因となったテロが頻発しています。また先進各国の経済的格差は、グローバル化が本格化した1980年代以降、極めて大きくなりました。フランスの経済学者ピケティが指摘したように、米国の経済的格差は戦前の大恐慌の時期よりも大きく、統計を取り始めて以来、最もひどいものとなっています。英国の経済学者ハジュン・チャンによれば、途上国の経済成長率も、グローバル化の開始以後それ以前と比べて低下しています。 フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、近年の時事的論説やインタビューで「グローバル化疲れ」という言葉をしばしば用いています。トッドによれば、先進諸国の多くの庶民は、1980年代から続くグローバル化の流れがもたらした格差拡大、移民の急激な増加、民主主義の機能不全、グローバル・エリートの身勝手さなどに辟易し、疲れ切っています。昨年の英国のEU離脱や米国大統領選挙におけるトランプ現象の背後にあるのは「グローバル化疲れ」だと指摘します。 では、現在のグローバル化の流れを是正し、多くの人々が安定した豊かな社会で暮らせるようにするにはどうすればよいのでしょうか。私は、この点を考えるときのカギとなるのが、「翻訳」だと思います。翻訳という行為には、現在のグローバル化よりもずっと良い世界を構想するための様々なヒントが含まれています。 今回と次回の私のコラムでは、このヒントについてお話しします。今回は西欧の近代化の歴史、次回は明治日本の経験について触れながら、現行のグローバル化の見方の背後にある誤りを明らかにします。そして、よりよき世界のあり方を考えるうえで、翻訳に注目する必要性について論じてみたいと思います。

●グローバル化こそ進歩?

グローバル化はテロリズムや格差拡大などさまざまな問題を生じさせています。にもかかわらずグローバル化を推進しようという声がいっこうに小さくならないのはなぜでしょうか。大きな理由の一つは、グローバル化こそ人類社会の進歩であり、歴史の必然なのだという思い込みを多くの人が抱いていることが指摘できます。 皆さんも、よくご自身の周りで次のような見解をお聞きになるのではないでしょうか。「グローバル化は時代の流れであり、この流れから取り残されるわけにはいかない」、「グローバル化こそ時代の趨勢なのだから、国なんかにこだわるべきではない」といった見解です。 これらを整理しますと、多くの現代人が、半ば無意識に、次のような一種の法則じみた歴史の見方を共有していると言えるでしょう。「人間社会の進歩とは、土地に根差した身近で小さな社会(村落社会)が、国(国民国家)を経て、だんだんと大きくグローバルな普遍的社会へと統合されていくことだ」というものです。ここで「普遍的」とは「ユニバーサル」、つまり「世界共通の」という意味です。 図式化すると次のような「歴史の流れ」ですね。 「村落社会 → 国 → (EUや東アジア共同体のような)地域統合体 → グローバルな枠組み(グローバル市場やグローバル・ガバナンス)」 身近で土地に根差した土着の社会から、より大きな世界共通の社会へと向かう流れ、いわば「土着から普遍へ」向かう一方向的な発展過程の想定です。そして現在は、「国」から「地域統合体」への過渡期に当たるというわけです。この流れに伴って、各地域のルールや制度、言語といったものも、より共通のもの、よりユニバーサルなものに近づいていくと考えられます。 このような「時代の流れ」観、つまり歴史観が背後にあるので、多くの人が、グローバル化こそ進歩であると考え、グローバル化に賛成してしまうのです。賛成しないとしても「時代の流れだからしょうがない」と考えてしまうのです。

