世界を混迷から救うカギは翻訳にあり!(2)

第2回 明治日本の経験から考える

施 光恒(せ・てるひさ)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学博士

前回のコラムでは、西欧の近代社会の成立を可能にしたのは、翻訳だという話をしました。翻訳の作業を通じて、各国の多数の人々にとってなじみやすく、また自分たちの能力を磨き、発揮しやすい環境が整備されたことが、活力ある近代社会の成立を可能にしたと述べました。
お気づきの読者も多いと思いますが、翻訳が近代社会を作ったという事情は、日本にも当てはまります。いや日本こそ、翻訳を通じ近代化を、世界で最も意識的に成し遂げ、成功させた国だと言ってもいいかもしれません。
今回のコラムでは、明治の日本の近代的国づくりの経験を見ながら、翻訳の意義についてさらに考えたいと思います。

● 明治初期の「英語公用語化論」

「これからの日本が世界に負けない国づくりをするには、英語を重視しなければならない。初等教育から学校では英語を教授言語とし、政府機関で用いられる言語も英語にすべきである」。
これはある有力政治家の主張ですが、最近の報道から引いたものではありません。およそ140年前の1870年代、つまり明治の初め頃に展開された議論です。今の言葉でいう「英語公用語化論」の先駆けと言えるでしょう。
明治の「英語公用語化論」の急先鋒だったのは、のちに初代文部大臣もつとめた薩摩出身の政治家・森有礼(もり・ありのり、1847-1889)でした。
森有礼は、次のように考え、近代的な国づくりは日本語ではなく、英語を公用語として行っていくべきだと主張しました。
「日本の近代化は日本語では難しい。近代化して欧米列強に負けない国づくりをしていくためには英語で国づくりを進めていかなければならない。政府内では日本語の使用をやめ、英語で政務万事を執り行うべきだ」。
森有礼は、なぜこうした急進的な主張をしたのでしょうか。「小学校から英語を正式教科にしよう」、「企業内の公用語は英語にしよう」、「大学の授業もなるべく英語でやろう」といった現代の英語化推進論に比べると、森有礼の主張は、はるかに深い懸念と危機感に基づいており、理解しやすい部分があります。
例えば、明治初期の日本語には、欧米列強のような近代国家を建設していくために必要な語彙が、まだまったくといっていいほど存在していませんでした。このコラムでもよく使っている「社会」「近代」「経済」といった言葉も明治に入ってから作られた言葉であり、それ以前には存在しませんでした。
欧米列強に日本が文明国だとみなされず不平等条約を結ばされているなか、明治新政府には、欧米でも通じる法体系を確立し、政府の各組織を整えていくことが求められていました。近代日本の体制を早急に整えらなければ、日本も他の非欧米諸国のように植民地化されてしまうかもしれない。早急な近代化のためには、欧米で用いられている近代社会の諸相をあらわす概念を手っ取り早く扱えるようにしなければならない。森有礼の主張の背景には、そうした強い危機感があったのです。森有礼は、日本語を公用語として使用することを諦め、公の言語を英語に統一することで、早急な近代化を成し遂げよう。そう主張したのです。

● 外国人から上がった反対論

森有礼は、日本は英語で近代化すべきだという構想を、様々な場面で主張しました。欧米への留学を通じ、英語を努力して身につけた彼は、欧米の言語学者などの知識人に自分の見解を書いた英文の手紙を送り、彼らの意見を求めるなどしました。
ところが、森有礼からの手紙を受け取った欧米の識者たちは、彼の急進的主張に反対する者が多かったのです。例えば、イェール大学教授のウィリアム・D・ホイットニーをここでは取り上げてみましょう。ホイットニーは、アメリカ言語学協会の初代会長を務めた著名な言語学者でした。
森有礼は、ホイットニー宛の書簡で次のような主張を展開していました。
日本語は文法的に不十分な言語である。語彙も少なく、知的な概念は漢語、つまり中国語の助けを借りないと論じることができない。したがって、日本語は近代化を成し遂げるには向かない不完全な言語である。このように記しました。
ところが意見を求められた当のホイットニーは、英語による日本の近代化について否定的な回答を示したのです。おおよそ次のようなものでした。
母語を棄て、外国語による近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない。英語を日本の「国語」として採用すれば、まず新しい言葉を覚え、それから学問をすることになってしまい、時間に余裕のない大多数の人々が実質的に学問をすることが難しくなってしまう。その結果、英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
さらに、ホイットニーは次のように述べ、森有礼に日本語による近代的国づくりを勧めました。

「たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても、多数の国民に新奇な言語を教え、彼らを相当高い知的レベルにまで引き上げるには大変な長い時間を要するでしょう。もし大衆を啓蒙しようというのであれば、主として母国語を通じて行われなくてはなりません」。

加えてホイットニーは、日本文化の「進歩」のなかには、「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説きました。豊かになった「国語」こそ、日本の文化を増進する手段であり、それが一般大衆を文化的に高めることにつながると述べたのです。

● 馬場辰猪の反対論

日本国内からも森有礼に対する反論が提出されました。なかでも、土佐藩出身で自由民権運動でも活躍した思想家・馬場辰猪(ばば・たつい、1850-1888)による反論は、現代の目から見ても非常に説得力があるものです。
馬場辰猪は、土佐藩や新政府の留学生としてイギリスに留学した経験を持ち、英語が達者でした。馬場辰猪が森有礼の「英語公用語化論」に反対したのは、ロンドン在住のときで、その方法はとても面白いものでした。馬場は、英語で日本語の文法書を著し、イギリスの出版社から出版したのです。
前述のように、森有礼は、日本語にはまともな文法がないと批判していました。馬場はこれに反発し、日本語の文法を英語できちんと説明することによって、日本語にも体系的な文法があるぞと実際に示して見せたのです。
このとき馬場が出版した『日本語文典』(An Elementary Grammar of Japanese Language: With Easy Progressive Exercises)の序文には、出版の意図とともに、森有礼の「英語公用語化論」に対する批判が展開されています。馬場の主張は、主に以下の四点でした。
第一に、英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間の浪費につながりかねない。英語は日本語と言語学的に大きく異なる言葉である。そのため、日本人にとって英語学習は非常に骨が折れ、時間がかかる。学ぶべきことの多い若者の時間が無駄に費やされる恐れがある。
第二に、英語を公用語にすれば、国の重要問題を論じることができるのは一握りの特権階級に限られてしまう。英語学習は困難で多くの時間を必要とするため、英語に習熟できるのは国民のごく一部の有閑階級に限定される。日々の生活に追われる大多数の一般庶民が英語に熟達するのは非常にまれだろう。したがって、国の諸制度が英語で運営されたり、政治や経済に関する知的な議論が英語でなされたりするようになってしまえば、国民の大多数は、天下国家の重要問題の論議に参加できなくなってしまう。近代的な国づくりにごく一部しか関われないことになる。これでは、国民すべての力を結集し、欧米列強に伍していく国づくりを行うことなど夢のまた夢だ。
第三に、英語公用語化は社会を分断し、格差を固定化してしまう。国の重要問題から庶民を切り離すこととなるだけではなく、英語が話せるか否かが経済的格差につながり、豊かな国民と貧しい国民との間の断絶を生む可能性がある。
第四に、英語を公用語化すれば、意識面でも国民は分断され、一体感が失われてしまう恐れがある。
馬場は、当時の英領インドを例にあげます。インドでは、英語を話すインド人と、インドの各言語を話すインド人との間には、「共通の思想も感情も存在しない」状態でした。母語による共通の国民教育を実施する方法をとらない限り、インドで見られるような国民の一体感の欠如は日本でも必ず生じるでしょう。馬場はそのように論じました。
以上の四つの問題点を指摘したうえで馬場は、次の言葉で文章を締めくくりました。

「すでにわれわれの掌中にあり、それゆえわれわれすべてが知っているものを豊かで完全なものにすべく務めるほうが、それを捨て去り大きな危険を冒して全く異質の見知らぬものを採用するよりも望ましい、とわれわれも考えるのであります」。

