教育的ディベート(Academic Debate)といことばをご存知でしょうか。約半世紀のバベルの歴史の中で、90年代に約10年間、米国のディベートチャンピオンとコーチ(教授)を毎年、日本に招請して、日本全国の教育的興行を後援しておりました。日本語と英語でディベートを行い、ディベートの教育的効用を謳ってきました。当時は、松本茂先生(バベルプレスで「英語ディベート実践マニュアル」刊行、現立教大学経営学部国際経営学科教授、米国ディベートコーチ資格ホールダー)、故中津燎子先生(書籍「なんで英語やるの?」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞)にお力添えをいただいておりました。
教育的ディベートとは、論理構成力を涵養する教育の一環としてディベートの手法を活用しようという考え方でした。
ここで言う「教育的翻訳とは」大学生以上の成人層を対象とするものと小中高校を対象にするものとを考えているのですが、ここでは、プロ翻訳家の養成という意図はありません。
説明をわかりやすくするために、後者の例をまずお伝えします。
4半世紀前に私がバベルにおいて行ったある実験的企画に触れたいと思います。それは、
当時、バベルの教育部長であった長崎玄弥先生と中学2,3年生を7,8人集めてある実験的企画を実施しました。長崎玄弥先生は当時、‘奇跡の英語シリーズ’で100万部を越える売り上げを誇っていた天才的英語の使い手でした。彼は日本をいっさい出ることなく、
英語ネイティブと、丁々発止の議論も喧嘩もできるという英語の使い手でした。そのプロジェクトでは英単語が500語から1,000語に限定された英語のラダーエディションを教材に中学2,3年生を対象に翻訳の演習を試みたのです。
文法、構文の理解から発音までの基本技法を伝えつつ、単なる英文解釈ではなく、きちんとした背景調査もして、正しい、読みやすい日本語に翻訳するという訓練でした。そして驚くべきことに約1年この訓練を終えると生徒の英語力は言うに及ばず、国語、社会、数学等の学校での成績が1段階か2段階上がったのです。その後、私たちも根気強くこのプロジェクトを続けて実証データを積み上げていけばよかったものの、その後、他の仕事にとらわれてこれができなかったことが今でも悔やまれます。あれから20余年、懸案を実現するに、時が熟して来たと感じています。
現在の英語教育では、文法訳読形式が否定され、コミュ二カティブな英語教育、俗に言う英会話教育が推進されるなか、実効性が上がらないのを目の当たりにして、明治時代以前の教育で見られた「教育的翻訳」の必要性をうすうす感じているのは私だけではないのかと思います。本誌で昨年5月から始まったのが大阪大学の名誉教授の成田一先生の『総合的な
翻訳による英語教育』の連載が、この辺の考えの一端をまとめていただいたものです。
翻って、2000年からOECDが3年に一度実施しているPISA(Program for International Student Assessment)では、世界の15歳の男女を対象に、数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力を測定、比較してきました。2015年からはこれに加え、
協同問題解決能力、異文化対応能力( Global Competence )が測られるようになりました。ちなみに日本人はそれまで、10位少し手前に推移していた順位が、2015年は数学的リテラシーと科学的リテラシーが世界トップ、読解力が同率3位になったとのことです。
その後は、この3つの分野では、日本は常に上位に位置していると聞きます。
また、2015年から導入されたグローバル・コンピテンシーはその基準に賛否両論があるようですが、次のように定義しています。「グローバルで多文化的な課題を批判的に多様な視点から分析、自己や他者の知覚や判断、考え方にどのような相違があるかを理解する力です。人間的な尊厳基づき、互いに尊敬しながら、オープンで効果的な他者とのコミュニケーションをはかる力です」。
すなわち、グローバル・コンピテンシーは、知識と理解、態度の3つの次元から成り、その基本には人間的尊厳と文化的多様さの視点があると言います。
http://www.oecd.org/pisa/pisa-2018-global-competence.htm
とすれば、これこそ広義の翻訳、教育的翻訳そのものと考えます。
「教育的翻訳の普及」が、言語教育、異文化理解、異文化対応力、感性の涵養し、小中高、高等教育のみならず成人教育に新しい地平を拓くものと信じます。また、更には日本の世界における新たな役割認識を促すものと考えます。
ここで、改めて歴史的観点から、翻訳のもつ意味を考えてみたいとお思います。
日本は明治維新以来、福沢諭吉、西周、中江兆民をはじめ多くの啓蒙家が、西欧の文化、文物を‘和魂洋才’を念頭に急速に取り入れ、国家の近代化を果たしてきました。これは、換言すれば、‘翻訳’を通して当時の西欧の先進文化、文明を移入してきたと言えるでしょう。それが、俗に、‘翻訳立国―日本’と言われる所以です。
六世紀から七世紀にかけて中国文化を移入したときには大和言葉と漢語を組み合わせて翻訳語を創り、明治維新以降は西欧の人文科学、社会科学等の今まで日本にはなかった抽象概念を翻訳語として生み出してきました。Societyが社会、 justiceが正義、truthが心理、reasonが理性、その他、良心、主観、体制、構造、弁証法、疎外、実存、危機、等々、その翻訳語は現在のわたしたちには何の違和感もなくになじんできているのはご承知の通りです。