●西欧の近代社会の成立と翻訳

「グローバル化こそ時代の流れであり、進歩だ」というこの想定ですが、実はとても一面的です。たとえば、これまでの世界の歴史のなかで最も大きな「進歩」だったとされる西欧の近代化の過程をみても、必ずしも「土着から普遍へ」と単純には描けません。 「世界史」の時間に習ったことを思い出してみてください。世界史の時間に、西欧の近代化のはじまりを告げたものとして「宗教改革」が出てきました。宗教改革を特徴づけたのは聖書の翻訳だったとも習います。私も、高校時代にそのように習ったのですが、当時は聖書翻訳がなぜ重要だったのかあまりピンときませんでした。ですが、これ、とても重要だったのですね。 中世の欧州では、ラテン語が「普遍語」、つまり世界共通のユニバーサルな言語だと認識されていました。貴族や聖職者、学者などの特権的なエリート層は、公式の言語としてラテン語を用いていました。聖書は主にラテン語で書かれ、教会の儀式もラテン語で行われていました。大学では哲学などの学問も、ラテン語で記述され、論じられていました。 しかし各地の大多数の一般庶民は、ラテン語がわかりませんでした。当時の人口全体から見ればラテン語を自在に用いることができるのは、ごく少数のエリート層だけでした。大多数の庶民層は、ラテン語を学ぶ機会はなく、各地域の「土着語」を用いて日常生活を送っていました。当時の土着語は、日常の話し言葉でしかありませんでした。抽象的で知的な事柄を表現できる豊かな語彙はありませんでしたし、文法や正書法(正しい書き方のルール)も定まっておらず、緻密な知的議論や論述には向かないと考えられていました。 一般庶民は、ラテン語がわからなかったため、信仰のよりどころであるはずの聖書も自分では読むことができませんでした。学問に関しても、哲学や自然科学、法律、歴史などの学問の成果に触れられず、知的な思考や議論を繰り広げることもできません。庶民が自らの能力を磨き、発揮することはほぼ不可能だったのです。 こういう状況のなか、宗教改革では、マルティン・ルターやウィリアム・ティンダルらは、聖書を、庶民が日常生活の場で用いている土着語に翻訳しました。現在のドイツ語や英語のもととなった言葉に訳したのです。 哲学の世界でも同じようなことが起こりました。西欧では中世の哲学は、ほとんどラテン語で記されていました。ですが近代に入ると、哲学は日常生活の言葉である土着語で書かれ、論じられるようになりました。 近代哲学の幕開けとなった、「われ思う、ゆえにわれあり」で著名なデカルトの『方法序説』は、フランス語で書かれた最初の哲学書だといわれています。デカルト以降、近代の哲学者は、ラテン語ではなく、日常生活の言葉である各地域の言語で書くようになりました。ホッブズは英語、ヴォルテールはフランス語、カントはドイツ語でそれぞれ書いたのです。哲学以外の学問も、それぞれの国の言葉で論じられるようになっていきます。 聖書の翻訳が行われたことや、学問がラテン語ではなく各国語で行われるようになったことには、とても大きな意味がありました。近代以前の西欧世界では、宗教や学問は、いわば「ラテン語派」とでもいうべき当時のグローバルな特権的エリート階級に牛耳られていましたが、近代以降は各国の日常生活の言葉で宗教や学問が論じられるようになりました。こうなると各国の一般庶民にとって格段に学びやすくなります。庶民の知的世界はずっと広がりました。聖書や学問的な書物が各国の日常生活の言語で記されるようになったため、一般庶民でも、少し努力すれば、当時の多種多様な知識に触れられるようになったのです。 言語の側からみれば、ラテン語、あるいはギリシャ語やヘブライ語の語彙が各国の言葉に翻訳され、取り入れられるようになり、各国の言葉は充実していきます。近代になると、法律もそれぞれの国の言葉で書かれ、社会制度も各国語で運営されるようになりました。 近代社会が成立したのは、「翻訳」の力が大きかったのです。「翻訳」によって、普通の人々が、外来の多様な古今の知識に触れ、それを学び、能力を磨き、発揮しやすい社会空間が各国に成立しました。中世の世界では、ごく少数のエリートである「ラテン語派」の者たちしか専門的知識を学べなかったため、多数の庶民は自分の知的能力を磨くことができず、社会参加しにくかったのです。しかし近代以降は、「翻訳」を通じて、多くの庶民が、それぞれの国にできた、それぞれの国の言語で動く社会に参加し、能力を磨き、活躍できるようになりました。 それまで社会から排除されていた多数の庶民が、さまざまな新しい知識に触れ、能力を磨き、発揮できるようになったことは、社会に大きな活力をもたらしました。「近代化」というのは、それまでよりも圧倒的に多くの人々が社会参加するようになり、彼らの力が各国の社会空間に結集されるようになって生じたものだといえます。いわば庶民の力の結集こそ、各国に近代化をもたらしたエネルギーであり、そうした社会への扉を開いたのは翻訳というカギだったのです。

●「グローバル化」史観のおかしさ

このように見てくると、現在のグローバル化の前提にある歴史の見方はおかしいことに気づきます。グローバル化推進派の人々が前提しているような「土着から普遍へ」と向かう流れこそ進歩だという見方は、少なくとも非常に一面的です。 西欧の近代社会の成立とは、「普遍的な言語」(ラテン語)で書かれた先端の知識を、各々の地域の言語に翻訳し、身近な土着の文化に取り込んでいくなかで、つまり、いわば「翻訳と土着化」を行っていくなかで生じてきました。ですので、近代化のプロセスとは、「土着から普遍へ」というよりも、むしろ「普遍から(複数の)土着へ」という流れだとみるほうが適切なのです。翻訳と土着化の作業を通じて、各国の多数の人々にとってなじみやすく、また自分たちの能力を磨き、発揮しやすい環境を整備したことが活力ある近代社会の成立を可能にしたのです。 このように考えると、現在のグローバル化の流れが世界の人々に幸福をもたらすものなのか大いに疑わしくなります。現在のグローバル化のもとでは、冒頭で触れたように、多くの国々で格差が非常に拡大しています。その結果、社会に十分に参加し、能力を磨き、発揮していけるような恵まれた立場にある人々は少なくなっています。グローバル化は、進歩どころか退行なのかもしれません。 次回のコラムでは、明治日本の近代化の経験を参照しつつ、より良き世界の実現と翻訳の意義についてさらに考えてみたいと思います。 [box color=”lgreen”]

施 光恒(せ・てるひさ)

1971年生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授(政治学)。 英国シェフィールド大学大学院、慶應義塾大学大学院などで学ぶ。博士(法学)。 著書に『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)など。 [/box]
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Translation created the Foundations for Modern Society