● 翻訳を通じて日本語を豊かにするという選択

馬場は、自ら日本語の文法書を英語で出版し、日本語の文法には外国人にもきちんと説明できるほど、しっかりした体系があることを示しました。そのうえで、馬場は、欧米の諸言語と比べて近代的国づくりのために現状で足りないものは「語彙」に過ぎないと理解しました。そうであるならば、日本語を捨て去り、英語で近代化する必要などありません。欧米諸語から積極的に翻訳し、日本語の語彙を増やし、日本語を「豊かで完全なもの」にしていけばいいと考えたのです。
馬場のこうした議論と認識を同じくする人々が創意工夫を重ね、やがて近代の日本語に必要な語彙を盛んに生み出す活動を展開することになっていきました。森有礼の提案とは別の道を選択することとなったのです。そして代わりに行われたのが、欧米諸語からの翻訳を懸命に行い、新しい語彙や観念を「土着化」する、つまり日本語のなかに適切に位置付けていくという作業でした。
大正生まれの国文学者で、国会図書館の副館長も務めた齋藤毅は、日本語による近代化がうまく行った事情について次のように記しています。

「新しい学術上の知識や文物制度に関する知見を、限られた階層の独占にゆだね、教育というものをひとにぎりのエリートのものと考えるかぎり、日本語の改良とか開発ということは、まったく不要なことであったかもしれない。だが、科学技術や哲学や宗教や文物制度を万人の頒ちもつべきものと考え、また日本のできるだけ広範囲のひとびとが、高いレベルの教育を受けるべきであると考えるかぎり、日本語を、それに堪えるものに改良しなければならない。(略)
一見迂遠にみえるけれども、そうすることが、日本の文運を隆昌に赴かせ、日本の独立と繁栄をもたらす最も近い道であった。新しい文物と学術上の知識が、閉鎖的な階層に独占されなかったということが、よかれあしかれ日本の今日の繁栄を招いたということは、おおむね肯定してよいであろう」(『明治のことば』講談社、1977年)。

● よりよき世界秩序と翻訳

振り返ってみると、言語面から見た日本の近代化は、前回のコラムで見た西欧の近代化ととてもよく似ていることがわかります。西欧諸国は、ラテン語という「普遍」だと思われていた言語をそれぞれの母語に翻訳しました。そして、知的な観念を自分たちの言語になじみやすいかたちで取り入れていくこと、つまり「土着化」することを通じて、各国の言葉で運営される公共空間を作り出し、そこに多くの人々の力が結集され、近代化を成し遂げました。
明治日本の場合も同様です。まず、「普遍」的で「文明」的だと思われた英語など欧米の言葉を日本語に徹底的に翻訳し、その概念を適切に位置付けていくことによって日本語自体を豊かにしました。そして、一般庶民であっても少し努力すれば、世界の先端の知識に触れられるような公共空間を形成しました。これによって、多くの人が自己の能力を磨き発揮し、参加することのできる近代的な国づくりが可能となり、非欧米社会で初めて近代的国家を建設できたのです。
前回のコラムの冒頭で述べたように、現在は、過去20年以上続いてきた、グローバル化の波が各地で大きな行き詰まりを見せている時代です。グローバル化とは、社会的なルールや制度、ひいては言語までを、なるべく共通のユニバーサルなもの(普遍的だとされるもの)にし、ヒト、モノ、カネの国境を超えた移動をできるかぎり推し進めようとする動きです。
日本も、1990年代後半からグローバル化路線に乗り、いまなおグローバル化を推進しようとしています。「構造改革」を合言葉に様々な法律や制度を「グローバル・スタンダード」(その実、アングロサクソン(米英型)・スタンダードにすぎないのですが)に合わせるために変革してきました。ここ数年間は、政府は、グローバル化推進の言語面での現れとしての英語化政策に力を入れています。小学校からの英語正式教科化や大学の授業の大幅な英語化などです。民間でも、英語を社内公用語にしようという日本企業の動きもしばしば耳にします。
しかし、こうしたグローバル化・英語化の推進は、非常にまずい帰結をもたらすと予測できます。馬場辰猪ら多くの明治の先人が懸念を表明していたような望ましくない帰結です。
たとえば、「政治や経済に積極的に参加できる人々はカネや能力や時間(余暇)を有する特権的な人々に限られてしまう」、「英語が使えるか使えないかによって経済的な格差も生じ、格差社会化が進む」といった帰結です。
さらに「格差社会化の進展に伴って、日本人という国民の一体感も失われていく」恐れもあります。
グローバル化を推し進めようとする人々(グローバリスト)は、少々頭でっかちで単純だと言わざるを得ないものの見方をします。ルールや制度、言語などを何らかの共通のものに統一していけば、日本を含む世界中の人々は、そうした共通のものに容易になじむことができ、そのもとで、いきいきと活動できるようになると想定しているからです。
しかし、これは現実的ではありません。世界には、様々な言語があると同様に、多様な文化が存在しています。そうした文化的多様性を軽視し、世界を一つのルールや制度、言語に押し込めようとするグローバル化の動きは、近い将来、格差拡大や民主主義の機能不全(エリートの利益に偏った政治)、人々の分断といった問題をさらに深刻化させるでしょう。
現行のアングロサクソン的グローバル化の代替案を考える必要に世界は迫られています。この代替案を考えるときに、大きなヒントを与えるのが「翻訳」です。つまり、世界が文化的に多様であること、そして人々は各々生まれ育った言語や文化の影響を多かれ少なかれ受けること、といった事実を冷厳に見つめ、そのうえで、安定的で望ましい世界秩序のあり方を考えていく際の導きの糸を翻訳の理念は含んでいるのではないでしょうか。

