2019年、翻訳は世界を変える、日本を変える!!

さて、まもなく終わる2018年はどんな年だったでしょうか。
大きな歴史的転換点として歴史に残る年と言って過言はないでしょう。
では、そのなかで翻訳的価値観がどのような意味を持つのでしょうか。

世界がグローバル化で疲弊している状況は皆様も様々なニュースでご承知でしょう。
ウォール街に代表される金融資本家に踊らされて、人、モノ、金の自由化に踊らされた結果、国体を破壊され今の悲惨な状況となった各国。

賢明なイギリスは一昨年6月にEU離脱(Brexit)を表明、イギリスを取り戻すという方向へ舵を切りました。思い起こすと、同様に移民人口比率が15%内外のフランスのサルコジ大統領もその在職期間中にフランスとは何か、フランスを取り戻す運動をしていたのは記憶に新しいところです。

「我が国は古来こういう国なので、こうありたい」、と堂々と自国を主張しにくくなっているのが昨今のヨーロッパ事情のようです。

人、モノ、金、情報の自由な移動、グローバリズムを盲目的に良しとしている人は、そもそもこの願い自体が意味のない事と言うのかもしれませんが。

例えば、今、ドイツはドイツ人がドイツはこういう国だ、と堂々と言えない国になりつつあると言います。年間何十万人もの移民が、特にイスラム系の移民が流入していて、かれらが自国のことを声高に主張すると、レイシスト呼ばわりされる国になりはて、おまけに、流入する移民たちは凶悪犯罪の温床にもなっているとも言われています。

英国の国勢調査によれば、ロンドンの住人のうち「白人の英国人」が占める割合はすでに半数を切っているといいます。ロンドンの33地区のうち23地区で白人は少数派に転落しています。

英国民に占めるキリスト教徒の割合も、過去10年間で72%から59%と大幅に減少し、2050年までには国民の三分の一まで減る見込みです。

他に、例えばスウェーデンでも今後30年以内に主要都市すべてでスウェーデン人(スウェーデン系スウェーデン人)は少数派に転落するという予測もあります。

このように、グローバリスト主導の外国人労働者の受け入れに端を発する移民国家化によって、ヨーロッパ諸国は、民族構成や宗教や文化のあり方が大きく変容しつつあります。正面から十分に国民の意思を問うたわけでもなく、いつの間にか、「国のかたち」がなし崩し的に大きく変わってきてしまっています。その結果、ヨーロッパ文明は死に、ヨーロッパ人はかけがえのない故郷を失っていくのです。

すなわち、Brexit以降の世界情勢は、以下のようにまとめられるでしょう。

GlobalismからNeo-nationalism (Localism)へ
国境を無くし、人の交流を自由化し、市場を開放する方向から、難民の無制限な移動の制限をし、国家を取り戻す方向へ

ElitismからPopulismへ
国際金融資本家に代表されるエリート主導から大衆主導の時代へ

Neo-nationalismとPopulismへパラダイム変換しつつあると言っても過言ではないでしょう。トランプの‘アメリカファースト’もある意味、Neo-nationalism (Localism)とPopulismへの傾きといえるでしょう。

グローバリストが新自由主義の政策、開放経済、規制緩和、小さな政府、これに基づき世界経済の再編を進めてきたわけですが、これに異議を唱えたのがこれらの動きで2018年はこれが定着したと言えます。

言い換えれば、世界の大きな潮流はまさにIndependent に向かっていると言えるでしょう。Independent な人、社会、国が、Independent な人、社会、国とInter-Independentな関係をもって、融和していく。そこには一定レベルの争いもあるでしょうが、それを覚悟で調和をめざす必要があるのでしょう。

ヨーロッパ各国の状況は、外国人労働者の大量受け入れをほぼ決めてしまった日本にとっても他人事ではありません。我々は、ヨーロッパの陥っている苦境から学ぶ必要が大いにあります。

日本は地理的優位もあり、移民人口比率が15%内外の、米国、イギリス、フランス等に比べれば1.7%という10分の1程度の移民人口比率。今は、移民流入が一定程度に収まっているとは言うが、農業移民、介護移民と移民受け入れに政府は動き始めている。今まさに米国の、いや、中国の属国への道をかけ落ちているといっても過言でないように思います。

最近の文科省の小学校での英語教育政策の提案、大学をスパーグローバルユニバーシティと持ち上げて、米国を中心とするグローバリストの甘言に乗って進んでいる大学、大学院の授業の英語化、受験でのTOEFLの採用、英語での論文推進、等の行き過ぎた施策をここらで改める時期に来ているように思います。