しかし、この‘翻訳’の現代に占める社会的位置は、と考えてみると、不思議なくらい、その存在感が読み取れません。もちろん、巷では、翻訳書を読み、政府、また企業でも多くの予算を翻訳に割いています。また、ドフトエスキー、トーマスマンをはじめ、世界中の古典文学を何の不自由もなく親しめる環境もあります。
将来を展望しても、ITテクノロジーによる更なるボーダレス化を考えると翻訳は計り知れないビジネスボリュームを抱えています。一説には、一般企業が年間に外注する翻訳量は金額に換算して、3000億円市場とも言われます。これに、政府関係、出版関係(デジタルを含む)、更にアニメ、マンガといったコンテンツ産業関連を加算すれば、優に、一兆円を越える市場規模になると言われます。
とすると、過去は言うに及ばず、今後、日本のビジネス取引、文化、社会形成における
‘翻訳’の役割は、想像以上に大きいと言わざるを得ません。
こうして、国家レベルの翻訳の重要性を考えるにつれて、プロの翻訳者養成ということ以前に、翻訳という行為そのものの重要性に思いが至り、教育的翻訳の重要性を改めて確信します。
英語至上主義、日本でも喧しく企業内の英語公用語化の話題がマスコミを賑わせていますが、これこそ所謂、グローバリスト、国際金融資本家の思う壺。日本が二流国に転落するのが目に見えています。
英語による支配の序列構造の中で、第二階層、すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった諸国のことです。かれらはある意味、英語公用語を採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と言えるでしょう。
最近では日本の東大がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から七位に転落とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、その主たる理由は、授業が英語で行われている割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。
しかし、考えてみてください。英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は
日本以外ではあるでしょうか。おまけに、世界中の古典が読める稀有な国日本、これを皆さんはどこまで自覚しているでしょうか。
一方、あの理想国家といわれるシンガポールの現況をみると、常に複数の言語を学ばなければならないことから始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言えると思います。
日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めませんでした。
これは以下の日本語と日本文化の歴史と、これに裏打ちされた利点を改めて考えれば至極
当然のことに思えます。
・6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、仮名、文化を作り上げできた。
・50万語という世界一豊かな語彙をもつ日本語。英語は外来語の多くを含んでの50万語、ドイツ語35万語、仏語10万語。まさに、言霊の幸はふ国日本。
・古事記、日本書紀、万葉集など、1,000年前文献でもさほど苦労なく読める日本語。
一方、英米では1,000年まえの文献は古代ギリシア語、ヘブライ語が読めなければ一般の人は読めない。
・世界200の国、6,000以上の民族、6,500以上の言語の内、50音の母音を中心に整然と組み立てられ、・平仮名、片仮名、アルファベット、漢数字、ローマ数字等多様な表現形式を持つ言語、日本語。
・脳科学者角田忠信が指摘しているように、西欧人は子音を左脳、母音を機械音、雑音と同じ右脳で処理、また、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音をノイズとして右脳で受けている。対して、子音、母音、さらには小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音までも言語脳の左脳で受け止める日本人。そこから導かれるのか万物に神を読む日本人。
・ユーラシア大陸の東端で、儒、仏、道、禅、神道文化を発酵させ、鋭い感性と深い精神性を育んできた日本文化。
・「日本語の科学が世界を変える」の著者、松尾義之が指摘しているように、ノーベル賞
クラスの科学の発明は実は日本語のおかげ。自然科学の分野ではこれまで約20の賞を受賞。アジア圏では他を圧倒。
今、なぜ、教育的翻訳が必要なのかを考えるにあたって、これを抽象化して考えるとこんなキーワードが思い浮かびます。
多文化共生
次のステージは、多文化共生の時代、お互いの文化の違いを認め合って共生していく社会。
また、それこそが翻訳の真髄と考えます。
また別の言い方をすると、翻訳という行為そのものが多文化共生を前提とする異文化融合と言えます。
あのサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を人種差別の書と断定する米国知識人に中国とは違った大覇権主義の限界が見え隠れします。常に普遍を追求して違いを消去してきた米国。それに反して、植民地政策の歴史を持つ英国は国際政治において揉まれたことにより、文化差に対しては経験的に理解し対処しよう言う姿勢をもっています。