施 光恒(せ・てるひさ)

1971年生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授(政治学)。
英国シェフィールド大学大学院、慶應義塾大学大学院などで学ぶ。博士(法学)。
著書に『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)など。

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The Meiji Era and Translation

By Teruhisa Se Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University PhD in Law

In my last article, we looked at how it was translation that made modernization possible in the West. I explained how through translation an environment was created where people felt familiar with and could, therefore, develop and exert their skills, making it possible to establish a dynamic modern society.

Many readers are also aware that translation helped in modernizing Japan. In fact, it can be argued that Japan was a country that most consciously and successfully used translation in becoming a modern nation-state.

In this article, we will look at Japan’s process of modernization during the Meiji era (from 1868) in diving deeper into the significance of translation.

English as the Official Language

“In order for Japan to become a strong nation-state that does not give way to other countries, we must place importance on English. Japan should make English the language of instruction beginning in elementary school, as well as the official language used in government institutions.”

This statement is from a prominent Japanese politician, but surprisingly not from a recent news report. This argument for making English the national language was proposed approximately 140 years ago (1870), in the beginning of the Meiji era. This statesman was the pioneer for what is known today as the “Englishnization” debate.

Japanese statesman Arinori Mori (1847-1889, born in the Satsuma domain), who later became the first Minister of Education, was the chief advocate during the Meiji era for making English the official language in Japan.

Mori, as can be seen in the following statement, asserted that Japan must modernize using English and not Japanese. “It will be difficult to modernize Japan using Japanese. In order to modernize Japan so that it is a country on par with the great powers of the West, we must build up our nation using English. The use of Japanese should cease in all government operations, and English used in conducting state affairs.”

Why did Mori make such a radical claim? Compared to assertions today that English should officially be taught beginning in elementary school, or that corporations should switch to English in-house, Mori’s claims were based on a much deeper sense of danger and were in many ways quite persuasive.

For example, in the beginning of the Meiji era, Japanese vocabulary at the time didn’t contain the terminology needed to build a modern nation state like the great Western powers. Words used frequently in this column such as society, modern, and economy were words created after entering the Meiji era and didn’t exist prior to that time.

While tied into one-sided treaties because Western powers didn’t view Japan as a “civilized” nation, the new Meiji government was expected to establish a legal system and governmental organizations that would be accepted by those nations as well. If Japan didn’t do so quickly, it likely would become into a colony like other non-Western countries. To modernize quickly, Japan needed to find a fast and effective way to integrate those concepts used in the West into its own culture. This strong sense of danger was the background for Mori’s arguments. Mori insisted that Japan should abandon Japanese as the country’s official language and instead make English the common language in order to bring about rapid modernization.

Opposition from Foreigners

Mori used various avenues in arguing that Japan should use English to become a modern nation-state. He had studied abroad in the West and worked hard to learn English. He made use of his English skills by sending letters (written in English) to linguists and intelligentsia in the West, seeking their opinions on Japan’s predicament.

Surprisingly, many of these linguists and intelligentsia opposed Mori’s radical assertion. For example, take Yale professor William Dwight Whitney. Whitney, the first president of the American Philological Association, was a well-known and respected linguist. Mori pointed out in his correspondence to Whitney that Japanese was insufficient grammatically. It had limited vocabulary, and intellectual concepts could not be expressed without using Sino-Japanese terms (Japanese terms adopted from China). This showed that Japanese was insufficient as a language for bringing about modernization in Japan.