日本も着々と移民国家への道を歩んでいると言えるでしょう。コンビニの店員がアジア系というのは身近に感じているのでしょうが。我々が知らないところでこの移民化政策が進行しつつあります。

技術研修生という名のもとに日本に5年間滞在、その後はその技術をもって母国に貢献するというのがその制度の目的だったはずですが、これからは、更に5年更新され、一定の要件を満たせば、専門技能の人材として家族帯同が許され、実質的に移民となっていくと言われます。また、定員割れの大学、各種学校が留学生と称して受け入れる事に関しても移民化につながるグレーな部分が多いと聴きます。更に、介護、農業の分野でも同様の危惧が感じられます。

もちろん、私もこのような移民政策の全てを否定するわけではないのですが、資格要件は明確にしなければ、それに関する様々な利権がもぐり、斡旋ビジネスに利用され、なし崩し的に緩い移民受け入れ制度になる危険性もあります。例えば日本であれば、その要件の一つとしてその専門技能等の基本要件はもちろんですが、少なくとも日本語の能力を明確に資格審査に加えるなどしないと、ヨーロッパの二の舞になるのは明らかです。

ちなみに、世界で最も移民の割合が高いのはUAEで、人口の88%。次いでフランス領ギアナが40%、サウジアラビア37%、スイス30%、オーストラリア29%、イスラエル25%、ニュージーンド23%、カナダ22%、カザフスタン20%などの順で、米国は15%、ドイツも15%、英国は13%、イタリアは10%となっていますが、日本もこれらに次に位置する状況にあるといいます。

では、この移民化政策がなぜ、ひそかに進んでいるのでしょう。一つは経済界の要請、人件費を上げたくない、生産性向上より、安易に、人件費を抑えるために移民化を後押ししているようです。その背後には、自らの利益を優先するグローバル資本家、株主の意向があることは明らかです。

加えて、無防備な日本、それに付け込んで入り込んでくる中国をはじめとする移民予備軍。中国はいわば一帯一路に象徴されるように、世界の覇権国家たらんとし、各国に人民を送り込んで洗国(Ethnic Cleansing)を企んでいるというのがその歴史からも想像できます。

中国本土の高額な医療費を逃れるために、日本で起業、ビザを取って3年もすると、日本の国民健康保険に加入でき、中国では膨大な治療費がかかる高額医療を日本で受けられると言います。おまけに、高額医療費を逃れ、日本の国民保険を食いものにする仲介ビジネスが中国本土で活況を呈しているといいます。情けないことに、日本の厚生労働省はその実態すら十分に把握できてないという体たらくだそうです。

こうした実態をみると、少なくとも移民政策の先進国?のヨーロッパの惨状を知っているのかと日本政府に言いたくなるところです。のほほんと移民化政策を進める日本。その無防備な日本にあきれるばかり。アメリカの傘のもとに危機感を忘れ去ってしまった日本に今こそ自立と自律が必要なのでしょう。

そして、こういう時代だからこそ、‘翻訳’の存在意義が見いだせます。

個々の自立した文化をお互いに尊重し、そのうえで、翻訳による相互交流を行う、そんな翻訳的方法が見直されています。

英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそグローバリスト、国際金融資本家の思う壺。日本が二流国に転落するのが目に見えています。

すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった諸国、かれらはある意味、英語公用語として採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と言えるでしょう。

あの理想国家といわれるシンガポールの現況は、常に複数の言語を学ばなければならないことから始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言えると思います。

日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めませんでした。6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、仮名、文化を作り上げできた融通無碍な翻訳日本文化。

明治維新以降も、翻訳という方法を通じて、欧米の当時の先進文化を土着化することによって民度を上げて世界のトップに躍り出た日本。

日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を創ってきました。ひとつ間違えれば、国の独立さえ危ぶまれた明治の日本は当時の英語公用語化論を退け、翻訳を通じて日本語による近代化を成し遂げました。

その戦略の先進性に改めて驚くとともに、先人の先見の明にただただ感謝するばかりです。

我々は、今、多言語、多文化共生世界の入り口にいるのかもしれません。

ネオナショナリズムという言い方をしましたが、別の言い方をすると多文化共生主義、どの文明が、どの文化が、価値が上、下という序列をつける時代からの脱却が進んでいると言えます。

