学長メッセージ Part6 『2013年、バベルの塔の意味を問い直す試み -その4 』

湯浅 美代子

Chancellor
湯浅 美代子

“バベルの塔” それは本当に傲慢の象徴か?

 2013年を この様な静けさの中で迎えられたことは、この10年以上にわたる人類の未来への不安が続いてきたことを考えると、何か奇跡的な感じがします。皆様はいかがお考えでしょうか?読者の皆様は、世界各地にお住まいでしょうから、地域によっては大きな気候変動に遇われておいでかもしれませんが・・・。

 日本では、この二、三年の間に歴史の真実を語ろうとする出版物が増えてきています。いや、日本ばかりでなく、米国を中心に、世界各地でも同じく、真実を暴露する出版物が増えてきています。そうして、以前とはっきり変わったのは、これらの本を多くの人がまじめに読み始めていることです。

 歴史はとりわけ、支配者側に有利なように書かれるものですし、未だその時代を体験した人々が多く存命している第2次世界大戦と、その戦後の歴史でさえも、何が真実かは分からないのです。日本の戦後の歴史をどうとらえていくのか、過去のお仕着せの歴史観とは違った見方で、著者である若手の研究者がはっきりとした意見を述べています。

 この様な書籍が、多くの読者を獲得し、現代のとりわけ若い人々が認識をあらたにするチャンスが多く登場してきました。書籍だけでなく、ユーチューブやインターネットのソーシャルネットワークを通じて生の体験を共有することができる時代になったのです。

 これまでは、政府のコメントや専門家のコメントをマスコミの解釈を通じてしか、私達は知ることはできませんでした。それが、当事者の生の声を、表情を、ユーチューブや、インターネットTVで、いつでも、誰でも、どこででも見聞きし、反応出来ます。

 これらのITの発達によって形成された今と言う時代を、インターネットの世紀と呼ぶことにします。この新世紀は、1994年に始まったばかりで、未だ、18年しかたっていないのです。ところが、この18年の間に、とてつもないことが起きてきたのです。

 そしてそれが、ますます加速しています。いつの間にか、私達は新しいタイムライン、従来の緩やかな延長線上ではなく、1994年の変化の扉が開いたことによって出来あがった、新しいタイムラインに飛躍してしまったのではないかと思えるのです。

 そのうえ、このタイムラインはスパイラルを描いています。ですから時の変化が、時間の流れが益々早くなっていくようにも思います。政治や、経済の世界ばかりでなく科学の発見も、よりち密になり、究極の発見や、従来の理論の間違いが発見され、世界観を全く覆されてしまうことさえ起きています。

 これが、この間の人類の未来への不安のもとなのかもしれません。もっとゆっくり変化してほしい。そう願いたいことも多くあります。バージョンアップは毎年ですし、ちょっと目を離していたら、携帯と言う言葉は昔のことばになりそうですね。

 スマホ、タブレット、iPad、iPhone の時代は、ある意味でとても便利なツールですが、どうもずっと払い続けなければならないという、あの独特の料金体系と言うビジネスモデルが、何か気になるのです。まるでローンの返済を続けているような気がしてきます。

 そういう意味では、たまには、携帯も、スマホもない日々を過ごすことがいいのかもしれません。機器に頼らず、自分のインスピレーションでコミュニケート出来たらいいのにと思うのは、私だけでしょうか?

 さて、西暦2013年と言う時の読み方ですが、この西暦紀元についても、基準は色々とあるようです。また、日本は、西暦もあれば、元号もあるので、ややこしいですね。それに旧暦【太陰暦】もあり、世界に目を転じればイスラム暦あり・・・
暦は生活習慣の基盤ですので、文化、文明によって、宗教によってそれぞれです。

 従って翻訳者は、この暦に対する理解を速めると、多文化、多言語時代を乗り切りやすいと言えるでしょう。文化の翻訳は、一つの言葉の内に含まれたものでありますし、言葉は、その民族や文化、習慣、育ちから切り離されることはないからです。同じ言葉でも、その使われた時の意図は全く違うことさえあります。

 今回のテーマは、Web TPT(http://e-trans.d2.r-cms.jp/にリンク)に掲載の“バベルの塔の意味を問い直す試み”の4回目となりますが、前執筆者よりバトンを受けて続けていきたいと思います。筆者が変わったのは、別の視点で、新しい見方でバベルの塔の意味を考え続けていこうということからです。
 

 バベルの塔とは何か?これは、バベルと言う名を会社の名前にしてしまった、私達の宿命です。と言うと少し大袈裟ですが、翻訳の代名詞としてこのバベルの塔から名前をいただきました。

 しかも、バベルの塔の物語は、旧約聖書にでてきますが、決して良い意味ではありません。それは、はっきり言って悪い意味です。人間が傲慢になり、天にも届く高い塔を建て、神の住む所へ登ろうとしたのでしょうか?それとも。こんなことができるのだから、神にさえなろうとした、と言うことなのでしょうか?ここでは、傲慢とは何かについて考えてみましょう。

 その名前を付けてから早、ニ十数年が経ちました。お蔭で何とか生き延びることができました。そうして今、バベルと言う社名について考察する楽しみをいただいております。この様な思いは傲慢でしょうか?

 考えようによっては、傲慢かもしれません。『ゴーマニズム』がはやりましたが、傲慢とは、神に罰を与えられるほどのひどいことなのか?と言う気持ちもありました。神の言うことをよく聞くおとなしい人間、いい子にしていたらご褒美をもらえる・・・と言うようなやわな人間でいた方がいいのでしょうか。

 何故バベルでなければならないのか?翻訳を示す、表す言葉は他にいくらでもあります。翻訳会社の数だけあるのですから、相当な数です。しかし、バベルと言う、神にお仕置きをされた人間の、みじめな物語のタイトルを選んだのです。

 ここに、私は人間の自由意思を見ます。自由意思とは、事態をニュートラルに見て、それに自分で意味を与えることです。それは、決して傲慢ではありません。チャレンジ精神です。旧約聖書がどのようなプロセスで制作され、翻訳され、伝達されてきたか、ここに大きなテーマがあります。日本の現代史でさえ、真実は隠されたり、ゆがめられたり誤解されたりしています。

 しかも旧約聖書が成立したのはいつなのかも分かりません。いろいろな話が集められ、まとめられたのではないかとも言われています。およそ紀元前の何千年前から、紀元後3世紀位までの間にいろいろな形で伝えられてきたものが、さらに翻訳され、現代語へ至るまで、何度も何度も翻訳されてきたわけです。聖書の歴史こそがまさに、翻訳と変遷の歴史であるとも言えるでしょう。

 自由意思によって、ネガティブな状況を良い意味に変換してしまうこと、それは、一見傲慢にも見えますが、決してそうではありません。それはどちらのポジションでそれを見るかにかかっています。支配しようとする神の側で見るのか、被支配者の側の人間側で見るのかです。

 ここに、翻訳の大事なポイントがあります。言葉は、イデオロギーの表明です。事態そのものはニュートラルです。つまり同じように見える事態でも,イデオロギーによって異なってしまうのです。バベルの塔の意味を問い直す試み、今回は、傲慢という言葉から考えてみました。

バベル翻訳大学院(USA)湯浅学長メッセージ