Whitney, however, did not agree with Mori’s claim that Japan should transition to English in becoming a modern nation-state. Whitney’s responded by pointing out that there were almost no examples of countries successful in becoming a modern nation-state doing away with their native language and instead adopting English. If Japan made English as its official language, the Japanese would have to first learn this new language before they began other learning. Most citizens were limited in time and would find it difficult in practice to learn. As a result, the minority privileged class with time available for learning would monopolize culture, resulting in a large disparity and disconnect between the elite and general masses. Whitney also stated the following, encouraging Mori to use Japanese in transforming Japan into a modern nation-state.

“Even if Japan could offer a perfectly prepared educational system for its people, teaching those people a new language and bringing them to a considerably advanced level of thinking in that language would require a tremendous amount of time. If Japan wants to educate its people, it must do so primarily using its own native tongue.”

In addition, Whitney explained that enriching the Japanese language must be one facet of cultural progress. He argued that a rich native language was a means for advancing Japanese culture, which would naturally result in its people growing culturally.

Opposition from Tatsui Baba

Those within Japan’s borders also disagreed with Mori’s assertions. One such opposing view came from Tatsui Baba (1850-1888) from Tosa province, a theorist active in the movement for civil rights and freedom in the 1880’s. Baba’s views are quite persuasive even today

Tatsui Baba studied abroad in the UK as a student both from Tosa province and the new Meiji government and was therefore proficient in English. Baba opposed Mori’s argument for making English Japan’s official language while living in London, and his method of opposing Mori is quite interesting. Baba wrote a Japanese grammar book in English, which was published by a British publishing agency.

As mentioned above, Mori criticized Japanese as being deficient grammatically. Baba refuted this argument, and by explaining clearly in English Japanese grammar Baba proved that Japanese also had a systematic grammar system.

In the introduction of Baba’s grammar book An Elementary Grammar of Japanese Language: With Progressive Easy Exercises, Baba explained his intent for publishing the book, and criticized Mori’s argument for making English Japan’s official language. Baba asserted the four following points:

First, learning English would require a tremendous amount of time, which would most likely be a poor use of time for Japan’s youth. Linguistically, English differed greatly from Japanese. This meant the Japanese would have to work extremely hard to learn English – a time-consuming process. There was a danger that Japan’s youth would waste their time on English when there were many other subjects they should be learning.

Second, by making English Japan’s official language, only the handful of the privileged elite would be able to discuss important national issues. Learning English was difficult and required a great amount of time to learn, and so only the wealthy class – which made up a small portion of Japan’s people – could become proficient in English. If Japan’s various systems were operated in English, this would mean discussions about national politics and the economy would be conducted in English, making it impossible for the majority to participate. This meant that only a handful of Japan’s people would participate in Japan’s modernization. Consequently, gathering together the power of the people to evolve into a nation on par with the West was would become nothing more than an elusive dream.

Third, making English the official language would divide Japanese society and create disparity among its people. Not only would switching to English result in separating citizens from important national issues, it would lead to economic disparity based on English speaking ability, possibly creating a divide between the rich and poor. Baba used India as an example. He argued that citizens in India who spoke English and those who spoke other Indian dialects were in a state in which they “shared no common thought or emotions.”. Baba argued that if Japan did not provide education to its citizens in its native language, Japan would become like India, which lacked a sense of unity among its people. After making the above four points, Baba concluded his writing with the following:

“I believe it is far more desirable for us to work to make that which is already in the palm of our hands and that we know rich and complete, rather than to throw our current knowledge away and instead take a great risk in adopting a language which is foreign and unknown. “

Opting for Translation

Baba’s Japanese grammar book proved that Japanese grammar contained a thorough system that could be explained to non-Japanese people. In addition, Baba understood that when it came to modernization, Japanese was simply lacking vocabulary that existed in Western languages. If this was the case, there was no need to do away with Japanese and modernize Japan using English. Baba believed it was beneficial instead to proactively translate information written in Western languages into Japanese, increase the Japanese vocabulary, and thus make Japanese a rich and well-rounded language.