そもそも、西欧人がかつて、キリスト教文明圏、イスラム教文明圏、東洋文明圏と分けていたところを、歴史家トインビーが、7つの文明圏に分け直していることはご承知でしょう。西欧キリスト教文明圏、ロシア正教文明圏、イスラム文明圏、ヒンズー文明圏、シナ文明圏、中南米ラテン・アメリカ文明圏、そして日本文明圏。日本は一国だけで独自の文化圏をなす存在であると主張しています。

バベルと長いお付き合いの方はバベルの塔の神話をご存知のかたは多いことでしょう。

バベルの塔(The Tower of BABEL)の神話の真のメッセージは必ずしも人間の傲慢を諌めることだけではないというところから出発したいと思います。

それは、20年以上前にオーストラリアの書店で見かけた子供向けの聖書に書かれた解釈でした。

神は、人が、ひとところに止まらず、その智恵を世界に広め、繁栄するようにと願い、世界中に人々を散らしたという解釈でした。すると、かれらはその土地、風土で独自の言葉と文化を育み、世界中に多様な言語と多様な文化で織りなす地球文化のひとつを生み出したのです。

まさしくバベルの塔を英語という一つの言語で創ろうとしている特権階級のグローバリストに神は怒り、神は別々のことばを与え、世界へ散れと言っているかのようです。

しかし、人間のエゴの働きと言えるでしょうか、バベルの塔のころからの傲慢さゆえに、自文化が一番と考えることから抜けきれないでいると、もともと一つであるものでさえ見失い、理解できず、伝える(翻訳)ことさえできなくなってしまうのかもしれません。

翻訳の精神とは、自らの文化を相対化し、相手文化を尊重し、自立した二つの文化を等距離に置き、等価変換する試みであるとすると、この過程こそ、もともと一つであったことを思い返す試みなのかもしれません。

「世界が一つの言葉を取り戻す」、それは決してバベルの塔以前のように、同じ言語を話すことではないでしょう。それは、別々の言語をもち、文化を背負ったとしても、相手の文化の自立性を尊重し、その基底にある自文化を相対化し理解しようとする‘翻訳者意識’を取り戻すことなのではないでしょうか。

バベルの塔の神話はそんなことまでも示唆しているように思えます。

[:en]
米国翻訳専門職大学院(USA)副学長 堀田都茂樹

Tomoki Hotta
Vice Chancellor
Babel University Professional School of Translation

Reflecting on the past year, just what kind of year was 2018?

It’s no stretch to say 2018 will remain in history as a pivotal historical turning point.
That being the case, what meaning does “translational value” possess?

If you listen to news reports, you’re likely aware that the world is currently in a state of exhaustion from globalization.

Countries have been manipulated by financial capitalists represented by Wall Street, and as a result of being led to liberalize people, goods, and money, nations’ structures have been destroyed, leaving those nations in the miserable situations they find themselves in now.

Sensible Britain declared its withdrawal from the EU (Brexit) in June of last year and is now working to restore itself as a nation. You’ll likely recall that President Sarkozy of France, whose immigrant population ratio is around 15% as well, worked also to restore France during his presidency.

Apparently, in recent years, it’s become difficult for European countries to boldly assert national autonomy using the argument of, “we want to preserve how our country has been since is ancient times.”

People that blindly believe that globalism is good and thus so is the free movement of people, things, money, and information might say anyway that this desire for self-preservation is meaningless.

For example, currently Germany is becoming a country where citizens cannot boldly say that Germany is any certain type of country. Over 100,000 immigrants, mostly Islamic, pour into Germany annually. Germany has utterly become a country where citizens who speak out to protect their own country are labeled as racist. What’s more, reportedly the immigrants pouring in are becoming a hotbed for atrocious crimes.

According to Britain’s national census, less than half of London residents are Caucasian. In 22 of the 33 districts in London Caucasians have fallen to minority status.

The percentage of Christians among British citizens in the past ten years has also greatly decreased from 72% to 59%, and by 2050 that percentage is expected will fall to around 30%.

Then there’s, for example, Sweden, where it’s estimated that within the next 30 years Swedes (Swedish people of Swede descent) will fall to minority status in all major cities in Sweden.

This all shows how by becoming immigrant nations, which starts with the acceptance of foreign workers as initiated by globalists, European countries are being transformed when it comes to ethnic makeup, religion, and culture. Without openly checking first with citizens, the governments of these countries are incrementally changing their national structure in a profound way. This will result in European culture dying out and Europeans losing their irreplaceable native lands.