また、この多文化を認め、その上で、自文化を重んじる、ある意味の度量(否、戦略)が進行中の英国のEU脱退、BREXITにつながったのかもしれません。
我々、バベルグループができることと言えば、政治、経済の領域ではなく、国家の文化・社会戦略としての‘翻訳’を考えることと確信します。
なぜなら、翻訳こそ、多文化共生に基づく世界の融和政策だからです。
最後に、翻訳という行為がどんな能力を伴うものなのか、バベルの翻訳専門職大学院の翻訳教育の視点から見ていきたいと思います。
・Language Competence
これは翻訳を職業にする場合は、当然柱となる言語関連のスキルで、バベルの「翻訳文法」
を核にしています。PISAで言う、数学的リテラシー、科学的リテラシーに次ぐ、読解力には密接に関係しています。
・Cultural Competence (Cross-cultural, Global Competence)
異文化間の変換をするに必要な、彼我の文化を熟知し、その価値を相対化できる視点を言います。これはPISAで言う、2015年から加わった協同問題解決能力、異文化対応能力( Global Competence )に充たると思います。ここで参考までに、渥美育子氏(バベルでは、その著「世界で戦える人材の条件」((PHPビジネス新書)の英訳版「Developing Global talent」を出版)は、世界をその文化的価値観から4つのエリアに分類しています。
・モーラルコード(人間関係)で成り立つ国々
― 日本を含むアジア、南欧、南米、中部、アフリカ等
・リーガルコード(ルール、マニュアル)で成り立つ国々
― 米国、英国、北欧諸国
・レリジャスコード(神の教え)で成り立つ国々
― 中東、北アフリカ等
・ミックスコード(混合)で成り立つ国々
― インド等
また、これらの国々を伝統、歴史という時間軸で掘り下げて、グローバルナビゲータを創り、それぞれ国が何に文化、行動価値を置いているかを、
・モーティベータ
・ディ・モーティベータ
すなわち、何を持って動機付けされるか、また逆に、なにが動機を削ぐのかを整理しています。
・Expert Competence
翻訳では専門分野を極めていくことは必須です。専門分野は日々進化していきます。そうした変化を捉える情報収集を常に行う必要があります。
・IT Competence
自ら翻訳をするだけではなく、プロジェクトを率いるような時は、プロジェクトマネージメントの知識、リサーチの技術、翻訳エディティングの技術、DTPの技術、そして翻訳支援ツールの活用技術、辞書化の技術、いずれもキャリア開発に不可欠な知識とIT技術です。
・Managerial Competence
自立するための経営ノウハウ、プロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを仕切る際のプロジェクトマネージメントの知識と技術、自立を目指すに欠かせません。
翻訳はこれらのコンピタンシ―の集合でなりたつ、極めて完成度の高い知的総合力を伴う行為です。その一部がAIで支援されたとしても、全体を統合する翻訳という行為は、人間固有の行為と言えると思います。
AI時代こそ、翻訳という学びの方法が『読み、書き、そろばん』的な基本的能力を涵養してくれると確信します。
そして、日本の小学校、中学校、高校、大学、大学院で『教育的翻訳』が行われるようになれば、やがて日本は自立の道へ導かれると信じます。
[:en]
Tomoki Hotta
Vice Chancellor
Babel University Professional School of Translation
Are you familiar with the term “academic debate”? During Babel’s history spanning over almost half a century, for roughly a decade in the 1990’s BUPST would invite annually a debate champion and coach (instructor) from the US and supported a Japan-wide academic event. Participants would debate in Japanese and English, and Babel extolled the academic benefits of debating. At the time, Professor Shigeru Matsumoto (author of the book English Debating Manual published by Babel Press and Professor of International Management at Rikkyo University School of Management as well as a U.S. qualified debate coach), and the late professor Akiko Nakatsu (whose book Why do you speak English? received the Nonfiction Otoya Foundation Award) assisted in these events.