By Teruhisa Se Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University PhD in Law In the past year, both the United Kingdom’s national referendum to withdraw from the EU and Donald Trump’s victory in the US presidential election have surprised people all over the world. These events also defied the predictions of many in the media and the news. Many experts in both Japan and worldwide fear these events are a harbinger of isolationism, anti-foreignism, and populism. Such experts firmly believe that globalization is the way of progress, and indeed the destiny of mankind. They also believe that globalization will bring about a free, peaceful, and stable global society which is blessed economically. Globalization can be summed up as lowering country borders to increase the flow of people, products, money, and services. In modern society, globalization is believed to be without a doubt a good thing, and economics and other systems are planned on being universalized to advance globalization. Take economics for instance. The US style capitalist system – where stockholders are highly influential – is being introduced into Japan and other countries. When it comes to culture, countries like Japan are leaning towards using English (the “lingua franca”) in business and education. However, is globalization all it’s cracked up to be? Looking at recent worldwide events, the assumption that globalization is progress and creates a free and stable society doesn’t seem to hold true. Consider the frequent terror attacks stemming from immigrant problems in the past few months: London Bridge (June 3rd), Manchester (May 22nd), the attack on Paris’ Avenue des Champs-Elysees (April 20th), and the Dortmund bus terror attack in Germany (April 17). Adding insult to injury, the economic disparity in developed countries has ballooned since globalization became mainstream in the 1980’s. French economist Thomas Piketty points out that the US’s economic disparity is larger than it was during the Great Depression, and the worst on record. According to British economist Ha-Joon Chang, the economic growth of developing countries has actually declined with globalization. French anthropologist and economist Emmanuel Todd frequently uses the term “globalization fatigue” in his interviews and writings. According to Todd, people in developed nations are fed up with and exhausted by the widening economic disparity, sudden increase in immigrants, breakdown of democracy, and opportunism of the global elite – all products of the globalization trend initiated in the 1980’s. Todd points out that “globalization fatigue” is what lies behind the UK’s departure from the EU and Trump’s victory. What can be done to steer globalization in the right direction so that many can live in a stable and abundant society? The key is translation. Translation contains hints for creating a world that will be far better off than that steered by globalization. In the next two articles, let’s look at the hints translation provides. In this article, we’ll consider the history of modernization in Western Europe. In the next article, we’ll cover Japan’s experience during the Meiji Restoration period. These periods clearly emphasize that our views on globalization are mistaken. Finally, I’ll discuss the importance of translation in creating a better world. Is Globalization Truly Progress? Globalization is bringing about various problems, such as terrorism and widening disparity. Why is it then that cries for pushing forward globalization continue persistently? One major reason is that many people have the preconception that globalization equals social progress, and is an inevitable outcome in history. How many have heard opinions like, “globalization is the trend of the times, and if we fight it we will be left behind” or, “we are in a period of globalization, and therefore shouldn’t be concerned about ‘countries’”. In summary, many people almost unconsciously have the following principle -like view of history: social progress starts with local, small societies rooted in various regions (rural communities) which become countries (nation-state) and gradually grow and are integrated into one global, universal society. The term “universal” here means “shared throughout the world”. Here’s a visual representation: Rural society > country > corporate body (for example the EU or East Asian Community) > global framework (global market or global governance) This framework assumes that indigenous local societies shift towards a universal society. In other words, we progress from indigenous to universal. We are currently in the transitional period from country to corporate body. It’s believed therefore that the rules, systems, and languages of various regions will integrate into a common or universal form. This view explains why many people believe globalization is equated with progress, and therefore support globalization. Even those who aren’t supporters believe the world is moving in that direction and therefore nothing can be done. Translation and the Establishment of Modern Western Society This assumption however is at best one-sided. Take for example what could be considered the biggest act of “progress” in world history – modernization in the West. This was not simply a shift from indigenous to universal. Recall what you learned in world history class. You were taught that the Reformation marked the beginning of Western modernization. The Reformation was characterized by the translation of the Bible. I learned the same thing in high school, but at the time didn’t understand why Bible translation was that important. It was however that important. Latin was considered the universal language (language used worldwide) in Europe in the Middle Ages. Latin was the common language of nobles, clergy, scholars, and others in the privileged elite class. The Bible was written in Latin. Church ceremonies were conducted in Latin. In universities, philosophy and other academics were written and discoursed in Latin. However, most common people didn’t understand Latin. Only the few elite could freely use Latin. Everyone else had no opportunities to learn Latin, and instead used their indigenous language in everyday life. Indigenous languages were those languages people used in their region to communicate daily. Indigenous languages didn’t contain the rich vocabulary needed to express abstract and intellectual concepts, and didn’t have set orthographic rules (rules for correct writing). It is believed that these languages were not suitable for elaborate, intellectual debates and discourse. People didn’t understand Latin, so they were unable to read the Bible, which was supposed to be the foundation of their faith. When it came to academics, they couldn’t be exposed to philosophy, natural sciences, law, and history, and were unable to deeply pursue intellectual thought and discourse. Most people were almost completely unable to develop or display their intellectual abilities. These were the conditions in which those like Martin Luther and William Tyndale translated the Bible into common languages. Luther and Tyndale translated the Bible into languages that are the basis for modern-day German and English. The same happened when it came to philosophy. Philosophy in the West during the Middle Ages was predominantly written in Latin. However, as the West shifted to modern times, philosophy came to be written and discoursed in languages used in everyday life. Descartes’ treatise Discourse on the Method, well-known for the saying, “I think, therefore I am”, marked the beginning of modern philosophy. This was arguably the first book of philosophy to be written in French. After Descartes, modern philosophers no longer wrote in Latin but rather in regional languages used everyday life. Hobbes wrote in English, Voltaire in French, and Kant in German. Academics apart from philosophy were also discoursed in various regional languages. Translation of the Bible and pursuit of academics in various languages had great significance. Religion and academics in the West prior to modernization was controlled by the privileged elite class which understood Latin, but with modernization religion and academics were conducted in everyday languages. This means that people could learn with greater ease. The academic world expanded immensely. The Bible and other academic literature was written in everyday languages, so with a little effort people could tap into the diverse knowledge offered at that time. In terms of languages, Latin, Greek, and Hebrew vocabulary were translated and integrated into, and therefore enriched, various languages. In modern times, law also began to be written in various languages, and social systems operated as well in those diverse languages. The power of translation was great in establishing modern society. Through translation, people throughout the world could tap into and learn ancient and modern diverse knowledge from abroad, hone their abilities, and have a social environment where they could display those abilities. During the Middle Ages, only the few elite well-versed in Latin could access specialized knowledge, while most people were unable to develop their intellectual skills, and had difficulty therefore participating in society. Through translation however, in modern times many people have become able to develop their abilities and participate in their country’s society in their language. This majority of people, that had up to that time been excluded from society, brought a new vitality as they started participating in society and their strength was channeled. In a sense, it is this concentration of the people’s strength that was the catalyst for modernization, and translation was the key to opening the door to those societies. The Incongruity of the “Globalization” Historical View Considered in this way, it becomes evident that the current historical viewpoint based on globalization doesn’t make sense. The viewpoint that moving from indigenous to universal is progress – which promoters of globalization assume – is extremely one-sided to say the least. The establishment of modern society in the West was brought about by translating cutting-edge knowledge written in the “universal language” of Latin into the languages of various regions. In other words, it was a process of translation and indigenization. That is why it is more appropriate to view the process of modernization not as one of indigenization to universal, but rather as moving from universal to (various) indigenous areas. Through translation and indigenization, many people in various countries could access knowledge expressed in a way familiar to them, which allowed them to develop and exert their abilities in an environment that allowed them to do so. This made the establishment of lively modern societies possible. Considered in this light, the current belief that globalization will bring about global happiness is extremely doubtful. The root of globalization today, as I mentioned, is a vast disparity increase in many countries. This results in a declining number of people privileged enough to participate in society and both develop and exert their abilities. Globalization is likely to lead to backsliding rather than progress. In my next article, we’ll look at Japan’s modernization during the Meiji Restoration period in considering how to attain a better world and the important role translation plays. [box color=”lgreen”]