To summarize, the global trends following Brexit are as follows:

From Globalism to neo-nationalism (localism)
Countries are moving from losing their national borders, liberalizing interactions among people, and opening markets to limiting the unrestricted migration of refugees and seeking recovery as a nation.

From Elitism to Populism
A shift from an era driven by the elite represented by international financial capitalists to an era driven by the masses.

It’s no exaggeration to say there’s a paradigm shift happening towards neo-nationalism and populism. Trump’s motto of “America first” is in one way an example of this shift towards neo-nationalism (localism) and populism.

Globalists have pushed forward with neo-liberalist policies, open economies, deregulation, small government, and restructured the global economy based on these changes. However, those who’ve objected to such changes have helped to establish changes in 2018 to move away from such policies.

In other words, there’s a large global trend towards being independent. It’s a trend towards having independent people, societies, and countries with interdependent relationships with other independent people, societies, and countries, through which they achieve harmony. There of course will be some conflicts that arise in the process, which we should expect in this pursuit of harmony.

The circumstances of European countries are not unrelated to Japan, who’s on the verge of deciding to accept large numbers of foreign workers. We as Japanese citizens need to learn from the crisis enveloping Europe.

Japan is at an advantage geographically, and its immigrant population percentage of 1.7% is about one-tenth of the 15% immigrant population percentage in the United States, UK, France, and other European countries. Currently, although reportedly immigration inflows are contained within a certain level, the government is beginning to move to accept more immigrants to work in areas such as agriculture and nursing-home care. It’s not an overstatement to say that Japan is traveling the road to becoming a nation dependent on the US or China.

The Ministry of Education, Culture, Sports, Science, and Technology (MEXT) has recently made proposals for English education policies at the elementary school level and for making universities “super” global universities. I think its time for MEXT to rethink its actions based on catering to the whims of globalists based in the US, thus switching university and graduate school instruction to English, adopting TOEFL and theses written in English for university testing, and other excessive policies.

One can say that Japan is steadily moving towards becoming an immigration state. I’ve noticed recently that store clerks at the local convenience stores are of Asian descent (not Japanese). Immigration policies are progressing in places we don’t even realize.

The aim of Japan’s acceptance of immigrants was for those from other countries to come as technical trainees to reside in Japan for five years, and then take the technological skills they learned back to their own country. However, that five years has been extended to another five years, and if trainees fulfill certain requirements, they are considered workers with professional skills and allowed to have their family members accompany them to Japan, which is basically the same as becoming immigrants to Japan. Also, I’ve heard that often times there’s a grey area when it comes to what universities and other schools that don’t have enough applicants call foreign exchange students, that eventually become immigrants to Japan. The same misgivings also hold true for nursing care and agriculture.

Of course, I don’t reject all such immigration policies, but if the government doesn’t provide clear eligibility requirements, various concessions like these will sneak their way into the system, only to be used by interested businesses and leading to the danger of gradually relaxing Japan’s immigration policies. For example, Japan should, of course, require immigrants to have professional skills and also for them to pass a certification test of Japanese proficiency, or else Japan will inevitably repeat the same failures as Europe.

As a side note, the country with the highest percentage in the world of immigrants is the UAE, where 88% of the population are immigrants. Next is French Guyane at 40%, Saudi Arabia (37%), Switzerland (30%), Australia (29%), Israel (25%), New Zealand (23%), Canada (22%), Kazakhstan (20%), followed by the US (15%), Germany (15%), Britain (13%), and Italy (10%). Japan seems to be setting itself up to rank right behind these countries.

So why then are Japan’s immigration policies covertly moving forward? One reason is the demands of those in financial circles who don’t want to increase personnel expenses and are pushing for bringing in immigrant workers to simply keep such costs down rather than make productivity improvements. It’s clear that behind those demands are the desires of global capitalists and stockholders prioritizing their own profit.

In addition, there are reserves of potential immigrants such as those from China, who see the opportunity to capitalize on the currently vulnerable Japan. China’s so-called Belt and Road Initiative symbolizes China’s push for dominance in global affairs, and one can imagine after looking at history that China is aiming to send its people into various countries to engage in a sort of ethnic cleansing.

To escape high-cost medical expenses in China, Chinese citizens begin businesses in Japan. Once three years have elapsed after they’ve earned their visa, these Chinese citizens can enter into Japan’s national health insurance program, and thus receive high-cost medical care that would be astronomically expensive in China. What’s more, reportedly there are intermediary businesses in China quite active in helping Chinese citizens escape the high-cost medical expenses in China and instead leech on Japan’s national health insurance program. What’s deplorable is that Japan’s Ministry of Health, Labour, and Welfare hasn’t fully grasped the extent of this situation.