Those who agreed with Baba’s argument and line of thinking helped by contributing creative ideas, which led to creating a necessary vocabulary for modern Japanese. A different path had been chosen from that which Mori proposed. Instead, information was proactively translated from Western languages and new vocabulary and concepts from the West incorporated. The Japanese were successful in establishing Western vocabulary and concepts into their language.

Takeshi Saito, Japanese literary scholar and former vice president of Japan’s National Diet Library, made the following statement on why modernization in Japanese was a success:

“If it was believed that new academic knowledge and understanding of culture and its institutions should only be left to a select class, and therefore education belonged only to a small handful of the elite, there would have been absolutely no need to improve or develop Japanese. However, if it was believed that science, technology, philosophy, and all things cultural should be shared by all in Japan and that as many citizens as possible should have the chance to receive a high level of education, Japanese had to be improved (omission). While at first, this approach seemed roundabout, it was, in fact, the quickest way to enable thriving cultural progress, and therefore bring about Japan’s independence and prosperity. It can be argued that the fact that new culture and academic knowledge was not monopolized by one exclusive class was, for better or for worse, what brought about Japan’s current prosperity” (Thoughts on the Meiji Era, Kodansha, 1977).

Translation for a Better World

In retrospect, it’s clear that Japan’s modernization from a language perspective closely resembled that of the West, which we examined in my previous article. Western countries translated writings in Latin – considered to be the universal language at the time – into their various native languages. By incorporating intellectual concepts into their native language in a way that was familiar – in other words, indigenization – these countries created a public atmosphere operated in those native languages. It was within that atmosphere that citizens combined their efforts to make modernization possible.

The same went for Japan in the Meiji era. First, vocabulary in English and other Western languages thought to be “universal” and “cultural” was comprehensively translated into Japanese, transforming Japanese into a more well-rounded language. Japan then created an environment where its people, with a little effort, could come into contact with the latest knowledge from around the world. It was this process that enabled many people in Japan to develop and exert their skills, create a modern country where all could participate, and establish the first non-Western modern nation-state.

I mentioned at the beginning of my previous article that globalization – which has been going on for the past 20 years – appears to be reaching a standstill in many regions. Globalization, as many are aware, is the movement to make social rules and systems, and even language, as universal as possible. Globalization also enables the movement of people, things, and money across national borders.

Japan has been pursuing globalization since the latter half of the 1990’s up to the present. Calling for cultural reform, Japan has made changes in various national laws and systems to fit the “global standard” (which is nothing more than the “Anglo Saxon” standard). In promoting globalization over the past few years, the government has focused on language by investing energy in transitioning to English. Elementary schools are moving towards making English a required subject, and universities are moving towards teaching courses in English. Even in the private sector, one often hears of Japanese corporations trying to switch to English within their corporation.

However, these movements towards globalization and making English the official language could have disastrous results. These are the results that Baba and others from the Meiji era expressed concerns about.

For example, only the privileged elite – who possess money, skills, and time (leisure time) – will be able to participate in politics and the economy. Japan will thus become an economically polarized society brought about by one’s ability to use English. It is feared that this polarization of Japanese society will result in a lost sense of unity among citizens.

Those who promote globalization (or globalists) tend to be rather simplistic and arrogant in their thinking. They assume that people in Japan and worldwide will be able to adapt to standardized rules, systems, and language, thus enabling them to actively participate on a global scale.

This is not a realistic assumption, however. Just as there are many languages in the world, there are also a plethora of different cultures. Efforts towards globalization that make light of cultural diversity and push the world into one set of rules, one system, and one language will quickly result in disparity, the malfunctioning of democracy (politics partial to the interests of the elite), divisions among people, and other even more serious problems.

The world needs to devise alternative plans to the existing Anglo Saxon version of globalization. This is where translation can provide some helpful hints. Translation helps us in understanding that the world is culturally diverse and that people are impacted on some level by their native language. The principles of translation serve as a guide to finding ways to create a stable and even better world order.

Teruhisa Se

1Born in 1971. Associate Professor of Social and Cultural Studies at Kyushu University (political science). Studied at Sheffield University’s Graduate School in the UK, and at Keio University graduate school. Holds a Ph.D. in Law. Author of Eigoka wa Guminka (Englishnization Leads to Dumbification) (Shueisha Shimbun, 2015).

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