Academic debate is the idea of using debating techniques as a part of education in cultivating logical composition skills.
Another term – “academic translation” – targets adults who are in college and older and students in elementary through high school. Academic translation however is intended for developing professional translators.
To make the idea of academic translation easier to understand, let’s consider the following example.
About 25 years ago I took part in an experimental project at Babel. A team of seven to eight people comprised of Babel’s education manager Genya Nagasaki and second and third year junior high teachers also participated in this project. Professor Nagasaki was at the time a masterful English speaker whose Miracle English Series had successfully sold over a million copies. Without having ever left Japan, Professor Nagasaki had learned English so well he could engage in heated debates and arguments with native English speakers. In this project, second and third year junior high students were targeted in using the Ladder Series editions of English learning books – where the English vocabulary is limited to 500-100 words – to conduct translation exercises.
In these exercises, students were taught foundational techniques from syntax to pronunciation, and were expected to not simply interpret the English passages but also carefully research the background to translate into Japanese that was grammatically correct and easy to read. What was surprising was that after about a year of this training students’ English improved, and also their grades in language arts, social studies, math, and other subjects improved significantly. I wish we’d been able to continue with this project and collected more concrete data, but regrettably Babel became busy with other work and was unable to pursue the project further. Now, about 20 years later, I feel like the time has come to put into practice what Babel learned in this project.
In current English education, where the grammar translation method is rejected and communicative English education or so-called “conversational English” education is promoted, looking at those results I wonder if I’m the only one that feels like “educational translation” – which began before the Edo period – is needed today. This magazine has been running a series since May of last year by professor emeritus Hajime Narita from Osaka University titled English Education Using Comprehensive Translation, that does a great job of summing up the idea of educational translation.
Conversely, the Program for International Student Assessment (PISA), coordinated by the Organization for Economic Cooperation and Development (OECD) every three years, has been used since 2000 to measure 15-year-old students’, math, science, and reading literacy. Additionally, since 2015, this assessment also measures collaborative problem-solving skills and global competence. Incidentally, the Japanese moved from ranking at a little higher than 10th place to being at the top in the world in math and science literacy in 2015, and about the same at third place in reading comprehension. Reportedly, the Japanese still continue to be at the top in these three fields.
While there is some disagreement in defining the standards for global competence that was added to the PISA in 2015, currently the definition is as follows. “Global competence is the capacity to examine local, global and intercultural issues, to understand and appreciate the perspectives and world views of others, to engage in open, appropriate and effective interactions with people from different cultures.”
Namely, global competence is comprised of the three dimensions of knowledge, understanding, and attitude, and at the foundation is a focus on human dignity and cultural diversity.
http://www.oecd.org/pisa/pisa-2018-global-competence.htm
This global competence can also be considered in a broad sense as the very heart of translation and educational translation.
I believe the spread of educational translation cultivates language education, understanding of foreign cultures, responding effectively to foreign cultures, and sensitivity, and it opens up new horizons for education of both students at all levels and adults as well. It also encourages a new awareness of Japan’s role in the world.
Let’s consider now the meaning translation possesses from a historical perspective.
Since the Meiji Restoration, many members of Japan’s Enlightenment movement such as Fukuzawa Yukichi, Nishi Amane, and Nakae Chomin brought in to Japan Western culture and cultural assets to modernize Japan by combining the Japanese spirit with Western learning. In other words, one could say these great thinkers used translation to import the Western advanced culture and civilizations of the time. That’s why Japan was commonly called a translation nation.