Teruhisa Se

1Born in 1971. Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University (political science). Studied at Sheffield University’s Graduate School in the UK, and at Keio University graduate school. Holds a Ph.D. in Law. Author of Eigoka wa Guminka (Englishnization Leads to Dumbification) (Shueisha Shimbun, 2015). [/box]
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国家戦略としての‘翻訳’

国家戦略としての‘翻訳’

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を創ってきました。ひとつ間違えれば、国の独立さえ危ぶまれた明治の日本は 当時の英語公用語化論を退け、翻訳を通じて日本語による近代化を成し遂げました。 明治維新以降、先人、福澤諭吉、西周、森有礼,中江兆民等々が、西欧文化、技術、制度、法律等、日本にない抽象概念を数々の翻訳語を創って受け入れてきました。 Societyが 社会、 justiceが正義、truthが心理、reasonが理性、その他、良心、主観、体制、構造、弁証法、疎外、実存、危機、等々。 こうした先人の努力をよそに今こんなことが起こっていることをご存知でしたでしょうか。それは政府部内で検討された英語特区という公の場では日本語で会話はご法度という制度です。こんな制度がまかり通っていいのでしょうか。 英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそグローバリスト、国際金融資本家の思う壺。日本が二流国に転落するのが目に見えています。 この辺の事情を歯切れのよい文章で書かれた施光恒(せ てるひさ)氏の「英語化は愚民化―日本の国力が地に落ちる」(2015年7月刊、集英社新書)は説得力のある素晴らしい本でした。 この本にもあるように、英語による支配の序列構造の中で、第二階層、すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった諸国のことです。かれらはある意味、英語公用語を採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と言えるでしょう。 最近では日本の東大がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から七位に転落とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、その主たる理由は、授業が英語で行われている割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。しかし、考えてみてください。英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は日本以外ではあるでしょうか。おまけに、世界中の古典が読める稀有な国日本、これを皆さんはどこまで自覚しているでしょうか。 一方、あの理想国家といわれるシンガポールの現況は、常に複数の言語を学ばなければならないことから始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言えると思います。 日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めませんでした。 これは以下の日本語と日本文化の歴史とこれに裏打ちされた利点を考えれば至極当然のことに思えます。 ・6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、仮名、文化を作り上げできた。 ・50万語という世界一豊かな語彙をもつ日本語。英語は外来語の多くを含んでの50 万語、ドイツ語35万語、仏語10万語。まさに、言霊の幸はふ国日本。 ・古事記、日本書紀、万葉集など、1,000年前文献でもさほど苦労なく読める日本語。一方、英米では1,000年まえの文献は古代ギリシア語、ヘブライ語が読めなければ一般の人は読めない。 ・世界200の国、6,000以上の民族、6,500以上の言語の内、50音の母音を中心に整然と組み立てられ、・平仮名、片仮名、アルファベット、漢数字、ローマ数字等多様な表現形式を持つ言語、日本語。 ・脳科学者角田忠信が指摘しているように、西欧人は子音を左脳、母音を機械音、雑音と同じ右脳で処理、また、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音をノイズとして右脳で受けている。対して、子音、母音、さらには小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音までも言語脳の左脳で受け止める日本人。そこから導かれるのか万物に神を読む日本人。 ・ユーラシア大陸の東端で、儒、仏、道、禅、神道文化を発酵させ、鋭い感性と深い精神性を育んできた日本文化。 ・「日本語の科学が世界を変える」の著者、松尾義之が指摘しているように、ノーベル賞クラスの科学の発明は実は日本語のおかげ。自然科学の分野ではこれまで約20の賞を 受賞。アジア圏では他を圧倒。 ここで、一見無関係に思われる、最近の世界情勢を見てみましょう。 Brexit(Britain+Exit), 英国の国民投票によるEU離脱の衝撃は、日本、そして世界の経済、政治に大きな影響を与えつつあることはご承知かと思います。 フランスは決選投票の結果、EU離脱派のルペン氏を抑え、無所属のマクロン氏が勝ったとは言え、無所属のマクロンが政党を設立し国民議会577議席の単独過半数の支持を得て首相とともに今の路線で歩めるのかまだまだまだ予断を許せません。 EUは解体に向けて歩む?のかもしれません。実際、オランダ、イタリア、オーストリア、デンマーク、スウェーデンももしかしたら、という状況のようです。 では、このBrexit以降の世界情勢はどんな方向を示唆しているのでしょうか。 それは、 GlobalismからNeo-nationalism (Localism)へ 国境を無くし、人の交流を自由化し、市場を開放する方向から、難民の無制限な移動の制限をし、国家を取り戻す方向へ ElitismからPopulismへ 国際金融資本家に代表されるエリート主導から大衆主導の時代へ これは、ヒラリーVSトランプの構図も見え隠れしていました。 トランプの‘アメリカファースト’もある意味、Neo-nationalism (Localism)とPopulismへの傾きといえるでしょう。 グローバリストが新自由主義の政策、開放経済、規制緩和、小さな政府、これに基づき世界経済の再編を進めてきたわけですが、これに異議を唱えたのがこれらの動きと言えます。 今まさに、大きな潮流は、ローカル、それもグローカル、開かれたローカリズムの時代に突入しつつあるように見えます。 ここにこそ‘翻訳’の存在意義が見いだせます。 個々の自立した文化をお互いに尊重し、そのうえで、翻訳による相互交流を行う、そんな翻訳的方法が見直されています。 件の英語特区の提案者が言うような、言語は単なるコミュニケーションのツールではないでしょう。言語は使う人の世界観を作り出していますし、日本であれば日本語が日本人の考え方、感じ方、日本社会の在り方まで創り出してしまいます。 従って、日本社会の英語化を安易に進めることは日本のアイデンティティ、強みを破壊する行為といえるでしょう。思いやりや気配り、日本人の持つ鋭い感性や深い精神性は日本語、日本語脳、日本文化のなせる業でしょう。 ユーラシア大陸の東端にあり、儒教、仏教、道教、神道、禅が混ざり合い発酵した日本文化は我々が誇れる知的資産です。 鈴木孝夫氏のタタミゼ効果はご存知かと思いますが、もともとこれはフランス語ですが、日本人ぽくなる、人との接し方が柔らかくなる、対決から融和に導く、日本語を学んだものが そのように変わると言われています。 ことほど左様に、世界は個々の自立を前提にそのコミュニケーションの方法論として‘翻訳’を求めています。 グローバリストの脅し、誘惑に左右されずに、これからの世界における自国語、日本語の意義、そして、翻訳の意義を堂々と主張しましょう。 お互いの文化を尊重し翻訳を通じてハーモナイゼーションを計る、素晴らしい時代の到来です。 まさしくバベルの塔を英語という一つの言語で創ろうとしている特権階級のグローバリストに神は怒り、神は別々のことばを与え、世界へ散れと言っているかのようです。 多言語、多文化共生世界の入り口に今我々はいるのかもしれません。 日本も国家戦略、言語戦略の一環として‘翻訳’を考える時代に入ったと考えるべきではないでしょうか。加えれば、私は日本が平和を謳歌してきたことをもって不沈戦艦大和神話を支持するつもりはありません。永世中立国スイスがそうであるように、地政学的適度な危機感をもって自主防衛力を持つべきと考えます。その一環として、翻訳戦略は欠かせないと考えている次第です。