Looking at this situation makes one want to say to the Japanese government, “don’t you see the disastrous condition the ‘developed’ countries of Europe are in after relaxing their immigration policies?” Yet Japan nonchalantly continues to push its policies forward to increase immigrants. I’m astounded at the now defenseless Japan. What Japan – who’s lost its sense of danger as it nestles under the umbrella of the US – needs now is independence and autonomy.

It’s in such an era that we can find the meaning for the existence of translation.

People are reconsidering the translation method, where individuals mutually respect each other’s culture and based on that respect mutually interact using translation.

The doctrine of English supremacy and loud cries for companies in Japan to use English companywide is shaking the mass media scene, which is exactly what globalists and international financial capitalists want. At this rate, Japan will soon fall to the status of a second-rate country.

Namely, Japan will become like India, Malaysia, Kenya, and other former British colonies that adopted English as their second official language. Or like the Philippines, Puerto Rico, and other US occupied territories who have in a sense adopted English as their official language and become content as second-rate countries.

Looking at Singapore, which is supposedly an ideal nation, first residents have to always be learning several languages. Then there’s the economic disparity brought on by elitism and a lack of solidarity among that nation’s people. I’m sure everyone is aware of the fact that Singapore is also lacking culturally, without creating its own unique culture or art. These issues I believe are the weaknesses found in policies pushing for English.

Japan up to now has used translation as it’s shield, adhering to keeping Japanese as its official language, and not letting Japanese decline to the status of a local dialect. Japan brought in Chinese civilization in the sixth and seventh centuries, forming an eclectic style of integrating Chinese and Japanese, bringing the Chinese language into its culture, using kanji and kana characters to enhance that culture which is now the versatile translation culture of Japan.

Following the Meiji Restoration, Japan used translation to incorporate the cultures of the then civilized nations of Europe and the US, and in doing so raised the cultural level of its people to become one of the top players in the international community.

Japan modernized in the Meiji Period using translation to incorporate intellectual ideas and created an environment where all citizens could come into contact with leading knowledge in the world. During this time where, if Japan made one slip it could have lost its independence, Japan avoided talks of making English its official language and through translation achieved modernization.

I’m amazed anew by the innovative spirit of that strategy, as well as extremely grateful for the foresight shown by our predecessors.

We stand now at the entrance of a world where multiple languages and culture coexist.

I used the term neo-nationalism, but another term that could be used is multicultural symbiosis, where it can be said that the world is moving away from an era where civilizations, cultures, and values are ranked against each other.

Did you know that although those from the West used to divide civilizations into Christian, Islam, and the Orient, famous historian Arnold Toynbee re-divided those civilizations into seven different areas? He divided them as follows: Orthodox Christian (main), Russian Orthodox Christian, Islam, Hindu, Sinic, Latin American, and Japanese. Toynbee asserted that Japan is the only country that had its own unique cultural region.

Those of you that have been in contact with BUPST for some time have likely heard of the story of the Tower of Babel.

I like to assume that the true Tower of Babel story is not necessarily based on God admonishing the pride of humans. This idea is based on an interpretation in a children’s book on the Bible I found over 20 years ago in a bookstore in Australia.

The interpretation was that God wanted mankind to not stay in one place, but to spread wisdom throughout the world and thus prosper, which is why God scattered people throughout the world. Thus, mankind developed languages and cultures in their various languages and regions, and diverse languages and cultures were interwoven throughout the world to create a global culture.

It’s as if God is angry now with the privileged class globalists who are trying to create a Tower of Babel using the single language of English, and God is therefore giving people different languages and telling them to spread out throughout the world.

However, one might say it’s because of the ego of mankind that pride has existed from the first Tower of Babel, and that people cannot break free from the idea that their own culture is supreme. Thus, we forget or fail to understand that all cultures at one point were once one, and therefore cannot communicate (translate) our cultures to others.

The spirit of translation is the attempt to relativize one’s own culture, respect the cultures of others, place independent cultures at an equal distance, and attempt to equally convert those cultures into forms that can be understood by people from other cultures. In that process, we also remember that those cultures were all one in the beginning.

Having the world reclaim one language – that doesn’t mean having all people speak in one language as people did before the Tower of Babel. It means that even though people will have different languages and cultures, they will respect that autonomy of other cultures, and reclaim a “translator’s awareness,” in which they relativize and understand their own culture as their foundation.

I believe that’s what the story of the Tower of Babel is hinting at.

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