From the sixth to seventh century when Japan imported Chinese culture from Japan, it created translational equivalents of ideas from the Chinese culture by combining classical Japanese and the Chinese language. Beginning in the Meiji Restoration, Japan developed translational equivalents of abstract concepts previously nonexistent in Japan from the humanities and social sciences. Concepts such as society, justice, truth, reason, conscience, subjectivity, system, structure, dialectic, alienation, true existence, and crisis are all familiar terms imported into Japan through translation that the Japanese use without a second thought.
However, if you think about translation’s standing in society today, it’s curiously imperceptible. Of course, we read translations in our everyday lives and the government and corporations allot large portions of their budget to translation. We also live in an environment where we can freely enjoy classical literature from all over the world such as the works of Dostoyevsky, Thomas Mann, etc.
Looking at the future, the continued trend towards a borderless global society made possible with information technology means there’s an immeasurable amount of business volume for translation. Some say the typical corporation spends about three billion Japanese yen annually on outsourcing translation. Adding in translation for industries such as the government, books (including digital), cartoons, and comics, and the market for translation easily surpasses a trillion Japanese yen.
This means that it wasn’t just in the past but from now into the future that the role of translation in Japan’s business dealings, culture, and society will be much larger than imagined.
When considering the importance of translation at the national level, I realize the importance of the very act of translation even before that of training professional translators and am convinced once more of the importance of educational translation.
The absolute obsession with English and the boisterous calls in Japanese corporations for switching to English is taking the media by storm, which is exactly what globalists and international finance capitalists want. Such policies however will only lead to the decline of Japan to becoming a second-rate country.
Within the hierarchical structure of English control, there are countries such as India, Malaysia, Kenya, and other former British colonies that adopted English as their second official language, and then countries that were under the control of the U.S. such as the Philippines and Puerto Rico. These countries in a sense adopted English as their official language, and thus accepted becoming second-rate countries.
Recently Japan’s mass media has been reporting masochistically about how the University of Tokyo has fallen from its ranking up to last year of first place in the Asian region to seventh. The reason for this decline is supposedly that only a small percentage of courses are taught in English along with a small percentage of academic papers written in English.
However, think about this for a moment. Are there any other countries apart from Japan that are not English-speaking countries where people can learn advanced studies in their own language? What is more, Japan is a rare country where people can read classics from all over the world in Japanese – how many people are aware of this fact?
On the other hand, look at the current condition of the so-called “ideal” country Singapore. First, one has to constantly learn several languages, and there’s a growing economic disparity due to elitism and a lack of a feeling of solidarity among citizens. What’s more, Singapore is culturally impoverished since it doesn’t create its own culture or arts. This is the distortion created by adopting English as a country’s official language.
Japan has used translation as a shield, strictly adhering to the position that Japanese is its national language and not belittling it’s language by lowering it to being just a local language. Japan’s stance on this issue is perfectly natural given the following Japanese language and cultural history, and the according merits this language and culture support.
- In the sixth and seventh centuries Japanese assimilated ideas from Chinese civilization; in order to absorb these ideas, Japan used a blend of Japanese and Chinese, thus creating a culture of Chinese and Japanese characters.
- Japan is one of the richest languages in the world when it comes to vocabulary, having about 500,000 different words. English also is at about 500,000 words since it has many loaned words; German has 35,000, and French has 10,000 words. Japan is truly a country blessed with a miraculous power of language.
- One can read ancient Japanese works from over 1000 years ago without particular difficulty, such as Kojiki, Nihon Shoki (the older chronicles of Japan), and Manyoshu (an anthology of Japanese poetry). However, in the U.S. and England, people cannot read literature written over a 1000 years ago unless they can read ancient Greek and Hebrew.
- Among the 200 countries worldwide, over 6000 ethnic groups, and over 6,500 languages, only Japanese is neatly structured based on 50 vowels and has various forms of expression such as hiragana, katakana, the alphabet, Chinese numerals, and Roman numerals.