以上

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– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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Importance of Translation in Creating National Strategies

Babel University Professional School of Translation Vice-chancellor Tomoki Hotta 米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 During the Meiji period, Japan used translation in transitioning to a modern nation-state to cultivate intellectual ideas, creating an environment where all citizens could be exposed to the latest knowledge. Realizing that one careless move could result in losing independence, Japan deftly evaded debates on changing the official language to English. Japan turned instead to translation to bring about modernization – all in its own mother tongue, Japanese. Pioneers during and after the Meiji Restoration such as Yukichi Fukuzawa, Amane Nish, Arinori Mori, and Chomin Nakae helped to create new terms for abstract concepts nonexistent in Japan at the time incorporated from Western culture, technology, systems, and law. The following are examples of new terms: society (shakai), justice (seigi), truth (shinri), reason (risei), conscience (ryoshin), subjectivity (shukan), regime (taisei), structure (kozo), dialectics (benronho), estrangement (sogai), existence (jitsuzon), and crisis (kiki). How many realize what is being considered recently – despite the efforts of these pioneers of the Meiji period? It’s talk in political circles about creating a system in which English speaking districts are established in Japan. These districts would be English only, with Japanese conversations in public prohibited. It seems unreasonable for talk about English speaking districts to go unchallenged. The supremacy of English has been a hot topic especially among Japanese corporations with the mass media focusing in on this topic. Globalists and international finance capitalists would love to have Japan transition to English as its official language. The outcome unfortunately is predictable; transitioning to English will result in Japan’s overall decline. A compelling and well-written book on this topic is “Englishnization: Path to Ignorance – How the move to English will ruin Japan (June 2015, Shueisha Shinsho) written by Teruhisa Se. In this book, the author points out that countries which were formerly British colony countries such as India, Malaysia, Kenya are examples of how English rule results in lower to middle-income countries. The Philippines and Puerto Rico are examples of middle-income countries formerly occupied by the US. One could make the point that these countries resigned themselves to a lower status when they adopted English as their official language. Recently, Japanese mass media has been almost masochistic in reporting that the University of Tokyo has fallen from being ranked number one in Asia last year to number seven. The major reason for this decline is the low percentage of classes taught in English, along with the low number of dissertations written in English. Before switching all classes to English however, Japan needs to consider the following: apart from Japan, what other high-income countries whose language is not English allow citizens to study at the university level primarily in their own language? What is more, how many realize that Japan is unusual in that citizens can read classical literature from all over the world in Japanese? In contrast, consider Singapore. Singapore is said to be an ideal nation-state, but its current state of affairs speaks otherwise. How many know that In Singapore one must learn several languages to survive? Singapore also struggles with increasing economic disparity caused by elitist policies, lack of solidarity among citizens, and cultural poverty where little unique culture or arts are created. This can be viewed as the unavoidable outcome that occurs when making the switch to English. On the other hand, Japan has used translation as a shield in preserving Japanese as its official language. Japanese, therefore, has not been lowered to the status of a mere “indigenous language”. Considering the following history of Japanese and Japanese culture, as well at the merits which substantiated Japanese language and culture, it is only natural that Japan has taken this path in protecting its language. • In the 6th -7th century Japan brought in ideas from Chinese civilization, absorbing those ideas by creating an eclectic mix of Japanese and Chinese writing containing Chinese characters and kana in creating its own unique culture. • With approximately 500,000 words, Japanese has a rich and abundant vocabulary. Although English also contains around 500,000 words, many terms taken from other languages. German contains 350,000 words, and French 100,000. It is apparent that Japan is a country blessed with a rich language. • It is possible to read Japanese classic literature written approximately 1000 years ago without great difficulty (works such as Kojiki, Nihon-shoki, and Man’yoshu). In the US and England however, literature written 1000 years ago was written in ancient Greek or Hebrew. This means the ordinary person cannot read such literature without understanding those languages. • Among the 200 countries, over 6000 ethnic groups, and over 6500 languages in the world, Japanese is unique in its methodical construction of 50 phonetic sounds each centered around vowels. Japanese is diverse in its notation –it is comprised of hiragana, katakana, alphabet, Chinese numerals, Roman numerals, etc. • Neuroscientist Tadanobu Tsunoda has pointed out that those in the West process consonants with the left brain, while vowels are processed with the right brain which also processes mechanical sounds and other noise. Westerners also process sounds such as that of birds chirping, the sound of running water in streams, and the wind as noise with the right side of their brain. In contrast, the Japanese process these sounds with the left side of the brain, which is responsible for processing language. This might explain why the Japanese tend to see the divine in all things. • Located at the tip of the Eurasian continent, Japan has developed a culture by cultivating Confucianism, Buddhism, Taoism, Zen Buddhism, and Shintoism. These ways of thought have fostered a keen sensitivity and profound spirituality in Japan. • As scientific journalist and editor, Yoshiyuki Matsuo pointed out in his book How the Science of Japanese will Change the World (Nihongo no Kagaku ga Sekai wo Kaeru), the discoveries of Nobel prize winner scientists are a product of the Japanese language. Japanese scientists have earned approximately 20 Nobel prizes for discoveries in the field of natural science – more than any other Asian country. Although seemingly unrelated, let’s take a moment now to consider the recent state of world affairs. Many are aware of Britain’s departure from the EU (familiarly termed “Brexit”, a combination of the terms “Britain” and “Exit”) determined by popular vote. This move continues to greatly impact economies and politics both in Japan and worldwide. In recent French elections, incumbent French president Emmanuel Macron succeeded in keeping French politician and proponent of departing from the EU Marion Anne Perrine and her supporters at bay. However, it is still too early to predict if Macron can create a political party capable of both earning a majority of the 577 seats in the French National Assembly and working with the prime minister in continuing as an EU member. In fact, the EU might be on a path heading towards dissolution, since The Netherlands, Italy, Austria, Denmark, Sweden are considering separation as well. What are these global state of affairs hinting at? They are hinting that the world is turning from globalism to neo-nationalism (or localism). This means turning away from doing away with national borders, liberalization of interaction with people from other countries, and opening markets to the restricting the unrestricted flow of refugees, and turning towards recovering nation-states. It is a shift from elitism to populism, a shift to an era moving away from elitist leadership represented by financial capitalists, moving instead towards leadership by the public. This shift was made visible during the Trump vs. Clinton presidential election. Donald Trump’s slogan of “America First” is in one sense a step towards neo-nationalism and populism. Globalists have pushed forward neo-liberalist policies, open economies, deregulation, small government, and accordingly the reorganization of the global economy. Recent events such as those mentioned above, however, are a backlash to such policies. The trend now appears to be moving towards localism, or what should rather be called “glocalism”. Simply put, glocalism is a social process that consists of the concurrent drives towards globalization and localization. It is here that we find the significance of translation. The translational approach is being reconsidered – an approach where individual independent cultures respect other cultures and their languages, using translation as a means of engaging in communication. Language is not simply a communication tool as proponents of English-only speaking districts in Japan might claim. Language creates peoples’ world view. In the case of Japan, Japanese forms the way of thinking, feeling, and make-up of the Japanese society. It can, therefore, be said that blindly switching to English as Japan’s official language will lead to the destruction of Japan’s strengths. The virtues of thoughtfulness, consideration, keen sensitivity, and profound spirituality characteristic of the Japanese are the products of Japanese, the Japanese mind, and Japanese culture. The eclectic mix and cultivation of Confucianism, Buddhism, Taoism, Shintoism, and Zen Buddhism that make up the culture of this island country located at the eastern tip of the Eurasian continent are a treasure that the Japanese should be proud of. Some have heard of the term “tatamiser effect” coined by Takao Suzuki. This was originally a French term that meant to become Japanese-like. In other words, it means to become more flexible in one’s attitudes towards others and to move away from confrontation and towards harmony. It is said that those who learn Japanese begin to think in this way. This is exactly why the world seeks translation. Translation is based on the methodology of forming communication while valuing the independence of individuals in various countries. It is important not be easily swayed by globalists who advocate English at the expense of other languages, but instead find the significance of Japanese, and confidently emphasize the importance of translation. Through translation, we can bring about enlightenment in which cultures from all countries are respected and harmony pursued. I can’t help but be reminded of the Tower of Babel when considering recent globalist trends. It is as if globalization advocates are trying to create English as their tower of Babel. God is angered by this and instead has created various languages, ordering people to be scattered throughout the world. We must realize that we are entering a doorway to a world where diverse languages and cultures coexist. Japan needs to consider translation as a part of its national and language strategies. Granted, I do not intend to state that since Japan has advocated peace in recent years there is no need to take self-defense measures. Just like permanently neutral country Switzerland, I believe it is important for Japan to have a healthy sense of danger geopolitically and be prepared accordingly. As a part of that, I believe translation is crucial in forming national strategies. Issue 174 from the ALUMNI Editorial Office Published by: Babel University Professional School of Translation ALUMNI Association