- As neuroscientist Tadanobu Tsunoda has pointed out, people from the West process consonants with the left brain, and vowels with the right brain which is also used to process machine sounds and noise. They also take in noises like birds chirping, a brook babbling, or the sound of the wind as noise with the right brain. The Japanese however take in consonants and vowels with their language centered left brain, along with the sounds of chirping birds, babbling brooks, and the wind. Perhaps this is why the Japanese see the divine in all things.
- Japanese culture has cultivated sharp sensitivity and deep spirituality by cultivating Confucianism, Buddha, Road, Zen and Shinto culture at the eastern end of the Eurasian Continent.
- As the author of Japanese Science Will Change the World Matsuyo Yoshiyuki points out, many Nobel prize level scientific inventions are thanks to the Japanese language. Japan has won approximately 20 Nobel prizes in the natural sciences, setting it apart from other Asian countries.
The following keyword comes to mind when thinking abstractly about why educational is needed today: multicultural symbiosis.
The next stage is the age of multicultural symbiosis; a society where people live together, recognizing each other’s cultural differences.
That’s the very essence of translation!
Put another way, the very act of translation is the integration of different cultures, which is set on the premise of multicultural symbiosis.
Among U.S. intellectuals that regard Samuel Phillips Huntington’s books The Clash of Civilizations as racist, one can begin to see the limits of the hegemonism different from that of China. The U.S. has always attempted to pursue the universal and erase differences. In contrast, England – with a history of creating colonies – has undergone hardships due to international politics, and thus understands from experience cultural difference and has tried to take measures to manage those issues.
It was possibly recognizing multiculturalism and also valuing its own culture, which is in a sense tolerance (or scheming) that led to England’s exit midway from the EU, or BREXIT.
What we at Babel Group can do isn’t at the political or economic level; it’s considering translation in national culture and social strategies.
This is because translation is a global appeasement policy based on multicultural symbiosis.
Finally, let’s look at what skills are needed in translation from the viewpoint of BUPST’s translation education.
- Language Competence
This competence is the naturally the language related skills that are the pillar to working in translation, and Babel uses “translation grammar” as the center for this competence. PISA states that reading comprehensions skills are closely related to mathematical and scientific literacy. - Cultural Competence (Cross-cultural, Global Competence)
Cultural competence is thoroughly knowing cultures of concern, which is necessary when transferring information between different cultures and relatively viewing the values in those cultures. This coincides with cooperative problem-solving skills and skills for working with different cultures – or global competence – that PISA added in 2015. As a reference, global consultant Ikuko Atsumi (author of Developing Global Talent (English translation published by Babel)) groups the world into four areas based on cultural values.1. Countries based on a moral code (human relations) – Asia including Japan, Eastern Europe, South America, Central Africa, etc.
2. Countries based on a legal code (rules and manuals) – the U.S., England, Northern European countries.
3. Countries based on a religious code (teachings of God) – the Middle East, Northern Africa, etc.
4. Countries based on a mixed code (combination of codes listed above) – India, etc.Ikuko Atsumi also looked into the traditions and history of each country to create a Global Navigator that organizes countries based on
1. Motivators
2. Demotivators
Motivators and Demotivators shows what countries hold as their cultures and values for taking action. - Expert Competence
In translation, it’s necessary to have a field of specialty. That field of specialty is constantly evolving. Therefore, it’s necessary for translators to be able to gather information to be informed of those changes. - IT Competence
Not only when translating, but also when leading translation projects, one needs IT competence – which is the project management knowledge, research skills, translation editing skills, desktop publishing skills, and skills for using translation assistance tools, skills for creating glossaries of terms –such knowledge and IT skills are essential to career development as a translator. - Managerial Competence
Managerial competence encompasses management know-how for achieving professional independence, and project management knowledge and skills for working as a project manager in handling projects – all of which are essential for gaining independence as a professional translator.
Translation integrates all of the above competences and requires an extremely high degree of overall intellectual ability. While some of translation can be performed with the help of artificial intelligence (AI), the act of translation as an integrated whole is one that only humans can perform.
In the AI age, I believe that learning translation cultivates foundational skills similar to reading, writing, and arithmetic.
I also believe that if Japan’s elementary, middle, and high school education, along with universities and graduate schools use educational translation, Japan will ultimately find the path to independence.