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‘翻訳的ものの考え方’で世界を変える

世界が一つの言葉を取り戻す」再考

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹 バベルと長いお付き合いの方はバベルの塔の神話をご存知のかたは多いことでしょう。 しかし、バベルの塔の神話の真のメッセージは必ずしも人間の傲慢を諌めることだけではないというところから出発したいと思います。 それは、20年以上前にオーストラリアの書店で見かけた子供向けの聖書に書かれた解釈でした。 神は、人が、ひとところに止まらず、その智恵を世界に広げ繁栄するようにと願い、 世界中に人々を散らしたという解釈でした。すると、かれらはその土地、風土で独自の 言葉と文化を育み、世界中に多様な言語と多様な文化で織りなす地球文化のひとつを生み出したのです。 しかし、もともとは一つだったことば(文化)ゆえに翻訳も可能であるし、弁証法的に発展した文化は、常に一定のサイクルで原点回帰をしているとすれば、ただ視点を変えるだけで、結局、同じことを言っていることが分かるでしょう。 しかし、人間のエゴの働きと言えるでしょうか、バベルの塔のころからの傲慢さゆえに、 自文化が一番と考えることから抜けきれないでいると、もともと一つであるものでさえ 見失い、理解できず、伝える(翻訳)ことさえできなくなってしまうのかもしれません。 翻訳の精神とは、自らの文化を相対化し、相手文化を尊重し、自立した二つの文化を等距離に置き、等価変換する試みであるとすると、この過程こそ、もともと一つであったことを思い返す試みなのかもしれません。 「世界が一つの言葉を取り戻す」、それは決してバベルの塔以前のように、同じ言語を話すことではないでしょう。それは、別々の言語をもち、文化を背負ったとしても、相手の文化の自立性を尊重し、その基底にある自文化を相対化し理解しようとする‘翻訳者意識’を取り戻すことなのではないでしょうか。 バベルの塔の神話はそんなことまでも示唆しているように思えます。 また、翻訳の本質が見えてくるこんなトピックもあります。 あるテレビ番組で、日本料理の達人がルソン島に行き、現地の子供の1歳のお祝いの膳を用意するという番組を観ました。おそらく番組主催者の意図は世界遺産となった日本料理が、ガスも、電気コンロもない孤島で通用するかを面白、おかしく見せようとしていたのでしょう。 この日本料理の達人は自らの得意技で様々な料理を、現地の限られた食材を使い、事前に 現地の人々に味みをしてもらいながら試行錯誤で料理を完成させいくというストーリーでした。そして、最後は大絶賛を得られたという番組でした。 しかし、かれはその間、自ら良しとする自信作で味みをしてもらうわけですが、一様にまずいと言われてしまいます。しかし、何度も現地のひとの味覚を確認しながら、日本料理を ‘翻訳’していくのでした。そこには自文化の押し付けもなければ、ひとりよがりの自信も見られません。ただ、現地のひとの味覚に合うよう、これが日本料理という既成概念を捨て、日本料理を相対化し、自らのものさしを変えていったのです。 世界には7,000を越える言語、更にそれをはるかに越える文化が有るなか、翻訳者が、翻訳できるとはどういうことなのでしょうか。 翻訳ができるということは、もともと一つだからであり、 翻訳ができるということは、具象と抽象の梯子を上がり下がりできるからであり、 翻訳ができるということは、自己を相対化できるからでしょう。 世の中には様々な宗教があり、お互いを翻訳しえないと考えている方が多いのではないのではないでしょうか。 しかし、誰しも翻訳者であると考えてみましょう。‘翻訳者’という役割が与えられた時点で、自らの言語、文化を相対化する必要があります。翻訳する相手の文化を尊重し、自国の文化を相対化し、相手の国の人々がわかるよう再表現をする。 「翻訳とは、お互いの違いは表層的なものであり、もともとは一つであることに気づき、お互いを認め、尊重し合う行為である」と考えられるでしょう。 翻訳こそ、‘鋭い感性と深い精神性’をもつ日本人(日本語を母国語とするもの)に適した役割でしょうし、‘翻訳的ものの考え方’、すなわち翻訳者意識で世界を変える、これを先導するのがバベルの使命のひとつであると確信しています。   [box color=”lgreen”]

– 副学長から聞く - 翻訳専門職大学院で翻訳キャリアを創る方法

hotta1 海外からも参加できるオンライン説明会 ◆ 卒業生のキャリアカウンセリングを担当する副学長が、入学及び学習システムからカリキュラム、各種奨学金制度、修了生の活躍、修了後のフォローアップなどを総合的に説明いたします。 ◆ 海外在住の方にも参加いただけるように、インターネットweb会議システムのZoomを使って行います。 奮ってご参加ください。Zoomのやさしい使い方ガイドはこちらからお送りします。
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翻訳者の資格が問われる時代に突入!!

翻訳の国際規格が2015年4月、日本でスタート!

米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

EU発の翻訳の国際規格、ISO17100が2015年4月に日本でも発行されました。これまでISO(国際標準化機構、本部ジュネーブ)は様々な国際技術規格を世界標準とすべく、規格を策定、世界に普及させようとしてきました。

以下に翻訳関連する規格を列挙しましょう。

  • ・ISO 9001:2008   文書化プロセスと手順に適用される規格。
  • ・ISO 27001:2005   文書化された情報セキュリティマネジメントシステムの構築、導入、運用、監視、維持、改善のための要件を規定する規格。
  • ・EN 15038:2006   欧州標準化委員会によってヨーロッパの翻訳/ローカリゼーション専用に作られた品質規格。
  • ・ISO 13485:2003   ISO 9001を基にした規格で、医療機器と関連サービスの設計、開発、製造、設置に焦点を置いた規格。
  • ・ISO 14971:2007   医療機器の翻訳サービス全体を通してリスク管理のあらゆる側面が考慮されていることを確認するプロセスを提供する規格。(ISO 13485を補完するもの)

その内に、TC(Technical Committee)37という言語、内容及び情報資産の標準化をめざす専門委員会が設置され、その下にはいくつものSC(Sub Committee)が設置されています。この17100もこの中で検討され、ISO17100( Requirements for translation Services)は翻訳の国際規格として昨年誕生しました。

私は日本翻訳協会の一員としてこのISO17100DISの検討プロジェクトに参画してきました。

日本はとかくこのようなルール創りには蚊帳の外に置かれがちですが、我々翻訳者ひとりひとりの課題としても正面から向き合う時が来たように思います。

これが、我々バベルグループが40余年にわたり独自に追求してきた、‘ 翻訳のプロフェショナリズム ’を確立することでもあるからです。

また、私が関わっている日本翻訳協会において一昨年スタートした『JTA公認 翻訳プロジェクト・マネージャー資格試験』についても、このISO17100に準拠し、それを越える(翻訳品質のみならず、ビジネスとしての健全性を含む)資格としてスタートしました。 
http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm.html

この業界で長い方はご承知かと思いますが、ISO9001という品質マネージメント規格は、ローカリゼーション翻訳の世界では、国際規格として採用され、翻訳会社( Translation Service Provider) によってはこの認証を取得して、クライアントにたいする営業のブランド力としていました。しかし、その後、翻訳の業界にはそぐわないとして欧州規格EN15038が創られ、これが次第に浸透するようになりました。そこでISOはこのEN15038をベースとして、ISO17100の開発に踏み切ったという訳です。

このISO17100は、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立という意味でも大事な視点を含んでいます。

まず注目すべきは、このISO17100は翻訳会社のみならず、クライアント、その他のステークホールダーを巻き込んだ規格であるということです。

また、この規格では翻訳者の資格(Qualification of Translators)、そしてチェッカー、リバイザーの資格を明確にしようとしていることです。すなわち、翻訳者を社会にどう認知させるかという視点をベースにもっているということです。

翻訳者の資格(Qualification of Translators)
(1) 翻訳の学位
(2) 翻訳以外の学位+実務経験2年
(3) 実務経験5年
(4) 政府認定の資格を有する
のいずれかが必要と謳っていました。 しかし、最終的には「(4) 政府認定の資格を有する」は訳あって外れました。
また、実務経験何年というのが曲者でどのようにはかるのでしょうか。
また、翻訳プロセスについても
Translate
⇒ Check
⇒ Revise
⇒ Review
⇒ Proofread
⇒ Final Verification
とその品質確保の要求プロセスを規定しています。
*Reviewはオプション

これらの要求項目は、まさに業界とそれを取り巻くクライアント、エンドユーザーが一体と ならないと達成できないことです。翻訳の品質を一定に保つためにはこれらの視点、プロセスが必要であることをクライアントが納得していただけなければならないわけで、それがなければ翻訳業界の発展も見込めないわけです。

私は、2000年、米国に翻訳専門職大学院( Babel University Professional School of Translation)を設立しAccreditationを取得するために、米国教育省が認定している教育品質認証団体、DEAC( Distance Education Accrediting Commission)のメンバー校になるべく交渉をした経験があります。

このAccreditationを取得するプロセスでは、約3年の年月と、1,000ページに及ぶ、Educational StandardsとBusiness Standards遵守の資料の作成が要求されました。
その後、これらの資料に基づき、監査チーム(5名)を米国事務所に迎え、プレゼンテーションをし、査問、監査を受けるわけですが、こうしたルールにどう準拠するかのやり取りは、嫌というほど経験しています。

自分で選択したとは言え、その経験があるがゆえに、既に作られたルールに意図に反して従わざるを得ない無念さを痛感していました。翻訳の教育はこうなんだ、他の学科を教えるのとはこう違うのだといっても、所詮、ヨーロッパ系言語間のより容易な‘翻訳’を‘翻訳’と考えている彼らには、その意味が通じず、いつも隔靴掻痒の思いがありました。

従って、ルールメーキングの段階からこの種のプロジェクトに関わる必要性を痛切に感じてきました。

ISOに指摘される以前に、私の持論としては‘ 翻訳者は翻訳専門の修士以上の教育プログラムを修めるべき’ と考えています。翻訳は専門と言語力の統合があってこそ可能、すなわち、大学院レベルの教育であってしかるべきと考えています。

ということで、時代は動いています。ISOが一番に指摘しているように、翻訳者は少なくとも翻訳のディグリー、できれば修士号を持ちたいものです。 それこそが、翻訳業界の発展、‘翻訳のプロフェショナリズム’の確立でもあるからです。

以上
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